公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

2023年6月に読んだ本

本棚のゆとりは心のゆとりということで新しい本棚を探しているが、絶対に避けている商品の基準がある。
それは商品名に「北欧」と入っているものだ。(本棚に限ったことではないが)
本当に北欧にルーツを持つ商品なら名乗るのは構わないが、ほとんどの商品は北欧とは関係ないにも関わらず検索に引っかかるために商品名に北欧を併記しているエセ北欧に過ぎない。
一定数「本棚 北欧」とかで検索する人がいるから成立するわけで、どうしてこうも「北欧」とか「パリ」が好きなやつらってそれらに縁もゆかりもない上っ面だけで満足できるのか謎である。
というわけで6月に読んだ本の記録となるが、今月は漫画の割合が多めになった。


↓先月分↓
mezashiquick.hatenablog.jp


↓今回読んだもの↓※赤字の漫画は完結済み

びんちょうタン (1-4)

備長炭の擬人化である「びんちょうタン」の日常を描いた漫画。
漫画の紹介文に"萌えキャラ"と書いてあり、"萌え"って言わなくなったなあと昔を懐かしんだ。
ちなみに発音はびんちょう(↓)タン(↑)となるので備長炭のアクセントとは異なる。
本作はアニメ化もされており、ぼくの好きなアニメのひとつなのだがどういうわけか最近まで存在を忘れていた。
家にあったあずまんが大王を読み返していたところ突如として存在を思い出し、購入に至ったのだ。
ただ、全くの初見であれば序盤は退屈だと感じるかもしれない。
2巻までは4コマがメインで、びんちょうタンやその周りの人たちの日常を描いている。
びんちょうタンは決して裕福な暮らしではなく、山奥の家(修繕できていないのでボロボロ)に一人で暮らしている。
彼女は街に出て日雇いの仕事を探したり、路上で野菜を売ったりして生計を立てているのだが、なんかもうその時点で見てられない人もいるだろう。
幼女が健気にがんばっているのを見て心が動かされる人は多いと思うのだが、その感情の揺れ動きがどういう類のものかは受け手によると思う。
"かわいそう"と感じるか"応援したい"と思うか"感動"するのかはそれぞれなのだが、「こんな描き方されたらそりゃそうなるだろう」と、どういう形であれ心が揺さぶられるのは間違いない。
身も蓋もない言い方をすれば、「焼いた牛肉をご飯に乗せて焼き肉のタレをかけて食べるとおいしい」と言うことを体現した作品と言える。
後半はびんちょうタンの唯一の肉親であるおばあちゃんとの思い出がメインとなる。
一応言っておくとハッピーエンドではあるのだがそこに至るまでの過程がしんどいので、興味のある人はアニメから入るといいかもしれない。
ここまで読んで『ちいかわ』との共通点を見出した人もいるだろう。
等身が低くてかわいらしいキャラクターに試練を与えるあたり、ちいかわと同様に作者の癖(ヘキ)によるものなのかどうかは定かではない。
一応、ちいかわと違ってびんちょうタンの世界は優しいし不穏な登場人物もいない。
ただびんちょうタンの世界が優しさ一辺倒ではないのは、この世界には日雇いの仕事で生計を立てている子供が珍しくないことだ。
仕事は毎朝役場の掲示板に張り出されて早い者勝ちとなるのだが、子供も大人も大勢仕事を探しに来ている。
また、仕事を受けたい子供専用の窓口も役場にはあることから、子供が仕事をするのが当たり前の世界であるようだ。
かと思えば良家の子女たちが通う学校もあり、格差は目に見えて分かりやすい。
かわいらしいキャラクターに惑わされがちだが、格差社会・日雇い労働・貧困・孤独死などを描いた社会派漫画なのだろうか。

子供はわかってあげない (上・下)

書道部の門司くんと水泳部の朔田さんは共通の趣味をきっかけに意気投合し、なんやかんやあって離婚して家を出て行った朔田さんの父を捜すことになる、という夏休みの体験を通じた男女の成長を描いた漫画。
「わかってあげない」とタイトルに入っているのだが、ふたりとも割と周りの気持ちを考えて行動しているあたりは意外に複雑な家庭環境によるものだろうか。
恋愛ものは読まないのだけれどこれは画風もあってかサラッとしていて、爽やかで甘酸っぱい雰囲気がくどくないので色恋で敬遠している人にもお勧めしたい。
逆に、少女漫画等のねっちょりした感情の描写が好きな人には物足りないと思う。
「誰かから渡されたバトンを次の誰かに渡すこと」が作品のテーマのひとつになっている。
それは経験だったり親切だったりお金だったり、子供を作って次の世代に繋げることだったりするわけだけれども、何でそんなめんどくさいことせないかんのか、自分は一人で生きていくと言う人もいるだろう。
思うに、何かを誰かに渡すことは「世間と繋がることができる」のだ。
門司くんのお兄さんはお姉さんになってしまったので子供が作れない身体になったぶん、探偵の仕事を通じて、または「自分が受けた親切を他の誰かに返す」ことで世間と繋がっているように見えた。
朔田さんのお父さんは自分にしかない力を信者のために使うことで居場所を求め、世間と繋がりたいように見えた。
自分が誰かから受けた親切を他の人に返すとき、自分の中には親切にしてくれた"誰か"の存在が残っているし、自分が親切にした人にも"自分"の存在が残る。
ひとりでいることが孤独なのではなく、人と繋がっていない・結びついていない状態が孤独なんだよなあと物思いに耽る作品だった。

田島列島短編集 ごあいさつ

上で紹介した『子供はわかってあげない』の作者さんの短編集。
なんというか、日常にある疑問や心の機微を自分なりに昇華して漫画にするのがうまい人だなあと感じた。
例えば、一作目の『ごあいさつ』では不倫をしている主人公の姉の元へ不倫相手の奥さんが訪ねて来る。
姉は飄々とスカしているように見えて現実から逃げているだけなので、奥さんから逃げてしまい対応を妹に任せる。
奥さんも奥さんで旦那に不倫されたという現実から目を逸らしており、妹の感情はどことなく奥さんに味方をしだしていく。
もしも奥さんがブチ切れつつ乗り込んで来るような人であれば妹も早々に姉の味方をしていたかもしれない。
ひとりで不倫相手の家を訪ねるという思い切りのよい行動をしつつも、肝心なところで踏み切れていない優柔不断な姿勢に妹の態度も軟化したと言える。(まあ奥さんの計算であると言えなくもないが)
「女性は大人になったら女性のおっぱいを吸うことができない」というテーマで書かれた話も、(後で気付いたけど)女性作者さんならではの視点だ。
作者さんの他の作品でもそうだが、あっさりした絵も相まってか行間を読む作品であるという印象を受けたので、何でもかんでも説明してもらわんと分からんという人には向いていないと思う。
以前にネットニュースで「Z世代は行間が読めない」という内容の記事を読んだのを思い出した。
例えば、「映画を見ていたら"好き"と伝えたわけでもキスしたわけでもないのに登場人物がいつの間にか付き合っていた」というZ世代からの感想があったとする。
作中ではお互いが絆を育む描写はいくらでもあったはずなのに、言葉や行動などの決定的な描写がないとZ世代は分からないと記事では述べられていた。
いくらなんでも若い人を馬鹿にしすぎだと思うし、行間を読めない人は年齢性別問わずいるわけなので世代の問題にしたいのなら明確なデータでも持ってきてほしい。

みちかとまり (1)

前2作品の作者さんの最新作。
8歳の女の子・まりはある日竹藪でみちかと名乗る少女と出会う。
彼女がもたらす不思議な体験に戸惑うまりだが、ある日みちかはいじめっ子の大切なものをほじくり出してしまう。
今までの作品と違ってグロ描写も含まれた作風で、雰囲気は静かなんだけど日常が徐々に浸食されていく不穏さを感じる。
バトル漫画のグロや欠損描写よりも、こういう穏やかな画風の漫画でそうした描写があるほうが異質感があるので余計に怖い。
1巻を読み終わってから、1話冒頭で少し成長した二人が何かを燃やしているシーンを見ると嫌な予感しかない。
「言葉で理解できる世界の外側」に住んでいる、神様と思われるキャラクターの造形も有機物をモチーフにしているけれども妙に無機質で敵にも味方にも転じそうで不気味だ。
今までの作品とは全く違った一面を表現できる世界も持ってるなんて、創作者という人たちはすごい。
さっきも言ったけど今までの作品とは雰囲気が違って、苦手な人もいるかもしれないので試し読みなり何なりで下調べをしておくことをお勧めする。

水は海に向かって流れる (1-3)

上3作の作者さんの作品。
あらすじだけ見て、年上女性と年下男性の恋愛ものっぽかったのであんまり好きではないし読む予定はなかったのだけど、他の3作がよかったのでこちらも読むことにした。
主人公の直達くんは高校進学を機に叔父さんの家に居候をすることになるが、駅まで彼を迎えに来たのは榊と名乗る初対面の女性だった。
叔父さんは榊さんを始めとする4人で共同生活を送っており、直達くんは5人目として同じ家で暮らすことになる。
しかし、実は直達くんと榊さんにはとある因縁があって、というお話。
空気感がとにかく好みで、『子供はわかってあげない』もよかったのだが本作はよりシンプルかつ洗練されていたというか、ずっと読んでいたい気分になる漫画だった。
高校生男子のありあまるエネルギーと正義感と怒りと性欲。
26歳女性の達観しているようで割り切れておらず時が止まっているだけの人生。
ぼくは26歳女性であったことはないけれど男子高校生であったことはあるので、直達くんの行動にはうんうんと頷きながら読んでいた。
榊さんに関しても、「怒ってもどうしょうもないことばっか」とならざるを得なかった理由は分かるというか、例えとしては少し違うけど引きずりすぎて擦り切れてしまったと言うか、怒るタイミングを見逃してしまっていつまでも決着をつけられずに燻っている感がある。
創作物にたまに登場する、妙に達観しているキャラクターがあまり好きではない。
特に高校生くらいで「世界の全てを知ってます」みたいにスカしてるやつは鼻で笑いたくなる。(key作品とかによく出てくる)
まあそれも年齢を重ねるにつれ、各々にはいろんな事情があって、自分にとっては取るに足らないことでも誰かにとっては一生を左右するほどのこともあるよなあと思うようになった。
本作に登場する榊さんも、「怒ってもどうしょうもない」という域に達してもしょうがないよなと思ってしまうことを経験している。
最後まで読んで作者さんが女性であることにようやく気が付いた。
女性キャラクターの描き方や随所に挟まれる小ネタが男性っぽいなあと思っていたのだが気のせいだったようだ。
こちらの作者さんの漫画はどれも面白かったし、既刊全てを購入しても7冊なので興味のある人は今からでも買ってみよう。

お姉さまと巨人 お嬢さまが異世界転生 (3)

現実世界から転生したお嬢様とその妹である巨人の異種族バディもの。
ふたりはお互いの探し人を求めて旅をしている。
異世界に転生してチートスキルで無双して巨乳巨尻の万年発情美少女にちやほやされる類の作品ではないので、いわゆるテンプレなろう系の異世界ものが苦手な人にもお勧めできる一冊だ。
世界観はまあまあ暗めで、他の異世界ものでは持て囃されがちな異世界転生者が「亜人」として人間と同じ扱いを受けていない国もある。
お姉さまと妹はお互いの存在やお互いから学んだことに縋り、時には支えにして生きているように見える。
「百合」とかいうぽわぽわしたものではなくて、「任侠」もしくは「共依存」という言葉が近いように思えた。
二人が如何にして出会い、絆を育むに至ったかは断片的にしか触れられていないものの、暗めの世界観も相まってか二人して滅んでしまいそうな気もしてしまうのでハラハラしている。
作者さんの趣味や好きなものが詰め込まれたことが伝わってくる作品で、今巻では有機的な巨大ロボっぽいものも登場する。
3巻ではバトル描写がかなり多めとなり、戦闘中の細かいギミックなどは好きな人が見たらニヤリとしてしまうことうけあいだ。
「死ねよやあ!」の台詞はやっぱりジョナサン・グレーンのパロディなのだろうか。

不連続殺人事件

坂口安吾の書いた推理小説
登場人物が多く、性格が破綻しているやつも多いので最初は読むのに苦労した。
ぼくはミステリー小説には全く詳しくないのだが、この作品が傑作と言われている所以は人間関係そのものをトリックとしたことだと思う。
本作が雑誌に連載されていた当時、犯人を当てた人には作者から懸賞金を進呈するイベントが開催され、その挑戦状も収録されている。
挑戦状の中で作者が語っていたことによると推理小説が犯人当てゲームである以上、犯人の行動や心理は合理的でなくてはならない」ということらしい。
そのため、ミステリー作品にありがちな大掛かりなトリックやアリバイ工作があると思って読むと肩透かしを喰らうことだろう。
なぜかと言うと、アリバイ工作とか密室のトリックを仕込むことがその人物の心理を表してしまうから、つまり犯人の足跡や考えを残してしまうことで不自然になってしまうからなのだ。
犯人が犯行の痕跡を残したくないと思うのは当たり前のことなので、仕込みは少なければ少ないほどいいのは確かにその通りである。
この読書記録はネタバレ注意で書いているがさすがにトリックの詳細や犯人をバラすほど無粋ではないので、気になった人はぜひ読んでみてほしい。

口訳 古事記

古事記を現代の言葉に口語訳した作品。
そもそも古事記とは、日本神話について書かれた歴史書で神様が日本という国そのものを作るところから始まる、日本最古の書物である。
神様が登場する絵本が家にたくさんあったので話の内容にはいくつか知っているものもあった。(天照大神とか素戔嗚尊とか大国主命とか)
登場人物は全て神なのでキャラ設定はもりもりかつダイナミックで、剣の一振りで一面の草を薙ぎ払ったり、神が号泣すると人が死んで国の植物が全て枯れたり海が干上がったりする。
神様だからと言って慈愛に満ちた高尚な性格というわけでもなく、嘘と裏切りと暴力と愛にまみれており平気で浮気とかもする人間と変わらない生活をしているのだ。
そりゃそんな神様が作った我々人間もめちゃくちゃするわけである。
町田さんの作品ではしばしばキツめの関西弁が使われる。
河内弁というのだろうか、言葉として聞くならともかく文字にするとちょっと理解しづらい点もあるだろう。
例えば、倭建命が故郷を懐かしんで詠んだ歌があるのだが、「懐かしい 家の方から 雲きょんが」と訳されている。
「きょんが」というのは「来よんが」つまり、「雲が来てる」という意味である。
文字にすると「来よんが」のほうが適切かもしれないが、話し言葉では確かに「きょんが」となるので関西弁に馴染みがないと理解するのに時間がかかるかもしれない。
口語訳であればみんなに分かる言葉で訳すべきと言う人もいるだろうが、町田さんがあえて日常の言葉を用いた作品を書くのは「感覚に直結した本音の言葉」を大切にしたいと思っているからである。
他にも、琴の演奏の例えにフォークギターを用いたり、狩りについて説明するのにランドクルーザーモルトウイスキーを持ち出したりしている。
その時代になかったものを用いるのはいかがなものかと言われることも多いらしいのだが、詳しくは町田さんの自分語り本『私の文学史』に書いてあるのでぜひ読んでみてほしい。

ハリネズミのジレンマ

週刊文春で連載されているエッセイを文庫化したもので、「人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた。」で始まるシリーズ。
本書は最新作となる6作目であるが順不同で読んでいるのであまり気にしていない。
以前に読んだ5作目の『メランコリック・サマー』において、シルバー料金で映画を見に行った話が収録されていたことから、みうらさんもとうとう還暦を迎えられた。
そして本作では、後期高齢者である65歳まであと数ヶ月となったと書かれていた。
数年前、某所で開催された『マイ遺品展』の会場で来場者に向けたみうらさんのメッセージ映像が流れていたのだが、久々に見たお姿がすっかり老けていたのに失礼ながら驚いてしまったことがある。
なんか勝手なイメージでいつまでも年齢不詳の若々しさがある印象だったが、きっちり年を重ねられていたのだ。
過去作には幼稚園へのお迎えといった子供関係のことも書いてあったが、本作では本格的にみうらさんの子供が登場し台詞もある。
ところがその子供が登場する回で書かれていたエピソードが「ホテルの窓際で立ちバックしていると思われるカップルを目撃した」なので、ちょっと安心してしまった自分がいた。
ひとまず週刊文春でのエッセイの刊行分はこれで読み終わったので、新作が出るまでは他の著作を読んでいくつもりだ。

異常

フランスで出版されたSF小説で、あちらではなんかいい感じの賞を受賞したらしい。
ちなみに読みは"アノマリー"だ。
まずは殺し屋が登場し、次は小説家兼翻訳家、その次は映像編集者と、登場人物が多数登場する群像劇の形式を採っている。
読み進めていくとどうも彼らは過去に同じ飛行機に搭乗していたことがあるらしく、そこから物語は急展開を迎える。
よくこんな話を思いつくなあと感心してしまった。
後味が悪いというよりは不気味な印象を受ける話だった。
哲学的かつ宗教的な描写もあるが特に専門知識がなくても楽しめると思う。
非常に含みを持たせた終わり方で、これは原書で読んだらどういう書き方をしてあるのだろうと興味を持った翻訳作品は初めてだ。
登場人物は多様な職業や年齢であり、人物ごとに文体が微妙に変わるだけでなく、手紙形式や対話、テレビ番組や歌の歌詞など様々な文章形式の物語を楽しむことができる。
本作について言葉を尽くして語ろうと思うとネタバレになってしまうのだが、このブログはネタバレ承知で書いてるしなあと葛藤した結果、ネタバレは書かないことにした。
自分としては映像編集者と弁護士の人のお話が好きだった。