公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

2023年4月に読んだ本

最近youtubeを見ていると、おすすめにしょうもない動画が上がってくる。
5ch(旧2ちゃんねる)の面白スレッドをまとめた動画とか、boketeの名回答をまとめた動画とか、アニメや漫画のとある回についてネットの反応をまとめた動画とか、とにかくしょうもなくてみっともない。
見かけたらブロックしているのだが、雨後の筍のように似たようなのが次から次へと湧いてくる。
ああいう人の褌で相撲を取っているような動画を作るやつってプライドはないのだろうか。
というわけで今日も読んだ本を紹介する。
一応ネタバレ注意で。


↓先月分↓
mezashiquick.hatenablog.jp


↓今回読んだもの↓※赤字の漫画は完結済み

お姉さまと巨人 お嬢さまが異世界転生 (1-2)

異世界」「スキル」「無双」「最強」「追放」「スローライフなどが作品タイトルに入っているものやそれに類するストーリーの作品は見なくても問題ないと思っている。
見なくても問題ないし、そうやって決めつけても問題ないとも思っている。
上記のNGワードについて後ろのふたつはちょっと前に追加されたものなので、今後も増えていくことだろう。
もちろん、『異世界おじさん』のように例外はあるけれどあくまでも例外だ。
この作品もタイトルだけ見るとキツいなあという印象だが、それでも読んでみようと思ったのは、いろいろな作品に触れたいという思いが強かったからなのと一話がいい感じだったからだ。
自分の好きなものを詰め込んだと作者さんは述べており、読んでみるとかなりしっかりとした世界観である。
異世界転生」という概念が一般化し、その類の作品が濫造されているが、異世界転生について知らない人も多分まあ読めると思う。
物語の舞台から見ると異世界現代日本)から転生してきた主人公のお姉さまと、巨人族の妹がお互いの探し人を求めて旅をするお話だ。
異世界転生ものにおいてお約束となりつつあるのが、異世界の文明は転生前の世界に比べて遅れており、主人公以外がバカ」というやつである。
遅れている異世界文明に現代の知識で革新をもたらし、異世界の住民にちやほやされるというのはお決まりの展開となっているわけだ。(マヨネーズを作って称賛されたりとか)
また、主人公は自身を生み出した作者の知能以上の思考能力がないので作者がバカだと主人公もバカとなる。
そのため、頭の悪い作者が知的なキャラを描こうとすると周りをバカにして相対的に主人公を上げるしかないのだ。
まあ最近は主人公以外の人物が極端に頭が悪い作品は減ってきているが、主人公が謎にちやほやされる展開は似たり寄ったりだ。
本作ではそうした異世界が未開の文明であることへの風潮の皮肉とも取れる描写がある。
転生者をうまい具合にカモにして自分の利にしている現地住民が見受けられたり、"個"で強い異世界人に対して集団の優位性で対抗したりする現地の様が見られる。
異世界転生者に付与される能力をお姉さまが「ズル」と称している点からも、少なくとも、チート能力を付与された異世界転生者が何の努力もしていないのに持て囃されるといった類の作品ではない。
異世界物のお約束を揶揄する異世界作品は既にあるだろうが、本作はそれがメインではないので作者の「やってやった」感を味わわなくてすむ。
あと、本来武器ではないものを武器として使うキャラってどうも昔から惹かれる。(ツギハギ漂流作家もそうした点ではよかった)
妹はスコップを武器として使っているのだが、読み進めていくとスコップであることを活かしたとある演出があって痺れた。
タイトルからお姉さまと妹の百合的なものを連想するかもしれないが、実際の二人の関係は兄弟杯というか任侠的な関係性のように見える。
しかし、もう常識みたいになってるけど、SAOみたいにゲーム内を舞台にした作品ではないのに「スキル」「レベル」「ステータス」などの概念がある世界観って受け付けない。
結局、文章や絵で説得力のある強さの描写を見せることができないし、読者も読み取ることができないから分かりやすい数値に頼ってしまうのだと思う。
それは作者の技量不足もあるし、読者の読解力不足もある。
異世界系(いわゆる"なろう系")の作品にもムーブメントはあるらしいのだが、基本的には流行っているテンプレに当てはめるだけなのでタイトルやあらすじを読んでいるだけで頭が痛くなってくる。

機動戦士ガンダムF90

こないだF91を久々に見て、そういやあのへんの時代の話ってあんまり知らんなあと思って買った。(後述するが、F90に関してはGジェネでの知識しかない。)
現在ガンダムエースで『機動戦士ガンダムF90 ファステストフォーミュラ』というやつが連載されている。
そちらはF90本編開始前を描いた作品なのだが、いくらガンダムが好きでも広げた風呂敷の模様を全て把握するつもりはないので本作だけで十分だろうと判断した。
ガンダムはとにかくスキマ産業なので、「あの時代とあの時代の間に実はこんなことがありました」的な外伝がとにかく多い。
だけど、やっぱり人気があるのはアムロとシャアが生きていた時代くらいまでなので、逆シャア以降は外伝的作品はあまりない。
UC・NT・閃ハサなどはあるが、あのへんは逆シャアから近い時代の話なのでまだアムロやシャアを引っ張ることができるものの、F90の話は宇宙世紀0120年、F91は0123年なので、彼らが生きていた時代から30年経過しているのだ。
彼らの存在を匂わすだけで物語は盛り上がるので、今作でもF90の一号機・二号機それぞれにアムロ・シャアのパイロットデータをプログラムした補助システムが組み込まれている。
あとジョブ・ジョンも出てる。
カラーページでF90のスペックが紹介されており、巻末には宇宙世紀の年表も載っているので資料としての見ごたえもバッチリだ。
内容としてはよくあるガンダムものといった感じで裏切り者や無能な上官もお約束のごとく登場する。
ボッシュは最近、F90の新しい漫画版でロンド・ベル時代が描かれて注目されたらしい。
第二次ネオ・ジオン抗争後もラプラス事件があり、ハサウェイはテロリストになるし、アムロを間近で見ていたボッシュガンダムを悪魔の力と称した。
結局、アムロが見せた人の心の光を目の当たりにしても、人は争うわけだ。

機動戦士ガンダム シルエットフォーミュラ91

F90を読んだらこっちもだろと思って購入。
本作も同様にGジェネFの知識しかないので、どんなものか知りたかった。
アナハイム・エレクトロニクスサナリィから技術を盗用した、新型モビルスーツ開発計画『シルエットフォーミュラプロジェクト』
本プロジェクトで完成した三機の試作機の実戦試験に関わる事件(通称:ゼブラゾーン事件)を描いた話。
先ほどのF90が宇宙世紀0120年なのに対してこちらは0123年で、ゼブラゾーン事件が終息して数週間後にコスモ・バビロニア建国戦争が勃発している。
本作は主に連邦軍ネオジオン残党・AE・CV(クロスボーン・バンガード)の四者が登場し、現場レベルでは知らされていない思惑が交錯しているのだが、漫画を読んだだけでは正直なところ関係が分かりづらい。
MSの出番がそんなに多くないのは別にいいとしても、ガンダムにおいてMSなしの人間ドラマで話を動かすのは難しいので、何というかパトレイバーみたいなことをやろうとして空回っている感のある作品だった。
MS戦においてもMSの動きがいまいち分かりづらく、似たような見た目のMSが多いので誰がどう立ち回っているのか判断がしづらい。
F90はカラーページでMSのスペックと立ち絵を紹介していたが、こちらはそういったコーナーもないので絵の粗さを補う仕掛けがあったわけでもない。
キャラの書き分けにおいても不十分なので読むのに少し工夫が必要である。
シャアとかと違って基本的にMSパイロットはノーマルスーツを着てヘルメットを被っているので、ヘルメットありの状態だと顔があまり映らないのでキャラの書き分けが重要なのだ。
アニメと違って声もないし、カラーでもないから余計に判断がつかない。
また、敵サイドであるガレムソンもクズな上に脳筋すぎて指揮官としてはダメダメだった。
あれではF91にも勝ると言われているネオガンダムのスペックを全く生かし切れていない。
というわけで漫画としてはちょっとおススメできないかなという感じがした。
Gジェネで見たシルエットガンダムやネオガンダムはカッコよかっただけにもったいない。
サナリィ躍進の陰でアナハイムが何をしていたのかとか、あとはたぶんネオジオンも含めジオン軍残党が出てくる作品ってこれが最後ではないかと思うので、それらを知る意味では貴重な作品となる。

新機動戦記ガンダムW DUAL STORY G-UNIT (1-3)

本屋をふらふらしてたらたまたま見つけて、G-UNITってあのG-UNITか!とテンションが上がって買った。
コミックボンボンで連載していた作品の新装版になり、どうも2020年に出ていたらしく自分の情報感度の低さに呆れてしまう。
当時はボンボンでときた先生のガンダム漫画を毎月楽しみにしていたし、G-UNITはプラモも購入したのを覚えている。
本作はガンダムW本編と同じ時間軸で、タイトル通りWの外伝的作品になる。
Wは初めて見たガンダムのアニメ作品なので思い入れが強く、自然とG-UNITも好きだった。
数年後、GジェネFに初収録されたときは大興奮したものだ。
前述したF90やシルエットフォーミュラもそうだがGジェネFで初ゲーム化された作品は多く、閃ハサやクロスボーンガンダムなんかはスパロボ参戦の遥か前に登場している。
この両者に関してはとにかく力が入っていた印象で、Ξガンダムのファンネルミサイルの演出、クロスボーンの戦闘BGMのカッコよさにはしびれたものだ。
第二次スパロボαにクロスボーンガンダムが参戦した際にはBGMもキャストもそのままで、やっぱこれよなあと思った人は少なくないだろう。
クロスボーンは漫画も持っていたのだが手放してしまったので、近いうちにまた購入しようと思う。
さて、当時は子供だったので何の疑問もなく読んでいたが、今読むと『星屑の三騎士(スターダストナイツ)』とか『暗黒破壊将軍』とかネーミングがすごい。
暗黒破壊将軍ことヴァルダー・ファーキルはトレーズをライバル視しているようだが関係性は不明である。
まあ『暗黒破壊将軍』はトレーズに言わせれば「エレガントではない」だろう。
あと、OZプライズがMO-Ⅴを狙った理由が改めて読んでも不明すぎた。
規律を守るべき軍隊であんな好き勝手やってれば、そりゃお坊ちゃんたちのクラブ活動と揶揄されるわと。
でもスターダストナイツのカスタムリーオーは厨二心をくすぐるし、L.O.ブースターやグリープはとにかくカッコいい。
2巻にはときた洸一先生の書き下ろしエッセイ漫画も載っており、漫画家デビューからボンボンでガンダム漫画の連載に至るまでの過程が描かれている。
ときた先生のガンダム漫画はG・W・X・逆シャアと、ぼくの青春期と共にあった。
先生はGガンダム漫画化の際に作品のプロットを見せてもらったそうだが、「こんなのガンダムじゃない」と思ったらしく、やっぱみんなあれに関しては同じことを思っていたのである。

チェンソーマン (14)

デンジくんが楽しそうでよかったなあと思いました。
デンジくんが水族館でアサと走り回っているときは、アキと一緒にサムライソードの金玉を蹴っている場面を思い出した。
アサの態度からパワーちゃんを思い出してちょっとおセンチになったデンジくんを見ていると、こっちも切なくなる。
アニメの勢いもあってか、第二部はそれまでと比べてどことなく足りない何かがあるなあと思っている人もいるだろう。
第二部はアサとヨルにフィーチャーしていることもあってか、デンジくんはともかくチェンソーマンの出番がいまいち少ない。
チェンソーマンが出てきて派手に殺す」的な爽快感が本作の面白い部分のひとつだと思っているので(だからこそマキマさんとの決着が静かだったのが際立つ)、スカッと不足による物足りなさではないだろうか。
実際に4/5のジャンプ+更新分からチェンソーマンのバトルが本格的に描かれているが、ぶっ飛んでいてやっぱこれだなあと思うことしきりだ。

一級建築士矩子の設計思考 (2)

一級建築士の女性が主人公の建築×お酒漫画。
作者さん自身も一級建築士と1級建築施工管理技士の資格を持っており、割と"ガチ"な漫画である。
建築がテーマである以上、図解と文章がページ内にどうしても多くなってしまうのだが、そういう作品だと分かっていればそういうもんだと思って読めるのでいい。
例えばこれがジャンプに乗っていたらもっと気楽に読みたいなあと感じてしまうが、本作については圧倒的な説明量がむしろ心地よく感じられる。
テーマ的に難しいのではと敬遠する人もいるかもだが、家ってみんな住んでるわけでどこかに引っかかる部分はあると思うし、豆知識的な感じで学べるのでとりあえず読んでみてほしい。
実際にこの漫画を読んでいると「へえ~」と呟くことがとにかく多く、こんなにへえが漏れたのはARMSを読んだとき以来である。(竹は絶縁体とか粉塵爆発の話とか)
実写化する可能性もありそうだから、勝ち馬に乗って「わしが育てた」顔で後方腕組み待機をしたい人は今からでも買おう。

戻り川心中

何冊かに一冊、「これは読ませる本だなあ」としみじみ思う作品がある。
世界観なのか登場人物なのか文章なのかは分からないが、引き付ける何かがあって世界観にのめりこんでしまいページをめくる手が止まらなくなるやつだ。
恋愛小説と推理小説が同居した作品で、花にまつわる男女の悲哀と殺人を描いた短編集となっている。
流れるような美しい文章と情感たっぷりの内容でとにかく没頭できる作品だった。
「なぜ犯行に至ったのか」を明らかにするいわゆる「ホワイダニット (Whydunit = Why done it)」形式のミステリーのため、犯人の内面描写が緻密に描かれている。
あまりにも真に迫った内容のため、表題作の「戻り川心中」に登場する歌人が架空の人物であると途中まで気が付かなかった。
というかフィクションでもノンフィクションでもどっちでもいいやと思わせる、有無を言わせない圧倒的な物語の世界が展開されている。
語りたいところはたくさんあるけど言葉を尽くすと安っぽくなってしまうのでぜひ読んでもらいたい。
この作者さんは今回初めて知ったのだが、世の中には本当にまだまだ知らない本がたくさんあるなあとしみじみ思った。

ガンダム」の家族論

ガンダムの漫画も読んだし、dアニメストアガンダム作品がいっぱい配信されだしたし、水星の魔女の2クール目も始まったしということでこちら。
富野さんが今までに監督したアニメ作品のエピソードを引用しつつ、家族について論じた一冊。
富野さんがガンダムファンに対して「大人になれ」とのメッセージをF91にこめたという話はネット上で有名だが、一体その発言のソースを確認した人間がどれほどいるだろう思っていた。
他にもVガンダムは病気のときに作ったから病気になるので見ないほうがいい」と発言したとも伝えられているが、それについても同様で実際に発言元を確認した人はどれほどだろう。
結局、ネットで有名人著名人の発言を引用して良いこと言ったとドヤっているやつは、その発言のソース元を確認もせず前後の文脈も把握せず言っているアホなので、ネットのデマにすぐ騙される情報強者気取りの情報弱者なのだ。(別にその分野に対しての素人であるとか関心が薄いのならそれでも構わないが、好きなら発言元くらい参照しようやと思う)
一応この本では上記の発言は両方触れられているので、ぼくは今後この本をソースにしようと思う。
内容としては富野さんファンやガンダムファンなら必読となっている。
ガンダムだけでなく今まで監督したアニメ作品について幅広く引用して家族論を語っているし、これはひょっとしてエヴァ批判ではないかと読み取れる興味深い記述もあった。
ところが、最後の章で富野さんが語った内容があまりにもインパクトが強すぎたのですべて吹っ飛んでしまった。
作品の内容をそのまま抜き出すのは出来の悪い読書感想文みたいで読書録としてはあまりやりたくないのだが、衝撃的だったその発言を引用して本の紹介は終わりたい。

ガンダム」におぶさっている人は、なんでも「ガンダム」で語ろうとする。
だが、たかだかロボットアニメの「ガンダム」には、それほどのキャパシティはないはずなのだ。
ガンダム」を使って、どれほどのものが言えるのか?
僕自身が「ガンダム」シリーズを作り続けなくてはいけないなかで、いろいろと考えたからよく分かるのだが、「ガンダム」はそれで人生を学べたといえるほど広く深いものではない。
だから、「ガンダム」世代という言葉を使う人にはお願いがある。
自分が「ガンダム」で幾ばくかの人生を学んだと思っているのなら、その足場は案外「脆い」ということを思い出してほしい。
自分が「ガンダム」で学んだことこそをまず疑い、最後は忘れるくらいでちょうどいい。
もし子供がいても、「ガンダム」世代の言葉をフィルターとして伝えるのなら、それは子供をすごく脆く狭く、対応力の低い人間に育ててしまうだろう。
たかだか三十年、四十年生きてきただけの世代が知っていることが、次の五十年以上を生きようとしている子供に役に立つのかどうかを考えるべきだ。
だから「ガンダム」世代は、「ガンダム」という言葉から早く離れたほうがいい。

高い城の男

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の作者の著作。
第二次世界大戦で日本・ドイツの枢軸国が勝利した世界線を描いている。
いかんせん登場人物が多く、それぞれの思想を把握するまで時間がかかったので、最初は読み方がいまいち分からなかった。
人物それぞれの言ってることに抽象的な内容が多く、翻訳の相性もあってかスッと入ってこなかったのだがそこは前後の文脈や状況と照らし合わせることで何とかなった。
「日本勝ったぜ気持ちいい」的な作品ではないので爽快感を期待して読むと肩透かしを喰らうと思う。
この世界ではアメリカは戦敗国なので日本や日本人に良い感情を持っていない登場人物もおり、戦争の勝ち負け以前に黄色人種に対する差別意識と白人の優越性がにじみ出ている場面もあるので、読んでいて嫌な気分になる場面もあった。(黄色人種に対する悪感情がその登場人物特有のものなのか作者が抱いているものなのかは分からない)
世界観は作りこまれており、特定の主人公はいない群像劇という形で各々が見た世界の形を描いている。
易経(古代中国の占術)」を行動の指針にしている人がいたり、アメリカの歴史ある工芸品を集めている人がいたり、戦後の不安定な情勢の中で何かに頼りたい・縋りたいと思うのは当然だよなと印象的だった。
一方で何のために登場したのかよく分からん人物もおり、起きる事件にも派手さはないというか割と淡々と進んでいく。
上記したが、抽象的かつ哲学的な描写が多いので理解が及ばない部分もあり、この作者の他の作品も読むつもりでいたのだが他のもこんな感じだとしんどいなあと。
まあ、自分には引っかからなくてよく分かりませんでした的な作品もたまにはあるよなあと思った。
登場人物のひとりにアメリカの伝統美術品・工芸品を日本人の富裕層向けに販売している人がいる。
彼が「アメリカの歴史」「幼いころとの絆」という言葉を用いて、アメリカのことを何も知らんくせに美術品や工芸品の良さが分かってたまるかと日本人に対して憤慨する場面があった。
それはまあ何となく、今の日本とアメリカの関係に置き換えると気持ちは分からんでもないなという感じはする。

恋文の技術

かってに改蔵』のとある話で松たか子は美人だけど、松たか子に似てる女はヤバい」というセリフがあって、妙に印象に残っている。
「ヤバい」というのは良い意味なのか悪い意味なのかは明言されていなかったが、「美人だけど」と言っているあたり良い意味ではないのだろう。
その言葉を借りるなら森見登美彦の文章は面白いけど、森見登美彦に似た文章を書くやつはヤバい」と言いたい。
昔、ある服屋のブログを読んでいたとき、森見さんの作風を明らかに意識した文章を書く店員さんがいた。
「自分はオシャレでありかつこんな軽妙洒脱な文章が書けますよ」という自意識が文字ひとつひとつにまで宿っており、若気の至りでは済まない痛々しさを感じた。
彼のバックボーンに森見さんがいたのかどうかは明かされていないが、森見さんの作品でくらいしか見たことがないような単語(例えば"麦酒"や"おもちろい"など)も使用されており、これはもう決定だろうと。
別にダメってことはない。ただイタいなと思っただけなのだが、本作でも森見さんの文章について「読んでいると若気の至りを思い出す」と表現されているので、彼の森見構文も使いどころとしては間違っていなかったのかもしれない。
本作は京都の大学院から能登半島の実験所に行くことになった主人公が、友人知人を相手に文通を始め「恋文の技術」を確立するまでの話。
主人公の手紙形式で物語が進行していく、森見さん初の書簡体小説となる。
彼には本当に手紙を書きたい人がいるのだが、文通修行という名の現実逃避をしてなかなかその人に手紙を出そうとはしない。
一応書く練習はしており、失敗書簡集の形で物語内で公開されているのだが、自意識と見栄と恋心が顔を出しすぎてどうにも上手く書くことができないのだ。
作品の表題にもあるように「技術」と言ってしまうと下手な詩みたいに「うまいこと言わなくては」という意識が先行するため、納得のいく仕上がりにはならない。
だから主人公のように嘘くさくなったり書いててイライラしたり、混乱したりするわけだ。
「どうでもいいことを楽しく書く」という境地に至った主人公の手紙は、確かに読んでいて楽しかったのでそれを狙って書くなんて小説家ってすごい。
以前は森見さんの新刊は毎回買っていたのだけど、今は有頂天家族の第三部を待つだけとなってしまった。
久しぶりに森見さんの大学生ノリ(これは森見さんが大学生ノリで執筆しているという意味ではなく、"大学生ノリ"について書いているということ)の作品を見て、正直ちょっとそろそろ自分には合わないかなという気がしてきた。
ペンギン・ハイウェイ』とか『熱帯』は大学生が主人公ではないっぽいので、次に読むとしたらそのへんになると思う。

されど人生エロエロ

週刊文春で連載されているエッセイを文庫化したもので、「人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた。」で始まるシリーズ。
本作はその二作目となるが順不同で読んでいるのであまり気にしていない。
巻末に収録されている対談でも触れられていたが、エロに"恥"は必要かどうかは見解の分かれるところだ。
みうらさんは「昭和の人間だからエロには恥ずかしさが欲しい」と言っている。
ぼくもそれには同意だが、たまにはバコバコバスツアーみたいに知性も恥も欠片ほどもないAVを見たくなる。
というか重要なのは作中でも触れられているように"知性"だろう。
"知性"と"エロ"は対局の存在であるからこそ振れ幅に興奮するわけだし、"恥"を感じない様はどことなく馬鹿に見える。
収録されているとある回で昔の洋モノピンク映画の邦題について触れられており、そこで挙げられていた作品が『情欲』『変態白書』『先天性欲情魔』などなど、想像を掻き立てる素晴らしいタイトルだった。
「覚えれば覚えるほど学力は低下する一方だったエロ漢字」とみうらさんは言っているが、何と言うかカタカナや英語の題名よりも「湿ってる」感がするのが良いと思う。
タイの風俗に行った人の話を聞いたことがあるが、「日本の風俗と違って明るくてよかった」と語っていた。
確かに日本のエロには「和室感」があってどことなく後ろ暗さも感じるので、そこはタイの風俗が好きな人のように明け透けなエロが好みである人もいるはずだ。
でもやっぱ、海外のAVのように行為中に変なBGMが流れていたり、歯のスキマから空気が漏れているようなあの喘ぎ声はどうも好きになれん。
文化の違いで片づけるのではなく、アメリカのセックスというかAVがなぜああいう形になったのかは知りたい。
みうらさんに「あれは戦勝国のセックス」と呼ばれていたのには笑ってしまった。

斜陽

読んだこともあるし家にも置いてあったはずだけど、いつの間にかなくなっていたので再度購入した。
たぶん借りパクされたのだと思う。
とはいえ読んだのはかなり前の話なので内容は忘れていたから新鮮な気持ちで読むことができた。
テーマが「滅び」であることはさすがに覚えているので、女二人のままならなくて危なっかしい暮らしは穏やかでありながらネジを一本引き抜けばたちどころに崩壊するような予兆を感じながら読んでいた。
全体的に寂寥感の漂う作品で、母子が家を売り払って引っ越す場面は実家を離れて一人暮らしをするときのことをなぜか思い出した。
『女生徒』『燈籠』『きりぎりす』なんかもそうだが、太宰治の書く女性の告白体小説はどうしてこんなにも魅力的なのだろうか。
主な登場人物は4人いて、身内から「最後の本物の貴族」と呼ばれている母。「恋と革命のために生きる」と豪語する私(かず子)。徴兵されて行方不明になっている弟の直治。直治が憧れており退廃的な生活を送っている小説家の上原。
太宰治は登場人物それぞれに己を託したと言われているが、やはり一番気持ちが入っているのは直治だと思う。
直治は自分自身の弱さと貴族の生まれであることに苦悩しており、民衆の間に混ざろうとしてあえて下品に振る舞うものの彼らが真に自分を受け入れてくれることはないと気が付いていた。
太宰治青森県の大地主の生まれであることや大家族の六男である自分に引け目を感じていたらしい。
家を継ぐのが長男である以上は六男なんて当時はいないもの同然の扱いだったようで、実際に『晩年』に収録の『思い出』なんかでも家族との不和や女中さんとのエピソードが多い。
加えて、生家の地主稼業が周囲の貧しい同級生の家庭にも多くいた労働者階級から搾取することで成り立っている事実にも悩んでいた。
さらに当時の若者の間で流行していた「プロレタリア文学」(労働者の厳しい生活を描いた文学)にも影響を受けたことで、左翼的活動に傾倒していく。
ところが左翼的・共産主義的活動において真っ先に倒されるのは自分たちのようなブルジョア階級であることに気づいた彼は絶望し、薬物中毒になり自殺未遂を繰り返す。
ぼくは正直言って太宰治の文学は「金持ちゆえの贅沢な悩み」だと思っている。
なんぼ流行りの思想か何なのか知らんが金持ちであることに安穏としていればよかったし、金持ちには金持ちにしかできんこともあるだろう。
自身が金持ちの家に生まれたのは親やそのまた親や先祖代々のおかげであって自分自身の功績ではないし、ましてや"罪"なんて大仰なものでもない。
女性と共に何度も心中未遂を繰り返していることからも、それなりにモテる人物であったことだろう。
人間はその立場に応じた悩みがあり、それは異なる立場の人間から理解することは難しい。
それなのにぼくが太宰治に惹かれてしまうのはなぜなのだろうと考えるがいまいち結論が出ていない。
ひとまず、彼の顔がぼくの伯父さんに少し似ているからというのは一因としてある。