インターネット上に見られる明らかな虚言を「嘘松」と呼ぶのが流行ったことが一時期あった、というか今でもたまに見る。
語源は各自で調べてもらいたいのだがとあるアニメが元ネタとなっており、嘘松認定全盛期の頃は元ネタになった作品のファンが、自分たちの好きなアニメが馬鹿にされているようで腹が立つと憤慨していたのも見かけたことがある。
盛り上がりを見せた機動戦士ガンダムGQuuuuuuxが終了してしばらく経ち、この記事をまとめている7月時点では『タコピーの原罪』が話題だ。
自分はドラマとかは見ないのでアニメや漫画を例に挙げて説明させてもらうが、上記作品のように世間でホットな作品が登場すると、それに乗っかって承認欲求を満たそうとするやつが出てくるのが見苦しい。
ジークアクスにおいてもツッコミどころ満載の雑語りをしていっちょかみしたいやつ、ファースト世代の父親が見ててどうのこうの言ってたみたいな家族や周囲の人間を絡めた明らかな嘘語りをしているやつ、大仰な表現をして注目を浴びたいやつなどを幾人も見てきた。
ああいうのを見ると自分の好きなガンダム作品をダシにされているようでモヤっとするし、タコピーに関しても同様のしょうもない人間たちが観測される。
歴史を辿れば、艦これが流行ったときにもSNS(主に旧Twitter)に海軍将校の祖父を持つ人が大量発生したこともあった。
最近だと鬼滅の刃も無限城編の映画が公開されたので、似たような現象が発生するだろう。
「初見の反応を見て愉悦する」という性格が悪く気色の悪い趣味を持った人間性の終わっている輩が言語化・可視化されたことにより、市民権を得たと勘違いしていることも大きい。
中には単純に褒めたい人もいるかもしれないが、SNS特有の構文であるとか、何でも大げさに誇張して表現する文化であるとか、ああいうのと合わさると本当に痛々しくて見ていられない文章になる。
というわけで6月に読んだ本を紹介する。
一応ネタバレ注意で。
↓先月分↓
mezashiquick.hatenablog.jp
↓今回読んだもの↓※赤字の漫画は完結済み
雷雷雷 (5)
世界の真実とかスミレの身体の秘密とかが徐々に明らかになるたびに日常回を挟んで一休みしているが、今回はそんな日常は数コマくらいですぐに次のヤバそうな展開がきた。
毎回毎回なんとか日常に戻ろうとしているけど、そろそろ取り返しがつかなくなりそうな感がひしひしと伝わってくる。
宇宙人vs人類かと思ってたんだけど実は人類vs人類なのだろうか。
未知の知的生命体がもたらす技術革新によって人類同士が利権を争うというのはよくあるけど、個人的にはそのへんの内輪揉めはほどほどにして宇宙人とやり合ってほしい。
あと、この作者さんの描く老人キャラはカッコいい人が多い。
前作の主要人物も老女だったみたいだし、尾田栄一郎先生しかり、年を取った人間の重みをしっかり描いている漫画家さんは好みだ。
どくだみの花咲くころ (3)
今回は信楽くんの作品制作要素は少なめで、子供同士の交流を描いた感じだった。
劇の台本の読み合わせをしたり、駄菓子を買いに行ったり、遠足のバスで吐いたり、小学生らしいことをしている。
信楽くんはクラスでは変わった子扱いされているわけで、それは彼の突拍子もない行動を取ったり癇癪を起してしまったりという特性によるものだけれども、自分のことなんて大人でも分からんわけだから、子供ともなれば自分が相手にどう思われていてその原因はこういうところにあるなんて分析をすることは困難だし、欲求を制御することも難しい。
だから信楽くんの視点からすれば、自分はみんなと同じように生きているのにいつの間にか周囲から人がいなくなってしまう状況となっていて、その上変な噂まで囁かれる始末。
きっと信楽くんも最初はみんなと同じように振る舞おうとしたり、噂を訂正しようとしたりしたんだろうけど、うまく行動できなかったりなかなか理解されなかったりで疲れてしまったんだろう。
誤解を解こうと提案した清水くんに対して「今さらうわさがひとつ増えたところでなにも変わらない」と投げやりだったのはそうした負の積み上げによるものだと思う。
清水くんに「人に説明するのあきらめないでよ」と一喝された信楽くんは「あきらめたらどうなるか」ということを母親に相談していたが、それは自分のために本気になってくれて嬉しかったとかではなくて、自分は別に困ってないのに清水くんがあそこまで怒っていることに対して単純に理解できていない様子だった。
例えば、自分が怒っているときに隣にもっとキレてる人がいたらちょっと落ち着くというか引くみたいなもんで、誰かの本気って理解できないと逆に引くことがある。
清水くんも新聞部の小石原くんの語りに自分を投影してちょっと引いてたけど、それは清水くんが周囲とコミュニケーションを円滑に取れる優等生キャラだったからこそ客観的に自分を見ることができていたからだ。
周囲に距離を置かれていた信楽くんは他人の目線を気にしてどうのという発想があまりなかったため、清水くんが何であんなに本気なのか理解できずに初めての感情に困っていたわけだと思う。
それと以前の読書記録でも書いたが、本作は非常に絵柄と話のマッチが凄く、特にギャグとの相性が抜群に良い。
邪神の弁当屋さん (2)
レイニーの目的が神の力を取り戻し、創造主と刺し違えてでも自分の存在を消すことだと明らかになった。
本作の世界において神様が存在を消されれば自分を信仰していた人も、他の神様も自分のことを忘れてしまう。
人間の心は隙間だらけで、常に満たされないと思いながら暮らしていて、その隙間を人だったりモノだったりいろんなもので埋めながら生活している。
だけど、一話のレイニーの語りでもあったように空腹は食べることでしか埋められない。
それと同じで、誰かを失った隙間は代わりの誰かでは埋められないので、もしもレイニーが消えてしまえば彼女と関わってきた全ての人たちには大なり小なり一生埋めることのできない隙間ができてしまう。
ところがレイニーは神様なので、消えてしまえばレイニーが存在したという事実も消えてしまうため、そもそも隙間もなかったことになる。
彼女に諦観が漂っているのはそういうわけで、どうせ消えてしまえば何も残らないと自分を安く見積もっているのだろう。
なんか、もしも自分だったら自分のことを忘れないでいてほしいと思いたいけど、とは言え本懐を遂げようと思えば自分のことを忘れられてしまうのは避けられないわけで、だからレイニーは人の心に残りたいとかどうとかそういう次元では動いていないと思うとどう説得すればいいのか分からない。
二階堂地獄ゴルフ (8)
やり直し能力の行使に代償があるということがついに発覚した。
まあそりゃあんな力を何のリスクもなしに使えるなんてメタ的にもあり得ないわけだが、二階堂がどこか安心していたのはさすがである。
彼はゴルフに対しては常に真摯で嘘をついたことがないため、やり直し能力の行使についても自分を応援してくれる人たちのためと言い訳をして騙し騙しやっていた。
だけど良心はじわじわと苛まれていたわけで、そんな自分に対してしっかりと罰が下されると気が付いて楽になったのだとナレーションでも明かされている。
今後は気兼ねなく能力を使おうというのではなく、能力に頼らずにしっかりと結果を出していくと決意した二階堂がどうなるか見守りたい。
児玉まりあ文学集成 (4)
久しぶりの新刊だったので軽く読み返してから読んだ。
児玉さんは本当はこういう見た目ではなく、視力の悪い笛田くんが勝手に想像した理想の外見で描写されているというのは一巻で明かされていた。
笛田くんは現実を見るのを面倒くさがって、勝手に周りを作り変えて生活しているとも言及されておりそこそこヤバいやつである。
そして今回、児玉さんもこれまでの読書体験から自分の外見をつまらないと感じるようになり、自分の外見を頭の中の自分に置き換えていたことが判明した。
だから、児玉さんも笛田くんもそれぞれ自分の頭の中の「児玉まりあ」があるわけで、なかなか屈折したことをしているのだがそこまでの暗さがない。
それはなぜかと思うに、四巻でしばしば触れられていた「言葉は世界に影響を与え、変革する」ということが関係している気がする。
人間は言葉でもって現実を作り替え、この地球を自分たちの生きられる環境に少しづつ変えてきたと児玉さんが述べているが、ということは自分の外見を作り変えて理想の自分を作り上げることも可能なわけだ。
コンプレックスの解消手段に整形やマスクやファッションを用いるのと同じで、彼らは言葉を用いているのだ。
そんなもんいくら言葉を弄したって現実は変わらんという意見もあるだろうが、少なくとも児玉さんにとっては笛田くんという「現実の自分を見ないでいてくれる人」が現れたのだから、想いはちょっとだけ叶っている。
鏡の中は日曜日
「石動戯作シリーズ」の3作目。
神奈川県・鎌倉にある館『梵貝荘(ぼんばいそう)』で発生した殺人事件は、居合わせた名探偵の手によって解決される。
それから14年後、石動のもとに事件の再調査依頼が舞い込むというお話。
あらすじはそんな感じだが、冒頭は謎の人物視点のストーリーが繰り広げられ早速先が気になる展開となる。
そこから事件の調査をする石動視点となるのだが、さっきの人は誰でいつ出てくるのか、真相はこうじゃないのかなどを自分なりに推理しながら読んでもそれを上回る真実ばかりでやっぱりプロってすごい。
現在、講談社文庫から刊行されている殊能さんの作品で本屋において普通に手に入るのはデビュー作の『ハサミ男』、死後に刊行された『殊能将之 未発表短篇集』、そして本作となる。(たぶん)
その中で石動戯作シリーズは本作のみのため、重版されていない他の作品を古本屋などて探しでもしない限り同シリーズを最初に手に取る可能性が高いのは本作と言える。
ネタバレになるので詳細は伏せるが、作中のとある展開を楽しむためには石動戯作シリーズの過去作を読んでおくのがベストだと思う。
もちろんこれ単体で読んでも十分面白いし、ここからシリーズにハマるのもありではある。
他の作品も再版してくれないものか。
また、以前にシリーズ一作目の『美濃牛』を読んだときにも思ったのだが、やっぱり岩動は探偵っぽくないなあと感じた。
別にマイナスな意味ではなく、そういう印象を抱いたからと言って作品をつまらないと感じることはないのだが、未だにこの印象を抱いた理由が自分の中で掴めない。
次作の『キマイラの新しい城』でシリーズは終わりっぽいので、最後まで読めば何かを理解することができるだろうか。
お尻とその穴の文化史
「異端と逸脱の文化史」と銘打たれた「○○の文化史」「○○の歴史」といったタイトルの作品がこの出版社から何冊か刊行されている。
見つけるたびに入手しており、いくつか溜まってきたので最初に購入したこちらを読むことにした。
本書はお尻とその穴について文化的・芸術的・性的な意味を歴史的に検証した内容となっている。
尻の各部位の解説であるとか尻を健康に保つための方法とかが書かれているわけだが、自分はゲスなのでとにかくアナルセックスやスカトロの歴史について知りたいと思って買った。
結論から言うと自分の知りたい情報はそこまで書かれていなかったが、それもやむなしといった感じである。
自分はそもそも何で尻の穴をセックスに用いようと思ったのかが知りたかったのだが、残念ながらそれは不明のままで、何で不明なのかと言えば単純に資料が残っていなかったようなのだ。
ただアナルセックス自体の歴史はかなり古く、旧約聖書に登場するソドムとゴモラの街はあらゆる逸楽に耽っていたことから神から罰を受けたとされているため、つまりは暇だったから尻でやってみようぜとなったのだと思う。
また、筆者はスカトロの下りで行為自体を「大がかりな悪ふざけ」と称しているが、尻って乳や性器よりは笑いに転化しやすいのかなとも思った。
本書内では尻にフォーカスした絵画や古いポストカードなども紹介されているが、どことなくコミカルに描写されているものも多く、尻をモチーフにしたものは滑稽に描かれがちなのかもしれない。
最初はギャグでやってみたつもりが意外とよかったから定着したということも考えられるわけだし。
屈辱ポンチ
表題作に加えて、猿との逃避行?を書いた「けものがれ、俺らの猿と」が収録されている。
本作で印象に残ったセリフに「仕事にプライドを持つのではなく自分にばかりプライドを持っている」というものがある。
これって町田さんの作品、特に初期の作品の主人公に言えることなんじゃないだろうか。
妙にプライドとこだわりが強いため周囲の理解を得られず孤立して自堕落に生活しているものの、生きていくためにはそんな周囲にも阿る必要があることは分かっている。
分かっているが、プライドが邪魔してそれができないみたいな。
町田さん自身がパンクロッカーだったからか、主人公は俳優だったり作家だったり脚本家だったりという表現者であることが多い。
主人公は自分の作品を理解できない大衆を見下しつつも、そんな大衆に評価されないことにはお金にならないというジレンマを抱えているといった感じ。







