公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

2023年11月に読んだ本

以前、Youtubeでおすすめに上がってくる『○○の反応集めました系動画』が気に食わないので片っ端からブロックしているという話をした。
どういう動画かと言うと、世の中で起こったことやドラマ・アニメ等の創作物に対するネット上の反応を紹介するというものだ。
解説・考察系の動画なら自分の頭を使っている感じがするが、ああいう反応集系の動画はSNSや5chから拾ってきたコメントを音声ソフトに喋らせているだけのコンテンツなので、創意工夫もなくとにかくしょうもない。
ぼくの見ている動画ジャンル的におすすめに載るのはアニメ・漫画の展開やキャラクターについての反応集動画が多いが、見るに値しないのでひたすらチャンネルをブロックしている。
ところがこれだけブロックしても週に何度かは新たな反応集動画がおすすめに登場する。
今だと葬送のフリーレン関連が多く、チャンネル詳細を見てみるとアニメ放送と同時期に動画投稿を始めているのでブームに乗っかっただけのイナゴ野郎だろう。
ということは人気アニメが放送されるたびにこれらのいっちょかみ乞食が動画を作成するため、いたちごっこは終わらないのではないか。
加えて、興味のないソシャゲなどの反応集もたまに上がってくるため、知らんがなという気持ちに毎回なっている。
プレミアムに加入すれば広告が表示されなくなるらしいが、おすすめ動画の精度も上がったりするのだろうか。
では今回は11月に読んだ本の感想を書く。
念のためネタバレ注意で。


↓先月分↓
mezashiquick.hatenablog.jp


↓今回読んだもの↓※赤字の漫画は完結済み

ONE PIECE (107)

コマに書き込みが多すぎて読みづらいとか、エピソードの引き算ができていないとか言われがちなONE PIECEだけど、最終章がここまで盛り上がっているのは盛り盛りの作風がいい感じに相乗効果を起こしたからではないかと思っている。
あのときのあれはこうだった、実はあの描写や台詞にも意味があったといった要素が次々に登場し、新刊が発売されるたびに過去巻を読み直す必要に駆られる楽しみがある。
今からONE PIECEを読もうと考えている人はかなり時間とお金がかかるだろうが、逆に言えば今の盛り上がりまでを一気に体験できるのでそれはそれで良い読書体験だと思う。
本当に物語を畳みに入ってるんだなあというのが分かるが、あと5年くらいで終わるのだろうか。
あと、ワノ国出国後にルフィが一味に夢を語るシーンにおいて、カリブーが樽の中に隠れて聞いていたのは後々効いてきそうな気がすると以前予想したが、実はカリブーにはよく聞こえていなかったらしいことがSBSで判明した。
ルフィの夢がどんどん神聖なものになっていく気がする。

るろうに剣心明治剣客浪漫譚・北海道編― (9)

この巻とは関係ないんだけど、現在放送中のアニメにおける石動雷十太の扱いに非常に満足している。
「殺人剣を語っているくせに人を殺したことのないやつ」という雷十太の性格を変えることなく、他キャラの台詞や演出をちょっとだけ変えることで物語の印象をガラリと変える良い改変だった。
バリバリの人斬りであった剣心からすれば雷十太の主張は「人を斬ったこともないのになんだこいつ」という感じだろうが、本来人は斬ってはいけないのである。
「人を斬ったことがないのが幸いだったと雷十太自身が気付いてほしい」(この台詞は原作にはない)と剣心が言っていたように、人を斬ったから優れているわけでも偉いわけでもない。
人を斬ってしまったが故に抱えてしまった恨みや罪は知らないに越したことはない。
明治に必要なのは殺人剣ではなく活人剣であり、"剣術"は今後道を説くものに変わっていくだろうと後に作中でも語られているが雷十太にとってみればそれが我慢ならず、彼なりに剣術の行く末を憂えていたのだ。
このへんは北海道編で剣心たちと敵対している剣客兵器にも似ている点があり、新アニメ版での雷十太の末路は彼らとの対比であるとも取れる。
原作ではただのヘタレとなっていた彼が、アニメ版においては最後の最後に善の心を捨てきれなかった人間であると描かれ、仏もそれに微笑んでいたという演出は本当に見事だった。
今は美麗な作画で原作通りにきっちりアニメを作ることが求められている気がするが、るろ剣新アニメ版で時たま挟まれるアニオリ演出は原作者監修も入っているからか心を揺さぶられるものが多い。
特に、御庭番衆の般若が死の間際に見た走馬灯には彼らの絆を感じられて、"強さ"だけで寄り集まった集団ではないことを見た。
新アニメにおける武田観柳のキャラも北海道編で再登場した彼に近い描かれ方をしており、北海道編の観柳を描いているときの和月先生は筆が乗りまくっていたんだろうなと改めて思う。(観柳は再登場の予定はなかったが、実写映画版と宝塚舞台版の観柳が印象的だったので描かずにはいられなかったと作者が明言している)
また、原作でちょいちょい挟まれた正直そんなに面白くないギャグやデフォルメ描写もカットされているため、割と見やすくなっている。
ヤフコメなんかでは声優の変更が受け入れられないと嘆く人らがいるが声の人たちもかなりお年だと思うし、2012年に制作された新京都編でもちょっと年齢を感じてしまったので声優変更は英断だと思う。
まあぼくとしても斎藤の声は違うなあと感じているので気持ちは分からなくないが、以前のアニメ版を見ていた人ほど今回のアニメはお勧めしたい。
当時単行本を読んでいた身としては雷十太がここまでネタ扱いされるとは思っていなかった。
和月先生も単行本のキャラ紹介コーナーで雷十太がどうしてこんな小物になったのかと嘆いていたので、アニメは原作者監修ということもあって雷十太という男が15年の時を経てようやく報われたのだった。
今巻にも触れておくと、いよいよ瀬田宗次郎の本格的な戦闘が見られるのだが、かつて登場したときのような圧倒的な脅威をいまいち感じづらいのは書き方の問題なのか自分が年を取ったからなのか、宗次郎自身の問題なのかは分からない。
宗次郎も志々雄・由美・方治に置いて行かれて寂しいのかもしれない。

虎鶫―TSUGUMI PROJECT― (7)

前巻で話がえらい進んだなあと思ったら今回が最終巻だった。
最終巻なだけに作画への気合が並々ならぬもので、建物内での戦闘はかなりの迫力と書き込みだった。
本作に出てくる女性はとにかく母性が強く、それは人間だけではなくヒロインのつぐみをはじめとする異形の女性たちについても同様である。
作中の男性が弱いわけではないのだがいかんせんメインの女性陣が強すぎるので、「強いやつがみんなを守る」という考えで弱肉強食を生きてきた彼女たちにしてみれば別に性差とかどうでもよくて、ただ単に生存のために効率のいい方法を採用しているだけのことだ。
人間とは明らかに違った見た目をしたつぐみが戦いで傷つきながらも静かに確固たる母性を主張する姿は、嫉妬心や執着みたいなものを感じてゾッとした。
こういう言い方は良くないかもしれないが彼女が異形であるがゆえに凄みを感じてしまったのはある。
腕が吹っ飛んでたり頭部が一部欠損してるのに母性どころじゃないだろみたいな気持ちで、それが強さと言えばそうなのかもしれないけど気にすんのはそこじゃないだろみたいな。
逆にあれが一般的な人間と同じ姿形をしていたら痛々しくて見られなかったかもしれず、これはもしかすると自分の差別的な感情も入ってるんじゃないかといろいろ考えてしまう。
結末としては少々消化不良な感もあったけど、絵に迫力があり展開もスピーディーで楽しく読ませていただいた。
タイトルにもなっている通り、ヒロインの存在が本当に大きな作品だった。

雷雷雷 (1)

裏サンデーで連載されている、先が非常に楽しみな漫画。
人類は地球外生命体との戦争に勝利したが、彼らが残していった"宇宙害蟲"と"宇宙害獣"は人類の生活を脅かし続けていた。
民間の宇宙害蟲駆除会社で働く主人公"市ヶ谷スミレ"はある日、宇宙人に連れ去られてしまう。
スミレは父親が残した借金返済のために中学卒業後から働きに出たり、宇宙人に改造されたり死にかけたりと序盤から非常に不憫な境遇を強いられている。
そんな悲惨な主人公ではあるけれどもヤケクソ気味な明るさに加えて表情が豊かで読んでいて応援したくなるし、物語全体のテンポの良さとギャグのバランスも非常に好みだ。
今のところ主要な登場人物はそこまで多くはないが、どのキャラも一癖あり全員が爆弾を抱えていそうで、展開がいつでもひっくり返されそうな緊張感と主人公が更にかわいそうなことになりそうでドキドキしている。
人類と敵対している異形の力を身に宿してしまった系主人公の話なので最近だとチェンソーマンや怪獣8号なんかに近いと思われるが、それらとは違った良さがあるのでぜひ読んでみてもらいたい。
webで読んだときも思ったが単行本で一気読みすると先が気になって仕方がないので、二巻の発売が早くも待ち遠しい。
戦闘用スーツや武器のギミックも今後明かされると思うので、そこらへんも楽しみだ。

カイン (1-3)

その昔ジャンプで連載していた漫画。
中華風の世界観を舞台に、大国"煉"と戦う機道士"カイン"の姿を描く。
"機道士(きどうし)"というのは"鬼傀(きかい)"を身に宿した存在で、身体の一部がサイボーグ的になってて人知を超えた力を発揮できる人たちのことだ。
好きな漫画だったんだけど19話で打ち切りになっており当時は残念な思いをしたものだ。
今回初めて単行本を読んでみたのだが、番外編も収録されていて本編未回収の設定などはそちらで補完されており、同じく収録されている読み切りが非常に面白かったので満足度としては高かった。
この次の作品である『アスクレピオス』も好きだったんだけど、カインと同じく19話で打ち切りとなっている。
カインにもアスクレピオスにも言えることだけど、基本的に話が暗い。
加えて本作は「主人公の燃費が悪い」「主人公の所属している組織の戦力層が薄い」などの要素から安心して読むことができないのだ。
物語の展開が読めない緊張感があり最終回もかなりいいと思うのだが、一方で上記の不安要素によるハラハラもあって少年誌向きではなかったのかもしれない。
主人公のパワーアップイベントはあるが後半であるため、それも響いていると思う。
余談ではあるけど記憶が正しければ、本作と同時期に『切法師』と『タカヤ』が連載スタートしていたはず。

遥かな国 遠い国

町田康さんが『私の文学史』で取り上げていたので購入した本。
ただ、購入してからしばらく積んであったのでどういう観点から勧めていたのかすっかり忘れていた。
表題作を含めて5篇収録されており、最初の二つを読み終わったあたりで「ここで終わり?」という感想が続くことに気が付いた。
物事が解決したり、登場人物が成長したり、何か偉大な発見をしたりといったことが起こることなく物語も終了する。
読後に町田さんの本を読み返して彼が何と言っていたのか確認したところ「物語といったものがない」と表現していた。
「人間の心の中にある不安とか、恐怖とか、衝動とか、情動とか、妄執とか、そういうものが書いてある」とも述べており、確かに人間の感情について書いた作品なのかなと思う。
感情が前面に出ているので自分の立場に置き換えて楽しんでみたり、他人の振る舞いに憤慨したり不安になったりできるし、単純に言葉選びやユーモアのセンスが優れているので話として面白い。
物語がないと言ってもストーリーが破綻しているわけではないから、教訓めいたものを感じ取ろうとか難しいことを考えずに普通の人間の生きている様を見られる作品だった。

迷路館の殺人

『十角館』『水車館』に続く『館シリーズ』の三作目となる作品。
水車館は未読であり館シリーズというものがあることを知らなかったので、十角館の登場人物と同じ名前の人がいるなあくらいで読んでいたが中村青司の名が出た時点でさすがに気が付いた。
十角館は小説ならではの手法を駆使した展開で今なおミステリ小説の大正義として君臨している。(ちなみに"本格"とか"新本格"とかの括りにはそんなに興味ない)
本作でも過去作と同様に舞台となる館の見取り図が物語冒頭に挟まれ、その突飛な設計についつい笑ってしまう。
読み進めるうちに"犯人分かっちゃいました状態"になり、案の定予感が的中したので有頂天になり「まあ犯人は当てられたけど展開はよかったかな」と斜に構えていた。
ところがそこから怒涛のように真実が明かされ、調子に乗った自分を恥じるとともにプロの偉大さを知ることになる。
ミステリ小説に関しては語ろうと思うとどうしても核心部分に触れざるを得ないのであまり長文を綴ることができないのだが、めくるめく展開に魅了されてあっという間に読み切ってしまった。
現在『時計館』を購入して積んであるのだが聞くところによると時計館で館シリーズ第一部が終了らしいので、せっかくだから次は水車館からシリーズを順当に読もうと思う。

三島由紀夫レター教室

20代から40代の男女5人が各々やりとりしている手紙形式で展開されていく物語。
三島由紀夫本人も冒頭と終わりに解説役として登場する。
具体的な主張やテーマがあるわけではないエンタメ寄りの内容なので、割と気楽に読むことができるはずだ。
手紙ってある程度頭の中で考えたり、書いた後も内容を推敲したりするから、対面での会話や電話と違ってそれなりに冷静になって物事を伝えることができると思う。
本音を隠して策略を巡らせたり、真実とは異なることを伝えたり、素敵なことを言おうと思ってカッコつけたりもできる。
ただ、そこまでいろいろ考えて書いた手紙であっても相手が思った通りの反応を示してくれないときもある。
手紙に限らずコミュニケーション全般に言えるが、自分がかけたコストに見合ったものが相手から返ってくるとは限らない。
作中で「他人は決して他人に深い関心を持ち得ない、もし持ち得るとすれば自分の利害にからんだときだけだ。」と言われている。
登場人物にもその行動原理は適用されており、どうでもいい手紙には明らかに返事が少ないこともある。
かと思えば、機嫌がいいからという理由でしょうもない手紙の内容を添削したり、おじさんから来た気持ちの悪い手紙を回覧したり、登場人物が本当に存在するかのような人間臭い描写はついつい感情移入してしまう。
特に、おじさんから若い女性への手紙に関しては今で言うところの「おじさん構文」というやつで、三島由紀夫レベルの文豪が書いたおじさん構文を堪能できる機会はなかなかないのでそのためだけでもいいから読んでほしい。

男振

主人公の堀源太郎は藩主の息子(若殿)の学友を務めていたが、15歳のときに頭髪が抜ける奇病にかかってしまう。
あるとき彼の頭を馬鹿にした若殿を殴ってしまったことで罰を受けることになるのだが…、というところから物語は始まる。
実は源太郎には本人も知らない秘密があり、秘密の内容とそれを告げられた彼の選ぶ道が文庫本裏表紙のあらすじで語られており、早々にネタバレを喰らってしまった。
もしかしたら早い段階で本人に事実が告げられるから裏表紙でバラしてしまっても問題ないのだろうかと思って読んでいたのだが、真実が明かされるのは物語も後半に入ったあたりなので、読書中「でもこいつ○○なんだよなあ…。」という心の声がたまにカットインしてきた。
新潮文庫さんには、あのあらすじは改めるべきと言いたい。
展開としては場面転換が次々にあって読んでいて飽きないし、結末も爽やかでいい感じなんだけど、ちょいちょい気になるところがあった。
ここからはネタバレになるので見たくない人は飛ばしてほしいのだが、実は源太郎は藩主の血を引いており、後継ぎも絶えてしまったことから藩のお家騒動に巻き込まれてしまう。
なんやかんやあって彼は侍の身分を捨てて市井の人となることを選び、大工として身を立てていくことになる。
ただ、大工になった源太郎が幕府の公共工事を受注できるように藩の「源太郎派」の人たちが手を回していたのはなんかこう違うんじゃないかと思った。*1
武家身分を捨ててからも彼の動静は逐一とまではいかないまでも大まかなところは源太郎派の重鎮に伝わっており、「困ったら藩の人らが助けてくれるんじゃん」という感想が拭えなかった。
頭髪が全て抜け落ちてしまうというコンプレックスに苛まれながらも自分にとって何が大切かを選択し、世話になった人たちへの感謝を忘れることなく、周囲に流されずに己の歩む道を決めた源太郎のキャラクター自体はすごく好きである。
ただその「世話になった人たち」も、彼が藩主の血筋だから優しくしてくれたのではと思わないでもない。
彼は真面目で実直であるので、人柄を知れば手を差し伸べたくなる人間であることはもちろんなのだが、初対面から随分と親切すぎんかと感じる場面もあった。
江戸時代の封建制度ゆえに仕方ないことであるという見方ももちろんあるし、源太郎の出生を知らないのに親切だった人たちは彼自身を尊重してくれたわけだから、身分や立場に囚われずに本人を見極めることの大切さを説いているのだろうけれども。
作中の台詞で「世の中の人々は、思いようによっては、みな座敷牢の中へ閉じ込められているようなもの」とあるが、源太郎は堅苦しい武家から解放されたと思いきや、真に"座敷牢"から出るのは先のことになりそうだなあと彼の行く末に思いを馳せてしまった。

ビアンカ・オーバースタディ

筒井康隆先生の唯一のラノベ作品。
角川文庫版の『涼宮ハルヒの憂鬱』に収録されている筒井先生の解説で本書を紹介していたので読んでみることにした。
イラストはハルヒ灼眼のシャナでお馴染み、いとうのいぢ氏が担当している。
ウニの生殖実験をするのが好きな生物部所属の美少女"ビアンカ北町"が主人公の学園もの。
ちなみに、外国人風の名前だが彼女のルーツについては明かされておらず、家族も妹しか登場しない。
序盤はラノベらしいコメディとちょいエロを中心に話が展開していくが、そのエロ部分が割と生々しいので拒否反応が出る人もいるだろう。
地の文ではなく主人公の語り形式でストーリーが進んでいくのもラノベらしい。
後半はスケールの大きな話になり、こういうのセカイ系というのかジュブナイルというのか分からんけどそういう感じになる。
なんとなく、時をかける少女セルフパロディか?と思うところもある。
ハルヒの解説で筒井先生はラノベでも文学的主張が可能だと知った」「ラノベを逆手に取り、メタラノベとも言うべきラノベを批評するラノベを書こうと思った」と述べていた。
"文学的主張"がどういうものかは文学ガチ勢ではないため分からないものの、"メタラノベ"に関しては確かに書かれていたように思う。
物語後半でビアンカ一行は未来世界の危機を救うことになるのだが、なぜそうなったかと言うと未来の人間は生命力が弱っており現代人に比べて貧弱であるため、エネルギッシュな救世主を必要としていたからだ。
そして貧弱になったのは生命力だけでなく異性とのコミュニケーションに関しても同様で、「女性は怖いし不細工だから触れることができない」という男性が未来では多数を占めている。(未来世界に女性がいないわけではないが物語には登場しない)
それに対して、「ほんとの女の子を敬遠して、アニメやラノベの女の子に萌えたりする」ような意気地のない男性が自分たちの時代から登場したことに主人公たちは気付く。
本作の発表は2012年なので、草食系云々言われていた頃だろう。
ラノベの読者層に向けた分かりやすい主張ではあると思うが、当時はともかく今は割とライトオタクも増えてきているのでアニメやラノベを見つつ異性と交流している人も多い。
まあラノベファンはこの作品読まない気がするが。

麻雀放浪記 申年生まれのフレンズ

かつて「坊や哲」と呼ばれていた博打打ちの男も、今や40代になりすっかり干乾びてしまった。
とあるきっかけでギャンブルが好きな大学生の男と知り合ったことで、彼の内にまた炎が灯ることになる。
"新"と銘打っているので『麻雀放浪記』の続編になる。
たまたま古本屋で見かけて続編の存在を知らなかったので購入したのだが、どうやら現在のところ重版はされていないらしい。
ぼくは麻雀をやらないので麻雀放浪記を読んだときも麻雀のシーンで何が行われているのかさっぱり分からなかったけど、それでも全四巻を読了できたのは博打のひりつき感が伝わってきたからだ。
作中には様々なギャンブルが登場するが、タイトル通り麻雀がメインなので麻雀が分からない自分は本当に物語を理解したとは言えないかもしれない。
哲は博打で食っていくことについて「生涯これでしのいでみせる」と意気込んでいるものの、一方で「もうそういう時代じゃねえ」と自分の考えが時代遅れであることも、自身が勝負師として衰えていることも自覚している。
麻雀放浪記の頃は戦後の混沌の中で喰うか喰われるかの博打をしていた哲だが、日本経済も立て直りを見せて人々の生活にゆとりができ、多くの人間がまともに仕事に就いている社会において、博打は食べていくための手段ではなくほどほどに楽しむものという風潮になっていく。
大学生や主婦などが何も賭けずにリスクも負わず仲間内で麻雀を楽しむ姿からは、博打に人生を賭けてきた人間と、余暇で博打を楽しむ人間の違いが描かれている。
ただ、頑なな哲自身にも変化はあり、ギャンブル仲間の若い連中に博打について教授するシーンは彼も丸くなったなあと思わせる。
物語終盤、ギャンブル好きな仲間たちと海外のカジノへ乗り込む様は『好色一代男』のラストを見ているようで爽快感すらあった。

吉野葛・盲目物語

著者の友人が死別した母親のルーツを辿って奈良県に赴く『吉野葛』、浅井長政お市の方、そしてその子供たちの半生を盲人の按摩の視点から語る『盲目物語』の二篇が収録されている。
言葉遣いが美麗で日本的な美しさを想起させ、ノスタルジックな気持ちにもなる作品だった。
谷崎潤一郎の作品は何がいいかって「ジメっとしている」ところだと思っていて、それが不愉快な湿気に感じる人もいるだろうがぼくにとっては快適な湿度であることがほとんどだ。
なんでジメっとしているかと考えてみたところ、本作に関しては以下のような感想に至った。
吉野葛』については最初は作者による奈良県の紀行文かと思って読んでいたのだが、同行した友人・津村のとある告白が始まると物語は母への思慕を書いたものに変わっていく。
彼の母に対する思いは家族愛に留まるものではなく理想の女性として母を追い求めているところがあり、幼いころに死別したこともあってか母親の美化がすごい。
最終的に津村は母の伯母にあたる人の孫娘を嫁にもらうことになるが、そのきっかけも「写真で見た母とどこか似ていたから」という徹底っぷりだ。
谷崎潤一郎の作品には、理想の女性を母親とする描写がたまに登場する。
大っぴらにしづらい母親への想いが登場人物の中で後ろ暗いものとなって長年醸成された結果、いかんとも言い難い感情や匂いを発露して湿っぽい感じになっているのだと思う。
続いての『盲目物語』は、語り手が盲目の人であることもあってか人物描写が目の見える人のそれとは異なっている。
人物の見た目ではなく声や音や質感によってその人を表しており、按摩という職業なのでマッサージをする場面では女性の肉付きの具合や手触りを艶めかしくねっとりと表現し、目が見えないものだから他の感覚が鋭敏になっているのがよく分かる。
誤解してほしくないのは主人公の弥市は決していやらしい気持ちでマッサージをしているのではない。
あくまでも職業としてやっているだけなのだが、その中にもお市の方への親愛の情や身分違いのちょっとした想いなどが籠められており、なんとなくグッときた。
加えて江戸幕府成立前の群雄割拠の時代を書いた話なのでハッピーエンドとはいかないところも、悲劇と湿り気に拍車を掛けている。
余談だが新潮文庫は作品によっては注釈が多く、巻末にまとめられているため逐一ページを行ったり来たりしないといけない。
いちいち注釈のページに飛びつつ読み進めていると流れが止まるが、チェックしておかないと不安なのでちょっと読むのに時間がかかった。
光文社古典新訳文庫は同じページに注釈があるので右往左往しなくても済むが、ページによっては半分以上が注釈のこともあるのでもうそこらへんは好みの問題になる。

江戸の岡場所 非合法〈隠売女〉の世界

官許の遊郭である吉原や島原に対して、非合法の遊郭のことを「岡場所」という。
時代小説を読んでいるとたびたび登場するが、実態については知らなかったので読んでみることにした。
合法の遊郭やそこで働く遊女についての本は世間にはあるものの、岡場所についてここまで詳しく書いてある書籍はそうそうないと思う。
「吉原がメインカルチャーなら岡場所はサブカルチャーと作中では言われており、自分でもそういう認識だった。
ところが岡場所の遊女であっても吉原所属の遊女よりも人気があったり、髪の結い方を真似られるなどファッションリーダー的側面もあったようだ。
吉原は登楼して遊ぶにしても様々な作法がありお金もかかるので、時代によっては吉原よりも岡場所のほうが繁盛しており、吉原の経営者が幕府に対して岡場所をきっちり取り締まってほしいと直訴したこともあったのだとか。
成立の経緯は江戸開闢から遡って分かりやすく書いてあり、江戸時代ずっと存在していたと思っていた岡場所も時代によっては衰退していたりお上に取り潰されたりしていたようなので、カジュアルな風俗業とはいえいろいろ大変だったようだ。
江戸時代の性事情について考えるとき、頭に浮かぶのは「避妊はどうしてたのか」ということだ。
コンドームなんてないわけで、以前に何かで読んだのは懐紙を性器に詰めて対策していたらしいが、当然ながらそれでは十分な避妊対策にはならない。
梅毒などの性病にかかってしまった遊女は遊郭にいられないので夜鷹(今で言う"立ちんぼ"的なもの)に身をやつすしかなく、悲惨な末路を辿ることが多かったと以前別の本で読んだことがある。
割と作者は岡場所の女性や夜鷹に対して同情的に書いている印象を受けたが、彼女たちの実情を知ればそうした書き方をしたくもなる。
また、今まで読んできた時代小説の舞台となった年代まで意識したことはなかったが、岡場所が登場するということは少なくとも営業していた時代の話だったということで、時代考証もおそらくきちんとしていたのだろう知らんけど。

マイ京都慕情

「この街はカップルには優しいが、童貞には厳しいんだよ」とみうらさんが評する町「京都」
みうらさんが18歳まで暮らした土地の思い出を巡る一冊となっている。
観光ガイド本ではないので、みうらさんおすすめのスポットとかが載っているわけではない。
ファンであればみうらさんが著書などで話題に出していた地名が見られてルーツを知ることができるし、京都に詳しい人であれば思わぬ共通点を発見することにもなるだろう。
昔、京都の風俗事情に詳しい人に聞いたことがあるのだが、かわいい子や売れ筋の子は滋賀県のソープに移籍してしまうので京都は風俗不毛の地なのだそうだ。
ただそんな京都にも作中で紹介されるようなポルノ映画館やストリップ劇場があるため抜きポイントが全くないわけではない。
巻末にみうらさんと京都出身の漫画家の対談が掲載されており、「京都の舞妓もビンビンより半勃ちの方が好み」「京都は包茎が似合う、上品に皮被ってる感じ」「大阪はギンギン」などと言及されており、京都の人にとっては心外かもしれないが"包茎"という表現でまとめるのはさすがだなあと思ったし、風俗が少ないのもそのせいかもしれないとも思った。

*1:江戸時代には「手伝普請」というものがあり、江戸城下町の整備や河川の普請を各藩が人件費等を負担してやらなければならない定めがあった。源太郎が受注した"公共工事"はこれとは違うと思われる。