公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

2024年1月に読んだ本

ジャンプ本誌で連載されていた『アスミカケル』が終わってしまって悲しい。
ドリトライも終わって悲しいし、ツーオンアイスも順位が危うくてつらい。
かと思えば○ッ○ュ○みたいなあれな漫画がアニメ化している現状があるので世の中とはままならないものだ。
このままカグラバチが終了してしまったらどうしようと戦々恐々としているので、とりあえず単行本は買った。
ということで2024年1月に読んだ本を紹介する。
念のためネタバレ注意で。


↓先月分↓
mezashiquick.hatenablog.jp


↓今回読んだもの↓※赤字の漫画は完結済み

ニセモノの錬金術師 (1)

不慮の事故で現代日本から異世界へ転生した青年・サコガシラことパラケルススが、奴隷として売りに出されていた女性・ノラと出会うところから始まる物語。
kindleで原作者さんのネームが無料で公開されており、全話読んだのだがとにかく完成度が高くて面白くて書籍化してくれんかなあとずっと思っていた。
作画の人とタッグを組んでスタートした連載は読み忘れていたので、単行本発売をとにかく待ちわびていた。
導入としてはありきたりな異世界転生ものかと思いきや、設定が作りこまれている上に、主に「愛情」と「呪い」を主体とした人間の精神描写がとにかく執拗なのだ。
この作品には「呪術」という技能(技術?)が登場する。
エルフの女性・ココにかけられた強い呪いに対して、呪術師であるノラは彼女の呪いの内容を読み取ろうとする。
そこでココにかけられている呪いが「我に助けを乞う時まで 絶命する時まで 自らの愚かさに嘆き ただ苦しみ痛み 辱められ 毎日に怯えて震えて生きることを命じる」というものであることが明らかになるのだが、この呪いにこめられているものは深い慈しみの気持ち「愛情」であることも同時に判明するのだ。
そしてノラは、呪術師が一番最初にかける呪術は「自分の欲望のために呪術を使ってはならない その時は死ぬ」であると述べ、「人が人を呪うことはやめられないが、少しでもよくあろうとする想いがこめられたこの呪いが好きだ」と呪術に対して誇りと愛着を持っていると同時に、ココへ呪いをかけた人物に対する憎しみをあらわにする。
この「呪い」に対する考えは非常に好きだなあと感じたし、原作者さんの人生観みたいなものを垣間見た気がした。
特に、呪いに込められたものが「愛情」っていうのはすごくよく分かるので何度も頷いた。
主に男女関係における「幸せになってほしい人」って「自分の手で幸せにしたかった人」であって、自分の元から離れていくのならせめて一生自分のことを忘れずに刻み付けておきたいと思う一面もあるわけで、それが相手もしくは自分に「呪い」という形で現れるのは独りよがりの愛情でしかなかったとしても心理としてはありふれていると思う。
だからこそ本作における「呪い」は人間の負の感情を否定せず、じゃあせめて誇れる生き方をしようぜという「願い」もあるわけだ。
人間は聖人ではないわけで、誰かを恨んだり嫉妬したりの感情は生きていくうえで避けられないし、自分は誰からも妬まれていないと胸を張って言える人もそうそういないだろう。
それに対して、「そんなことない!人間は美しいしおまえは素晴らしいよ!」的なマッチョ感のある肯定ではなく、「お前はどうしようもないかもしれないけどそれでもいいと思うよ。でもよくする努力はしようや。」という姿勢は共感できた。
ちなみに原作は完結しているのでココにかけられた呪いに関する真相も明らかになったと思うが、忘れたので覚えていない。
キャラクターも魅力的で、一巻ではノラの転んではタダでも起きないしたたかさがとても魅力的に描かれている。
さらに、単行本を読んでみて気が付いたのだが、コマ割りや構図がkindle版とほとんど変わっていないため、ネーム時点での完成度の高さが伺える。
web漫画に絵の上手い作画担当をつけて商業リメイクするのは一般的になってきていて、例えば『ワンパンマン』なんかは有名なところだ。
ワンパンマンに関してはあの絵がいいから原作版のほうが好きだという人もおり、同様の意見は本作でも見られるものの、さすがに本作に関してはkindle版は本当にネームであって何をやっているのか分からないシーンもあるので、作画をつけたのは正解だ。
まあただ、エグい描写に関しては絵が上手い故により生々しく感じられると思うがそこはしょうがない。
なろう系に代表される近年の異世界もの(本作はなろう発ではない)において、"奴隷"や"エロ"は必須のようになってきているが、ちょっとああいうのはやめたほうがいいんじゃないかなあと思った。
呪術の契約と縛りについて説明するための奴隷だったのかもしれないが、それなら"使用人"とかでもよかったわけで、尊厳を奪われて劣悪な環境に置かれた人を描く必要はあったのかと。
エロに関しても一話後半で唐突に始まるので、ギャグっぽく見せているとは言えなんだかなあという感じだった。
絵が上手いだけに余計に苦手に感じる人は多いかもしれないが、逆に言えばそこさえクリアになれば楽しめるだろう。
HUNTER×HUNTERとかワールドトリガーのように設定を詰め詰めにしている作品や、頭を使って戦う作品が好きな人はハマるはずだ。

アドルフに告ぐ (1-5)

第二次世界大戦前後の時代に、3人の”アドルフ”の物語を綴った作品。
タイトルや表紙からも分かる通り、ヒトラーナチスドイツが物語の主題となっている。
ナチスが第二次大戦下において何をやったのかにおいては各自の知識に任せるとして、内容はまあとにかくハードだ。
同じ人間なのに人種で差別するのはよくないと言っていたドイツ人の少年が、ナチスの養成学校に通ううちに考えが矯正されてしまい悲しい運命をたどるのは彼の人生に同情を禁じ得ないし、失礼な言い方かもしれないが「何のために生きてたんだろうか」と思わずにいられない。
生きていくためにはそうするしかなかったのか、戦争という極限状態で正しさを押し付けあっていればああなるのか、疑いもなく人間に優劣をつけてあまつさえ殺すことを正当化するようなことが現実にも起きていると考えるとむずむずする。
野原ひろしが言ったとされる名言(実際は言ってない)に「正義の反対は悪ではなくまた別の正義」というものがある。
とは言えどっちが正しいとか悪いとか巻き込まれる民間人からすれば関係ないわけで、アメリカ人に「原爆を落としたのは正しい判断だった」とか言われたら腹は立つわけだ。
何より、ナチスユダヤ人にやったのと似たようなことを、ユダヤ人たちが今パレスチナでやっているわけで、「正義とは正しいことをすることではなく、相手を威圧するためのお題目」という作中の台詞はその通りである。
意図せずタイムリーな漫画を読むことになり世界情勢に思いを馳せ、どうにもこうにもつらくなってしまった。

きりひと讃歌 (1-4)

先ほどのアドルフに告ぐが民族や人種による差別を描いたものだとすれば、こちらは外見による差別と人間の尊厳を描いた作品となっている。
骨格が変化し犬のような見た目になってしまう奇病である「モンモウ病」の研究をしている医師・小山内桐人は、病気の原因を突き止めるために四国の村へ向かうことになる。
その後桐人自身もモンモウ病に罹患し、過酷な運命に翻弄されつつも世界各地を放浪することになるのだが、なんというか見た目が人と違うだけでここまでやることなすこと上手くいかなくて周囲から虐げられるものかと悲しくなった。
人間の尊厳を奪われて犬同様の扱いを受け、人の容貌をしていないというだけで発言に聞く耳を持ってもらえず行いも信用してもらえず、医者としての使命を果たすこともできずに苦しむ姿を見ていると、そこまで追い込まんでもと思うが決してそうならないだろうと否定ができないのもつらい。
本作は1970年から1971年にかけて連載されていたとのことで、当時と今とを比べれば人々の人権意識は向上しているだろうし、一応は多様性がどうの言われているけれども、現代にモンモウ病患者がいたとして漫画と同じような扱いを受けないとも限らない。
「人間の命を預かるこの重大な仕事が、上っ面の人相だけで評価されてしまう」と桐人が嘆く場面があるが、例えばチョッパーは愛らしいけど、チョッパーがいくら医者だって言っても手術を任せたいかって言うとそうではなくて、"人と違う"ということは単純に"怖い"んだろうなあとつくづく実感する。
非常にハードな話であるのだが、コマ割りや構図がかなり独特でつい笑ってしまう場面もあるものの決して読みづらいというわけではない。
手塚先生の医療漫画と言えば『ブラックジャック』だが、あちらと違って病院内の権力闘争がメインの『白い巨塔』的な内容だ。

新選組

上記の二作品同様手塚先生の作品だが、こちらは少年漫画誌に連載されていただけにギャグも交えられた少年漫画らしい内容となっている。
攘夷浪士に親を殺された少年・深草丘十郎が敵討ちのために新選組に入隊し、自分の生き方を模索する姿を描いた作品。
こんなことコメントするのはおこがましいんだけど、当たり前のように起承転結が一巻の中にまとめられていて当たり前のことに久しぶりに感動してしまった。
物語終盤、丘十郎は親の敵を討ったことで自分もその家族から命を狙われることになり、さらに友人だと思っていた新選組内の間者を自分の手で斬り殺したことから、仲間同士・日本人同士で争っている日本の現状に疑問を持つようになり、広い世界を見てこいと言う坂本龍馬の手引きで海外に旅立つ。
作中では芹沢鴨暗殺から池田屋事変までが描かれており、新選組の黄金期とも言える時代だ。
新選組池田屋に斬り込んでいる一方で、それに参加せず船に乗って日本を離れる丘十郎の姿が描かれ、これから凋落し瓦解していく新選組江戸幕府と、数年後に迎える新時代を象徴しているようだった。
いやもうマジで何様かと思われるかもしれないけれども、単純に漫画としての完成度が本当に高い。
歴史を知っていればより楽しめることは間違いないが、新選組に興味のない人にもぜひ読んでもらいたい。

半七捕物帳 (1-3)

全6巻あるけれど一度に読み切れなかったのでとりあえず半分。
町田康さんが紹介していたので読んでみることにした。
時代小説と探偵小説を融合したいわゆる「捕物帳系」のはしりと言われている作品で、かつて江戸の街で岡っ引を務めていた半七の活躍を描いたもの。
主人公である「わたし」が、明治になり引退した半七からかつての事件談を聞くという形で物語は構成されている。
町田さんが本書を紹介する際に「シャーロック・ホームズを江戸の街でやってみた作品」と言っていたが、主人公の「わたし」も半七のことをホームズに例える場面があり、作者自身も探偵小説への造詣が深かったらしい。
基本的には探偵ものとしての推理的な展開が多いのだが、特徴的なのは怪談系の話も多いことだ。
信心深い江戸時代の人たちは科学的に証明できなかったことを神様や妖怪の類によるものとしてきたこともあり、人外が引き起こしたのではないかと噂される事件が物語の端緒になることもある。
上記のことからも分かる通り、推理小説としての一面以上に江戸の文化や空気を伝えるのに一役買っている作品だった。
作者自身も元幕臣の長男として明治5年に生まれたこともあり、まだ江戸の香りが残っていた時代の人である。
作品には当時の文化風俗について自身で調べたことに加えて、江戸時代を生きた人から聞いた話も含まれているだろうから、実態を伴った描写ができているのではないだろうか。
今では馴染みのない言い回しや慣用句が使われていることも多く、辞書で調べつつ感心しながら読んでいた。
かと言って古臭さを感じるわけではなく、何も知らずに現代の作者が書いた本だと言われても信じてしまう文章だった。
まあちょっと気になる点もあるっちゃあるけどそれは最後まで読んだ際の感想で書くとする。
ただそれを込みにしてもこんな面白い作品を知らずにいたことが悔やまれるほどの傑作だ。

谷崎潤一郎=渡辺千萬子 往復書簡

谷崎潤一郎と、息子のお嫁さんである渡辺千萬子さんの数年に渡る手紙のやりとりを収録したもの。
千萬子さんは『瘋癲老人日記』の颯子のモデルではないかと当時から噂されており、この書簡集が公開されてからその事実がはっきりしたらしい。
ふたりは舅と息子の嫁という関係だが、かなり打ち解けており千萬子さんは舅である谷崎潤一郎に対して割とフランクに接している。
谷崎も千萬子さんのことがかなりお気に入りだったようで、他の人への手紙は女中さんに代筆してもらっているが、千萬子さんへの手紙だけは自分で書いていると述べている。
他にも服やアクセサリーを買ってあげたり(自分のものを買うより楽しいらしい)、句を書いて送ったり、スラックス姿が好きだと言ったり(文学的感興がわくらしい)、直接的なアプローチをしているのは微笑ましい。
その一方で、本書の帯にもあるような「「日頃はおとなしくしてゐてせいぜい体を大切にしあなたとのつき合ひにすべてを捧げよ」との仰せは、こんなうれしいお言葉はありません」などと「好き」とか「お気に入り」という感情には留まらない「偏愛」とか「崇拝」と言ったほうが適当とも言える千萬子さんへの執着がひしひしと伝わってくる。
決して千萬子さんの見た目や脚のみが好きだったわけではなく、生き方や価値観にも学ぶことがあったようで、外見内面問わずとにかく言葉を尽くして褒めている様は文豪ならではのボキャブラリーであるが「雀百まで踊り忘れず」的な執念も感じた。
『瘋癲老人日記』では主人公の卯木督助が颯子の足型を取って仏足石を作る場面があるが、現実でも千萬子さんが靴をオーダーするときに取った足の型紙を送ってもらって保管しており、なんならその足型が本書にも収録されているのでひえっとなってしまった。
千萬子さんは確かに谷崎が一目置くだけあって、クレバーで先進的な印象を受ける女性である。
昭和26年から昭和40年にやりとりされた手紙が掲載されており、千萬子さん曰く、20代後半から31、2才頃のやりとりらしい。
この時代にしては聡明で自立した女性と言うべきか、この年代からこうした考えの女性が増えて社会進出の機運が高まっていったのかはよく知らない。
ただ、本人も自覚しているように「女に嫌われる女」であることは否めないと思う。
頭がいいことは間違いなく、文豪であった谷崎潤一郎からだけでなく様々なことから貪欲に学び、打ち込める仕事を見つけて自立したいという発言からは、強烈な自己主張を感じる。
その反面、かなり"女"である面もあり、谷崎の好意をいいことにおねだり上手にお金をもらったり欲しいものを買ってもらったりしているのは、女性から見たらイラっとするだろうなあと。
これ谷崎の奥さんはどう思ってんだろうなあと見ていたが、谷崎曰く千萬子さんを援助していることは奥さんには内緒だったらしい。
晩年、手紙のやりとりが減ったことについて、千萬子さんは「松子さん(谷崎の奥さん)が彼の生活を管理するようになったから」と言っているが、体調がどうのではなくシンプルな嫉妬だと思う。
特に、昭和38年頃の手紙のやりとりは非常にスキャンダラスで(千萬子さんも「濃密なやりとりだった」と述べている)、お互いに男と女を意識しており、深い関係になっていたのではと勘繰ってしまうほどだ。
「今誰かを本気で好きになったらどうなるかなと思ひます」「伯父様、もっと元気になって下さいな。どこへでも一っしょに行ける位に」などと、完全に恋文の体を成している。
谷崎の奥さんがこれらの手紙を見たのかは定かではないが、彼は晩年これらの手紙を千萬子さんの所へ送り返してきたそうで、自分の死を予感すると同時に千萬子さんとの思い出を死後も残しておきたかったのかもしれない。(奥さんに見つかったら確実に燃やされるし遺恨も残すだろうから)
恋愛と背徳のドキドキが入り混じった、下手なフィクションよりも確実に面白い一冊だった。
これからも谷崎潤一郎作品は読み続けていくが、今のタイミングで読むことができてよかった。
商品リンクはハードカバー版だが、文庫版も出ているのでぜひ。