公共の秘密基地

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2024年2月に読んだ本

2月に読んだ作品はどれも琴線に触れる内容で、いい読書ができた。
特に漫画に関しては単行本化や続刊を待ち望んでいた作品ばかりで、何度も読み返したくなるものばかりだ。
3月も終わりだが今さら2月に読んだ本を紹介する。
念のためネタバレ注意で。


↓先月分↓
mezashiquick.hatenablog.jp


↓今回読んだもの↓※赤字の漫画は完結済み

カグラバチ (1)

昨年からジャンプで連載が始まり、かなり注目している作品。
主人公の六平チヒロは、父・六平国重の元で刀匠になるための修行に励んでいる。
国重は数年前の戦争を終結に導いた6本の妖刀を作った鍛冶師であり、大戦後は刀を全て回収し自宅に保管していたのだが、何者かの襲撃を受け刀は全て持ち去られ国重は殺害されてしまう。
遺されたチヒロは父が7本目に打った妖刀を手に復讐に身を投じていくことになる、というお話。
とりあえず作者さんは単純に"漫画"がうまいと思う。
コマ割りから構図、演出に至るまでかなりハイレベルで、初連載作品とは思えないくらい磨きがかかっている。
絵に関しても連載中にどんどん画力が向上しており、初登場時はかわいらしい顔をしていた幼女が過酷な運命に巻き込まれるうちに画風が変わって険しい顔になっていったのは意識してのことなのか画力によるものかは分からないが、登場人物の変化を感じ取れるような描き方ができている。
チヒロの妖刀が能力を発動する際のエフェクトが金魚というのもよい。
3匹の金魚がそれぞれ3つの能力のシンボルになっているし、父親が買ってきた金魚とそれらが住む金魚鉢の中の世界がチヒロと父親が過ごした狭いけどささやかな幸せを象徴しているようで、彼が過去に囚われている存在だというのがよく分かる。
週刊連載だとどうしても流し読みしてしまうのだが、単行本だとじっくり読めるのでいろいろな気づきがあり、チヒロが左利きで右に刀を差していることも今更ながら認識した。
マフィアのアジトにカチコミに行く際も、雑魚を倒す際は脇差のみを使い、ボスと対面したときに初めて刀を抜いて戦うというのも魅せ方として上手いし、脇差を使う理由も整合性が取れていたので違和感を覚えることなくアクションにのめり込んで読むことができる。
また、チヒロは妖刀を作った父親の息子であるわけだから妖刀に対する理解力が相当に高く、実戦経験の浅さを刀のことをよく知っているというアドバンテージで補うという展開もクレバーでよい。
ジャンプ本誌の掲載順位が真ん中から下あたりを右往左往しているようで打ち切りを心配しないでもないが、2024年13号の本誌にて「単行本重版出来」とあったのでちょっとだけ安心である。

ザ・キンクス (1)

錦久家の特に何も起きない日常を描いた作品。
作者さんはエロやナンセンスもののギャグ漫画を得意としているイメージで、同様の印象を抱いている人は多いだろう。
本作にはそうした要素はなく、作者さんも「日常から逸脱しない」とあとがきで述べている。
とは言え何も起こらない退屈な話というわけではない。
伝わるかどうか分からないが、例えば「なんにもいいことないわ」って言ってる人がいたとして、そういうことを言う人にとっての"いいこと"って「非課税で大金が手に入った」とか「顔も性格も収入も完璧な恋人ができた」みたいな、劇的なものを思い浮かべていることが多い気がする。
ところが日常には"いいこと"ってそこそこあるもので、「朝気持ちよく起きられた」とか「昼ごはんがおいしかった」とか割と見過ごしているようで何かしらはあるわけだ。
もちろん、自己啓発本に書いてあるような"ささやかな幸せに感謝する"的な陳腐な言い回しなんてしゃらくさいというのも理解はできるし、日々のしんどさに比べたらその程度のラッキーなど腹の足しにもならないだろう。
でもまあミクロで見ればいいことは起きているのは確かで、何もないように見える日常も目線を変えると愉快なことがあるということを実感した作品だった。
特に、お祭りが終わって夜道を家族全員で帰る場面を子供の視点で書いている話は、作者さんの引き出しの多さに感服した。
また、先ほどの作品でも触れた構図の巧みさだがカグラバチが映画のようでカッコいい構図だとしたら、本作は単純に今まで見たことのない構図の連発で見開きなどを駆使した見せ方にはさすがのキャリアを感じる。

ニセモノの錬金術師 (2)

二ヶ月連続刊行が本当にありがたい本作。
一巻は先月の読書記録で触れているので、ストーリーなどはそちらを参照してもらいたい。
本作のキーワードとなる技能である『呪術』については今巻でも深堀りされている。
呪術師は自分のために呪いを行使することができない呪いを自分にかけるので、気に食わないやつがいるからといって呪殺するといったことはできない。
じゃあ呪術をもって人を攻撃することができず、自分を守る術がないのかというとそうではなく、「相手の禁忌を知り、その禁忌を踏みにじらせる」ことによって相手にダメージを与えることができる。
ノラは「奴隷にむやみに暴力を振るってはならない」という決まりをあえて破らせることで、相手に報いという形で呪いを返し暴力から身を守っていた。
作中の説明を借りてもうちょい具体的に言うと、「入ってはいけない」とされる場所に入ってしまったときの居心地の悪さ(「報いが表れても仕方ない」といった気持ち)を思いっきり増幅させて相手に返す感じで、「自らを呪わせる」とも言われていた。
つまり相手にあえてタブーを破らせることが重要で、そうするためには相手と「縁」を結ぶ必要がある。
「縁」については一巻でも軽く触れられており、一言で言うと「仲良くなること」だ。
ノラの父親曰く、「好むと好まざるとに関わらず、人は自分と関わりのできたものの影響を受け合って生きている」ため、呪いが当たり前にあると信じている呪術師と縁を結ぶことで相手は呪いを感じ始め、呪いの下準備が成されるのだそう。
「呪い」に対するこのあたりの考えは本当によく考えられていると思うし、作者さんの人生観も垣間見える。
「人の心の力」であると作中で言われている呪術だが、"縁"というどちらかと言えばポジティブな言葉を用いているあたり、一般的な「呪い」という言葉から受ける印象とは少し違う気がする。
呪術の始まりが「あの人に不幸に・不自由になってもらいたい」という気持ちであることは否定されていないものの、「これではいけない」という思いもあり、ほんの少しでもよくありたいという気持ちから、呪術師は自分のために呪いを使ってはならないという呪いを自分にかけるのだ。
生きていれば誰しもマイナスの気持ちは心に生まれるが、本作ではその「呪い」を否定しないし、呪術は呪いを増幅もできるし逆に和らげもできる。
矛盾しているように感じられる設定だけどすんなり受け入れることができるあたり、作者さんは「呪い」という感情に対して思うところがあり、かなり深堀して考えたのではないかと察せられる。
また、本作の主人公は自己評価が低く、自分の成果物に対して自信がないと言うよりは自分の命を軽く見ており、有事に際して真っ先に自身を犠牲にしようとするタイプだ。
主人公が周囲の人間とどのような"縁"を結び、どんな影響を受けてどのように変わっていくのかも注目していきたい。

みちかとまり (2)

8歳の女の子・まりはある日、竹やぶでみちかと名乗る少女と出会う。
人間の常識から離れたところで生きているかのような彼女に振り回されるまりを描くガールミーツガールもの、と書くとほのぼの日常漫画のように思えるかもしれない。
本作は今までの作者さんの作風とは異なっており、読んでいると胸がざわざわしてきて落ち着かなくなる。
田舎のノスタルジックな風景を描き、一見ほのぼのしているかのようで物事が良い方向に進まないであろう不穏な空気が作品全体から漂っており、一話冒頭で描かれた成長したみちかとまりが何かを燃やしているシーンにどのように帰結するのか今から不安で仕方ない。
みちかとまりが迷い込む異世界の描写も巧みで、あからさまに恐怖心を煽るわけではないが違和感を覚えて"気持ち悪い"タイプの怖さを喚起する。(人間の体に花の頭がくっ付いた異界の住人とか)
なので二巻まで読んでみて思ったのは、これはホラー作品であり因習ものであるんだなと。
本作の舞台となっている村では、みちかのように竹やぶに女の子が「生えている」ことは珍しいことではないらしく、過去にも竹やぶに生えていたところを発見されて今は大人になった女性も登場する。
竹やぶに生えていた女の子には神様になるか人間として生きるかの選択肢があり、どちらになるかを決めるのはその子を発見した人らしい。
今のところ、神様として生きていくことにした女の子は登場していないが、きっとそっちを選んだところで一般的にイメージされる全知全能の神的な生き方はできないんだろうなあと個人的には不審がっている。
竹やぶの先輩である女性は人間として生きているが、「人間でい続けるには自分を鞭で叩いて そのことに気づかないようにずっと麻酔をかけ続けるからなんにも感じなくなって どんどん人間じゃなくなっていくみたい」という独白をしており、数年後再登場したときには初登場時のエキセントリックさが薄れて疲れた普通の人みたいになっていたのも俗世にまみれてしまった感があった。
人間として生きるのも、神様として生きるのもどっちも大変なんだよなあというありきたりな結論にはならないと思うが、この作品が一体どういう終わり方をするのか不安だけど楽しみである。

半七捕物帳 (4-6)

先月に半分読んだのでこれで終わり。
探偵小説と時代小説を融合した「捕物帳」のはしりと言われている作品。
詳しい紹介は前月の記事を参照していただきたい。
自分は時代劇が好きなのでこんな傑作を知らなかったことを後悔する勢いで読んだが、探偵ものとして接したときにどうかと言うと、正直洗練されていたとは言い難かった。
偶然事件が解決したり、事件について誤解したまま捜査を進めていたり、謎解きを期待して読むと肩透かしを喰らうかもしれない。
怪しい人を取り調べる際も、高圧的に接したり家族を引っ立てて取り調べるぞと恫喝してみたり、結構荒っぽいことをしている。
ただまあこれは先月の紹介でめっちゃ褒めたのであえて気になるところを挙げてみたくらいで、正直言って個人的にはどうでもいい。
以前にも述べた通り、本作は江戸の文化を現代に伝えるのにも一役買っている。
江戸時代の事件捜査や取り調べはこんな感じだったのだろうかと想像して読むのは楽しいわけだ。
謎解きに関しても、探偵小説の先駆けを務めたような作品であるだけに、これをきっかけにどんどん洗練された捕物帳作品が出てきたと考えられる。
もっと知名度が高くてもいいと思うのだが(自分が不勉強なだけかもしれないが)、半七に強烈なキャラクター性があるわけではないから映像作品が少なくて知名度が低いのかもと感じた。
ドラマ等が作られていないわけではないのだが、調べてみたところ1970年代から1990年代くらいまでの期間しか制作されていなかったようだ。
半七は芝居や講談が好きではあるがキャラとしては割と普通の人で、決め台詞があるわけでもなければ同じ岡っ引の銭形平次のように小銭をぶん投げるわけでもない。
侍ではないので鬼平犯科帳のように派手な大立ち回りもないから、映像にしたときに地味になるのかなあと思う。
時代小説は固有名詞や慣用句など現代では馴染みのない言葉が多く、ハードルが高いと感じている人もいるだろう。
それを差し引いても、時代小説初心者に勧められる作品としてはこれが最適解なのではと思うので、ぜひとも読んでもらいたい。

宵待草夜情

この作者さんの作品は「文学性の高い推理小説」と言った印象で、出だしから終わりまで引き寄せられる文章で書かれている。
推理小説には、何の解明をメインに据えるかに「犯人・犯行方法・動機」の3点がある。
「犯人」はまあベーシックに犯人捜しだし、「犯行方法」は密室のトリックやアリバイ工作を暴くものだ。
で、連城さんの作品の多くは「動機」の描写に力を入れた推理小説となっている。
なぜ犯人が犯行を決意するに至ったかを読者に伝えるため、犯人の内面が執拗に描写されている。
作品は五篇収録されておりどれも女の情念を描いたもので、深みにはまって正常な判断ができなくなったり、嘘に嘘を重ねてにっちもさっちもいかなくなったり、そうした感情の揺れ動きが美しい文章でかつ読者にも伝わりやすく表現されているため、「よくこんな表現思いつくなあ」と「この気持ち分かるわあ」が味わえて読んでいて楽しい。
また、心理描写だけでなく情景の描写も非常に巧みで、物語への没入感も保証できる。
人間の気持ちに答えも正解もないので(作者さんの中での答えはあると思うが)、こういう「感情」を描いた作品って読み手によって解釈が全く異なるので好きだ。