公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

2024年3月に読んだ本

宝石の国』が完結するのとのことで、コミックDAYSにて2024年4月29日まで最終話を除く107話が無料となっている。
淡々と読める静かで切なくて良い作品だと思うのだが、オタク*1の「この作品でいかに面白い感想を呟くか」という大喜利が気色悪くて嫌気が差す。
「読む地獄」だの「メンタルがやられる」だの「一般人にはおすすめできない」だの、大袈裟な感想だらけでくだらない。
この作品が本当に好きな人からしたら、誇張表現で雑にいじられるのって嫌だろうなあと思う。
というわけで3月に読んだ本を紹介する。
一応ネタバレ注意で。

comic-days.com


↓先月分↓
mezashiquick.hatenablog.jp


↓今回読んだもの↓※赤字の漫画は完結済み

ONE PIECE (108)

黄猿の気持ちを考えるとつらくなってしまった。
ベガパンクやくまやボニーや戦桃丸とピザを食べて楽しそうに笑っていた彼が、どんな気持ちで今のくまを見ていて、ベガパンクたちを抹殺しようとしているかと思うといっそのことスパイとかだったらいいのにと考えてしまう。
飄々としている黄猿にも、あんなに打ち解けて笑いあっていた時があったのかと思うと切ない。
あと、ONE PIECEのピザって本当においしそうに見える。
他はアラバスタでサンドラ大トカゲを焼いて食べてたやつとか好き。

二階堂地獄ゴルフ (2)

かつてプロゴルファー間違いなしと将来を期待された男・二階堂のゴルフ人生を描く作品。
一巻の時点では35歳、10年連続でプロテストに落ち続けていた彼であるが、二巻ではそこから8年経過し、8年連続で不合格だったため43歳になっている。
なんかこう、年齢を経るにしたがって一年があっと言う間に感じるやつをこんな形で味わうと思わなかったので、二巻はちょっと笑えなかった。
途中までは「二階堂はなんだかんだ幸せなやつ」と思っていた。
職場では針の筵かもしれないが、少なからず応援してくれている人がいて夢に挑戦できる環境もある。
そして二巻では、二階堂をリスペクトしている女性も登場する。
彼女は地下アイドルとしてなかなか芽が出ず腐っていたところ、バイト先の客から二階堂の話を聞いて自分を奮い立たせていたのだ。
夢を追うもの同士、傷を舐め合っていた頃は何だかんだで楽しかったかもしれないし、そういうのは本質的に何も解決しなくても心地いいものだ。
進むにせよ諦めるにせよ「決断」が伴うと今とは環境が変わってしまい、また他の考えることができてしまってしんどいので、他人から見てあんまりよろしくない環境に身を置いている人ってあえてそうしている人もいる。
ただまあそうした環境にいることを選んだのは自分なのでそれを人のせいにしてしまうと圧倒的にタチの悪い人間ができあがるのだが、二階堂は果たしてどうなることか。

骨の音

岩明均先生の初期短編集をまとめた作品。
表題作の『骨の音』を読んで、池袋ウエストゲートパークの『骨音』という回を思い出した。
ドラマ版ではスペシャルドラマの枠で『スープの回』として放送されていたやつだ。
人間の骨が折れる音に魅入られた犯人が夜な夜な誰かを襲撃し、骨の折れる音を録音して自分の作る音楽のサンプリングにしていたという話である。
『骨の音』にも元彼が自分の目の前で電車に飛び込み、骨の砕ける音を聞いてしまったことで人の死に無感情になってしまった女性が登場する。
誰しも人生を変えてしまうような出来事は起こりえるし、彼女にとってはそれが恋人の自殺と擦り潰される骨の音だったわけだけど、まあ何て言うか単なるメンヘラ男とメンヘラ女の話だなあとしか。
元彼が死んだのは痴情のもつれとかではなく、彼が単純に自分の存在を彼女の心に刻み付けたかっただけで、そんな彼女がその後どうしたかと言うと簡単には死なないであろう強くて暴力的な男と付き合うことを選ぶのだ。
恋人が目の前で電車に飛び込んだのは不幸ではあるし、死の原因は自分にあるんじゃないかと考え出すと心が押しつぶされそうになることだろう。
そう考えると同情はできるし、業を押し付けて逃げた元彼は死んでいるわけだから決着もつけられない。
ところがそこから自意識を拗らせて「私って変わってる女」ムーブをし、粗暴な男と付き合ってあまつさえ自分が殴られるというのは何がどうなってそうなるのか全く理解に苦しむ。
結局彼女は自分よりもっと頭のおかしい男(主人公)によって価値観が上書きされて日和ってしまうことになるが、きっとこの先も似たような人生を送ることだろう。

雪の峠・剣の舞

関ケ原の戦いにて西軍についたため常陸から出羽へと国替えさせられた大名・佐竹家のその後を描いた『雪の峠』、家族を野武士に殺された少女の復讐の物語『剣の舞』の二篇が収録されている。
時代劇って好きだけどドラマや小説に触れることが多いので、漫画で読むのは久々で新鮮だった。
戦国から江戸初期くらいの話であり、さらには巻末に登場人物(実在の人物)の紹介もされていたので、あまり知らない時代の話であったことも相まって勉強になった。
『雪の峠』は出羽の地で佐竹家の新しい城を作ろうという話になり、若手とベテランで意見が対立する中、殿様がどっちの意見を採用するかということが物語の肝となっている。
今後の戦に備えて実戦的な築城をしようというベテランに対し、大きな戦はもう起きないだろうから国を発展させることを念頭に置いた城下町を作っていこうと主張する若手の意見は真っ向から対立する。
歴史が証明しているように江戸幕府が成立し数百年に渡って太平の世が続くわけだけど、戦を忘れられず「昔はよかった」と主張するベテランたちのことを今なら「老害」と蔑む程度で済むが、昔なら時代に適応できない人たちは容赦なく淘汰されていたわけである。
『剣の舞』は岩明先生が原作を務める『レイリ』のプロトタイプみたいな作品だった。
登場人物のハルナは岩明先生作品の中でもキャラデザがかなり好みである。

ヘウレーカ

紀元前の数学者・アルキメデスの兵器について描いた話。
ローマ軍はシチリア島にあるシラクサ市に侵攻を開始するが、それを待ち受けるのはアルキメデスが開発した都市防衛用の兵器だったという話。
本人の経歴や開発した兵器については判然としない部分もあるらしいが、こんな兵器が紀元前に開発されていたのかと驚いた。
ONE PIECEで船大工のトムさんが「どんな船でも生み出すことに善も悪もない」と言っていたが、果たしてそこまで割り切れる人間がいるだろうか。
本作でもアルキメデスは自分の生み出した兵器を"バケモノ"と呼び、「用途が分かっていたのだから自分も同罪であり、いつか恨みを持った刃で自分は切り刻まれるだろう」と言っていた。
だから、「生み出した兵器のことなんか知らん」ではなくて「兵器の使われ方にも責任を持つ」というのがトムさんやアルキメデスの考えなのだと思う。(「造った船に男はドンと胸をはれ」って言ってたし)
とは言え望まない形で製造した兵器だってあるだろうし、兵器によって殺された人間の恨みまで背負ってられんよとなるものではないだろうか。
こういう、人殺しの道具の製造者が生みの苦しみと向き合う系の話は創作でよく見るけど、未だにこれいいなと思う落としどころがない。

かっこいいスキヤキ

よくインターネットで貼られている、おっちゃんが電車の中で弁当を食べる順番に悩む例の漫画が収録されているあれ。
まず、表紙にある「GROOVY SUKIYAKIからしてかっこいい。
作者さんは『孤独のグルメ』の原作を担当しているので、食に関する哲学が披露されている点と、自分の流儀に固執してしまったあまりしっぺ返しを喰らう男の姿が描かれているのは孤独のグルメ同様だ。
電車の中で弁当を食べていたおっちゃんはその後も何度か作中に登場し、彼の意外な正体も明らかになる。
なんせ古い漫画なのでノリに付いていけないところがあるのは否めないものの、今でも十分面白い話もあるので興味のある人はどうぞ。
ちなみに、リンクを貼ったのは新装版だが、自分は古本屋で見かけた旧版を購入した。
本作にはとあるキャラクターのパロディ漫画が収録されており、文庫版コミックなどでは権利の問題でそこの部分が掲載されなかった時代もあったそうだ。
調べてみたところ新装版にはパロディ部分はきっちり収められているらしい。

鋼鉄紅女

中国人作家によるSFロボットもの作品。
昨年見かけてしばらく積んであったので読むことにした。
手に取ったとき、中国のSFって思想丸出しっぽいなあと思っていまいちそそらなかったのだが、作者さんのあとがきを見て購入した。
本作は『ダーリン・イン・ザ・フランキス』という日本のアニメに着想を受けて執筆されているらしい。
ダリフラは結構好きなアニメだったのだが、いまいち世間では騒がれた気がしないのでこんなところで同好の士を見つけ、しかも影響されて本まで書いているなんて嬉しい。
そもそも何でダリフラが好きかとなると『トップをねらえ!』風味があったからなのだが、まあそこは今は関係ないので端折る。
本作は中華風の世界を舞台とし、人類は機械生命体・渾沌(フンドゥン)との戦いを長きに渡って繰り広げている。
人類が渾沌に対抗できる手段として用いられている兵器である霊蛹機(れいようき)は男女ペアで操縦する仕組みで、サブパイロットである女性は精神的負荷の高さから多くが死亡してしまう。
主人公の武則天(ウー・ゾーティエン)はある目的のため、パイロットに志願し軍に入隊するというお話。
男女ペアで操縦するとか、男性が主で女性が従とか、コックピット内の描写とか、そのへんは確かにダリフラっぽい。
まあ設定はよかったしロボットものは好きだし基本は楽しく読めたんだけど、どうにも主人公の性格が受け付けず、主人公の背後にいる作者の思想が透けて見えてちょいちょい冷めてしまったのが正直なところだ。
本作の世界はバリバリの男尊女卑で、女性は一歩下がって男性に奉仕することが第一であるという価値観である。
主人公はそんな世界クソ喰らえと唾を吐くような女性で、家父長制をぶっ壊せ的な強気な性格は全く問題ないのだが、男性嫌悪が行き過ぎるあまり行動に整合性がなく女性中心の思考が過剰であるのが受け付けなかった。
自分が好きかどうか、相手が男性か女性かといった感情で動いているので、筋の通った意見であっても男性が発した言葉であれば聞く耳を持たないが、女性から言われると真逆の意見であっても受け入れ、トラブルの原因がそんな主人公の行動であることもある。
自分に反するものは例外なく全て敵で、それを徹底的に罵倒したい人なんだなあというのが主人公に抱いた印象だったので、そういう考えの人には好かれるんじゃなかろうか。
また、男性作家が描いた女性に対してこんな女いねえよと突っ込む女性がいるが、女性作家が描いた男性についてもこちらは同じことを思っている。
どういうことかと言うと、本作に登場する男性についても「こんなやついねえよ」と何度か突っ込みを入れていた。
主人公は身分的にはあまり高くない生まれなのだが、金持ちのシュッとした男前から好かれており、彼がなぜ主人公を好きになったのかは明かされることなく最初から好感度Max状態で登場する。
話が進むにつれてガタイがよく一見すると粗暴だがどこか悲しい目をしたワイルドな男前も登場し、主人公はそのふたりの間で揺れ動くこととなる、と思いきや彼女は二人とも自分のものにしてしまうのだ。
そしてそれについて誰も不満を漏らすこともなく「開いた心を持てば愛は無限」とか訳の分からんことを男側が言い出す始末。
なんなら主人公の前で彼らがキスするBL的描写もあり、「こんな(女にとって)都合のいい男いねえよ」と呆れてしまった。
BLって女性の性欲だと思うんだけど、男性の性欲を見せるのは嫌悪感を示され主人公も忌避しているのに、女性の性欲はOKとはならんでしょう。
SF要素にも気になる点があり、男女ペアで操縦する霊蛹機には女性が不利になるとある仕掛けが施されていることが終盤で明らかになる。
これはまあ男尊女卑社会への反抗を決定的にするための設定にしたいんだろうなと思ってその考えは理解できるものの、そんな設定だったら女性が全滅しちゃうじゃんと。
女性を使い捨てにする社会ふざけんなとしたいのはともかくとしても、そこまで露悪的で突っ込み満載の設定だと一歩間違えればネットに氾濫しているスカッと系漫画と同じになってしまう。
ロボットものの割にメカニックが登場せず、司令官的ポジションの人が機体の全てを掌握しているのも気になった。
主人公は権力を手に入れたら男性を虐げる政治を始め、それに不満を持った人たちが蜂起して国が倒され、また男性中心の政治になるという歴史を繰り返しそうな作品だった。
ボロクソ言ったけど上記した点が作品の全てを占めているわけではないので、今年続編が刊行予定らしいからとりあえず読むつもり。

ここはすべての夜明けまえ

買った本は積んでおいて順番に読むのだが、たまには買ったそばから読むかあと思って読んでみた。
本屋で手に取って軽く読んでみたところ、なんかこう、緩やかに滅びに向かっていく感じが非常に好みだなという印象を受けた。
読み終わって、気持ちの持って行き方がわからなくなった作品は久しぶりだ。
ジャンルとしてはSFとなり、舞台は西暦2123年。
主人公はおしゃべりが好きな女性で、101年前に「ゆう合手じゅつ」を受けて長命になったため、過去に父親から勧められた家族史を書いてみることを決める。
なるほどそんなことを記録に残しておくあたり家族仲がよかったのねと思うとそんなことはなく、こんな記憶を思い起こして文章にしてたら精神病んでしまうでとなる家族史に仕上がっている。
主人公が「ゆう合手じゅつ」を受けた理由も何とも後ろ向きなもので、どうして彼女はこんな性格なんだろうと思ったが後々明かされる家族の内実を知ればなるべくしてなってしまったと同情を禁じ得ない。
読んでる方からすれば悲劇でしかないのだが、主人公の方はと言うと淡々と家族史を綴っている。
どうしてこんなに家族や感情の描写が淡泊なんだろうと感じたが、主人公は自分でも気づかないうちに記憶を消しているのではないかと思った。
「ゆう合手じゅつ」の詳細については語られていないものの、おそらくは機械と人間の身体を融合させるものだろう。
で、主人公は脳みそのメモリに記憶を保存しておけるので、101年前に手術を受けてから現在までの全ての記憶を保持しているから長い年月が経っても家族史が書けるのだ。
意図的に記憶を消去したという描写はないものの、自分を守るために(記憶に齟齬が起きない程度に)メモリから消していっているのではないかなあと。
彼女は手術を受けた後、「機械と融合したから人間の感情が薄れていってるんじゃないか」と家族に言われてそれを否定しているが、もしかすると自分を守るためにあえて感情を希薄にしたのではと考えると皮肉なものだ。
平仮名交じりの文章(不自然に平仮名になっている文章にも理由はある)で淡々と描かれているため全体的にふわっとした印象だが、彼女に起きたことはまぎれもない現実で、ところが彼女の選択って文章と同じようにフワッとしてて、自分の意志はなく風の向くまま飛んで行く綿毛みたいな生き方をしている。
融合手術を受けたときも、家族史を書くときも、恋人を受け入れたときも、どことなく他人事のように決定している感がある。
作品の帯に「かいていったらなっとくできるかな、わたしは人生をどうしようもなかったって」という本人の台詞が書かれており、彼女は人生を諦観しているのだと思う。
ただそんな彼女でも諦めきれなかったことが「誰かに愛されること」だった。
あんまり内容に触れすぎるのも何なので主人公と恋人との関係については言及を避けるが、彼女は誰かに愛されることによって幸せになろうとしており、その考えに到達してしまうのは彼女の人生を考えるとやむなしとしか言えない。
だからこそ「さいごにわたしは、わたしでしあわせになりたいな」「だれかにあいされるよりもいいことはあるって」と言っていた彼女の選択は、まぎれもなく彼女が自分の意志でなりたいと願った理想の自分だった。
月並みだけど、己の価値を見出すのも幸せにするのも自分であるべきで、誰かや何かに依存した自信のつけかたというのはそれがなくなったときに後ろ盾も楽しみもなくなってしまう。
好きなものがあるのはいいことではあるけども、まあできるだけ好きなものは複数作っとくといいよねって思う。
だから、「わたしはわたしでしあわせになりたい」というのはシンプルながらすごく前向きで素敵な台詞に感じた。
(こういう、人生の瀬戸際になって自分にとって大切なことを気が付くことについて、逆シャアの富野監督がクェスを例に出して「あのタイミングで自分を大切にしてくれる存在に思い至っても遅い」みたいなことを言っていたのを思い出す)
人を愛し愛されるという気持ちとそこから発生する問題は技術が進歩したところで変わらないんだなあという一冊だった。
おそらくこの作品は実写化し、芸能事務所と広告代理店が結託してしょうもないアイドルとかを起用した手垢の付いたものになるだろうから、そういうのが嫌な人は早めに読むことをお勧めする。

大津事件 ロシア皇太子遭難

最近、大津事件の犯人である津田三蔵に関する証言をまとめた未公開資料が発見されたとのニュースを見て、買って積んであったこちらを読もうと思った。
ネット上で定期的に「初めて"粉塵爆発"を知った作品は何か」とか「"九字護身法(臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前)"を知ったのはどの作品か」などという話題が盛り上がることがある。
それに倣ってもしも自分が「"大津事件"という言葉を認識したきっかけは」という問いを投げかけられたとしたら、「パトレイバー」と答えるだろう。
漫画版『機動警察パトレイバー』で、レイバーに乗った太田さんがアメリカ大統領に銃を向けるシーンがあり、それに対して遊馬が「お前は津田三蔵か」と突っ込み、そこで「大津事件」について軽く説明が入ったのだ。(ちなみにアニメ版は見てないので同じやりとりがあるかどうかは知らない)
大津事件とは、1891年(明治24年)に日本を訪問中のロシア皇太子が滋賀県にて護衛の警察官である津田三蔵に斬り付けられた事件である。
皇太子は命に別状がなかったものの、えらい外交問題に発展したということを前知識として耳にしていた。
まあ正直言ってパトレイバー絡みの勢いで買ったので事件そのものについては興味薄だったが、非常に興味深く読むことができた。
まず、確かに外交問題外交問題なんだけど、ロシア側としては日本に謝罪や賠償を要求したといったことはなく、どちらかと言えば日本の内輪揉めという印象が強い。
ロシア皇太子は日本に敬意を持って終始接している印象で、自分が被害者であるにも関わらず、これは頭のおかしいやつがやったことで日本に対して悪く思うことはないと言い、お付きの人にも同じように言い含めていた。(ロシア公使のひとりは死刑を要求する恫喝的な態度を取っていたらしいが)
そして日本国内にこの一件が知れると大騒ぎとなり、他府県からもお見舞いの電報を送ったり総代を派遣したりとてんやわんやだった。
そこまで慌てていたのはロシアの怒りを恐れていたというより、天皇陛下遺憾の意を表明しているのに国民として安穏としておれんという気持ちがあったらしい。
まあ当時は通信設備が発達していないわけだから代表を派遣して状況を把握するように努めるのは理解できるが、君らあんまり関係ないんだしもうちょい落ち着けという騒ぎっぷりにも感じる。
極めつけに山形県のある村では、犯人と同じ姓名の「津田」と「三蔵」を名乗ることを禁ずる条例が決議されたらしい。
これはさすがに否決されたらしいが、当時の狂乱っぷりが伺える。
現代においても、山口県でコロナ給付金の誤振込を返金しようとしなかった男性を日本国中を挙げておもちゃにしていたことがあったので、我々も偉そうなことは言えないわけだ。
そしてさらにてんやわんやだったのが当時の内閣である。
日本はほんの20年そこら前まで鎖国をしており、これから欧米列強に負けない国づくりをしていこうぜという時期であったため、近代国家としてはまだまだ未熟であった。
軍備なんかもそうだが、遵法意識に欠けていたというのが近代国家を目指す国としては致命的だったと言える。
内閣メンバーとしては津田を何とか死刑にしたいが適当な法律がないため、ロシア大使に「お宅から死刑にしろって言ってくれんか。そうしたら外交上必要だったってことで死刑にできる。」と交渉していたという事実もあったらしい。
何でそんなに死刑にしたかったかと言うと、当時政治の中枢にいたのは明治維新で功績を挙げた人たちなのが大きい。
彼らは攘夷だ天誅だ言って刀を振り回してた人たちなので血の気が多く、明治ではあるが武家の士風もまだまだ残っていたので切腹だの死罪だのすぐ言うのだ。
加えて、こないだまで鎖国をしていたので外国に対してビビッており、大国であったロシアに対する恐怖心は半端なかったようだ。
他にもメンツに関わるとかいろいろあったかもしれないが、行政が司法に干渉して法律を捻じ曲げるということは国の根幹を損なう重大な行いだと認識していなかったと言える。(そもそも、明治維新自体が当時の政治法律を無視、むしろこれを破壊した大事業であったと筆者は言及している)
一方で司法を担当していた司法省の面々は、これから欧米の憲法を見習って学んでいくぜと意気込んでいた矢先のこの出来事である。
明治維新の中心は薩摩と長州勢力であったため、自然と内閣の顔ぶれも薩長に偏っていた。
司法省には薩長以外の人材が多かったらしく、「司法権の独立」を主張して津田三蔵の死刑論を跳ねのけたらしい。
このあたりの内輪揉めを見ていると、当時の薩長閥に対する感情が伺える気がする。
確かに司法省としては法治国家としての日本を成立させるため、司法権に干渉されたくなかったのはもちろんだろう。
ただ、権力を握って調子こいてる薩長閥に対する反感もあったのではとも思う。
「法官たるものは感情ではなく法律に従って動くべし」という司法省メンバーの発言が残っているが、犯人に対する私情はなくても薩長派閥に対して含むところはあった気がするなあというのが感想だ。
というわけで、思ったより重大なことが起こっていたんだなあという印象の事件だった。
るろ剣の影響で江戸末期から明治にかけての時代が好きなのだが、西南戦争より後のことはあまり知らないのでもうちょいこういう本も読んでいきたい。

谷崎潤一郎 大正期短編集 金色の死

谷崎潤一郎がそこそこ初期に書いた短編集をまとめた一冊。
幻想的な話からホラー風味、皮肉の効いたものや探偵小説チックなものなど、後の作品に繋がるようなエッセンスがちりばめられていた。
谷崎作品には年上の男と年下の女の恋愛模様が書かれることが多く、本人に年下の女性に甘えたい欲望があったのかなと思う。
息子の奥さんであった渡辺千萬子さんとの手紙のやり取りから察するに、若い女性であれば誰でもいいというわけではなく、聡明で自立した新時代の風を感じる女性であることは必須条件な気はするが。
母親に対する愛情の表現力や、6ページにも及ぶ魅力的な女性の脚の表現は圧巻で、『吉野葛』や『瘋癲老人日記』を思い出すし、他の作品を連想させるものもあると思う。
三島由紀夫が『仮面の告白』で同級生の男性の腋毛について微に入り細を穿った描写をしていたが、好きなものは言葉を尽くしても語り切れないけどそれでも自分の言葉を絞り出して伝えたいと思うのが真の好事家だろう。

*1:ここで言う「オタク」とは特定の分野を極めていたり愛情を注いだりしている人たちのことではなく、「人より多めにインターネットをしている自己顕示欲と承認欲求の強い人」を指す