公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

2024年5月に読んだ本

詐欺の手法が多様化してきて、昔はオレオレ詐欺振り込め詐欺と呼ばれていたものがまとめて特殊詐欺と呼ばれるようになった。
忘れている人が多いかもしれないが、その昔にも注意喚起のため、詐欺の実情に即した名称を付けようとする試みがあったのだ。
それが「母さん助けて詐欺」である。
新名称を公募して2013年に決定したのだが、なんか長ったらしいし余計分かりにくい感が増した気がするなあと当時思ったことを覚えている。
案の定「母さん助けて詐欺」は浸透することもなく消滅し、税金の無駄遣いもいいところだった。
「母さん助けて詐欺」で検索すると、嘘か本当か定かではないが当時、新名称を決める企画を担当していた人の証言がヒットする。
その人はTwitterだったり高齢者へのアンケートだったりで名称の候補を募ったらしいが、最終的に決定権を持っていた人の一声によってアンケートで上位に入っていなかった「母さん助けて詐欺」に決まったのだそうだ。
以前、山陰地方の学校が統廃合されることになりその際に新名称を公募したものの、決定したのは案として一件しかなかった校名だったというニュースを見たことがある。
こういう命名絡みのもめ事って、権力を持った年寄りが身内とかキャバクラのおねえちゃんとかに「あの名前オレが考えたんだよ」って自慢したいがために、いろんな意見を無視しまくって実情にそぐわなくなってしまうのだろうか。
日々様々な流行が生まれては消えていくが、「流行らせようと思っていたのに流行らなかったもの」と聞くと真っ先に「母さん助けて詐欺」を思い出す。
というわけで5月に読んだ本の読書記録となる。
念のためネタバレ注意で。


↓先月分↓
mezashiquick.hatenablog.jp


↓今回読んだもの↓※赤字の漫画は完結済み

カグラバチ (2)

発売日の二日後くらいにいつもの本屋に行ったら売り切れていたので驚いた。
別の本屋にはあったので初回特典と一緒にゲットできたが、そんなに売れているとは知らなかった。
今回は「妖刀を作った男の息子」 vs 「妖刀を作った男の厄介オタク」という構図になっている。
厄介オタクである双城は本当にいいキャラをしており、自分の解釈が絶対的に正しく自分以外の解釈を受け入れない同担拒否気味なところがある。
ところが、そんな憧れの男に息子のチヒロがいると双城は知らなかった。
大体のオタクであれば自分の知らない対象の一面を知り解釈を深めるいい機会だと思うだろうが、双城は「彼の実像なんか知りたくない」とチヒロの解釈を聞くことを拒否する。
彼がそんなに頑なな根拠として、妖刀が自分に力を貸してくれているから自分の解釈は正しいと考えているためだ。
「自分の信念に応えて殺戮を経た妖刀」を使いこなしていることが双城の自信の裏付けとなっており、憧れの男を最も近くで見てきた息子という存在を前にしても「誰もが彼の代弁者になり得る」と対等もしくは優位を崩そうとはしない。
そんな双城に対してチヒロは、誰もが父親の代弁者になれることを認めた上で「より重たい殺意を持ってお前を斬る」と言い放つ。
チヒロから見た父親は偉大な刀匠とは程遠い能天気な男であったので、いくら父親が刀のことを「人を殺すための道具であることに変わりはない」と言ったところで、父親が人殺しの道具を作っていたことを認めるのはツラかったと思うし、それを使って無差別に人を斬っている人間を見るのもしんどかっただろう。
双城との戦闘中、精神世界でふたりはお茶を飲みながら対話するが、受け入れがたい現実を"コシの強い団子"に例えてそれを飲み込むことで、殺戮兵器を作った父親の一面をどうにかこうにか消化したのだろう。(チヒロは甘いものが苦手なので余計に団子は飲み込みにくい様子だった)
実際、「誰もが彼の代弁者になり得る」というのはその通りだと思う。
父親の中に殺意があったことは否定できないから、その殺意と結びついて妖刀は双城に力を貸したのだ。
だが、チヒロからすれば父親が殺意まみれの男でなかったことはよく分かっているので、双城と最初に対峙した際「お前は分かってない」と言ったわけだ。
普段おちゃらけていた父親も、刀を打つときの真剣な父親も、刀に込められた殺意も全部本当だが、人間はいろんな面で構成されているため一面だけでその人の全てを測ることはできない。
この漫画は本当に主人公の暴力(殺意)と理性のバランスが絶妙で、チヒロが頭に血が上った復讐者一辺倒でない描かれ方をしているのが良い。(あとはチヒロの性根が基本的に善というのもある)
自分の手札と相手の戦力を冷静に分析し、妖刀の能力を父親から学んだというアドバンテージもきっちり活かして優位に立っているところが知的だ。
そのバランス加減は本誌でも相変わらずなので、今後の展開も楽しみ。

サンダー3 (6)

ちょっと先が気になるストーリーにはなってきたけど、いかんせんここまでの展開が遅すぎた。
打ち切りが危惧されていたが何とか連載を続けることができたと作者さんが言っていたが、このテンポでは終了危機にあったのも頷ける。
ページ当たりの情報量が少ないのでササっと読むことができるため、タイパ志向の強い人はいいんじゃないだろうか。

一級建築士矩子の設計思考 (3)

一級建築士の資格を持つ作者さんが一級建築士の主人公を描く漫画。
作者さんもあとがきで述べているように「手軽に読める漫画ではない」のは間違いない。
建築関係の法律を解説したり、建物の用途や構造を説明したりするためとにかく台詞が多く、読み飛ばすと作品の理解に支障をきたすことも多いと思う。
さすがに専門知識がないと完全な理解は難しい内容だが、ほとんどの人はどこかしらの屋内に住んでいるだろうから、建物や住まいのことは馴染みのない話題ではないわけだ。
日常生活で見かけたことのある部屋のディテールに実はこんな意味があったとか、この建物がこんな構造をしているのはどうしてかとか、頭の隅にはあったけど調べたりしてまで知ろうとはしなかったことが知れるのは楽しい。
また、今回は主人公の矩子が初めて設計した家の施工が中止になったり、設計士を志したルーツである故郷に帰省したりする。
一巻では矩子や周囲の人間関係について触れ、二巻は設計事務所で働きつつ試験勉強に勤しむ会社員時代の矩子が描かれ、三巻の最後の話で矩子が実家に帰るため、四巻は家族周りの話がメインになるかと思われる。
正直、この作品には物語的な面白さよりも知識を浴びることを求めていたため、あまり登場人物に目を向けることはなかったが、作品の魅力はキャラクターが担うところが大きいわけだから人物の掘り下げは歓迎だ。
幼少期の矩子と祖父は一巻でちょろっと登場したが軽い回想だったので、どのようにキャラの深掘りをしてくれるのか期待している。
また、彼女の実家である雪国ならではの建材や設計についても触れられるだろうから、そのあたりも楽しみだ。

室外機室 ちょめ短編集

ネットのいろんなところで作者さんの読み切りを読む機会があり、この度短編集が発売されるとのことで楽しみにしていた。
現代を舞台にしたローファンタジー作品が4編と、単行本書き下ろしの序章と締めが収録されている。
舞台が架空の世界ではないため現実と地続きになっている感じがして、物語にスッと入っていけるので作品に没頭しやすかった。
怪談チックな要素が多めではあるが、別にホラーというわけでもないのでミステリアスかつ幻想的な雰囲気を味わえる。
また、不自然に露悪的な人物が登場しないことや、誰かを傷つけるような作風でないのも安心して読める点かなと思う。
作者さんがどんな作品で連載をするのか楽しみだ。

回天の門

幕末の志士・清河八郎の生涯を書いた長編小説。
清河は創作や史実においては「新選組の生みの親」という語られ方をすることが多く、それと同じくらいに「うさんくさい人物」という評価がされている。
将軍警護の目的で江戸で集めた浪士を引き連れて京都に上った後、実は我々は将軍の護衛ではなく尊王攘夷の先鋒として活動していくんだよね、と真逆のことを言い放ったエピソードが有名なのでそういうイメージからきているのだと思う。(このとき清河と袂を別って京都に残ったグループが後の新選組となる)
まあ正直自分としてもそれまでに清河が何をしていたのか知らなかったので、かなり全国を飛び回っていろんな藩の人物に掛け合っていたんだなという印象だった。
また、志士としての人生を歩む前、故郷で自分の生まれや性分に悩んだり、江戸に出て勉学に没頭したり、国のために行動する前の清河の姿も丁寧に描写されており、清河八郎という人間を理解するのに役立った。
坂本龍馬薩長同盟の仲立ちをしたことが倒幕の転換期になったと言われているが(坂本龍馬が関わっているかどうかは実際のところ疑問符がつくらしい)、清河も龍馬並みにいろんな人物を結びつけることに成功している。
ただ清河の場合は日本に尊王攘夷や倒幕の機運が高まっておらず、早すぎた志士だったと作中では語られていたため、もう少し後に生まれていれば彼について語る歴史のページは分厚くなっていたことだろう。
清河の実家は村でも随一の金持ちで、彼もいずれは結婚をして家業を継ぐことを望まれていた。
だが彼の心は外に向いており、一人の人間として自由に生きたいと思うようになる。
そんな自分のことを「古い血自身が、その古さのために自分に向かって反逆をくわだてるのだ。たぶんそれがおれだ。」と分析している。
もしかするとそれは実家のことだけではなく、日本という国についても言えたのではないだろうか。
日本の古い血が自分自身を変えるために生み出した反逆の徒が清河八郎で、幕府を倒し日本を変革するための先駆けだったのかもしれない。
これは小説なので脚色された部分はもちろんあるだろうけど、後の歴史で不名誉な評価を受けた人物にも人生や物語があり、強い信念を持っていたんだなと実感したとても素晴らしい作品だった。
藤沢周平自身も清川八郎がペテン師扱いされていることに疑問を呈しており、同様のことを思っていた自身の先輩や清河八郎記念館館長の助力を得て本作を書き下ろしたとのこと。

この闇と光

盲目の王女・レイアは王様である父親とともに森の中の屋敷に幽閉されている。
父親は彼女に愛情を注ぎ、美しい物語や音楽に囲まれて暮らしていたが、そんな彼女を取り巻く世界の真実が徐々に明らかになっていくというお話。
ゴシックミステリーと解説されていたが幻想文学かなという印象で、耽美的かつ破滅的な内容で非常に好みな作風だった。
本作について語るときに「美」というワードは欠かせない。
先月の読書記録で紹介した三島由紀夫の『女神』でも同じことを書いたが、「芸術家の人間性と生み出される作品の質に相関関係はない」という言葉を聞いたことがある。
皆の心を打つ芸術作品を生み出した人間がどうしようもない下衆ということもあるし、清く正しく生きていても芸術家としては名を残せない人もいる。
世の中には美しいものが溢れており、それと比較すると人間は汚くて醜いかもしれないが、美しいものを汚れた人間が産み出すということは往々にしてあるものだ。
だから本当に美しいものだけに囲まれて暮らすというのは困難だが、もしもそれができるのであれば確かに贅沢ではあるなあと。
ミステリー作品なのであまり長々と語ると確信に触れてしまうので、感想はこのくらいにしておく。

江戸お留守居役の日記

萩藩の初代江戸留守居役・福間彦右衛門が残した日記や文書から留守居役の実像を読み取る本。
藩邸が今で言う各国の大使館なら、「留守居役」とは外交官であると言われる。
江戸藩邸に詰め、幕府や諸藩との折衝に当たるのが主な役割とされており、他にも参勤交代で国元から江戸にやってきた主君が空気を読めなくて恥をかかないように幕府情勢の収集などもしていた。
忠臣蔵の一件も、元は留守居役の怠慢故に起こったものという説もあるらしい。
幕末になると大名は好き勝手やっていたイメージだが、江戸初期はまだまだ幕府と大名がお互いに気を遣っていた様子が伺える。
こないだまで戦があったわけだし、三代将軍・家光の時代までは大名家の改易(御家の取り潰し)も多かったようで、気の抜けない江戸の政治情勢を国元がいち早く把握するためにも留守居役という役職が求められた。
幕府と接する上では政治的な慣行がいくつかあり、ひとつ挙げると、将軍に贈り物をする場合にはまず懇意にしている旗本から老中に取り次いでもらい、贈り物が家格に見合っているか相談するといった手順がある。
これもいきなり老中に相談するのは無作法とされるわけだが、仲の良い旗本がいない小藩なんかは幕府とのコネクションを作るのが大変だったらしい。
また、留守居役の話だけでなく、江戸藩邸の構造や江戸詰め藩士の暮らしぶりにも触れられており、その中で藩同士の交渉に留守居役が出張る場面もある。
例えば、他藩をバックレた奉公人がこっちで働いていた場合は、先方からの申し入れがあればその藩に返すといった決まりがあったようだ。
他にも"本藩"と"支藩"の関係についてとか、"国持大名"の定義とか、今まで知らなかった江戸時代の知識について勉強することができた。
江戸初期の制度や慣行って幕末になると消滅していたり形骸化しているものもあるので、言葉として覚えるだけでなく仕組みの制定段階から学ぶのは重要である。
形骸化と言えば留守居役自体も時代が経つにつれ藩の経費で豪遊する人が目立つようになるらしいので、時代劇で描かれる素行のよろしくない留守居役のイメージはこちらだと思われる。

2024年4月に読んだ本

少し前に本屋に行ったとき、綾辻行人の『十角館の殺人』の装丁が新しくなっていて、帯に「実写化決定」みたいなことが書いてあった。
それよりも気になったのは「ミステリー小説史上最も衝撃的なあの一行がどうたらこうたら」と書いてあったことである。
確かに小説ならではの表現ではあったし衝撃的だけど、そんなに匂わせんでもと思う。
思いもよらぬところから飛んでくるからびっくりするのであって、"一行"とか言っちゃうと一行を警戒しちゃうので面白みに欠ける。
本の帯と、洋楽や洋画の邦題はセンスのないやつはとことんセンスがないのでいたたまれなくなる。
というわけで4月に読んだ本の読書記録を書く。
念のためネタバレ注意で。


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↓今回読んだもの↓※赤字の漫画は完結済み

チェンソーマン (17)

散々言われてきたことだろうけどデビルマンみたいになってきた。
ようやくチェンソーマンになれて笑みを浮かべていたデンジを見てナユタがちょっと引いており、あれを狂ってるみたいな描かれ方してたけどちょっと強調されてただけでそうではないと思う。
デンジはチェンソーマンになって周りの人間を皆殺しにしたいとかそういうことじゃなくて、チェンソーマンになれば状況が打開されるかもしれないと漠然と考えていた。
そうでなくても、あれだけチェンソーマンになるななるな言われてたから、やるなって言われたことほどやりたくなるしやったらすっきりするだろう。
彼は世のため人のために悪魔を退治しているわけではなく、モテモテになってセックスしたいからやっていることなので、ここでいいところを見せたら今度こそ一発ヤレるかもと思っていたからこその笑顔だったのかもしれない。
また、デンジのその「セックスがしたい」という欲望を引き出したポチタもやっぱり悪魔なんだなあと実感した。
今まではマスコット的にデンジに寄り添っているだけの存在でしかなかったが、ここにきてポチタの悪魔的な面も見えてきたので楽しみ。

雷雷雷 (2)

世界観や設定の説明がされたり、主人公のスミレに友達ができたりといった2巻。
不安なこともあるけどなんとかやっていけそうと己を奮い立たせていたスミレが、今回も相変わらずかわいそうな目に遭う。
バトルコメディーで絵柄も明るく、キャラの表情も豊かで読んでいて楽しいのだが安心はできない。
害獣の力はエイリアンからもたらされたものではなく、元々スミレの中にあったものか?という気がしてきた。
また、本作もこの次に紹介する作品もそうだが、とにかくキャラクターが魅力的で良い。
物語の没入感を損なったり、不愉快に感じたりする原因ってキャラによるところが大きいのだが、今のところ本作にはそれがない。
逆に言えば物語に難ありでもキャラが魅力的なら何とか読めるということだが、本作はストーリーにも不満はないので素敵である。

スノウボールアース (7)

今まで「家族」や「帰る場所」にフォーカスしてきたため拠点の近所でのストーリーが主だったが、今回は世界観が一気に広がる話になった。
怪獣の四天王みたいなやつらが地球の各国に散らばっており、そいつらを倒していくことになりそうではあるけど、一体ずつ出向いて戦っていくとなると長くなりそうなのでじっくり腰を据えて描いてもらいたい。
それともあっちから出向いてきたり、ブレイバーンみたいに勢いでまとめて倒したりするのだろうか。
また今回、人類側の二体目のロボットが登場した。
パイロットのひとひらは主人公のユキオ同様コミュニケーション能力に難ありで、人間的には未熟という感じがするため、ロボットが親代わりみたいな点は同様だ。
ところで本作の3巻の感想を見返したら、「早々に人類 vs 人類になって冷めた」と書いていた。
今思えば、最初の敵を人間にしたのって「対話できる敵」を最初に出すことによって対話できない怪獣側の異質さを際立たせるためじゃないんだろうか。
人間同士でも価値観の相違はあれど、同じ人間ってことでなんか話し合いの余地がありそうな雰囲気は作れる。
だけどいくら人語を解したとしても、バックボーンが全く違う怪獣であれば話しても分かってもらえなさそうな感がすごい。
本作では、怪獣は捕食した生命体の特徴を取り込んで強くなるため、人を喰いまくった怪獣ほど人間臭くなるという設定がある。
初登場した四天王的な怪獣は自分のことを「社長」と称し、ビジネスマン的な考え方をするのだが、人間的な価値観を吸収しても人間を捕食することも地球を破壊することも止めない。
人間の言葉を理解して価値観も共有しているのに人類に害を成す矛盾が、全く話が通用しない感を醸し出している。
そこを対話にもっていくか、人類の敵として絶滅させるか、ふたりのコミュ障がどういう選択をしていくのか期待している。

デビルマン外伝-人間戦記-

チェンソーマンがデビルマンじみてきたので、買って積んであったこちらを読もうと思った。
デビルマンのストーリー(主に3巻以降)を不動明の舎弟であった「ドス六」の視点から描いている。
ちなみにドス六とは短刀を武器にしている不良高校生で、他にも「木刀政」や「メリケン錠」「カミソリ鉄」「チェーン万次郎」という治安の悪い仲間たちがいて、ドス六が最も殺意の高い武器を持っていることになる。
基本的にこういう外伝やスピンオフは本編の作者が書いたものでないと読まないのだが、こちらの外伝は「外伝としての完成度が非常に高い」という話を聞いたので気になっていた。
悪魔が人類に対して宣戦布告した後、「人間社会に強い不満を持つ者が悪魔になる」と政府が発表したことにより、国の手で「悪魔狩り」が行われていくことになる。
そのあたりは本編の内容だが、本作ではそれが民間人の間で過激化していく様が描かれている。
人間の中に悪魔が紛れ込んでいると知った人間は各々で悪魔狩り部隊を組織し、さながら中世の魔女狩りのように気に食わない人間を悪魔に仕立て上げて殺していく。
一方で、ドス六を始めとする舎弟たちは不動明の仲間になってもらうためにデビルマン(主人公のデビルマンのことではなく、「身体は悪魔になったが人間の心を失っていない者」を指す)を探すことになる。
人間のことを信用せず疑心暗鬼に駆られて人間同士で争う人たちと、人間を信用して一緒に悪魔と戦おうとする人たちの対比という感じで物語は進み、デビルマン軍団と悪魔軍団の決戦すら描かれずダイジェストで語られるため徹頭徹尾「人間」の戦いについて描かれていた。
終わり方には神話っぽさというか童話っぽさを感じて、あれは本当にドス六が望んだことなのか上位存在との意思疎通がうまくいかなくて比喩表現を理解されずにああなったのか、自分の中で解釈が分かれた。
でもまあ、どちらにしても人間が争わなくなるにはああするしかないのかもしれない。
こうやって見ると、スピンオフってハードルが高いなあと思う。
スピンオフにスピンオフを重ねた結果、一年戦争時にはガンダムが10体くらいいたみたいなことになってる例もあるし。

ご冗談でしょう、ファインマンさん (上・下)

ノーベル物理学賞受賞者リチャード・P・ファインマンの自伝。
彼は幼少期より好奇心が旺盛だったようで生活を便利にする子供なりの発明をしたり、物理学だけでなくバンド活動に勤しんだり女性への感じのいい声のかけ方を研究したりなど、興味のあることはとことんまで追求してみないと気が済まなかったらしい。
未知のことに期待して冒険的な選択をしたり、専門家の意見を鵜呑みにせずに自分で確かめることをモットーにしていたりと、教訓じみたことも書いてあり子供にも読ませられそうないい感じの伝記だと思っていたが、女性をナンパして普通にワンナイトしていたので教育として読ませるかどうかは判断の分かれるところだ。
ファインマンは少し前に映画が公開されて話題になった「オッペンハイマー」がリーダーを務める「マンハッタン計画」に参加している。
マンハッタン計画とは原子爆弾を開発するプロジェクトのことで、計画は成功し広島と長崎に原爆が落とされることとなる。
原爆開発に携わっていたということは本書の主題ではないかもしれないが、やはり自分としてはその部分が気になった。
当時は戦争中かつ計画は軍部の主導で進められたわけで、計画の成果物が軍事利用されることはみんな分かっていたと思うが、少なくともファインマンはこれで敵国に一泡吹かせてやろうとか考えてたわけではなさそうだった。
彼は未知の分野に挑戦し、解明していくことが愉快で楽しかったから研究に没頭していたということは本書を読めば一目瞭然である。
だから、原爆の実験が成功したときにも「僕らはとんでもないものを造っちまったんだ」と恐怖していた同僚の言葉にいまいちピンときてない様子であった。
彼のそのときの心境は「僕をはじめみんなの心は、自分たちが良い目的をもってこの仕事を始め、力を合わせて無我夢中で働いてきた、そしてそれがついに完成したのだ、という喜びでいっぱいだった。そしてその瞬間、考えることを忘れていたのだ。つまり考えるという機能がまったく停止してしまったのだ。」と語られており、あくまで「良い目的」のつもりだったとされている。
終戦後、ファインマンが原爆で破壊された都市に思いを馳せる一幕がある。
ニューヨークの工事現場の風景を見て、壊れるかもしれないのにこんなものを作っても無駄だとヤケになっており、多くは語られていないが日本のことを思い浮かべたのだろう。
以前読んだ岩明均先生の『ヘウレーカ』でも触れられていたし、創作や史実でもよく話題になるが「兵器を造った人間の罪の意識」というやつは実際のものを目にする機会が少ない。
造られたものに罪はなく使う側の問題だとする意見もあるが、それによって殺された人の遺族や関係者からすれば使った人間も造った人間も等しく恨みたくなる。
工事現場からファインマンが何を連想したのか、もしかしたら罪悪感に苛まれたのか、そのへんは分からないが「人間の一生は一回きりしかなく、その間さまざまな間違いもしでかすが、おかげでしてはいけないということも学ぶものだ。だがやっとそれを学んだころには、もう人生は終わりなのかもしれない。」と述べている場面がある。
ノーベル物理学賞を獲るほどの頭のいい人であってもこんな言葉を残すくらいで、彼の場合はいろんな人の人生を終わりにしたものを造る一翼を担ったことで過ちにひとつ気付けたのだ。
長々と書いたが、自分はファインマンに対してあの野郎、原爆なんか造りやがってとか思っているわけではない。

きれぎれ

画家の主人公が、自分より売れている上に自分の惚れている女と結婚した同業の男に金を借りに行く話。
町田さんの小説によく出てくる、関西弁のダメなおっさんが主人公だ。
更に彼は芸術家なので、大衆を馬鹿にしながらも生活のために大衆に迎合しないといけないジレンマも見え隠れする。
現実なのか妄想なのかよく分からない不条理な話が展開され、意味わからんと途中で投げてしまう人もいるかもしれない。
自分は町田さんの作品を読むときはあまり深く考えないようにしている。
流し読みしているということではなく、自分が好きなギャグがあったとしてそのギャグがなぜ面白いのか考えないのと一緒で、言葉選びや擬音や文章の綴り方が好きで感性に合うのだ。

女神

女性の美に偏執的なこだわりを持つ木宮周伍はかつて妻・依子の美しさをプロデュースしていたが、彼女が事故で顔に火傷を負ってしまったことから依子の美を追求することを断念する。
そんな男が次なる教育対象として目を付けたのは彼の娘・朝子であった、という話。
「芸術家の人間性と生み出される作品の質に相関関係はない」みたいな話を聞いたことがある。
とんでもないクズから後世に残るような素晴らしい作品が生み出されることもあるし、清廉潔白なのに鳴かず飛ばずな芸術家もいるということだ。
妻の依子や娘の朝子が周伍の芸術作品だとすれば、そりゃもう素晴らしい出来栄えだったことが描写されている。
依子は社交界で一目置かれる存在であり、外国人の女性と並んでも見劣りしないスタイルと雰囲気を兼ね備えていたらしい。
朝子もまだ女学生ながら淑女の雰囲気を醸し出しており、日々モテテクニックを駆使して同性異性問わず好感を得ている。
周伍が妻や娘に施した教育は決して外見のことだけではなく、趣味や教養や言葉遣いに関しても自分なりの理想があった。
例えば、夢見がちで現実に満足にできない女にならないように小説はあまり読ませないとか、芸術に関しても、難しく専門的な知識を要するもの(ピカソとか)よりもみんながいいと思うものをいいと思わせるような感性を好んだとのこと。
見た目だけではなく中身も兼ね備えた美しさを理想としていた周伍だが、彼の女性美の土台にはあくまでも「外見の美」があってこそなので、「美しくない女に価値はない」とまで言っているほどだ。
だから火傷をした依子に興味がなくなったわけで、依子も旦那が常々「ブスは嫌い」と言っていたのを知っているから、顔を晒せない自分には価値がなくなったと思い込み、自分にそんな教育を施した周伍を憎みさえする。
周伍は当然クズなわけだけど彼がプロデュースした女性たちに魅力が備わらなかったかというとそうではないし、彼の教育は全面的に賛成できるものではないにしても誰もが魅力的に感じる女性を創造することには成功している。
周伍の教育がどういった形で実を結ぶのか、依子の復讐は果たされるのかなどはぜひ読んでみてもらいたい。
美しい娘とそれに献身的な愛情を注ぐ裕福な父親という、線グラフで言えば上り調子のところからストーリーが始まっていくので、これからどんなふうに父親の思い通りにならない展開になっていくかなあと楽しみながら読んでいた。
最近読んだ三島由紀夫の作品はエンタメ寄りのものが多かったので、純文学の三島作品は久しぶりだったがとても好みの内容だった。

2024年3月に読んだ本

宝石の国』が完結するのとのことで、コミックDAYSにて2024年4月29日まで最終話を除く107話が無料となっている。
淡々と読める静かで切なくて良い作品だと思うのだが、オタク*1の「この作品でいかに面白い感想を呟くか」という大喜利が気色悪くて嫌気が差す。
「読む地獄」だの「メンタルがやられる」だの「一般人にはおすすめできない」だの、大袈裟な感想だらけでくだらない。
この作品が本当に好きな人からしたら、誇張表現で雑にいじられるのって嫌だろうなあと思う。
というわけで3月に読んだ本を紹介する。
一応ネタバレ注意で。

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↓今回読んだもの↓※赤字の漫画は完結済み

ONE PIECE (108)

黄猿の気持ちを考えるとつらくなってしまった。
ベガパンクやくまやボニーや戦桃丸とピザを食べて楽しそうに笑っていた彼が、どんな気持ちで今のくまを見ていて、ベガパンクたちを抹殺しようとしているかと思うといっそのことスパイとかだったらいいのにと考えてしまう。
飄々としている黄猿にも、あんなに打ち解けて笑いあっていた時があったのかと思うと切ない。
あと、ONE PIECEのピザって本当においしそうに見える。
他はアラバスタでサンドラ大トカゲを焼いて食べてたやつとか好き。

二階堂地獄ゴルフ (2)

かつてプロゴルファー間違いなしと将来を期待された男・二階堂のゴルフ人生を描く作品。
一巻の時点では35歳、10年連続でプロテストに落ち続けていた彼であるが、二巻ではそこから8年経過し、8年連続で不合格だったため43歳になっている。
なんかこう、年齢を経るにしたがって一年があっと言う間に感じるやつをこんな形で味わうと思わなかったので、二巻はちょっと笑えなかった。
途中までは「二階堂はなんだかんだ幸せなやつ」と思っていた。
職場では針の筵かもしれないが、少なからず応援してくれている人がいて夢に挑戦できる環境もある。
そして二巻では、二階堂をリスペクトしている女性も登場する。
彼女は地下アイドルとしてなかなか芽が出ず腐っていたところ、バイト先の客から二階堂の話を聞いて自分を奮い立たせていたのだ。
夢を追うもの同士、傷を舐め合っていた頃は何だかんだで楽しかったかもしれないし、そういうのは本質的に何も解決しなくても心地いいものだ。
進むにせよ諦めるにせよ「決断」が伴うと今とは環境が変わってしまい、また他の考えることができてしまってしんどいので、他人から見てあんまりよろしくない環境に身を置いている人ってあえてそうしている人もいる。
ただまあそうした環境にいることを選んだのは自分なのでそれを人のせいにしてしまうと圧倒的にタチの悪い人間ができあがるのだが、二階堂は果たしてどうなることか。

骨の音

岩明均先生の初期短編集をまとめた作品。
表題作の『骨の音』を読んで、池袋ウエストゲートパークの『骨音』という回を思い出した。
ドラマ版ではスペシャルドラマの枠で『スープの回』として放送されていたやつだ。
人間の骨が折れる音に魅入られた犯人が夜な夜な誰かを襲撃し、骨の折れる音を録音して自分の作る音楽のサンプリングにしていたという話である。
『骨の音』にも元彼が自分の目の前で電車に飛び込み、骨の砕ける音を聞いてしまったことで人の死に無感情になってしまった女性が登場する。
誰しも人生を変えてしまうような出来事は起こりえるし、彼女にとってはそれが恋人の自殺と擦り潰される骨の音だったわけだけど、まあ何て言うか単なるメンヘラ男とメンヘラ女の話だなあとしか。
元彼が死んだのは痴情のもつれとかではなく、彼が単純に自分の存在を彼女の心に刻み付けたかっただけで、そんな彼女がその後どうしたかと言うと簡単には死なないであろう強くて暴力的な男と付き合うことを選ぶのだ。
恋人が目の前で電車に飛び込んだのは不幸ではあるし、死の原因は自分にあるんじゃないかと考え出すと心が押しつぶされそうになることだろう。
そう考えると同情はできるし、業を押し付けて逃げた元彼は死んでいるわけだから決着もつけられない。
ところがそこから自意識を拗らせて「私って変わってる女」ムーブをし、粗暴な男と付き合ってあまつさえ自分が殴られるというのは何がどうなってそうなるのか全く理解に苦しむ。
結局彼女は自分よりもっと頭のおかしい男(主人公)によって価値観が上書きされて日和ってしまうことになるが、きっとこの先も似たような人生を送ることだろう。

雪の峠・剣の舞

関ケ原の戦いにて西軍についたため常陸から出羽へと国替えさせられた大名・佐竹家のその後を描いた『雪の峠』、家族を野武士に殺された少女の復讐の物語『剣の舞』の二篇が収録されている。
時代劇って好きだけどドラマや小説に触れることが多いので、漫画で読むのは久々で新鮮だった。
戦国から江戸初期くらいの話であり、さらには巻末に登場人物(実在の人物)の紹介もされていたので、あまり知らない時代の話であったことも相まって勉強になった。
『雪の峠』は出羽の地で佐竹家の新しい城を作ろうという話になり、若手とベテランで意見が対立する中、殿様がどっちの意見を採用するかということが物語の肝となっている。
今後の戦に備えて実戦的な築城をしようというベテランに対し、大きな戦はもう起きないだろうから国を発展させることを念頭に置いた城下町を作っていこうと主張する若手の意見は真っ向から対立する。
歴史が証明しているように江戸幕府が成立し数百年に渡って太平の世が続くわけだけど、戦を忘れられず「昔はよかった」と主張するベテランたちのことを今なら「老害」と蔑む程度で済むが、昔なら時代に適応できない人たちは容赦なく淘汰されていたわけである。
『剣の舞』は岩明先生が原作を務める『レイリ』のプロトタイプみたいな作品だった。
登場人物のハルナは岩明先生作品の中でもキャラデザがかなり好みである。

ヘウレーカ

紀元前の数学者・アルキメデスの兵器について描いた話。
ローマ軍はシチリア島にあるシラクサ市に侵攻を開始するが、それを待ち受けるのはアルキメデスが開発した都市防衛用の兵器だったという話。
本人の経歴や開発した兵器については判然としない部分もあるらしいが、こんな兵器が紀元前に開発されていたのかと驚いた。
ONE PIECEで船大工のトムさんが「どんな船でも生み出すことに善も悪もない」と言っていたが、果たしてそこまで割り切れる人間がいるだろうか。
本作でもアルキメデスは自分の生み出した兵器を"バケモノ"と呼び、「用途が分かっていたのだから自分も同罪であり、いつか恨みを持った刃で自分は切り刻まれるだろう」と言っていた。
だから、「生み出した兵器のことなんか知らん」ではなくて「兵器の使われ方にも責任を持つ」というのがトムさんやアルキメデスの考えなのだと思う。(「造った船に男はドンと胸をはれ」って言ってたし)
とは言え望まない形で製造した兵器だってあるだろうし、兵器によって殺された人間の恨みまで背負ってられんよとなるものではないだろうか。
こういう、人殺しの道具の製造者が生みの苦しみと向き合う系の話は創作でよく見るけど、未だにこれいいなと思う落としどころがない。

かっこいいスキヤキ

よくインターネットで貼られている、おっちゃんが電車の中で弁当を食べる順番に悩む例の漫画が収録されているあれ。
まず、表紙にある「GROOVY SUKIYAKIからしてかっこいい。
作者さんは『孤独のグルメ』の原作を担当しているので、食に関する哲学が披露されている点と、自分の流儀に固執してしまったあまりしっぺ返しを喰らう男の姿が描かれているのは孤独のグルメ同様だ。
電車の中で弁当を食べていたおっちゃんはその後も何度か作中に登場し、彼の意外な正体も明らかになる。
なんせ古い漫画なのでノリに付いていけないところがあるのは否めないものの、今でも十分面白い話もあるので興味のある人はどうぞ。
ちなみに、リンクを貼ったのは新装版だが、自分は古本屋で見かけた旧版を購入した。
本作にはとあるキャラクターのパロディ漫画が収録されており、文庫版コミックなどでは権利の問題でそこの部分が掲載されなかった時代もあったそうだ。
調べてみたところ新装版にはパロディ部分はきっちり収められているらしい。

鋼鉄紅女

中国人作家によるSFロボットもの作品。
昨年見かけてしばらく積んであったので読むことにした。
手に取ったとき、中国のSFって思想丸出しっぽいなあと思っていまいちそそらなかったのだが、作者さんのあとがきを見て購入した。
本作は『ダーリン・イン・ザ・フランキス』という日本のアニメに着想を受けて執筆されているらしい。
ダリフラは結構好きなアニメだったのだが、いまいち世間では騒がれた気がしないのでこんなところで同好の士を見つけ、しかも影響されて本まで書いているなんて嬉しい。
そもそも何でダリフラが好きかとなると『トップをねらえ!』風味があったからなのだが、まあそこは今は関係ないので端折る。
本作は中華風の世界を舞台とし、人類は機械生命体・渾沌(フンドゥン)との戦いを長きに渡って繰り広げている。
人類が渾沌に対抗できる手段として用いられている兵器である霊蛹機(れいようき)は男女ペアで操縦する仕組みで、サブパイロットである女性は精神的負荷の高さから多くが死亡してしまう。
主人公の武則天(ウー・ゾーティエン)はある目的のため、パイロットに志願し軍に入隊するというお話。
男女ペアで操縦するとか、男性が主で女性が従とか、コックピット内の描写とか、そのへんは確かにダリフラっぽい。
まあ設定はよかったしロボットものは好きだし基本は楽しく読めたんだけど、どうにも主人公の性格が受け付けず、主人公の背後にいる作者の思想が透けて見えてちょいちょい冷めてしまったのが正直なところだ。
本作の世界はバリバリの男尊女卑で、女性は一歩下がって男性に奉仕することが第一であるという価値観である。
主人公はそんな世界クソ喰らえと唾を吐くような女性で、家父長制をぶっ壊せ的な強気な性格は全く問題ないのだが、男性嫌悪が行き過ぎるあまり行動に整合性がなく女性中心の思考が過剰であるのが受け付けなかった。
自分が好きかどうか、相手が男性か女性かといった感情で動いているので、筋の通った意見であっても男性が発した言葉であれば聞く耳を持たないが、女性から言われると真逆の意見であっても受け入れ、トラブルの原因がそんな主人公の行動であることもある。
自分に反するものは例外なく全て敵で、それを徹底的に罵倒したい人なんだなあというのが主人公に抱いた印象だったので、そういう考えの人には好かれるんじゃなかろうか。
また、男性作家が描いた女性に対してこんな女いねえよと突っ込む女性がいるが、女性作家が描いた男性についてもこちらは同じことを思っている。
どういうことかと言うと、本作に登場する男性についても「こんなやついねえよ」と何度か突っ込みを入れていた。
主人公は身分的にはあまり高くない生まれなのだが、金持ちのシュッとした男前から好かれており、彼がなぜ主人公を好きになったのかは明かされることなく最初から好感度Max状態で登場する。
話が進むにつれてガタイがよく一見すると粗暴だがどこか悲しい目をしたワイルドな男前も登場し、主人公はそのふたりの間で揺れ動くこととなる、と思いきや彼女は二人とも自分のものにしてしまうのだ。
そしてそれについて誰も不満を漏らすこともなく「開いた心を持てば愛は無限」とか訳の分からんことを男側が言い出す始末。
なんなら主人公の前で彼らがキスするBL的描写もあり、「こんな(女にとって)都合のいい男いねえよ」と呆れてしまった。
BLって女性の性欲だと思うんだけど、男性の性欲を見せるのは嫌悪感を示され主人公も忌避しているのに、女性の性欲はOKとはならんでしょう。
SF要素にも気になる点があり、男女ペアで操縦する霊蛹機には女性が不利になるとある仕掛けが施されていることが終盤で明らかになる。
これはまあ男尊女卑社会への反抗を決定的にするための設定にしたいんだろうなと思ってその考えは理解できるものの、そんな設定だったら女性が全滅しちゃうじゃんと。
女性を使い捨てにする社会ふざけんなとしたいのはともかくとしても、そこまで露悪的で突っ込み満載の設定だと一歩間違えればネットに氾濫しているスカッと系漫画と同じになってしまう。
ロボットものの割にメカニックが登場せず、司令官的ポジションの人が機体の全てを掌握しているのも気になった。
主人公は権力を手に入れたら男性を虐げる政治を始め、それに不満を持った人たちが蜂起して国が倒され、また男性中心の政治になるという歴史を繰り返しそうな作品だった。
ボロクソ言ったけど上記した点が作品の全てを占めているわけではないので、今年続編が刊行予定らしいからとりあえず読むつもり。

ここはすべての夜明けまえ

買った本は積んでおいて順番に読むのだが、たまには買ったそばから読むかあと思って読んでみた。
本屋で手に取って軽く読んでみたところ、なんかこう、緩やかに滅びに向かっていく感じが非常に好みだなという印象を受けた。
読み終わって、気持ちの持って行き方がわからなくなった作品は久しぶりだ。
ジャンルとしてはSFとなり、舞台は西暦2123年。
主人公はおしゃべりが好きな女性で、101年前に「ゆう合手じゅつ」を受けて長命になったため、過去に父親から勧められた家族史を書いてみることを決める。
なるほどそんなことを記録に残しておくあたり家族仲がよかったのねと思うとそんなことはなく、こんな記憶を思い起こして文章にしてたら精神病んでしまうでとなる家族史に仕上がっている。
主人公が「ゆう合手じゅつ」を受けた理由も何とも後ろ向きなもので、どうして彼女はこんな性格なんだろうと思ったが後々明かされる家族の内実を知ればなるべくしてなってしまったと同情を禁じ得ない。
読んでる方からすれば悲劇でしかないのだが、主人公の方はと言うと淡々と家族史を綴っている。
どうしてこんなに家族や感情の描写が淡泊なんだろうと感じたが、主人公は自分でも気づかないうちに記憶を消しているのではないかと思った。
「ゆう合手じゅつ」の詳細については語られていないものの、おそらくは機械と人間の身体を融合させるものだろう。
で、主人公は脳みそのメモリに記憶を保存しておけるので、101年前に手術を受けてから現在までの全ての記憶を保持しているから長い年月が経っても家族史が書けるのだ。
意図的に記憶を消去したという描写はないものの、自分を守るために(記憶に齟齬が起きない程度に)メモリから消していっているのではないかなあと。
彼女は手術を受けた後、「機械と融合したから人間の感情が薄れていってるんじゃないか」と家族に言われてそれを否定しているが、もしかすると自分を守るためにあえて感情を希薄にしたのではと考えると皮肉なものだ。
平仮名交じりの文章(不自然に平仮名になっている文章にも理由はある)で淡々と描かれているため全体的にふわっとした印象だが、彼女に起きたことはまぎれもない現実で、ところが彼女の選択って文章と同じようにフワッとしてて、自分の意志はなく風の向くまま飛んで行く綿毛みたいな生き方をしている。
融合手術を受けたときも、家族史を書くときも、恋人を受け入れたときも、どことなく他人事のように決定している感がある。
作品の帯に「かいていったらなっとくできるかな、わたしは人生をどうしようもなかったって」という本人の台詞が書かれており、彼女は人生を諦観しているのだと思う。
ただそんな彼女でも諦めきれなかったことが「誰かに愛されること」だった。
あんまり内容に触れすぎるのも何なので主人公と恋人との関係については言及を避けるが、彼女は誰かに愛されることによって幸せになろうとしており、その考えに到達してしまうのは彼女の人生を考えるとやむなしとしか言えない。
だからこそ「さいごにわたしは、わたしでしあわせになりたいな」「だれかにあいされるよりもいいことはあるって」と言っていた彼女の選択は、まぎれもなく彼女が自分の意志でなりたいと願った理想の自分だった。
月並みだけど、己の価値を見出すのも幸せにするのも自分であるべきで、誰かや何かに依存した自信のつけかたというのはそれがなくなったときに後ろ盾も楽しみもなくなってしまう。
好きなものがあるのはいいことではあるけども、まあできるだけ好きなものは複数作っとくといいよねって思う。
だから、「わたしはわたしでしあわせになりたい」というのはシンプルながらすごく前向きで素敵な台詞に感じた。
(こういう、人生の瀬戸際になって自分にとって大切なことを気が付くことについて、逆シャアの富野監督がクェスを例に出して「あのタイミングで自分を大切にしてくれる存在に思い至っても遅い」みたいなことを言っていたのを思い出す)
人を愛し愛されるという気持ちとそこから発生する問題は技術が進歩したところで変わらないんだなあという一冊だった。
おそらくこの作品は実写化し、芸能事務所と広告代理店が結託してしょうもないアイドルとかを起用した手垢の付いたものになるだろうから、そういうのが嫌な人は早めに読むことをお勧めする。

大津事件 ロシア皇太子遭難

最近、大津事件の犯人である津田三蔵に関する証言をまとめた未公開資料が発見されたとのニュースを見て、買って積んであったこちらを読もうと思った。
ネット上で定期的に「初めて"粉塵爆発"を知った作品は何か」とか「"九字護身法(臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前)"を知ったのはどの作品か」などという話題が盛り上がることがある。
それに倣ってもしも自分が「"大津事件"という言葉を認識したきっかけは」という問いを投げかけられたとしたら、「パトレイバー」と答えるだろう。
漫画版『機動警察パトレイバー』で、レイバーに乗った太田さんがアメリカ大統領に銃を向けるシーンがあり、それに対して遊馬が「お前は津田三蔵か」と突っ込み、そこで「大津事件」について軽く説明が入ったのだ。(ちなみにアニメ版は見てないので同じやりとりがあるかどうかは知らない)
大津事件とは、1891年(明治24年)に日本を訪問中のロシア皇太子が滋賀県にて護衛の警察官である津田三蔵に斬り付けられた事件である。
皇太子は命に別状がなかったものの、えらい外交問題に発展したということを前知識として耳にしていた。
まあ正直言ってパトレイバー絡みの勢いで買ったので事件そのものについては興味薄だったが、非常に興味深く読むことができた。
まず、確かに外交問題外交問題なんだけど、ロシア側としては日本に謝罪や賠償を要求したといったことはなく、どちらかと言えば日本の内輪揉めという印象が強い。
ロシア皇太子は日本に敬意を持って終始接している印象で、自分が被害者であるにも関わらず、これは頭のおかしいやつがやったことで日本に対して悪く思うことはないと言い、お付きの人にも同じように言い含めていた。(ロシア公使のひとりは死刑を要求する恫喝的な態度を取っていたらしいが)
そして日本国内にこの一件が知れると大騒ぎとなり、他府県からもお見舞いの電報を送ったり総代を派遣したりとてんやわんやだった。
そこまで慌てていたのはロシアの怒りを恐れていたというより、天皇陛下遺憾の意を表明しているのに国民として安穏としておれんという気持ちがあったらしい。
まあ当時は通信設備が発達していないわけだから代表を派遣して状況を把握するように努めるのは理解できるが、君らあんまり関係ないんだしもうちょい落ち着けという騒ぎっぷりにも感じる。
極めつけに山形県のある村では、犯人と同じ姓名の「津田」と「三蔵」を名乗ることを禁ずる条例が決議されたらしい。
これはさすがに否決されたらしいが、当時の狂乱っぷりが伺える。
現代においても、山口県でコロナ給付金の誤振込を返金しようとしなかった男性を日本国中を挙げておもちゃにしていたことがあったので、我々も偉そうなことは言えないわけだ。
そしてさらにてんやわんやだったのが当時の内閣である。
日本はほんの20年そこら前まで鎖国をしており、これから欧米列強に負けない国づくりをしていこうぜという時期であったため、近代国家としてはまだまだ未熟であった。
軍備なんかもそうだが、遵法意識に欠けていたというのが近代国家を目指す国としては致命的だったと言える。
内閣メンバーとしては津田を何とか死刑にしたいが適当な法律がないため、ロシア大使に「お宅から死刑にしろって言ってくれんか。そうしたら外交上必要だったってことで死刑にできる。」と交渉していたという事実もあったらしい。
何でそんなに死刑にしたかったかと言うと、当時政治の中枢にいたのは明治維新で功績を挙げた人たちなのが大きい。
彼らは攘夷だ天誅だ言って刀を振り回してた人たちなので血の気が多く、明治ではあるが武家の士風もまだまだ残っていたので切腹だの死罪だのすぐ言うのだ。
加えて、こないだまで鎖国をしていたので外国に対してビビッており、大国であったロシアに対する恐怖心は半端なかったようだ。
他にもメンツに関わるとかいろいろあったかもしれないが、行政が司法に干渉して法律を捻じ曲げるということは国の根幹を損なう重大な行いだと認識していなかったと言える。(そもそも、明治維新自体が当時の政治法律を無視、むしろこれを破壊した大事業であったと筆者は言及している)
一方で司法を担当していた司法省の面々は、これから欧米の憲法を見習って学んでいくぜと意気込んでいた矢先のこの出来事である。
明治維新の中心は薩摩と長州勢力であったため、自然と内閣の顔ぶれも薩長に偏っていた。
司法省には薩長以外の人材が多かったらしく、「司法権の独立」を主張して津田三蔵の死刑論を跳ねのけたらしい。
このあたりの内輪揉めを見ていると、当時の薩長閥に対する感情が伺える気がする。
確かに司法省としては法治国家としての日本を成立させるため、司法権に干渉されたくなかったのはもちろんだろう。
ただ、権力を握って調子こいてる薩長閥に対する反感もあったのではとも思う。
「法官たるものは感情ではなく法律に従って動くべし」という司法省メンバーの発言が残っているが、犯人に対する私情はなくても薩長派閥に対して含むところはあった気がするなあというのが感想だ。
というわけで、思ったより重大なことが起こっていたんだなあという印象の事件だった。
るろ剣の影響で江戸末期から明治にかけての時代が好きなのだが、西南戦争より後のことはあまり知らないのでもうちょいこういう本も読んでいきたい。

谷崎潤一郎 大正期短編集 金色の死

谷崎潤一郎がそこそこ初期に書いた短編集をまとめた一冊。
幻想的な話からホラー風味、皮肉の効いたものや探偵小説チックなものなど、後の作品に繋がるようなエッセンスがちりばめられていた。
谷崎作品には年上の男と年下の女の恋愛模様が書かれることが多く、本人に年下の女性に甘えたい欲望があったのかなと思う。
息子の奥さんであった渡辺千萬子さんとの手紙のやり取りから察するに、若い女性であれば誰でもいいというわけではなく、聡明で自立した新時代の風を感じる女性であることは必須条件な気はするが。
母親に対する愛情の表現力や、6ページにも及ぶ魅力的な女性の脚の表現は圧巻で、『吉野葛』や『瘋癲老人日記』を思い出すし、他の作品を連想させるものもあると思う。
三島由紀夫が『仮面の告白』で同級生の男性の腋毛について微に入り細を穿った描写をしていたが、好きなものは言葉を尽くしても語り切れないけどそれでも自分の言葉を絞り出して伝えたいと思うのが真の好事家だろう。

*1:ここで言う「オタク」とは特定の分野を極めていたり愛情を注いだりしている人たちのことではなく、「人より多めにインターネットをしている自己顕示欲と承認欲求の強い人」を指す

2024年2月に読んだ本

2月に読んだ作品はどれも琴線に触れる内容で、いい読書ができた。
特に漫画に関しては単行本化や続刊を待ち望んでいた作品ばかりで、何度も読み返したくなるものばかりだ。
3月も終わりだが今さら2月に読んだ本を紹介する。
念のためネタバレ注意で。


↓先月分↓
mezashiquick.hatenablog.jp


↓今回読んだもの↓※赤字の漫画は完結済み

カグラバチ (1)

昨年からジャンプで連載が始まり、かなり注目している作品。
主人公の六平チヒロは、父・六平国重の元で刀匠になるための修行に励んでいる。
国重は数年前の戦争を終結に導いた6本の妖刀を作った鍛冶師であり、大戦後は刀を全て回収し自宅に保管していたのだが、何者かの襲撃を受け刀は全て持ち去られ国重は殺害されてしまう。
遺されたチヒロは父が7本目に打った妖刀を手に復讐に身を投じていくことになる、というお話。
とりあえず作者さんは単純に"漫画"がうまいと思う。
コマ割りから構図、演出に至るまでかなりハイレベルで、初連載作品とは思えないくらい磨きがかかっている。
絵に関しても連載中にどんどん画力が向上しており、初登場時はかわいらしい顔をしていた幼女が過酷な運命に巻き込まれるうちに画風が変わって険しい顔になっていったのは意識してのことなのか画力によるものかは分からないが、登場人物の変化を感じ取れるような描き方ができている。
チヒロの妖刀が能力を発動する際のエフェクトが金魚というのもよい。
3匹の金魚がそれぞれ3つの能力のシンボルになっているし、父親が買ってきた金魚とそれらが住む金魚鉢の中の世界がチヒロと父親が過ごした狭いけどささやかな幸せを象徴しているようで、彼が過去に囚われている存在だというのがよく分かる。
週刊連載だとどうしても流し読みしてしまうのだが、単行本だとじっくり読めるのでいろいろな気づきがあり、チヒロが左利きで右に刀を差していることも今更ながら認識した。
マフィアのアジトにカチコミに行く際も、雑魚を倒す際は脇差のみを使い、ボスと対面したときに初めて刀を抜いて戦うというのも魅せ方として上手いし、脇差を使う理由も整合性が取れていたので違和感を覚えることなくアクションにのめり込んで読むことができる。
また、チヒロは妖刀を作った父親の息子であるわけだから妖刀に対する理解力が相当に高く、実戦経験の浅さを刀のことをよく知っているというアドバンテージで補うという展開もクレバーでよい。
ジャンプ本誌の掲載順位が真ん中から下あたりを右往左往しているようで打ち切りを心配しないでもないが、2024年13号の本誌にて「単行本重版出来」とあったのでちょっとだけ安心である。

ザ・キンクス (1)

錦久家の特に何も起きない日常を描いた作品。
作者さんはエロやナンセンスもののギャグ漫画を得意としているイメージで、同様の印象を抱いている人は多いだろう。
本作にはそうした要素はなく、作者さんも「日常から逸脱しない」とあとがきで述べている。
とは言え何も起こらない退屈な話というわけではない。
伝わるかどうか分からないが、例えば「なんにもいいことないわ」って言ってる人がいたとして、そういうことを言う人にとっての"いいこと"って「非課税で大金が手に入った」とか「顔も性格も収入も完璧な恋人ができた」みたいな、劇的なものを思い浮かべていることが多い気がする。
ところが日常には"いいこと"ってそこそこあるもので、「朝気持ちよく起きられた」とか「昼ごはんがおいしかった」とか割と見過ごしているようで何かしらはあるわけだ。
もちろん、自己啓発本に書いてあるような"ささやかな幸せに感謝する"的な陳腐な言い回しなんてしゃらくさいというのも理解はできるし、日々のしんどさに比べたらその程度のラッキーなど腹の足しにもならないだろう。
でもまあミクロで見ればいいことは起きているのは確かで、何もないように見える日常も目線を変えると愉快なことがあるということを実感した作品だった。
特に、お祭りが終わって夜道を家族全員で帰る場面を子供の視点で書いている話は、作者さんの引き出しの多さに感服した。
また、先ほどの作品でも触れた構図の巧みさだがカグラバチが映画のようでカッコいい構図だとしたら、本作は単純に今まで見たことのない構図の連発で見開きなどを駆使した見せ方にはさすがのキャリアを感じる。

ニセモノの錬金術師 (2)

二ヶ月連続刊行が本当にありがたい本作。
一巻は先月の読書記録で触れているので、ストーリーなどはそちらを参照してもらいたい。
本作のキーワードとなる技能である『呪術』については今巻でも深堀りされている。
呪術師は自分のために呪いを行使することができない呪いを自分にかけるので、気に食わないやつがいるからといって呪殺するといったことはできない。
じゃあ呪術をもって人を攻撃することができず、自分を守る術がないのかというとそうではなく、「相手の禁忌を知り、その禁忌を踏みにじらせる」ことによって相手にダメージを与えることができる。
ノラは「奴隷にむやみに暴力を振るってはならない」という決まりをあえて破らせることで、相手に報いという形で呪いを返し暴力から身を守っていた。
作中の説明を借りてもうちょい具体的に言うと、「入ってはいけない」とされる場所に入ってしまったときの居心地の悪さ(「報いが表れても仕方ない」といった気持ち)を思いっきり増幅させて相手に返す感じで、「自らを呪わせる」とも言われていた。
つまり相手にあえてタブーを破らせることが重要で、そうするためには相手と「縁」を結ぶ必要がある。
「縁」については一巻でも軽く触れられており、一言で言うと「仲良くなること」だ。
ノラの父親曰く、「好むと好まざるとに関わらず、人は自分と関わりのできたものの影響を受け合って生きている」ため、呪いが当たり前にあると信じている呪術師と縁を結ぶことで相手は呪いを感じ始め、呪いの下準備が成されるのだそう。
「呪い」に対するこのあたりの考えは本当によく考えられていると思うし、作者さんの人生観も垣間見える。
「人の心の力」であると作中で言われている呪術だが、"縁"というどちらかと言えばポジティブな言葉を用いているあたり、一般的な「呪い」という言葉から受ける印象とは少し違う気がする。
呪術の始まりが「あの人に不幸に・不自由になってもらいたい」という気持ちであることは否定されていないものの、「これではいけない」という思いもあり、ほんの少しでもよくありたいという気持ちから、呪術師は自分のために呪いを使ってはならないという呪いを自分にかけるのだ。
生きていれば誰しもマイナスの気持ちは心に生まれるが、本作ではその「呪い」を否定しないし、呪術は呪いを増幅もできるし逆に和らげもできる。
矛盾しているように感じられる設定だけどすんなり受け入れることができるあたり、作者さんは「呪い」という感情に対して思うところがあり、かなり深堀して考えたのではないかと察せられる。
また、本作の主人公は自己評価が低く、自分の成果物に対して自信がないと言うよりは自分の命を軽く見ており、有事に際して真っ先に自身を犠牲にしようとするタイプだ。
主人公が周囲の人間とどのような"縁"を結び、どんな影響を受けてどのように変わっていくのかも注目していきたい。

みちかとまり (2)

8歳の女の子・まりはある日、竹やぶでみちかと名乗る少女と出会う。
人間の常識から離れたところで生きているかのような彼女に振り回されるまりを描くガールミーツガールもの、と書くとほのぼの日常漫画のように思えるかもしれない。
本作は今までの作者さんの作風とは異なっており、読んでいると胸がざわざわしてきて落ち着かなくなる。
田舎のノスタルジックな風景を描き、一見ほのぼのしているかのようで物事が良い方向に進まないであろう不穏な空気が作品全体から漂っており、一話冒頭で描かれた成長したみちかとまりが何かを燃やしているシーンにどのように帰結するのか今から不安で仕方ない。
みちかとまりが迷い込む異世界の描写も巧みで、あからさまに恐怖心を煽るわけではないが違和感を覚えて"気持ち悪い"タイプの怖さを喚起する。(人間の体に花の頭がくっ付いた異界の住人とか)
なので二巻まで読んでみて思ったのは、これはホラー作品であり因習ものであるんだなと。
本作の舞台となっている村では、みちかのように竹やぶに女の子が「生えている」ことは珍しいことではないらしく、過去にも竹やぶに生えていたところを発見されて今は大人になった女性も登場する。
竹やぶに生えていた女の子には神様になるか人間として生きるかの選択肢があり、どちらになるかを決めるのはその子を発見した人らしい。
今のところ、神様として生きていくことにした女の子は登場していないが、きっとそっちを選んだところで一般的にイメージされる全知全能の神的な生き方はできないんだろうなあと個人的には不審がっている。
竹やぶの先輩である女性は人間として生きているが、「人間でい続けるには自分を鞭で叩いて そのことに気づかないようにずっと麻酔をかけ続けるからなんにも感じなくなって どんどん人間じゃなくなっていくみたい」という独白をしており、数年後再登場したときには初登場時のエキセントリックさが薄れて疲れた普通の人みたいになっていたのも俗世にまみれてしまった感があった。
人間として生きるのも、神様として生きるのもどっちも大変なんだよなあというありきたりな結論にはならないと思うが、この作品が一体どういう終わり方をするのか不安だけど楽しみである。

半七捕物帳 (4-6)

先月に半分読んだのでこれで終わり。
探偵小説と時代小説を融合した「捕物帳」のはしりと言われている作品。
詳しい紹介は前月の記事を参照していただきたい。
自分は時代劇が好きなのでこんな傑作を知らなかったことを後悔する勢いで読んだが、探偵ものとして接したときにどうかと言うと、正直洗練されていたとは言い難かった。
偶然事件が解決したり、事件について誤解したまま捜査を進めていたり、謎解きを期待して読むと肩透かしを喰らうかもしれない。
怪しい人を取り調べる際も、高圧的に接したり家族を引っ立てて取り調べるぞと恫喝してみたり、結構荒っぽいことをしている。
ただまあこれは先月の紹介でめっちゃ褒めたのであえて気になるところを挙げてみたくらいで、正直言って個人的にはどうでもいい。
以前にも述べた通り、本作は江戸の文化を現代に伝えるのにも一役買っている。
江戸時代の事件捜査や取り調べはこんな感じだったのだろうかと想像して読むのは楽しいわけだ。
謎解きに関しても、探偵小説の先駆けを務めたような作品であるだけに、これをきっかけにどんどん洗練された捕物帳作品が出てきたと考えられる。
もっと知名度が高くてもいいと思うのだが(自分が不勉強なだけかもしれないが)、半七に強烈なキャラクター性があるわけではないから映像作品が少なくて知名度が低いのかもと感じた。
ドラマ等が作られていないわけではないのだが、調べてみたところ1970年代から1990年代くらいまでの期間しか制作されていなかったようだ。
半七は芝居や講談が好きではあるがキャラとしては割と普通の人で、決め台詞があるわけでもなければ同じ岡っ引の銭形平次のように小銭をぶん投げるわけでもない。
侍ではないので鬼平犯科帳のように派手な大立ち回りもないから、映像にしたときに地味になるのかなあと思う。
時代小説は固有名詞や慣用句など現代では馴染みのない言葉が多く、ハードルが高いと感じている人もいるだろう。
それを差し引いても、時代小説初心者に勧められる作品としてはこれが最適解なのではと思うので、ぜひとも読んでもらいたい。

宵待草夜情

この作者さんの作品は「文学性の高い推理小説」と言った印象で、出だしから終わりまで引き寄せられる文章で書かれている。
推理小説には、何の解明をメインに据えるかに「犯人・犯行方法・動機」の3点がある。
「犯人」はまあベーシックに犯人捜しだし、「犯行方法」は密室のトリックやアリバイ工作を暴くものだ。
で、連城さんの作品の多くは「動機」の描写に力を入れた推理小説となっている。
なぜ犯人が犯行を決意するに至ったかを読者に伝えるため、犯人の内面が執拗に描写されている。
作品は五篇収録されておりどれも女の情念を描いたもので、深みにはまって正常な判断ができなくなったり、嘘に嘘を重ねてにっちもさっちもいかなくなったり、そうした感情の揺れ動きが美しい文章でかつ読者にも伝わりやすく表現されているため、「よくこんな表現思いつくなあ」と「この気持ち分かるわあ」が味わえて読んでいて楽しい。
また、心理描写だけでなく情景の描写も非常に巧みで、物語への没入感も保証できる。
人間の気持ちに答えも正解もないので(作者さんの中での答えはあると思うが)、こういう「感情」を描いた作品って読み手によって解釈が全く異なるので好きだ。

2024年1月に読んだ本

ジャンプ本誌で連載されていた『アスミカケル』が終わってしまって悲しい。
ドリトライも終わって悲しいし、ツーオンアイスも順位が危うくてつらい。
かと思えば○ッ○ュ○みたいなあれな漫画がアニメ化している現状があるので世の中とはままならないものだ。
このままカグラバチが終了してしまったらどうしようと戦々恐々としているので、とりあえず単行本は買った。
ということで2024年1月に読んだ本を紹介する。
念のためネタバレ注意で。


↓先月分↓
mezashiquick.hatenablog.jp


↓今回読んだもの↓※赤字の漫画は完結済み

ニセモノの錬金術師 (1)

不慮の事故で現代日本から異世界へ転生した青年・サコガシラことパラケルススが、奴隷として売りに出されていた女性・ノラと出会うところから始まる物語。
kindleで原作者さんのネームが無料で公開されており、全話読んだのだがとにかく完成度が高くて面白くて書籍化してくれんかなあとずっと思っていた。
作画の人とタッグを組んでスタートした連載は読み忘れていたので、単行本発売をとにかく待ちわびていた。
導入としてはありきたりな異世界転生ものかと思いきや、設定が作りこまれている上に、主に「愛情」と「呪い」を主体とした人間の精神描写がとにかく執拗なのだ。
この作品には「呪術」という技能(技術?)が登場する。
エルフの女性・ココにかけられた強い呪いに対して、呪術師であるノラは彼女の呪いの内容を読み取ろうとする。
そこでココにかけられている呪いが「我に助けを乞う時まで 絶命する時まで 自らの愚かさに嘆き ただ苦しみ痛み 辱められ 毎日に怯えて震えて生きることを命じる」というものであることが明らかになるのだが、この呪いにこめられているものは深い慈しみの気持ち「愛情」であることも同時に判明するのだ。
そしてノラは、呪術師が一番最初にかける呪術は「自分の欲望のために呪術を使ってはならない その時は死ぬ」であると述べ、「人が人を呪うことはやめられないが、少しでもよくあろうとする想いがこめられたこの呪いが好きだ」と呪術に対して誇りと愛着を持っていると同時に、ココへ呪いをかけた人物に対する憎しみをあらわにする。
この「呪い」に対する考えは非常に好きだなあと感じたし、原作者さんの人生観みたいなものを垣間見た気がした。
特に、呪いに込められたものが「愛情」っていうのはすごくよく分かるので何度も頷いた。
主に男女関係における「幸せになってほしい人」って「自分の手で幸せにしたかった人」であって、自分の元から離れていくのならせめて一生自分のことを忘れずに刻み付けておきたいと思う一面もあるわけで、それが相手もしくは自分に「呪い」という形で現れるのは独りよがりの愛情でしかなかったとしても心理としてはありふれていると思う。
だからこそ本作における「呪い」は人間の負の感情を否定せず、じゃあせめて誇れる生き方をしようぜという「願い」もあるわけだ。
人間は聖人ではないわけで、誰かを恨んだり嫉妬したりの感情は生きていくうえで避けられないし、自分は誰からも妬まれていないと胸を張って言える人もそうそういないだろう。
それに対して、「そんなことない!人間は美しいしおまえは素晴らしいよ!」的なマッチョ感のある肯定ではなく、「お前はどうしようもないかもしれないけどそれでもいいと思うよ。でもよくする努力はしようや。」という姿勢は共感できた。
ちなみに原作は完結しているのでココにかけられた呪いに関する真相も明らかになったと思うが、忘れたので覚えていない。
キャラクターも魅力的で、一巻ではノラの転んではタダでも起きないしたたかさがとても魅力的に描かれている。
さらに、単行本を読んでみて気が付いたのだが、コマ割りや構図がkindle版とほとんど変わっていないため、ネーム時点での完成度の高さが伺える。
web漫画に絵の上手い作画担当をつけて商業リメイクするのは一般的になってきていて、例えば『ワンパンマン』なんかは有名なところだ。
ワンパンマンに関してはあの絵がいいから原作版のほうが好きだという人もおり、同様の意見は本作でも見られるものの、さすがに本作に関してはkindle版は本当にネームであって何をやっているのか分からないシーンもあるので、作画をつけたのは正解だ。
まあただ、エグい描写に関しては絵が上手い故により生々しく感じられると思うがそこはしょうがない。
なろう系に代表される近年の異世界もの(本作はなろう発ではない)において、"奴隷"や"エロ"は必須のようになってきているが、ちょっとああいうのはやめたほうがいいんじゃないかなあと思った。
呪術の契約と縛りについて説明するための奴隷だったのかもしれないが、それなら"使用人"とかでもよかったわけで、尊厳を奪われて劣悪な環境に置かれた人を描く必要はあったのかと。
エロに関しても一話後半で唐突に始まるので、ギャグっぽく見せているとは言えなんだかなあという感じだった。
絵が上手いだけに余計に苦手に感じる人は多いかもしれないが、逆に言えばそこさえクリアになれば楽しめるだろう。
HUNTER×HUNTERとかワールドトリガーのように設定を詰め詰めにしている作品や、頭を使って戦う作品が好きな人はハマるはずだ。

アドルフに告ぐ (1-5)

第二次世界大戦前後の時代に、3人の”アドルフ”の物語を綴った作品。
タイトルや表紙からも分かる通り、ヒトラーナチスドイツが物語の主題となっている。
ナチスが第二次大戦下において何をやったのかにおいては各自の知識に任せるとして、内容はまあとにかくハードだ。
同じ人間なのに人種で差別するのはよくないと言っていたドイツ人の少年が、ナチスの養成学校に通ううちに考えが矯正されてしまい悲しい運命をたどるのは彼の人生に同情を禁じ得ないし、失礼な言い方かもしれないが「何のために生きてたんだろうか」と思わずにいられない。
生きていくためにはそうするしかなかったのか、戦争という極限状態で正しさを押し付けあっていればああなるのか、疑いもなく人間に優劣をつけてあまつさえ殺すことを正当化するようなことが現実にも起きていると考えるとむずむずする。
野原ひろしが言ったとされる名言(実際は言ってない)に「正義の反対は悪ではなくまた別の正義」というものがある。
とは言えどっちが正しいとか悪いとか巻き込まれる民間人からすれば関係ないわけで、アメリカ人に「原爆を落としたのは正しい判断だった」とか言われたら腹は立つわけだ。
何より、ナチスユダヤ人にやったのと似たようなことを、ユダヤ人たちが今パレスチナでやっているわけで、「正義とは正しいことをすることではなく、相手を威圧するためのお題目」という作中の台詞はその通りである。
意図せずタイムリーな漫画を読むことになり世界情勢に思いを馳せ、どうにもこうにもつらくなってしまった。

きりひと讃歌 (1-4)

先ほどのアドルフに告ぐが民族や人種による差別を描いたものだとすれば、こちらは外見による差別と人間の尊厳を描いた作品となっている。
骨格が変化し犬のような見た目になってしまう奇病である「モンモウ病」の研究をしている医師・小山内桐人は、病気の原因を突き止めるために四国の村へ向かうことになる。
その後桐人自身もモンモウ病に罹患し、過酷な運命に翻弄されつつも世界各地を放浪することになるのだが、なんというか見た目が人と違うだけでここまでやることなすこと上手くいかなくて周囲から虐げられるものかと悲しくなった。
人間の尊厳を奪われて犬同様の扱いを受け、人の容貌をしていないというだけで発言に聞く耳を持ってもらえず行いも信用してもらえず、医者としての使命を果たすこともできずに苦しむ姿を見ていると、そこまで追い込まんでもと思うが決してそうならないだろうと否定ができないのもつらい。
本作は1970年から1971年にかけて連載されていたとのことで、当時と今とを比べれば人々の人権意識は向上しているだろうし、一応は多様性がどうの言われているけれども、現代にモンモウ病患者がいたとして漫画と同じような扱いを受けないとも限らない。
「人間の命を預かるこの重大な仕事が、上っ面の人相だけで評価されてしまう」と桐人が嘆く場面があるが、例えばチョッパーは愛らしいけど、チョッパーがいくら医者だって言っても手術を任せたいかって言うとそうではなくて、"人と違う"ということは単純に"怖い"んだろうなあとつくづく実感する。
非常にハードな話であるのだが、コマ割りや構図がかなり独特でつい笑ってしまう場面もあるものの決して読みづらいというわけではない。
手塚先生の医療漫画と言えば『ブラックジャック』だが、あちらと違って病院内の権力闘争がメインの『白い巨塔』的な内容だ。

新選組

上記の二作品同様手塚先生の作品だが、こちらは少年漫画誌に連載されていただけにギャグも交えられた少年漫画らしい内容となっている。
攘夷浪士に親を殺された少年・深草丘十郎が敵討ちのために新選組に入隊し、自分の生き方を模索する姿を描いた作品。
こんなことコメントするのはおこがましいんだけど、当たり前のように起承転結が一巻の中にまとめられていて当たり前のことに久しぶりに感動してしまった。
物語終盤、丘十郎は親の敵を討ったことで自分もその家族から命を狙われることになり、さらに友人だと思っていた新選組内の間者を自分の手で斬り殺したことから、仲間同士・日本人同士で争っている日本の現状に疑問を持つようになり、広い世界を見てこいと言う坂本龍馬の手引きで海外に旅立つ。
作中では芹沢鴨暗殺から池田屋事変までが描かれており、新選組の黄金期とも言える時代だ。
新選組池田屋に斬り込んでいる一方で、それに参加せず船に乗って日本を離れる丘十郎の姿が描かれ、これから凋落し瓦解していく新選組江戸幕府と、数年後に迎える新時代を象徴しているようだった。
いやもうマジで何様かと思われるかもしれないけれども、単純に漫画としての完成度が本当に高い。
歴史を知っていればより楽しめることは間違いないが、新選組に興味のない人にもぜひ読んでもらいたい。

半七捕物帳 (1-3)

全6巻あるけれど一度に読み切れなかったのでとりあえず半分。
町田康さんが紹介していたので読んでみることにした。
時代小説と探偵小説を融合したいわゆる「捕物帳系」のはしりと言われている作品で、かつて江戸の街で岡っ引を務めていた半七の活躍を描いたもの。
主人公である「わたし」が、明治になり引退した半七からかつての事件談を聞くという形で物語は構成されている。
町田さんが本書を紹介する際に「シャーロック・ホームズを江戸の街でやってみた作品」と言っていたが、主人公の「わたし」も半七のことをホームズに例える場面があり、作者自身も探偵小説への造詣が深かったらしい。
基本的には探偵ものとしての推理的な展開が多いのだが、特徴的なのは怪談系の話も多いことだ。
信心深い江戸時代の人たちは科学的に証明できなかったことを神様や妖怪の類によるものとしてきたこともあり、人外が引き起こしたのではないかと噂される事件が物語の端緒になることもある。
上記のことからも分かる通り、推理小説としての一面以上に江戸の文化や空気を伝えるのに一役買っている作品だった。
作者自身も元幕臣の長男として明治5年に生まれたこともあり、まだ江戸の香りが残っていた時代の人である。
作品には当時の文化風俗について自身で調べたことに加えて、江戸時代を生きた人から聞いた話も含まれているだろうから、実態を伴った描写ができているのではないだろうか。
今では馴染みのない言い回しや慣用句が使われていることも多く、辞書で調べつつ感心しながら読んでいた。
かと言って古臭さを感じるわけではなく、何も知らずに現代の作者が書いた本だと言われても信じてしまう文章だった。
まあちょっと気になる点もあるっちゃあるけどそれは最後まで読んだ際の感想で書くとする。
ただそれを込みにしてもこんな面白い作品を知らずにいたことが悔やまれるほどの傑作だ。

谷崎潤一郎=渡辺千萬子 往復書簡

谷崎潤一郎と、息子のお嫁さんである渡辺千萬子さんの数年に渡る手紙のやりとりを収録したもの。
千萬子さんは『瘋癲老人日記』の颯子のモデルではないかと当時から噂されており、この書簡集が公開されてからその事実がはっきりしたらしい。
ふたりは舅と息子の嫁という関係だが、かなり打ち解けており千萬子さんは舅である谷崎潤一郎に対して割とフランクに接している。
谷崎も千萬子さんのことがかなりお気に入りだったようで、他の人への手紙は女中さんに代筆してもらっているが、千萬子さんへの手紙だけは自分で書いていると述べている。
他にも服やアクセサリーを買ってあげたり(自分のものを買うより楽しいらしい)、句を書いて送ったり、スラックス姿が好きだと言ったり(文学的感興がわくらしい)、直接的なアプローチをしているのは微笑ましい。
その一方で、本書の帯にもあるような「「日頃はおとなしくしてゐてせいぜい体を大切にしあなたとのつき合ひにすべてを捧げよ」との仰せは、こんなうれしいお言葉はありません」などと「好き」とか「お気に入り」という感情には留まらない「偏愛」とか「崇拝」と言ったほうが適当とも言える千萬子さんへの執着がひしひしと伝わってくる。
決して千萬子さんの見た目や脚のみが好きだったわけではなく、生き方や価値観にも学ぶことがあったようで、外見内面問わずとにかく言葉を尽くして褒めている様は文豪ならではのボキャブラリーであるが「雀百まで踊り忘れず」的な執念も感じた。
『瘋癲老人日記』では主人公の卯木督助が颯子の足型を取って仏足石を作る場面があるが、現実でも千萬子さんが靴をオーダーするときに取った足の型紙を送ってもらって保管しており、なんならその足型が本書にも収録されているのでひえっとなってしまった。
千萬子さんは確かに谷崎が一目置くだけあって、クレバーで先進的な印象を受ける女性である。
昭和26年から昭和40年にやりとりされた手紙が掲載されており、千萬子さん曰く、20代後半から31、2才頃のやりとりらしい。
この時代にしては聡明で自立した女性と言うべきか、この年代からこうした考えの女性が増えて社会進出の機運が高まっていったのかはよく知らない。
ただ、本人も自覚しているように「女に嫌われる女」であることは否めないと思う。
頭がいいことは間違いなく、文豪であった谷崎潤一郎からだけでなく様々なことから貪欲に学び、打ち込める仕事を見つけて自立したいという発言からは、強烈な自己主張を感じる。
その反面、かなり"女"である面もあり、谷崎の好意をいいことにおねだり上手にお金をもらったり欲しいものを買ってもらったりしているのは、女性から見たらイラっとするだろうなあと。
これ谷崎の奥さんはどう思ってんだろうなあと見ていたが、谷崎曰く千萬子さんを援助していることは奥さんには内緒だったらしい。
晩年、手紙のやりとりが減ったことについて、千萬子さんは「松子さん(谷崎の奥さん)が彼の生活を管理するようになったから」と言っているが、体調がどうのではなくシンプルな嫉妬だと思う。
特に、昭和38年頃の手紙のやりとりは非常にスキャンダラスで(千萬子さんも「濃密なやりとりだった」と述べている)、お互いに男と女を意識しており、深い関係になっていたのではと勘繰ってしまうほどだ。
「今誰かを本気で好きになったらどうなるかなと思ひます」「伯父様、もっと元気になって下さいな。どこへでも一っしょに行ける位に」などと、完全に恋文の体を成している。
谷崎の奥さんがこれらの手紙を見たのかは定かではないが、彼は晩年これらの手紙を千萬子さんの所へ送り返してきたそうで、自分の死を予感すると同時に千萬子さんとの思い出を死後も残しておきたかったのかもしれない。(奥さんに見つかったら確実に燃やされるし遺恨も残すだろうから)
恋愛と背徳のドキドキが入り混じった、下手なフィクションよりも確実に面白い一冊だった。
これからも谷崎潤一郎作品は読み続けていくが、今のタイミングで読むことができてよかった。
商品リンクはハードカバー版だが、文庫版も出ているのでぜひ。