公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

精神的に不感症な生き方

人生において10年くらいかけて気が付いたことは、他人に期待するのは間違っているということだ。
他人は自分の思い通りに動いてくれないし、自分のために何かをしてくれることはない。
ここで言う「他人」とは見ず知らずの人間のことではなく、自分以外の全ての人間を指す。
親兄弟や夫婦恋人であっても、同僚や友人であっても他人なのだ。
また、初対面の人や新しく飛び込む環境に対して「この人はこういう人だろう」とか「ここはこんな場所だろう」と自分に都合のいいレッテルを貼ってはいけない。
新しい人間関係や物事に対して、ある程度自分の中で予想をしたり覚悟を決めたりしておくのは構わないと思う。
しかし、決めつけの思考はいずれ「この人はこういう人だから自分にこんなことをしてくれるだろう」であるとか「ここはこんな場所だから自分にこんなことをもたらしてくれるだろう」という思考の飛躍に繋がる。
期待と違った人間や環境であったとき、モチベーションの低下だったり方向性の修正だったりを要求されるので、過剰な期待を捨ててフラットな気持ちでいることは大切だ。
思い込みが激しいタイプの人間であれば「裏切られた」という謎の被害妄想にも陥りかねない。


ぼくは人に自分の物を貸さないようにしている。
元々誰かに自分の所有物を勝手に使われたり触られたりするのが嫌なのだが、最近は無許可でなくても物を貸すことすら嫌になっている。
なぜかと言うと、その人が誰かに借りたものをきちんと使ってくれる人であるとは限らないからだ。
問題なく使ってくれるであろうと推測して物を貸したとして、期待に沿った使い方をされなかった場合、その人に対して失望してしまうことになる。
最初から期待せずに貸すのも手だが、雑に扱われて貸したものが破損でもしたら取り返しがつかないので、貸すという行為自体をしないに限るのだ。


先日、仕事で関わりのあるとあるおじいちゃんにシャーペンを貸してほしいと頼まれたので、自分のペンケースに入っているシャーペンを取り出して渡した。
おじいちゃんは紙の書類にチェックを付けたかったらしく、後から消せるシャーペンを所望したのだ。
右手にぼくが貸したシャーペンを持ち、同じく右手で机の上に置いた書類をめくっていくおじいちゃん。
加齢により肌の水分が失われている年寄りの標準動作と化している指先ペロリからの書類めくりなので、舐めた右手の指で書類をめくりつつ、同じ手でぼくのシャーペンを用いてチェックを入れているのだ。
もうその動作がたまらなく汚らしくて、人から借りたシャーペンをよくもまあそんな使い方できるなと本当に呆れていた。
当然ながら、おじいちゃんにぼくのシャーペンをぞんざいに扱おうという意思があったわけではないだろう。
いつもの癖で指先を舐めつつ、その流れでシャーペンを持っていたに過ぎないのだ。
おそらく汚いとすら思っていないだろう。
しかし、どんな事情があったとしてもシャーペンにおじいちゃんの唾液が付着したという事実に変わりはない。
返してもらったあと、職場に置いてある手指用の消毒液をびちゃびちゃになるくらいにシャーペンにかけておいた。


自分の物を雑に扱われた場合、ふたつの失望が発生する。
一つは「こんなことをする人だとは思わなかった」という失望。
もう一つは「自分の貸したものなのに」という失望だ。
前者は今までの流れで理解してもらっているという"期待"をして、長々とした説明は省かせてもらう。
後者は「自分が尊重されていない気持ちになる」というのがポイントだ。
自分が貸したものに対してぞんざいな扱いだったとき、自分がぞんざいに扱われているような気になる。
本人には相手を思いやっていないつもりはないだろうが、自分の大切にしているものを大切にしてくれない人とはあまり仲良くなれた試しがないのでほどほどの付き合いをしたい。
逆に言えば、「自分のことを尊重してくれているだろう」という期待が失望を生むので、やはり期待はしないに越したことはないのだ。


そもそも、他人の貸したものを雑に扱う人は誰に借りたとしてもそんな感じだろう。
特定の誰かだから雑に扱っているのではないので、変な被害妄想を持つべきではないのだ。
相手が職場の上司でも好きなAV女優でもスタイルを崩すことはないだろうし("スタイル"というほど意識してやっていることではないかもしれないが)、好きなAV女優のシャーペンなら本人の見てないところでしゃぶり倒しているだろう。
そのおじいちゃんが書類をめくる際に指先を舐める人だということは把握していたので、自分のではなく事務所に置いてあるシャーペンを貸すという選択肢もあった。
どうもぼくは基本的にいいやつなので、ついつい自分のものを貸してしまう。
親切にした見返りが欲しいわけではなく、丁寧に扱ってもらうことを望んでいるだけなのだが、「丁寧」の基準も人それぞれなのでこんなことになるわけだ。


今回の内容はおちゃらけたように見えたかもしれないが、他人に期待をしないようにしているのは本当だ。
ちなみに脱却しようと思ってずっと捨てきれない勝手な期待はアゴがちょっとだけしゃくれている女性には巨乳が多い」である。

過去の青年と未来のジジイ

年寄りがキレやすくなるのは、脳の機能が衰退して感情を抑制できないからだそうだ。
気に食わないことがあるとすぐカッとなって怒りを爆発させてしまうらしい。
加齢によるものであって仕方のないことかもしれないが見ていて気持ちのいいものではなく、「年寄り笑うな行く道だ」と許容することも難しい。
全ての年寄りがキレやすくなるわけではないので、公共の場で醜態を晒している一部の高齢者に関しては余計に見苦しく感じてしまう。
ところでぼくも最近、感情が制御できなくて困っていることがある。


道を歩いていて、群衆の中に体臭がものすごくキツい人がいる。
シャンプーや香水や洗剤の匂いが混じっていたり、汗臭かったり洋服を洗っていなかったりと理由は様々だが、いい匂いでない人に遭遇することがある。
そんな人とすれ違うとき、瞬間的に鼻に入ってきた匂いに対して反射的に「くさっ」と言ってしまうのだ。
別にその人に向けて言っているわけでも非難しているわけでもなく、感想であって完全に独り言なんだけど、決して好ましい癖ではないと思う。
今はマスクをしているから声がこもって聞こえにくいかもしれないが、マスクをしなくて済むようになったときに相手に声が聞こえてしまう可能性がある。
そうなると余計なトラブルを招くおそれがあるだろう。
相手がぼくのように感情を制御できない人であった場合、キレられる危険性がある。


先日はこんなことがあった。
自転車に乗っているとき、前方を男性が歩いていた。
グレーのコートを着て細身の黒いパンツを履いているシュッとしたお兄ちゃんだったのだが、体型やファッションに対してなんとなく顔が大きかったように思う。
「あの雰囲気の割に顔がデカいなあ」と思っていたのだが、気が付くと括弧内の言葉をそのまま口に出してしまっていたらしい。
自転車だったのでマスクは着用しておらず、呟いたときにはお兄ちゃんと距離が近かったため、どうも聞こえていたらしく振り返って睨まれてしまった。
ちなみに本当に顔はデカかった。


また別の日。
その日も自転車に乗っていると、向こうからインド人の男性が歩いてきた。
距離があったのにも関わらずなぜインド人と断定できたかと言うと、色黒で頭にはターバンらしきものを巻いていたからだ。
まあインド人くらいおるわなと思って気にせず自転車を漕いでいて、彼との距離が近くなって気が付いたのだが実はインド人ではなかったのだ。
白に近い金髪をぴっちり横分けにしており、それがターバンの如く見えてしまったのである。
色黒と相まって、頭に巻いているものがターバンであると脳内で補完されてしまったのだ。
己の脳みそのいい加減さに妙にテンションが上がってしまって「インド人じゃないじゃん」と大きめの声でつぶやいてしまい、インド人の彼が怪訝そうな顔でこちらを見ていたのを覚えている。


巨顔の人もインド人も、自転車に乗っているときに遭遇したのでマスクを着用していなかったため、独り言が思ったより大きなボリュームで伝わったと思われる。
加えてマスクで顔が隠れていないため、表情が伝わりやすい。
自分とすれ違う相手がニヤニヤしていたら決していい気分ではないだろう。


そして先日、またしても自転車に乗っていたときのこと。
大きな交差点を渡る横断歩道を通るため、横断歩道の自転車通行帯の前で信号待ちをしていた。
朝なので人が多く、ぼくの後ろや横には信号待ちをしている何台もの自転車が待機していた。
信号が青に変わり、先陣を切って自転車通行帯を横断していると、前方右側からおじいちゃんが現れた。
おじいちゃんの進行方向的に横断歩道を渡ろうとしていたと思われるが、そのためには自転車通行帯を横切る必要がある。
ぼくは自転車群の先頭だったのだが、ここでブレーキをかけておじいちゃんを通すと後ろにいる他の自転車乗りの動線を妨害して迷惑をかける可能性があったので、そのまま通過することにした。
何より、幾台もの自転車が迫っているこの状況では、さすがに歩行者優先とは言ってもおじいちゃんも止まって自転車が通過するのを待つだろうと思ったのだ。


しかしおじいちゃんはどうも自転車側が止まってくれると思っていたらしく、自転車通行帯の寸前で急停止し、ぼくはおじいちゃんの真横ギリギリを通り抜けることになった。
その際に「危ないだろうが!アホ!!」と言われたのだが、ぼくは自分が悪いとは全く思っていないのでそのままジジイの眼を見つめながら通り過ぎた。
歩道においては確かに歩行者優先かもしれないし、ジジイもそのルールに則って行動していたのだろう。
しかし前述したようにあの状況で停止することは後ろからくる自転車にぶつかられる危険がある。
ルールや決まりは世の中を回すためにあるけれど、杓子定規にならないために思いやりとしてのマナーが存在するのだ。
歩行者だってマナーを守らなくてもいいという道理はない。
あえて言うなら意地を張って直進したぼくにも改善の余地はある。
状況を見ればジジイが一旦停止して自転車を行かせたほうが人の流れは順調ではあるけど、もしジジイにぶつかりでもしていたらややこしいことになっていたに違いない。
空気を読むことをジジイに要求して直進するのではなく、せめてもうちょい大回りをして避けるとかすればよかった。
ちなみに、横断歩道を渡った先は大きめの道路なので車道を自転車で走るのは危険であるから、歩道にも自転車通行帯が設けられているゾーンだ。


とある本で読んだことがあるのだが、【イラっとしたときは自分の中で"減ったもの"を考えてみる】といいのだそうだ。
お金や食料が減れば暮らしが成り立たなくなるし、人間関係が減れば孤独になるし、"減る"ということは生きとし生けるものにとって根源的に恐怖を煽るものらしい。
あのジジイはおそらく、「自分が横断歩道を渡ろうとしているのにけしからん」という心理から「自尊心」が減ってカッとなったのだろう。
店員さんや駅員さんにキレ散らかしている年寄りも、自分の思い通りにいかないから憤慨しているというのもあるだろう。
しかしその深層心理では、「自分がないがしろにされている」という勝手な思い込みから自尊心や誇りが減ったと勘違いしていると思う。
高齢者は認知機能が低下して自分の思い通り身体を動かせないわけだから、現役の頃と同じように振舞わずに一歩引いて行動してほしい。
現実はプライドばかりが肥大化して、譲ってもらうことが当然みたいに考えているやつもいるだろうけど。


ジジイとの遭遇後そんなことを考えながら自転車を走らせていたら、思考をそのまま口に出すことの危険性と子供っぽさを改めて実感した。
思ったことを素直に口に出してしまう悪癖を友人たちに話したところ、面白がりながらも一様に「やめたほうがいい」と止めてくれた。
こうやって諫めてくれる存在がいるうちがまだ華で、忠告を無視して我が道を進み続けていればいずれ親切な周囲は離れて行ってしまうだろう。
ぼくが自転車の運転マナーを悪いと思っていないように、あのジジイも自分が道を譲るべきだったとは思っていないのだから。
迷惑高齢者予備軍となる可能性のある自分を思いとどまらせたのは、人の振り見て我が振り直せの精神だった。


おそらくあのジジイは未来のぼくなのだ。
周囲のアドバイスに耳を貸さず、個性と迷惑をはき違えて自分のやりたいことだけをやり、孤独をこじらせてわざと人に迷惑をかけることで己の存在意義を見出す哀しきモンスターなのだ。
行いの愚かさを懇々と説いたところで、素直に言うことを聞く人間でないことは未来の自分ならよく知っていることだろう。
だからあえて落ちぶれて頭がおかしくなった自分の姿を見せることで、ショック療法的に目覚めてもらおうと思ったに違いない。
ぼくが今日から悪癖を改めることで、あのジジイつまり未来のぼくは消滅するはずだ。

親切が氾濫する

人間は本音と建前や社交辞令を使い分けるので、言動をそのまま受け取っていては円滑に人間関係が築けないことがある。
発言の真の意味を読み取り、先回りして相手の欲求を叶えたりおだてたりすることもときには必要になる。めんどくさいけど。
例えば、知り合いがSNSに自宅やカフェなどでの仕事風景をアップしたとする。
この場合、アピールしたいのは仕事をしている事実ではなくてさりげなく映り込んだmacbookスターバックスカップなので、コメントをする際にはそこに触れてあげる必要があるのだ。
また、別の知人が手料理の写真をアップしたとする。
この場合は気合いの入った手料理を褒めるのではなく、画面の端にチラッと見切れているもうひとつの食器にフォーカスして一緒に食事をしている誰かの存在に気付いてほしいのだ。


先日、お客さんのところに資料を届けに伺った。
事務所兼自宅のインターホンを鳴らしても不在だったため、いつもしているように玄関横のポストに資料をねじ込んでいるときに後ろから声をかけられた。
振り向くと70代くらいの小柄なおばあちゃんが立っていて、「このあたりに郵便局はありませんか?」とのこと。
ぼくはこのへんの地理には明るくないため、その旨を伝えておばあちゃんにお詫びすると、おばあちゃんは丁寧にお礼を述べて去って行った。
お客さん宅のポストにねじ込んでいる途中だった資料をきっちり投入し終え、おばあちゃんの歩いて行った方向を見ると、北方向に歩みを進めている。
なんとなくスマホを取り出して調べてみるとおばあちゃんの進む方向とは逆方向に郵便局があるのが確認できた。
追いついて呼び止め、スマホの画面を示しながら道案内をしていたのだが、生来の心配性気質が発揮されていまいち伝わっているかどうか不安だった。


おばあちゃんは嫌な年寄り特有の傲慢な態度があるわけでもなく、初対面から全力でため口を使ってくるタイプでもなかった。
最初に郵便局の場所を尋ねられたときから穏やかで丁寧な人であるという第一印象があったため、ぼくも追いかけて道案内をしたのである。
無礼な年寄りならそのまま放置しているところだ。
言葉のイントネーションからしても、道を尋ねてくるところからしても、おそらくこのあたりの人ではないだろうと判断できる。
何よりぼくはおばあちゃんっ子であるため、このまま捨て置くのもなんとなく後味が悪かった。


というわけでおばあちゃんに郵便局までの案内を提案し、途中まで同行することにした。
道すがらおばあちゃんと会話をしながら歩いていたのだが、ぼくはおばあちゃんが郵便局を探していた理由を知ることになる。


なんでもおばあちゃんは、郵便局のスタンプを集めているのだそうだ。
郵便局の窓口で一定以上の金額を入金すると預金通帳にその郵便局名が入った押印をしてくれるそうで、全国の郵便局を行脚してスタンプを押してもらっているらしい。
知らなかったので後で調べてみたが、「旅行貯金」なんて言い方をするようだ。

dailyportalz.jp

おばあちゃんも、将来孫にあげるためにお金を貯めていると言っていた。
歩くので健康にもいいし、お土産みたいにかさばらないし、スタンプを見れば郵便局名から思い出を連想することもできるらしい。
北海道から沖縄まで全国津々浦々を巡っており、空港内の郵便局でも旅行貯金をしているそうなので楽しみは尽きないとのこと。
郵便局の預金窓口は平日の9時から16時くらいまでしか開いていないところがほとんどなので、仕事をしている人よりは時間に余裕のある人のほうが巡りやすいのかもしれない。


そんな話をしていたら目的の郵便局に到着した。
おばあちゃんはぼくに丁寧にお礼を述べ、元気よく郵便局にインしていった。
腰も曲がっていなかったしハキハキと話すし、まだまだ元気そうなおばあちゃんである。
あの郵便局のスタンプを見るたびに、案内したぼくのことを思い出すのだろうか。


もう分かっていると思うが、今回のブログで言いたいのはアクティブなおばあちゃんに出会ったことでも、旅行貯金と呼ばれる趣味の存在を知ったことでもない。
「おばあちゃんに道案内をするに飽き足らず、目的地まで同行する」というぼくの親切心である。
もちろん見返りを求めてやったことではないし、おばあちゃんから何か金品をもらったわけでもない。
だけれども誰かに言いたいことってあるし、評価してもらいたいこともある。
おばあちゃんはスマホを持っていないらしいので、仮に誰かにぼくのことを話すとしても会話での拡散力は知れているだろう。
なのでこうして宣伝させてもらった。
今回、ぼくにとってのおばあちゃんはmacbookでありスタバのロゴであったのである。
アピールするのがかっこ悪いとか知らん。ぼくは褒められて伸びるタイプなのだ。

家族でも親友でもやれんことはないけど

恋愛市場において、女性は圧倒的強者だと思う。
それは、男性が女性とセックスしたくてしょうがない生き物で、女性はそのセックス欲に対する可否を出せるからだ。
セックスすることに関するリスクは、男性側が女性側と比べて圧倒的に少ないと言わざるを得ない。
そして、できれば自分の好みのタイプや性的衝動を喚起する女性と後腐れなく一晩を共にしたいと思っている。
しかしながらセックスに対するリスクが少ないが故に、最悪"後腐れなく"という部分のみをクローズアップした性欲を解消するためだけのセックスがしたいと思っている男性も多い。
そのため、そんなに好みのタイプでなくてもとりあえず手当たり次第にアプローチをする。
そうした活動の副産物としてランクが明らかに上の男性からアプローチされる女性も生まれるのだが、男性がどうして自分に声を掛けたかを正確に理解していないため、「自分に魅力があるのだ」と悲しいかな勘違いをしてしまう。
上記の流れが勘違い女を生み出す原因に一役買っているのだが、今日の本題とは違うので置いておく。


www.nikkansports.com

ちょっと古い話題になるが、リアリティーショーの名を冠したやらせ恋愛番組のカップルが破局したというニュースを発見した。
別に彼らの人生がどうなろうと関係ないのでこんな小物にリソースを割いている暇はないのだが、ぼくの心の琴線に触れたのは破局に際してのカップルのコメントだ。

お互いの応援や成長を喜び合えるようになっていくうちに、恋人の関係よりも家族に近い関係になっていきました。翔鈴と2人でちゃんと向き合ってたくさん悩んで何度も何度も話し合いを重ねた結果、僕たちは恋人の関係から親友になる事に決めました!

記事によると上記は彼女が寄せたコメントとのことだが、一人称がなんで「僕」なのかとかその固有名詞は何て読むのとかそのへんは無視するとして。
この文言を女性が書いているというのが男女の性差を表していてとても興味深い。


「男女の友情は成立するか」というのはよく議論が交わされるテーマだ。
ぼくは男女間でも友情は成立すると思っているし、昔から仲良くしている女友達もいるが、あくまで条件付きで成立する関係だと思っている。
その条件とは"過去に付き合っていたか否か"である。
冒頭でも言ったように、ちんこ優先で生きている男性は多く、セックスに対してのリスクも低いので気持ちが入っていないセックスをすることが容易だ。
そのため、例え別れた元カノであっても、というか元カノだからこそあわよくばくらいは考えている。
何より、元カノであれば好意の出涸らしくらいは残っているだろうと推測しており、そのへんの女性に声をかけるより打率はいいだろうと踏んでいる。
元カノにも全く情が残っていないわけではないだろうと思っているのだが、女性は切り替えが早く、(男性にとって限りなく都合のいい言い方をさせてもらうと)薄情なのだ。
昨日まで愛していた彼氏のケツ毛も、破局後は嫌悪感の塊にしか感じなくなる。
男性が愛のないセックスに対してハードルが低いことに性別特有の性質があるように、気持ちの切り替えが早い女性が多いのもまた性差なのだ。


付き合った男女が友達に戻るとか言うのは恋愛リアリティーショーと同様にまったくの茶番であって、どちらかが(主に男が)気を遣ったり性欲を抑えたりして付き合っている。
その一方でどちらかは(主に女が)、「一回付き合ってたからお互いのこと分かってるしマジで気が楽」とか的外れなことを言うのだ。
上記したカップルも破局時のコメントで「家族みたいな関係」だの「親友に戻る」だの述べているが、そもそも家族と親友で矛盾している。
おそらく女性のほうが男性の舐め回すような視線にも、ヤリたいがための気遣いにも気付いていないか、気が付きながら見て見ぬふりをしているかどちらかだろう。
元カレに先っちょでも入れられてみれば、過去に付き合っていた男女に友情が成立しないことは分かると思う。
まあ、セックスをしつつ友情をキープできる関係もあるのかもしれないが、セックスの介在しない友情と違って寿命は短いだろう。
「元カレとでも友情を育めるイイ女」の演出にも使われる場合があるので、元カノ元カレとは縁を切るに限る。


まあ、破局コメントでお互いのセックスの腕前や乳首の長さなどの罵倒合戦になっても彼らのイメージが低下してしまうだろうから、そこはリアリティーを出さずに前向きなことを言っとくに越したことはないだろうが。
恋愛リアリティーショーと言えば、出演者に不幸な出来事があったテラスハウスなんかもある。
テラスハウスよりも年齢とIQが低い人向けだろうから、これくらいのコメントで十分と踏んだのかもしれない。
最近は仕事が忙しいのでこのように女体のことばかり考えている。

不貞の呼吸 拾ノ型 托卵

とにかく日本人はギャップに弱いと言われる。
破天荒な生き方をしつつも後世に名を残した武将の武勇伝やヤンキーの更生物語とか、成し遂げたことと普段の生活の落差が大きければ大きいほど人々は絶頂して崇める。
アホだなあと思っているのだが、「図書館で司書をやっている巨乳」とか「地方の市役所で真面目に働いている巨乳」などには巨乳でありながら地味な暮らしをしているというギャップに興奮するので、ポイントはそれぞれ違えども誰しもギャップに惹かれてしまうのだろう。
というか海外ではギャップに魅力を感じる風潮はないのだろうか。
真面目に働いている巨乳に何とも思わないのだろうか。


前回と導入が被ってしまうけど、鬼滅の刃が流行ったとき、有象無象の週刊誌やwebメディアがどうして鬼滅が人々に支持されるのかを分析していた。
最近はシン・エヴァの公開に伴ってアクセス数稼ぎの考察記事が多くてうんざりしている。
鬼滅に関しては「主人公が優しい」「敵である鬼にも悲しい過去がある」みたいなことが判を押したようにどこでも言われていた。
中には「ジャンプ史上最も!」みたいな枕詞も付いていて、そういう誇大表現はぼくみたいに厄介な物申し人間を召喚してしまうからやめたほうがいいのにと思っている。
「ジャンプ読んでないのがバレバレ」「普段アニメを見ない一般人はこういう作品があるのを知らないんだろうなあ」みたいな無意味なマウントが入るので、あまり強い言葉は使わないほうがいい。
優しい主人公で敵にも悲しい過去があるんなら、同じジャンプ作品でも例えばダイの大冒険なんかが該当する。


鬼滅の刃に登場する鬼は人間を喰らう悪逆非道な存在でありながら、彼らにも人間だった過去がある。
弱い立場の人間だったり周りから虐げられたり強いコンプレックスを持ったりしていて基本的には不遇な人生を送っており、その弱みや心の隙に付け込まれて鬼となってしまうのだ。
問答無用で敵対する存在ではなくて悪に手を染めざるを得なかった理由と、その罪が優しい主人公によって救済される(そうでない鬼もいるが)という点に鬼滅がウケた背景があるらしい。
悪いヤツだけど悲しい過去があるというギャップに、自分の弱さや甘さと重ね合わせて共感する人もいるだろうし。
もっと言えば少年漫画を子供の読むものと決めつけていた層が、意外と大人も読むに堪えることを知ったギャップでハマっているのもあるだろう。


ure.pia.co.jp

だからこういうのを見ていると、失礼かもしれないが鬼滅を連想する。
「不倫をする女性にも悲しい過去が…」みたいな。
不倫をしている女性から寄せられた体験談は昔から数あれど、今は猫も杓子も「悲しい過去」だからブームに則って悲しい過去ありきの不倫をしているのかなと思ってしまう。
基本的にこういうのって、不倫は悪いことだと分かってはいるけどって前置きが入るものの、言い訳をして悲しい過去を披露して何だかんだで別れていない。
この記事の女性も本気で関係を終わらせたいと考えているんなら、ジムを退会するとか趣味の集まりにでも参加して気の合う相手を見つければいいのにそれをしていないということは、本心では罪悪感など覚えていないのだ。
仮に罪悪感があったとしても、罪の意識も快楽のスパイスなんだゾ☆くらいに思ってそうだ。


よく、「男性の不倫は性欲のみだが、女性の不倫は性欲だけでは測れない」みたいな言論で女性の不貞行為を正当化もしくは男性の不倫よりマシとしようとする論調がある。
某ドラマの影響からか「不倫妻」ではなく「昼顔妻」なんて言い方もするらしい。頭いかれてますわ。

www.oricon.co.jp

性欲だけではないということは見方を変えれば気持ちも入った上での心(と下半身)が繋がった不貞行為なので、より本気度が高く悪質だと思うんだけど自分で首を絞めていることに気が付かないんだろうか。
ギャップという点から言っても、貞淑そうな人妻がドスケベ不倫をしているという事実は一見興奮するかもしれないが、それはAVの世界だけで十分だ。
実際は貞淑に見えて家族のことを平気で裏切る人間だとか、後先を考えられないアホだとか、お股がゆるゆるのゆるふわ系人妻だとか、良いギャップを悪いギャップが上回ってしまう。


鬼滅の刃での鬼はどれだけ強くてどれだけ悲しい過去があっても、最終的に首を切られて倒されてしまう。
優しい主人公にすら絶対に許さないと激怒され、死ぬ間際まで自分は悪くないと思っている鬼もいた。
悲しい過去があったところで鬼のように誰かに危害を加えていい理由も、ドスケベ人妻のように不貞行為をしていい理由にもならない。
何より、鬼と不倫に共通するのは「日の下に出ることができない」という点だ。
鬼はどんなに強大な力を持っていても日光を浴びると身体が崩れて死んでしまうのだ。
同じように、不倫カップルは関係を堂々と白日の下に披露することができない。
両親や家族に顔向けできないことをしていると気が付いて止めるか、儚い関係だと悦に浸ってさらに加速していくかはそれぞれだ。
まあ別にこちらは他人の不倫を許すとか許さないとかの立場にないわけだ。
自分がやりたくないだけだし、パートナーにもしてほしくないし、何より不倫を正当化する馬鹿が嫌いなだけである。


正直ぼくは漫画の敵キャラに悲しい過去があるかどうかは作品を評価する決め手にならない。
人物にバックボーンがあったほうが展開に没入できたりキャラクターに共感できたりしていいのだが、あんまり感動を推されると見る気がなくなる。
ひと昔前に乱発された「彼氏もしくは彼女がなんやかんやあって死ぬ」みたいな恋愛映画を見ているみたいで冷める。
ドラゴンボールフリーザなんかは悲しい過去も何にもなくどこまで行ってもああいう人なんだけど、魅力のあるキャラクターだし。
だから不倫をする側もごちゃごちゃ理屈をこねてないで、「おっぱいと尻がデカかったから」「ちんこがいいポイントに当たるから」くらい性欲をぶちまければいいのだ。
どうせ怒られるんだから。