公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

2023年10月に読んだ本

突然だがヤフコメの人らが嫌いなものをまとめてみた。

若者、老人、都会、田舎、流行りのもの全般、SNS、Youtuber、VTuber、インスタグラマー、TikToker、インフルエンサーコスプレイヤー、女子アナ、eスポーツ、ファッション、マッチングアプリ、キラキラネーム、スタバ、ハロウィン、倍速視聴、中国、韓国、思想が左寄りのもの、最近の紅白歌合戦、(車の運転手から見た)自転車・歩行者・バイク、生活保護、公務員、政治家、医者、昔のアニメがリメイクされた際に声優が変わること、女性芸人がSNSに可愛い自撮り写真を載せること

では10月に読んだ本の紹介をしていく。
念のためネタバレ注意で。


↓先月分↓
mezashiquick.hatenablog.jp


↓今回読んだもの↓※赤字の漫画は完結済み

スノウボールアース (6)

  • 主役機に主人公以外が搭乗する
  • 主役機のパワーアップイベント(リスクあり)
  • 主役機に隠されたブラックボックス
  • 見た目が主役機そっくりな謎のブラック主役機

というロボットものの王道を一気に詰め込んできた今巻。
本作は主人公とロボットが共に人格的に成長していくので、人の中で学んでいく"学習"というAI的な無機質な感じではなくて"成長"を感じられてよい。
どうにも主人公側の戦力が心許ないのだが、安心して読めるのは登場人物が元気で前向きなことだ。
まあそんな彼らですら絶望するような展開があるのかもしれないが、どんな見せ方をしてくれるのか期待している。
また、もうひとつ本作の特徴として「嫌なやつがいない」ことが挙げられる。
主人公側から見たときに"悪いやつ"はいるが"嫌なやつ"はいないので、読者は必要のないストレスを感じたりせず、作者は余計なヘイトコントロールをしなくてすむ。
別に必要があれば"嫌なやつ"が登場しても問題はないのだが、最近のスカッと系コンテンツは嫌なやつの描写が平面的すぎて規定通りの動きしかしない舞台装置みたいなのだ。
スカッとジャパン的な展開や追放系のなろうのように、一度ストレスを与えてからスッキリさせることで快感を得るような不毛な娯楽になっていないのは助かる。
ああいう安易な"復讐"だの"スカッと"が主題になると復讐するに足る悪いやつを登場させたり胸糞悪い展開にする必要があるので、「相手を殴るために殴られる」のループになってきりがない。

童夢

巨大な団地で連続して起こる不審死の真相を巡る作品。
この後紹介する『AKIRA』は読んだことがあったものの、童夢は初見である。
ぼくは漫画史には詳しくないのだが、童夢と『寄生獣』に関しては後の漫画表現に与えた影響は計り知れないと思う。
寄生獣は斬撃の鋭さを最小限の線で表しており、読者が見たことも触ったこともない寄生生物の硬質化された肌の硬さや鋭利さを想像するのに一役買っている。
そして、童夢に関しては「超能力を可視化したこと」が大きいと思う。
超能力で物を動かしたり瞬間移動したりといった描写は今までもあっただろうが、超能力そのもので衝撃波を起こしたり人を押しつぶしたりといった表現を見えるようにしたのは本作が初なのではないだろうか。
例えば、本作では超能力で人を壁に押し付けるシーンがあるのだが、人の周辺の壁が半球形にめり込むことで「この超能力は円形をしている」とイメージできる。
勝手に想像させてもらうと『ARMS』の超能力描写なんかは童夢AKIRAの影響を受けているところが少なくないだろう。
もうちょい能力バトル盛り盛りの作品化と思っていたが前半はミステリーとホラー展開が多めで、一冊でこんだけ詰め込んで成立しているし書き込みも半端ない。
後のAKIRAに通じる設定もたくさんあるので、未読の人は読んでおいたほうがいい。

AKIRA (1-6)

うっすらとしか知らない人にとっては、アキラが誰なのか勘違いしていたことでお馴染みの作品。
本棚に収まっていたことはあるのだが引っ越しを繰り返すうちにいつの間にか手放してしまっていたので再度購入した。
一巻を読み終わった後に改めてすごい作品だなあと思ったし、一巻でちょっとお腹一杯になってしまう。(いい意味で)
逆にアニメ版は一度見たことがあるかどうか程度だったのだが、漫画ではあんなにカッコよかったミヤコ様がいんちき占い師みたいになっていたのはショックだった。
ARMS・幽遊白書ハガレン・ダンダダンなどなど、年齢を重ねた女性が強い漫画は面白いのかもしれない。

姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集

谷崎潤一郎三島由紀夫が好きならお勧めとどこかで聞いて読んでみた。
人肉食や下着フェチや近親相姦など背徳的なエロがふんだんに盛り込まれた作品で、妖しい世界観に引き込まれて読み切ってしまった。
確かに上記の作家が好きなら読んでみてほしいし、あとは単純に作者が谷崎潤一郎三島由紀夫が好きらしい。
表題作でもある『姫君を喰う話』はホルモン屋で語り手の男性が食事をしているところから始まる。
ホルモンを食べるときの表現が妙にエロティックで、特に性器周りや舌を食べる描写は完全に官能小説だった。
作者について調べてみると現在は官能小説の作家になっているようで、表現力にも納得である。
よしもとばななの『キッチン』でも書かれていたように、食事は性欲の代替であるという具合に性と食がふんだんに描かれている。
官能的な表現や倒錯した性癖と死が登場する作品だけど、ぼくが個人的に心に残ったのは『鯨神』という作品だ。
これを読んで、「生き方を選べる幸福」「自分の不幸は自分だけのもの」をつくづく実感した。
主人公の暮らす村は捕鯨で生計を立てている人がほとんどのため、漁に出て死亡してしまう人も後を絶たない。
漁師が死亡すると、子供は鯨を仕留めてその仇を討たなければならないとされており、生まれた時から自分の未来を決められている。(父親と長男が死ぬなどして男性が全滅した場合、孫が仇討ちの役目を担う)
登場人物の中にその風潮に疑問を持つ人は誰もおらず、老若男女問わず村が一丸となって鯨への復讐に固執する様は狂気だった。
また、村には唯一の士族身分の家があり、そこの娘は鯨神を仕留めた男の嫁に行くことを決められている。("鯨神"とは、主人公の祖父や父親が死ぬ原因になった巨大な鯨)
士分の家に生まれたものとして当たり前。しあわせなど欲しくない。」「自分も鯨神を殺すために役に立ったと実感したい。」と娘が主人公に告げる場面があり、主人公はそれに理解できない様子であった。
だが最終的には「(自分も含めて)人は進んで不幸になりたがる」「自分の不幸は理解も肩代わりもされない」と主人公は結論付ける。
物語の舞台は明治初期あたりなので、生き方を選ぶことができなかった人が多かっただろう。
現代においても、住んでいる場所や家族、宗教などによって望まぬ形で生き方が制限されてしまっている人がいる。
今はネットもあるし世界も開けているので他人と自分を比較して、自分が属している環境の特異性に気が付くことができるかもしれないが、明治そこらの時代では暮らしている地域がそのまま世界となるだろうからなかなか他人と生き方を比べることができない。
とんでもない環境であっても「そういうもの」と受け入れて生きていくしかなかったことだろう。
不幸せな人に対して「他にもツラい思いをしている人がいるのだから」と諭すやつがいるが、他人がどうであれ自分が不幸であることに変わりはないし、自分のしんどさが解決されるわけではないのだ。
ところで、大正から昭和初期あたりの作品を読んでいると、足フェチの人を見る機会が多い。
本作でも登場しており常々疑問だったのだが、何となく分析してみるに普段着が着物だったことが大きいのではないだろうか。
着物ではいいとこ見えてふくらはぎ程度だろうし、裾から覗くふくらはぎに色っぽさを感じるという描写も見たことがある。
太ももなんてまず見えることがないからほとんど性器みたいなものだったかもしれない。

そして誰もいなくなった

孤島に集められた10人の男女の内から次々に犠牲者が出ていくという、いわゆる「クローズド・サークル」ものの作品。
これくらい有名な作品になると、展開をオマージュした作品や作品そのものの評価にどことなく触れているので、先に結末を知っていることがある。
本作についても何となく結末は知っていたのだが、さすがに犯人までは知らなかったので最後まで緊張感を持って読むことができた。
手がかりがほとんどないように見えたので初見で犯人を当てられた人はいるのだろうか。
巻末の解説曰く、「手がかりを明示する気がなかったのでは」とのことらしい。
面白かったのは間違いないので、今度は同作者の作品でも自分の中で色のついていない、全く内容の知らない作品を読むことにする。
ミステリー小説や探偵小説の古典と言われるものには今まで触れてこなかったので、この機会にいろいろ探検してみるつもりだ。
リンクを貼った商品は旧版で、今は新版が出ているのだが表紙のデザインが好みだったので旧版を購入した。
古い翻訳のためか、「~した。」とか「~だ。」とか、"た"で終わる文章が続いていたこともあって、どことなく淡々とした印象を受けた。
でも逆にこの淡々とした感じが無機質で不気味さを喚起させて、何の感情もなしに人が死んでいくのを見せつけられているようでよかった気がしないでもなくもない。
機会があれば新版などと読み比べてみようと思う。

恋文・私の叔父さん

こちらの作者さんの『戻り川心中』が非常に面白かったので、他の作品も読んでみようと思って見つけた。
ミステリーが多い作家だが、本作はミステリーではなく恋愛もの五篇が収録されている。
恋愛小説は読まないがこの作者さんの他の世界も知りたいと思い読んでみることにした。
ひとつめの『恋文』は、姉さん女房の主人公の夫がある日突然に失踪してしまうところから始まる。
夫は余命半年で天涯孤独の元カノの最期を看取るために家出したことが明らかになり、物語の中で主人公は初めて夫に"男"としての魅力を感じたことを自覚する。
この話を読んでいて、リリー・フランキーさんが著書『リリー・フランキーの人生相談』にて言っていたことを思い出した。
とある回で、子供が生まれてから妻に魅力を感じなくなって何年もセックスレス状態の夫が登場する。
相談者である夫に対してリリーさんはアイドルから聞いた話を元にして回答していく。
リリーさん調べによるとアイドルに男兄弟がいる場合、彼らはアイドルになった瞬間から急に妹(姉)をちやほやしだすのだそうだ。
リリーさんはこれを「家族の外部的な価値を知ったから」と分析する。
家族として当たり前のように同居していた人間がアイドルになったことで「妹(または姉)の外部的な価値を知り、女として輝いた」ということらしい。
そして相談者である夫に対しては「次に奥さんとセックスしたくなるのは奥さんの浮気が発覚したとき」と締めくくるのだ。
惚れて結婚した相手でも存在が当たり前になると魅力を感じることが少なくなってしまう。
奥さんが他人に求められるほど魅力的であると知ることで、改めて良さに気付けるということだ。
『恋文』の主人公にも同じような心境の変化があったと言えるので、そこらへんは読んで確かめてみてもらいたい。
恋愛が描かれていると言っても少女漫画のように、優しい幼馴染の男子とクールでそっけないけど自分だけに弱いところを見せてくれる系男子との間で揺れ動く女子の話を書いたものではない。
夫婦愛や家族愛、もちろん恋愛もあるが、じんわり心に沁みてくる感じの一冊となっている。
『戻り川心中』でもそうだったが人間の心理描写が本当に巧みで、何を見て育てば細かいところまでこそぎ落とすような繊細な感情を表現できるんだろうと読みながら何度も感じていた。
ミステリー作家らしく捻りの効いた展開もあり、飽きることなく最後まで楽しめる作品だった。

儚い羊たちの祝宴

米澤さんの作品は古典部シリーズをアニメ化した『氷菓』しか知らず、しかもアニメでしか見たことがないので小説は未読だった。
ミステリー5篇からなる一冊で短編集かと思いきや、2篇目を読むとどうも話がほんのり繋がっているらしいことに気が付く。
謎やトリックそのものよりも、そこに込められた人間の欲望や悪意を楽しむ作品だなという印象を受け、また毒気が満載のホラーテイストが随所に感じられた。
後から読み返すと気付きのある箇所もあり「うわー」となる一方で、ちょっと自分の読解力のなさに落ち込んでしまった。
解説にもあったが、「読者に一定の読書教養を求める」というのはその通りだと思う。
思い込みで読み進めてしまったところは確実にあったので、固定観念を捨てて作品に向き合わなければならないなと反省したし、それに気づかせてくれた点においては記憶に残る作品になるだろう。
本を読んだ数を積み上げることが目的ではなく、本を読んで自分が何を感じたのかを大切にするべきなのは肝に銘じておかなければならない。
スッキリ読み終わったなあというよりは、読後に真相がぼんやり浮かんできて何度も読み返してなるほどここはこうだったのかと再発見したくなる。
物語のタイトルや作中で登場する固有名詞にミステリー関連の小ネタが散りばめられているので、詳しい人であれば心をくすぐられると思う。
もちろんミステリーに明るくなくても楽しめるので、知見があれば展開を予想してニヤニヤするもよし、真っ白な状態で読んで物語に翻弄されるもよしな一冊である。
とりあえず、海野十三の作品とG・K・チェスタトンの『ブラウン神父シリーズ』は読んでみようと思った。

漱石書簡集

森見登美彦さんが『恋文の技術』の作者あとがきで、「夏目漱石の書簡集がおもしろかったので真似してみようと思った」と言っていたので読んでみることにした一冊。
彼の作品は『吾輩は猫である』『坊ちゃん』くらいしか読んだことがなく、どちらかと言えばユーモア多めの作品に接してきた。
夏目漱石は非常に偏屈なイメージがあったが、仲良しの正岡子規との手紙では自虐や皮肉を交えて気安く会話していたのは意外だった。
正岡子規とはかなり親交が深かったようで、文学観や人生観について激論を交わしつつも「意見が異なっても君の考えは尊重する」という姿勢が見えて、本当に好きだし尊敬していることが伝わってくる。
漱石の英国留学中に子規の病状が悪化し、そのことについて送られてきた本人からの手紙に対して漱石は留学の様子や街の風景なんかを語るに留めて子規の病状についてはあまり触れていない。
友人の死期を受け入れられずに逃避している様子が伝わってくるし、単なる"偉人"としてしか認識していなかった人物の人格に触れることができる。(正岡子規夏目漱石の留学中に死去する)
他にも、留学中に離れて暮らす家族の心配をしたり、同時代に活躍していた泉鏡花芥川龍之介のことを褒めていたりと、偏屈一辺倒ではない漱石の一面を知ることができた。
印象に残ったのは夏目漱石の死生観についてだ。
彼は「死によって心の平安を得たいが自殺したいわけではない」と手紙で綴っている。
生きてると煩悩に振り回されるわ人から嫌なことを言われるわロクなことがないと愚痴っており、神経衰弱に陥った門下生に対しては「今の世間で神経衰弱になるやつのほうがむしろまとも」とまで言っている。
これを言っていた漱石はまだ20代か30代そこらだったが、後年の『吾輩は猫である』でも猫が同じようなことを言ってたため死生観は一貫していたのだろう。
草枕』や『夢十夜』などの執筆した作品について触れている書簡もあるので、ファンであれば今で言うところの副音声解説みたいなノリで楽しめそうだ。
ファンレターに対する返事も収められており、「『こころ』は子供が読むもんじゃない」と返答していた漱石に『こころ』が学校の教科書に使用されていることを伝えたら何と言うだろうか。
また、明治時代の人であるため文章が古めかしく馴染みのない言葉が頻出するのは否めず、辞書を引きつつ読んでいたのでなかなか時間とエネルギーのかかる作品だった。
仲のいい人に対しては砕けた文体を使っていることもあり「"○○候"って書くのは面倒だから気取って会話文にする」と言っているくらいなので、当時の手紙のマナーだったのかもしれない。
こういう書簡集みたいなのもっと読みたいなあと思った。
作品から人物像を推察するには限界があるし、ネットでその人の遍歴を拾うのは味気ないから、本人が生きていたときの言葉でその人を知りたい。
もうちょっと若い頃に読んでたら影響されていたかもしれない一冊だった。

キャラ立ち民俗学

仏像、土偶、天狗、海女、飛び出し坊や、裸像、鍾乳洞、角兵衛獅子、菊人形、フィギュ和、ゴムヘビ、地獄…。
みうらさんの今までのマイブームを綴った一冊。
「"民俗学"と銘打ったことを柳田邦夫先生に謝りたい」と綴っているくらいなので厳密に言えば民俗学ではないかもしれないが、サブカル民俗学のどっかには位置していると思う。
本作にまとめられているブームについては以前に訪れたことのあるみうらさんの『マイ遺品展』にも展示されており、あの展示を見た後では熱意にも納得である。
あまちゃん』より先に海女さんについて注目していたのはさすがだ。
「欲しいのは知識ではなくなぜそんなにキャラ立ちしているのかに興味がある」というみうらさんの言葉は、勘違いしているオタクに聞かせてやりたいくらいだ。
多くを知っているから偉いのではなく好きという気持ちだけで十分であってそこに優劣はないのだが、どうにも他者と比べたがる人は昔からいる。
誰だって最初は初心者なのだからやたらとにハードルを上げて新規参入を阻み、コンテンツを衰退させることはない。
まあもっとも、今は知識量ではなく消費した金額の多寡で"推し"とやらへの熱意が決まるらしいが。