ファッション系インフルエンサーの動画がYoutubeのおすすめに流れてきたので見てみた。
何度か見たことのある声の高い男性が、太いパンツがトレンドなので冬はそれを履けと述べつつ、自分のブランドの宣伝をしていた。
それはそれとしてコメント欄の内容に驚いたので記しておこうと思う。
有名なインフルエンサーなのでコメント欄もファンと思われる人の肯定的なものしかなかったのだが、トップコメントに「こんだけSNSでは太パンツがトレンドなのに電車とか乗ると意外と細いチノパンみたいなの履いてる人のが多いのなんでだろ」(原文ママ)とあった。
そしてそれに対する返信が何件かあり、「服に気をつかってない人の方が圧倒的に多い」「オシャレに無頓着な人が多い」「大半がダサいやつで占めてるってこと」とあって恐ろしくなった。
そのコメントに対する返信は6件で、うち1件はチャンネル主本人のものであり、他4件は全て上記したような意見、そして1件だけ「細身のパンツを履いている人は明らかにオシャレと分かる」というようなことを言っていたのは少し安心である。
コメント主は単純に疑問を呈しただけかもしれないが、それに対して返信している4人は完全に思考停止に陥っている。
彼らにとって「流行に乗らない=ダサい」ことであり、オシャレになれるための情報がこんなに溢れているのにそれに乗らないやつは情報弱者であるわけだ。
こういうやつがヘインズのタグで年代がどうのシングルステッチだからどうのという情報を鵜吞みにして偽物のヴィンテージTシャツを買うのだろう。
これからファッションをがんばりたいと思っている人や、ファッションに興味はないけど周囲から浮かない程度に無難な格好をしたいという人にとっては、とりあえず流行っているものを真似してみるのはいいことだ。
だけどもファッションというのはいかに差別化するかなので、流行りを追うだけでは埋没してしまう。
流行りに付いていくのが正義というならそれはそれで構わないけど、自信がないのか何なのかは知らないが太いパンツを履いていないというだけでダサい扱いするのはやめよう。
数年後にファッションの揺り戻しが来たとき、彼らは当時の自分の考えなどなかったかのように細いパンツを身に纏うのだろうか。
というわけで11月に読んだ本の感想を書く。
念のためネタバレ注意で。
↓先月分↓
mezashiquick.hatenablog.jp
↓今回読んだもの↓※赤字の漫画は完結済み
ONE PIECE (110)
本巻に収録の1121話のタイトル「時代のうねり」でついに、ゴールド・ロジャーが言っていた止めることのできないもの、「受け継がれる意志」「人の夢」「時代のうねり」の全てがタイトルで登場した。
アラバスタ編でも「うねり」というタイトルはあったが、「時代のうねり」ではなかったのでこちらが正式に回収された分になるだろう。
読み込んでみるとこれらの話に共通点があったりするのだろうか。
ジョイボーイがこの海で初めて"海賊"と呼ばれた男であるということだったけど、「海賊」とは世界政府に敵対するものをそう呼ぶのか、それとも当初は他に定義があって時代を経るにつれて今のONE PIECE世界で一般的に用いられている意味になったのか、そのへんが気になるところ。
何となく、単純な意味での「海賊」でないように思うし、ルフィが以前に言っていた「この海で一番自由なやつが海賊王だ」という言葉にもかかってくる気はする。
二階堂地獄ゴルフ (5)
時間を数秒巻き戻すことのできる謎の能力を獲得した二階堂。
日常生活においてはほとんど役に立たない能力だが、ゴルフにおいては無敵の強みになる能力を果たして使うべきかどうかというところで前回は終了した。
そして今回も、能力を使うべきかどうかについて二階堂がずっと葛藤していたのでそんなに話は進んでいない。
能力を使ってプロテストを勝ち抜くことはゴルフへ対しての冒涜であるということは彼も理解している。
二階堂は20年以上もテストに合格していないが、少なくともゴルフについては嘘をついてこなかった男である。
だから一巻を丸々使って追い込まれていく彼の葛藤を描いたことは福本先生の漫画としては"らしい"と言えるだろう。
結局二階堂は、自分を応援してくれている人たちのために己の存在意義を見出し「評価されない人生だったとしても最期を笑顔で迎えられたら人生に桜が咲いたことにならねえか」と能力を使わずしてテストに挑む。
もしも自分だったら力を使う使わないは別として、ギアス能力を得たルルーシュみたいに能力の回数制限や効果範囲などを入念に調査しておきたいと思うところだが、二階堂はそうしなかった。
おそらくだけど、武器となる能力のリスクや詳細について事前に理解していたら、いくら使わないと決心していても土壇場で使ってしまうからだと思う。
発動や使用の条件が不明な武器を使うより、詳細が分かっている武器を使うほうが安全なわけで使用のハードルが低いのは心理として当然だろう。
もちろん、能力のリスクを知らないことでここぞというときに頼れない事態にも陥るだろうしそういう展開にもなるだろうから、どう話が進んでいくのか楽しみだ。
スノウボールアース (8)
ついに主人公の父親が登場し親子再会となった。
この漫画は半年に一巻ペースで刊行となるため、新刊が出るたびに読み返しているが、主人公が内向的な性格でネガティブで友達がいない割には非常に頼りになる。
周囲の大人たちもちゃんと大人をやっていて、NERVの人らに見習ってほしいくらいだ。(別に大人が大人をしていない作品も好きだけれど、本作ではそれは余計なストレスになると思う)
ただ、ネガティブなキャラにありがちなこととして自分を犠牲にして丸く納めがちという点がある。
それは自分の実力を低く見ているというより、自分の命を軽く見ている自己肯定感の低さからくるものだと思う。
本作の主人公にしてもそれは同様で、メタ的な読み方をさせてもらうとロボットとのバディものって終盤でロボットが犠牲になる展開が多いため、主人公の性格と相まって悲しいことにならないかなあと新刊が出るたびに緊張している。
今回は親子再会だけでなく、ストレートなロボ戦やキャラクターが過去のトラウマを乗り越える展開、そしてロボットのパワーアップイベントと手に汗握る展開だったのでひとまず安心した。
美濃牛
『ハサミ男』でデビューした作者さんの二作目。
結構分厚いのだがとにかく没頭してしまいあっという間に読めることこの上ない。
本作から石動戯作シリーズがスタートとなり、主人公である石動は一応探偵役ということになる。
しかし、同シリーズの二作目である『黒い仏』を先に読んだからかどうも石動に探偵っぽくなさを感じている。
別にネガティブな意味ではないので誤解してほしくないが、石動は全体的に空回っている感があるのだ。
推理が外れているわけではないし頼りないわけでもないし無個性でもないのだが、この感情はどうしたもんかと読書中ずっと頭の中にあった。
今のところ、解説で言われていた「狂言回し」という評価が石動には最も当てはまると思っているが、狂言回しの意味を自分がいまいち理解しきれていないので、家に積んである石動戯作シリーズも順次読んでいく予定。
石動は自分が読んできた探偵もので唯一、名探偵を自称しているところは個人的に結構好きである。
ところが彼は名探偵コナンの単行本カバーに収録されている『青山剛昌の名探偵図鑑』に載っていないのである。(ちなみにtrickの山田も載ってなかった。科捜研の女は載ってたのに)
コナン完結までには載ってくれたらいいなあと思う。
石動が終盤、人間にとって大切なことは「考えること」と「愛すること」だと語るシーンがある。
こういう探偵ものを読んでいると、つくづく「考えること」って大切だと思い知らされるというか、「まあそういうこともあるか」で流してはいけないことってたくさんある。
何が言いたいかというと、まあいっかで流しがちな自分は探偵には向いていないということだ。
卍
買って読もうと思っていたら新版が出たので、新版と旧版の軽い読み比べみたいになった。
まあ本編は同じなのだが、旧版には本作が映画化された際の主演女優と谷崎潤一郎の対談が載っている。
新版には挿絵や註解、物語の舞台となる兵庫・大阪の地図などが載っており、更に『蘿洞(らどう)先生』と『続蘿洞先生』というふたつの短編も収録されている。
舞台が大阪なので登場人物は大阪弁というか関西弁で喋るのだが、最初はどうにも方言に違和感があって読み進めるのに苦労した。
まえがきにおいて作者本人から、本作では大阪の大学を出た女性二名に大阪弁の監修を依頼していることが明かされるが、どうにも馴染みのない言葉遣いが目立った。
自分は大阪弁ネイティブではないけど、「○○のんですねん」とは言わないよなあと思う。
註釈で触れられていたところによると、本作は雑誌掲載時は標準語で書かれていたが徐々に大阪言葉を帯び始め、初版が発行された際には全編大阪弁に書き直されたのだそうだ。
「大阪言葉の感じの強い露骨な大阪言葉を択びすぎているようである」「原文の一語々々に拘泥りすぎた」と分析されているようで、違和感を覚えるのは気のせいではなかったらしい。
さてまあ本編だけど、めっちゃ美人で魔性の女である徳光光子の虜となってしまった男女たちの破滅を描いている。
光子は自分から積極的に他人を罠に嵌めるというよりは世話したくなるような危なっかしいお嬢さんで、近寄ってきた人間を男女問わず魅了してしまうという感じの女性だった。
そのため、彼女は自分が巻き込まれた被害者であるという姿勢を最後まで崩さず、自分は可哀想な女であると心底思いこんでいる。
そしてその「可哀想な自分」に酔うことで気持ちのいい恋愛、気持ちのいいセックスをしようというスタンスで生きている。(本人に自覚はない)
本作はそんな光子に虜にされた垣内園子と周りの人たちの関係性の変化が見どころではあるが、物語は最初から最後まで園子の独白で進行するため彼女の主観でしか明かされず、真相は読者の解釈次第でどうにでもなるところも面白い。
ちなみに同作者の『春琴抄』ほどではないけど改行が少ないので、本の厚さの割にボリュームはある。
そして、旧版には収録されていなかった『蘿洞先生』『続蘿洞先生』であるが、こちらも谷崎潤一郎のフェチズムとマゾヒズムが全開の作品となっている。
内容は割と淡々としており最後に種明かしのような感じになるため、淡々としすぎてむしろホラーやサスペンス風味もあって恐怖を感じた。
余談だが、ひとつ前に読んだ『美濃牛』にも"蘿洞"という単語が出てきたため思いがけず縁を感じた。
ゴランノスポン
短編が7編収録された一冊。
町田さんの作品の中では比較的分かりやすく、ドラマの原作になりそうな軽妙さがあった。
謎のタイトルだが、解説で語られていたことが腑に落ちた。
曰く、本作は登場人物が「醒める・冷める」瞬間を書いているため、テレビ番組においてCMに移る前に流れる「この番組は御覧のスポンサーの提供でお送りします」の途中で現実に引き戻されるのを拒否するためにチャンネルを変えているということらしい。
それを念頭に置いて読むと全ての作品ではないが確かにその通りで、現実に引き戻された登場人物がどんな行動を取るか、また何がきっかけで現実を意識するかが見どころとなっている。
町田節は本作でも変わらずで、例えば『尻の泉』という話では、尻から清らかな泉が噴出し他人を清めることのできる男が主人公だ。
彼は自分の力がかけがえのないものだと理解はしているものの、泉が出る場所が場所なだけにそれを他人に秘匿して生きている。
紆余曲折あって彼は尻から泉が出る人間は自分だけでなく意外と他にもいることを知って人生に光明を見出すのだが、この「尻から水が出る」を何と解釈するかで読み方が変わってくると思う。
分かりやすいのは「コンプレックス」とかだろうけど、それだと普通過ぎてなんだかなあという感じなので、同じく町田さんの作品の『告白』の主人公である城戸熊太郎に変換して読んだりしていた。





