公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

10月に読んだ本

BLEACH月間だった先月とは違って、今月はまあそれなりに色々と読めたと思う。
気になる人は一応ネタバレ注意で。


↓先月分↓
mezashiquick.hatenablog.jp


↓今回読んだもの↓

ルリドラゴン (1)

女性の口内を書くのが好きな(たぶん)、作者さんによる漫画。
主人公がドラゴンの血を受け継いでいることを周囲がヌルっと受け入れているあたり、リリエンタールを思い出した。
リリエンタールやマグちゃんしかり、悪役はいるけど悪人がいない漫画が結構好きで、本作にも期待している。(今のとこ悪人も悪役もいないが)
あかね噺やギンカとリューナみたいに、今までのジャンプとはちょっと毛色が違った作品が目立ちつつ評価されてきているので、この作品もジャンプに新しい風穴を開けてほしい。
連載当初ネットで話題になりまくってファンアートも量産されたジャンプ作品で思いつくのが、ちょっと古いけどもキルコさんなんだけど、あれは結局尻すぼみで終わってしまった。
初速がつきすぎると作者さんもプレッシャーなどあるだろうけど、どうか自分のペースで描いてほしい。
現在、ルリドラゴンは作者体調不良のため休載しているが、新人作家を無理に働かせずにきちんと休みを取らせるあたり働き方改革だなと思うし、この作品に対するジャンプ編集部の力の入れようが分かる。

チェンソーマン (12)

週刊少年ジャンプで連載されていた第一部の続きを、ジャンプ+に移籍して書かれた第二部。
いつになったらデンジくんが登場するんだろうかと思いながら見てたので、しれっと出てきたときはニヤリとしてしまった。
アニメ版もかなり力が入っていて、今期では頭一つ抜けている印象がある。(刃渡り2億センチすごかった)
アニメで初期デンジくんを見てから12巻を見ると、デンジくんってこんなやつだったよなあと再認識する。
マキマさんの首輪もないし、育った環境のせいでまともな人間関係を構築できていなかったわけだから、彼には「これから」を取り戻して行ってほしい。
チェンソーマンは決して明るい話ではないんだけど、デンジくんがバカで明るいから安心して見られるし救いもあるような気になる。
伏線がどうこう考察しながら見るのも楽しいけどどちらかと言えば魅せ方や勢いに特化した漫画だし、何より作中に漂う独特のバカっぽい雰囲気(失礼な言い方だけど)を味わっていたい。
あと、痛いファンというか信者が多くて、それで敬遠している人もいると思う。
togetter.com

サンダー3 (1)

なんだこれと思って読んでいたら途中からGANTZが始まったみたいな漫画。
アイディアは画期的だと思うので今後どういう展開をするのかとりあえず様子見。

19世紀イタリア怪奇幻想短篇集

イタロ・カルヴィーノの『まっぷたつの子爵』を読んだ後に見つけて興味を持って買った本。
例えばガンダムって当時としては斬新な展開で、後発の作品に影響を与えたとかってよく言うじゃない。
もちろん今見ても面白いんだけど、新しいと言われていた設定やストーリーも今は新鮮味を感じることはできない。
当時の興奮はリアルタイムで味わってこその熱狂であって、後に生まれた人間はその熱と同じ温度のものを浴びることができないわけだ。
全てのムーブメントを当事者として体験することはタイムマシンでも使うか不老不死でもない限り不可能なんだけど、できるだけ「すげえな」と言うための方法はある。
それは「その分野に詳しくなること」だ。
あとがき曰く、19世紀当時のイタリアは幻想小説の作品数が少なかったそうだ。(ちなみに上に登場したイタロ・カルヴィーノは20世紀の作家)
ほんで当時のイタリアがいかに幻想小説が成立しにくい風土だったかということが解説されてるわけだけど、イタリアのイメージがジローラモしかいないぼくとしてはピンとこなかった。
だけど、イタリアやヨーロッパ諸国の歴史に詳しい人からすれば、「19世紀にこんな作品があったなんてすげえな」となるわけだ。
話は幻想と言うだけあって死者を扱ったものからSFまで多岐に渡っておりおもしろかったけど、翻訳はちょっと合わなかった。
あと、訳者さんも言っているが先入観を持たずに読みたい人は本編読了後にまえがきを読むことをお薦めする。

聖なるズー

筆者が実際にドイツの「動物性愛者」と寝食を共にして書かれたノンフィクション作品。
「動物性愛」とは人間が動物に対して感情的な愛着を持ち、ときに性的な欲望を抱く性愛のあり方のことで、表題の「ズー」とは「動物性愛者=ズーファイル(zoophile)」の略称だ。
テーマが衝撃的なものだし、人によっては目をそむけたくなる描写もあるかもしれない。
ズーの人らの主張は理解できたし、人間とは違う種と「対等」であろうとするのは自分が想像も及ばないハードルがたくさんある。
日本ではペットって家族の中では”子供”みたいなポジションになることが多いけど、ズーの人たちにとっては”パートナー”で”性的に成熟した存在”だから動物の生を”性”も含めて受け止めるのは当然のことなのだ。
ただ理解はできたけど納得できるかというと全面的にそうとも言えない。
彼らは「対等」であることにこだわるが故になんというか、動物の意思を都合よく解釈しているようにも感じた。
例えば、ズーの多数を占めている「パッシブ・パート(セックスの際は動物のペニスを受け入れる立場)」の人たちは、「自分らはあくまで動物に求められたから応じている」というスタンスなのだ。
一方でパッシブの人たちが「アクティブ・パート(動物にペニスを挿入する立場)」の人らに「君らは本当に動物の自主性を尊重していると言えるのかい?」とマウントを取っているのはなんか違うんじゃないかと。
(自分たちのアイデンティティに関わることだから、過敏になるのは理解できるけど)
タイトルの「聖なるズー」というのも、ズーの団体から抜けた人が彼らを「倫理観が強すぎる」「聖人君子」として皮肉って呼んでいる言葉だ。
団体から抜けた人についてはあまり取材する時間がなかったとのことなので深掘りはできていないが、袂を分かった人たちの話もぜひ聞いてまとめてほしい。
また、作中で筆者さんも述べているが、性的少数者だからといって他人のセクシュアリティに寛容ではないし、平気で差別的なことも言うんだなと思った。
具体的には、作中で登場するズーの女性が同じコミュニティ内の男性の男性器を見たこともないのに「彼のペニスは小さいに違いない」と想像で決めつけて笑っている場面がある。
ただ単に性的少数者というだけで全ての理解者ではないのだから当然だなという気持ちと、差別される苦しみを知っているはずなのに他人のことは簡単に差別するんだなという気持ちが同居していて何とも複雑な思いがした。
全体を通して、筆者さんが話を聞く相手に肩入れせずにできるだけ客観的な姿勢で話を進めているのが印象的だった。
本人は「観測者」であることが傲慢ではないかと自責の念に駆られる場面もあるが、作中で語られる筆者さんの過去を鑑みると、善悪を安易に断定せずに他人の価値観を受容できるのは本当に尊敬する。