公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

かれぴっぴに会いたい人の歌

春色の汽車に乗って 海に連れて行ってよ
タバコの匂いのシャツに そっと寄り添うから

松田聖子の【赤いスイートピー】にこんな一節がある。
クサいだの健康に悪いだの何かと目の敵にされがちなタバコであるけれど、好きな人のタバコの匂いなら愛おしく感じてしまうのだ。
いわゆる「あばたもえくぼ」というやつだろう。
副流煙まみれの黄ばんだくせえシャツを着ていても好きな男性であれば気にならないし、恋する気持ちから汽車が春色に見えるほど頭がピンクなのだ。
先日、ある人が香水の匂いで過去の恋愛を思い出すという旨のブログを書いていてぼくも思い出したことがある。


五感の中で最後に記憶から失われるのは嗅覚なのだそうだ。
他にも味覚は忘れられにくく、逆に視覚や聴覚の記憶は忘れられやすいらしい。
記憶に長く留めておきたいからこそ、人間は何かを堪能するときに鼻や舌を駆使するのだと思う。
食事やセックスのときなんかが例えとしては分かりやすいだろう。


コロナ禍でマスクをする生活にもすっかり慣れてしまったが、マスクはマスクでメリットがあるとしている人もいるようだ。
気合の入った化粧をしなくてもいいとか、自分や相手の口臭が気にならないとか。
だが口臭に関しては言いたいことがある。
ぼくは日々の歯磨きに加えて歯間ブラシとフロスとマウスウォッシュをしている。
これだけやっても、マスクの中で跳ね返ってきた自分の息が鼻に入ると、あまりよろしくない匂いがすることがあるのだ。
しかしそこまでクサいというわけではなく、何ならちょっと懐かしい気持ちになる匂いだと感じることもあり、何でだろうかとコロナ初期のころから考えていたのだが先日その答えに思い至った。
元カノの口内と同じ匂いがするのだ。


昔付き合っていた子は出会った当初から歯列矯正をしており、踊る大捜査線が好きなぼくは「キョンキョンが着けてたやつだなあ」と思ったものだ。
矯正用の金具はどれだけ気を付けても汚れが溜まりやすいらしく、彼女は嫌な匂いがするかもしれないと気にしていた。
確かに無臭とするには強引ではあるが決して不快な匂いではなかったのを覚えている。
かと言ってあばたもえくぼ理論でチャームポイントだと思えたわけでも、癖になる匂いというわけでもなかった。
特に何とも思っていなかったはずだが数年後に自分の口臭を通じて思い出すあたり、ぼくの記憶には深く刻まれていたのだろう。
体臭で過去の恋愛を思い出すことがあっても、口臭(くさくないけど)で過去に思いを馳せることができるのも貴重な経験かもしれない。


前置きはこれくらいにして本題。
懐メロというにはぼくより世代が上になるが、太田裕美の【木綿のハンカチーフ】という歌がある。
有名なのでタイトルくらいは知っているだろうし、知らない人は適当に探して聞いてみてもらいたい。
故郷を離れて都会へ行った彼氏と、田舎で待っている彼女とのすれ違いや心の機微を唄った歌だ。
初めて聞いたときは切ない別れの歌だなあくらいに思っていたのだが、最近になって聞くとずいぶん印象が違う。
どうも彼女がねちっこいというか、一言で言うと「重い」のだ。

恋人よ ぼくは旅立つ
東へと進む列車で
華やいだ町で 君への贈り物
探す 探すつもりだ


いいえ あなた 私は
欲しいものはないのよ
ただ都会の絵の具に
染まらないで帰って
染まらないで帰って


これが歌の最初のパートだ。
最初の歌詞が彼の、次が彼女のセリフとなっており、曲の構成はすべて彼氏→彼女のターン制になっている。
都会に出て新しい環境に浮かれている彼氏と、そんな彼にそのままでいてほしいと心配する彼女。
新生活への高揚感、変わらない良さや変わりたいと思う気持ち、大切な人には変わってほしくないと思うエゴなどが感じられる歌だ。
彼氏が「なんか欲しいもんある?」って聞いてんのに、「何もいらないけどあなたに変わってほしくない」って、見方によっては健気に映るかもしれないが、どうにもめんどくさい。


「会えないけど泣かないで、流行りの指輪を送るよ」
「ダイヤも真珠もあなたのキスほどきらめかない」
「今も化粧とかしてないの?ところでスーツ買ったんよ、写真見てよ」
「草に寝転ぶあなたが好きだった、とりあえず体調に気を付けて」

歌詞をそのまま載せるのがめんどくさかったので要約したものがこれだ。
ぼくの主観なので恣意的なものや偏見が混じっているという前提でお読みいただきたい。
言ってることが茫漠としすぎとるわけですわ、この彼女は。


彼もきっと彼女に不満や直してほしいところがあっただろう。
都会で着飾った華やかな女性を見て、「彼女も化粧したらいいかもしんない」と思って言ってはみたのだが、彼女が化粧のことについて言及した様子はない。
自分は彼氏の問いにああしてほしいこうしてほしいと願望を述べるばかりで、察してほしいと思うばかりで、彼のことは察しようとしない。
いつまでも草に寝転んでる彼氏というわけにはいかんだろう。
都会に出て調子こいてる彼氏にちょっとイラっとする気持ちもわからんでもない。
だが、彼女にとってふさわしい男になるために都会に出たのかもしれないから、その気持ちは汲み取ってほしい。
彼女からすれば変化は求めておらず、今のままのあなたで十分と言いたいのだろうが、今はよくてもいつまでも草の上で安穏としている彼氏に不満を抱かないとも限らないのだ。

恋人よ 君を忘れて
変わってく ぼくを許して
毎日愉快に 過ごす街角
ぼくは ぼくは帰れない


あなた 最後のわがまま
贈り物をねだるわ
ねえ 涙拭く木綿の
ハンカチーフ下さい
ハンカチーフ下さい


このパートを持って歌は締めくくられる。
とりあえず、「木綿」という質素な素材をわざわざ指定しているあざとさがある。
シルクのスカーフくらい送ってこいやとなぜ言えないのか。
お前なんてこっちから別れてやるわと啖呵を切るぐらいの気概を見せてみろ。
もしくは遮二無二になってすがりつくなり、建設的な提案でもするなりして、別れを考え直してもらえよ。
それか、綿の吸水性を活かして、プレゼントしてもらったハンカチに自分の汗や匂いを染み込ませ、彼氏に送り付けて香りで自分を思い出してもらえばいい。


この時代は貞淑な女性が好まれており、清楚で自己主張をしないことが良しとされていたのかもしれない。
しかし現代において、慎ましやかで奥ゆかしくパートナーに対して操を立てる女性など存在しない。
どの女性も一本でも多くの棒とお突き合いをしたいと思っているため、この曲のような思考にはまず至らないか、殊勝なことを言いつつも裏では代わりの棒を求めて励んでいるのだ。
ぼくは木綿のハンカチーフアンサーソングとしては、Coccoの【強く儚い者たち】を推したい。
パートナーのためにと誓いを交わして海に出た人に対して、語り掛ける視点で書かれた歌だ。

そうよ 飛魚のアーチをくぐって
宝島が見えるころ 何も失わずに
同じでいられると思う?


だけど 飛魚のアーチをくぐって
宝島に着いたころ あなたのお姫様は
誰かと 腰を振ってるわ

木綿の彼女だって彼氏からもらったハンカチなど処分して、別の男性とよろしくやればいいのだ。
別にそれを責めたり、ダメだと言いたいわけではない。
「そんなもんだよね」って言いたいだけだ。
世知辛い現実を知ってるからこそ、歌の世界だけでも綺麗なものを求めたいのかもしれないが。


なぜ今回は懐メロの話になったかと言うと、エレカシ宮本浩次さんのカバーアルバムを購入したからなのだ。
女性歌手の歌のみをカバーしており、誰とは言わんけど偏差値の低い恋愛ソングとかは入っていないので老若男女におすすめのできる内容になっている。
宮本さんの好きなところは、歌詞が限りなく本人の思っていることであろうという点だ。
きっと本当に不器用な人で、生きづらそうな人だなあというのが見てると伝わってくる。
(失礼な言い方かもしれないが)

※オフィシャルの動画です

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