公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

「七国山病院」の語呂の良さについて

最近となりのトトロを見て、違和感を覚えたことがある。
不在の父親の元に電報が届き、それを代わりに見たサツキが慌てて父親に電話するシーンでのこと。
あの、今までのほのぼのしたノスタルジックな作中のムードが急激に転換するあれだ。
その際におばあちゃんが「本家に行って電話を貸してもらい」という旨の発言をする。
サツキはカンタと一緒に本家に向かうのだが、そこで登場した本家のおばあちゃんは異常性を感じるほどに穏やかなのだ。


サツキが本家の電話から交換台に繋ぎ、父親を呼び出してもらっているとき、彼女は傍目にも分かるほど憔悴している。
しかし本家のおばあちゃんはそんなサツキを見て「かわいい子だねえ」とうちわをパタパタしながらカンタに向かって言うのみなのだ。
その後、折り返しの電話があるまでふたりは本家で待たせてもらうことになる。
明るくて気丈なサツキが母親の病状を心配して年相応の動揺を見せるシーンなのだが、本家のおばあちゃんはその際も「ゆっくりしてきな」というようなことを言うのみだ。
本家のおばあちゃんのセリフは上記のふたつのみで、あとは穏やかな表情でうちわを扇いでいる。
登場シーンもそこのみなのだが、どうもおばあちゃんの様子が気になった。
サツキが焦っていることは明らかだし、カンタもいつもの様子でないことは普段から付き合いがあれば分かるはずだ。
少なくとも作中では本家のおばあちゃんがふたりに事情を聞いたわけでも、もてなしをした様子もない。
普段のペース(普段からああかは知らないが)を崩さないところを見ると、おばあちゃんは認知機能に何らかの齟齬があるか(要はボケてる)、危機感の著しく欠如した人である可能性が高い。


さて、先日星野源との結婚を発表した我らがガッキーであるが、その際に一発書かせてもらった。

mezashiquick.hatenablog.jp

星野源が"普通"だとのたまう婚活女性よ、君らの言う"普通の男"はガッキーを選び、ガッキーに選ばれるレベルなのだよ」というまあいつも言っているような内容だ。
さすがに婚活業界や婚活女性たちもどれだけ現実を見ていない間抜けなことを言っていたのか気が付いたらしく、最近は普通の男論を見かけることが減ったように思う。
何より、普通普通って星野源にも失礼でしかない。
どうも世間には男性、特におっさんに対しては何を言っても問題ないという妙なバイアスがかかっているようだ。
こうした条件を女性が提示するのはネタとして消費されるのだろうが、逆なら袋叩きに遭うところである。


そんな中、ちょっと前に見かけた普通の男論がある。

www.nikkan-gendai.com

この記事で槍玉に挙げられてしまったのが、オードリーの若林氏だ。
注意しないといけないのはあくまでも「若林みたいな雰囲気がいい」ということらしい。
オードリー若林や星野源が普通ということではなく、あくまでもルックスや雰囲気面に限定して穏やかな男性を好むということだろう。
まあそうだとしても、男性の立場からすれば擁護できたものではない。


そもそも、記事のタイトルからして破綻している。
「婚活女性が好む ガッキーに選ばれた星野源っぽい人って?」とあるが、この書き方だと星野源っぽい人はガッキーに選ばれるような存在であることを再確認しているかのようだ。

今の婚活女性はこの「平均的な男」を求めている。

平均平均って、年収もルックスも性格も学歴も美意識も全てが平均なんて、逆にハイスペックだと思うのだ。
この人らの言う「平均」ってデータの中間という意味ではなく、自分の常識の中での「普通」でものを言っているからタチが悪い。

「普通の男性でいい」と男性に求めるハードルが下がってきているといわれる。

「"で"いい」ってなんだ、何でそんなに上から目線なのか。
妥協して普通の男性を選んでやっているという姿勢に腹が立つ。
待ってりゃ普通の男性が頭下げて結婚を申し込みに来るとでも思っているのか。

星野と結婚したガッキーこと新垣も、芸能界の超インドア派として知られる。女性誌のインタビューには〈休日は家に閉じこもってエゴサーチをしたり、漫画を読んだりして過ごしている〉〈1、2日の休みじゃ、ひたすら寝て終わり〉と答えていた。

ガッキーが超インドア派だとしてもお前らの生活スタイルが肯定されるわけではないのでね。
女優という華やかな仕事をしており、抜群のルックスを誇るガッキーが実は休日は家に籠っているというギャップが魅力的なのであって、お前らのような怠惰なブスではギャップも何も見た目通りである。
君らとガッキーの共通点は性別と、目と耳がふたつずつあり、鼻と口がひとつずつあるということだけだ。

そんな彼女がイケメン俳優ではなく、星野と結ばれたのは当然と言えば当然。これまでの生活スタイルに必要以上に入り込まない男性なのだ。

もはや星野源に失礼である。
確かに分かりやすい男前ではないかもしれないが、彼だって男前の部類に入ると思う。
そもそも、普通の男性が「これまでの生活スタイルに必要以上に入り込まない」って理論がよく分からん。
男前はパートナーの生活スタイルにガンガン干渉し、煙たがられる存在なのだろうか。
それにガッキーだって、彼と暮らすことで生活スタイルを変えたいと思っているかもしれないじゃないか。


この記事は全体的に頭がおかしく、読んでいると殺意が湧くレベルなのだが、最も考えさせられたのが以下の記述だ。


前出の植草氏がこう補足する。
「婚活女性の年齢も上がり、若いころは玉のこしに乗って自由におカネを使える生活を望んだ女性も、高い理想を掲げてもかなわないという現実に気付いています」
ならば、邪魔だけはしてくれるな、という思いが強いという。しかも、働く女性はストレスをそれなりに感じている。疲れて帰宅したときに、ハイスペックな男性からあれこれまた指図されたらたまらない。自分の邪魔にならない、気を使わなくてもいい、それが特色や特徴が薄い分、自己主張も強くない「普通の男」というわけだ。

もはや星野源やオードリー若林のみならず、全ての男性に対して無礼な物言いだ。
「自分の言うことをハイハイ聞いてくれる女性がいい」と言っている男性と何が違うのだろう。
パートナーのことを邪魔って、じゃあもう、結婚しなくてもいいのでは?
仕事で疲れてるのはお互い同じなのに、どうして自分だけが大変だと思えるのだろうか。
相手の立場や日々の苦労を理解も尊重もせず、自分の求める理想を押し付けるなんて、男性をペットか何かと思っているのだろうか。
本当にこんなことを考えている婚活女性がいるかどうかは疑問だが、仮にいたとして彼女らは心から結婚したいと思っているわけではないだろう。
見栄や外聞のために結婚という事実が欲しいだけだから、今までの生活スタイルを崩したくないし干渉されたくないのだ。
誰かと一緒に暮らすということは常に価値観の違いの連続で、それをお互いの可能な範囲で相手の望む姿に近づけていくものなのに。


もうさ、別に条件と結婚するわけじゃないんだから、上から目線で「"で"いい」って品定めするのやめませんか。
もしも自分がやられたら嫌でしょ。
結局は自分に「で、君は普通の人なの?」ってブーメランが返ってくることになる。
自分のスペックがどうであれ相手に求める条件は自由であるけれど、身の程知らずな価値に囚われて婚期を逃しては本末転倒だろう。
そんなことばっかしてるからぼくみたいなルサンチマン(最近覚えたから使いたい)を発散したいだけの人間に笑いものにされるんだって。
本家のおばあちゃんの話と絡めてオチを考えてたけど、思いつかないのでおわり。