公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

よそはよそ うちはうち

最近、一緒に働いている友人の子供が通う幼稚園でコロナが出たり、ぼくの体調が悪くなったりしてバタバタしている。
友人の子供は濃厚接触者ではなかったのだが念のためPCRを受けて陰性だったとのこと。
ぼくは発熱や味覚障害はなかったものの原因不明の悪寒と倦怠感があり、こんな症状は初めてだったので少々神経質にならざるを得なかった。
2月6~7日の土日は暖かかったが月曜から寒さが戻ったので、寒暖差で体調を崩したのではないかと思っている。
葛根湯を暴飲し、のどぬーるスプレーを飲む勢いで噴射して寝たら治った。
幼稚園はしばらく休園になり、友人の子供たちは全員同じ幼稚園に通っているため、一回目の緊急事態宣言のときのように自宅待機をしている。
当時は友人の奥さんがキャパオーバーしたり実家で病人が出たりして大変だったらしく、今回のことと併せて「何でうちだけこんな思いせないかんのか」と友人がぼやいていた。


しかし、幸運にもうちは現在業績が好調で、仕事の方は順調と言っていい。
もしも仕事が低調でプライベートまで受難続きだったら、毎日にこやかに過ごすことはできなかっただろう。
このコロナ禍、そうである人が増えていることは想像に難くない。
というようなことをかいつまんで友人に話したら何となく納得していた。


ぼくはどうにも「自分より不幸な人を見て安心する」思考が好きではない。
「あいつよりはマシ」みたいな考えのことだ。
自分より下の人間がいるからと言って自分の不幸が和らぐわけでもないし、不幸の緩衝材に使われた「自分より不幸な人」にも失礼だ。
自分の感情は自分だけのものなので、自分の幸せも不幸せも楽しさも苦しさも自分だけのものだ。
ワンコインの定食で満足できる人もいれば、数万円のコース料理でないと満足できない人もいる。
でも、どちらがより幸せということもないし、どんな料理も物事も楽しめる自分を好きでいられたらいいと思う。
他人と幸不幸や苦労を比較することに意味はないのだ。
頑張っているやつや苦労しているやつが偉いわけでもなく、順風満帆な人生を送っているやつがもれなく裏では悪いことをしているわけでもないだろう。


不幸や苦労を押し売りしてくるタイプのタチ悪い人間は、「大変なのはお前だけじゃない」「みんなやってる」と言いがちだ。
他に大変な思いをしている人が存在するからと言って当人がやる理由にはならないし、大変な思いをしている人は他の誰かに大変な思いをさせるために存在しているわけではない。
ぼくの好きな言葉に【脚下照顧】がある。
禅家由来の言葉なのだが、「他のことに目を向ける前に自分の足元を見て己の立場を顧みる」というものだ。
下を見て安心するのではなく、自分より苦労している人がいるからと己に鞭を振るうのではなく、自分が持っているものや今までの縁に感謝して己を顧みるのはいいと思う。
ぼくは異性にモテないし、お金も同世代に比べればない。
男前でもないし、スタイルがいいわけでも筋肉がムキムキなわけでも、女性が両手を使わないと握りきれない太さのちんこを有しているわけでもない。
それでも好きなことに使えるお金はあるし、今のところ健康だし、仕事は順調で良縁に恵まれているし、一応は女性とお付き合いしたりお突き合いしたりした経験もある。
O脚じゃないし筋トレやジョギングはしているのですね毛さえ剃れば脚は綺麗だと思う。


自分が持っているものって、自分の力で手に入れたものは意外とそんなにないのだ。
毎晩おねえちゃんを侍らせている若くして財を成した経営者も、旦那のスペックでマウントを取る人妻も、お受験に成功した学生も、別に自分だけの力で目当てのものを得られたわけでも目標を達成できたわけでもない。
楽しく生きられている人は運が良かったり縁に恵まれたりしているところが大きいので、そう思うと自分にできることなんてたかが知れている。
「これだけしか持ってないけど、全然持ってない人に比べればマシ」よりも「これだけ持ってるし感謝してもうちょいがんばろう」の方が前向きでいいと思いませんか。


先ほど自分の感情は自分だけのものと言ったが、別に他人の感情や悩みが分からなかったり当事者じゃなかったりしても、そのことに思い悩む権利はあると思う。
ぼくは子供も奥さんもいないので、育児に関する悩みやセックスレスの夫婦の悩みはいまひとつ真に迫って理解できない。
だけど理解しようと努力したり、一緒に考えたり悩んだり、苦しみを想像したっていいだろう。
そうでなければチャリティー活動や募金の類は全て偽善ということになってしまう。
まあ正直、結婚した友人たちがパートナーと没交渉になっていく話を聞くと、いつまでもそれが手の届く環境にあると思って油断してんじゃねえぞとは思う。
そもそもその悩みだって、自分が「持ってる」から存在する苦悩なのだ。
こんなことばかり言っているといつか自分に返ってきそうなので心配ではあるが、油断して大切なものを失った経験が既にあるから言えることなのだ。