公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

デスメタルではなくスラッシュメタル系のシャウト

みんな何だかんだ言って、結構おっぱいのことを考えてると思う。
最近すっかり暑くなって街ゆく女性たちも薄着になったわけだが、なんか最近の子っておっぱい大きくないですかね。
食うものが良くなったのか、下着の性能がアップしたのかは分からないが、見ている分にはありがたい話である。
そんなことを考えていたら、【土地の測量】とタイピングするべき箇所に【乳の測量】と打ち込んでしまった。
乳の測量、夢のあるお仕事である。
仕事である以上は楽しいことばかりではないので、必ずしも美人や若い女性の乳ばかりを測量できるわけではないのが悲しいところだ。


個人的に、セックスのピークは「ブラジャーを外して乳首を見るところ」までだと思っている。
それ以降はおまけで消化試合みたいなものだ。
限られた人間にしか見せないものであり、服で隠されているものの代表格みたいな存在である。
放課後電磁波俱楽部のように露出の高い水着であっても必ず隠されている箇所だ。
これが女性器になると、なんかこう童貞感がないというか現実味に溢れているので違う。
女性はセックスのピークをどこに置いているのだろう。
やっぱり、挿入の瞬間だろうか。
入れといて何ですが、よくあんなの入れるよなあと思う。
あんまり大きすぎると内蔵の位置とかずれるような気持ちにならないのだろうか。


昔、喘ぎ声がシャウト系ボーカルの人とセックスしたことがある。(お店ではない)
とにかく最中の声がデカい人で、部屋に呼びたくない人リストにめでたく追加された。
ああいう人は、なぜ喘ぎ声がデカくなってしまったのだろうか。
決して普段の声のボリュームが大きな女性ではなかったので、セックスの最中だけああなのだろう。
大きな声を出すと気持ちが盛り上がるとかそういうことかなと解釈しているのだが、じゃあ彼女は一体いつ頃そのことに気が付いたのだろうか。
ある日、「大き目の声出してみるとなんか具合がいいな」と思ったとしたら、なかなかデリケートで繊細かつ情緒的なセックスをする女性である。
声の大小で気持ちが変わることに気付けるなんて、素敵な感性だとは思わないだろうか。
ちなみにぼくの中で喘ぎ声の大きさは演技にカウントされない。
声の大小ではなく高低で演技っぽいかどうかを見ているが、そんなもの見破ったところで誰も幸せにならないし、見破る技量もないのでどうでもいい。


喘ぎ声を他人と比較することはできない。
いくら同性同士でセックスの話をしたとしても自分がどんな喘ぎ声かを披露するやつはいないだろうし、いたらかなり気持ちが悪い。
男性同士なら友人のチンコのデカさを知る場面もあるだろう、女性同士なら友人の乳輪のデカさを認識する場面もあるだろう。
読み取れる情報はあくまでも目で見て認識できることであって、どんなプレイが好きかとか、こんな性癖があるとかは自己申告である。
具体的なプレイの内容よりも実際の喘ぎ声を聞かせる方がより生々しく、マジっぽいのかもしれない。
猥談の中で突然自分の喘ぎ声を聞かせるやつがいたとしたら確実に場の空気がおかしくなるし、今後の付き合いを考える。


今日は一生分、"喘ぎ声"という単語を使った。
前述したシャウト系ボーカルの女性とセックスして感じたことは、大きな喘ぎ声は男にとってもメリットがあるということだ。
あそこまで大げさに声を出されると、自分ってテクニシャンじゃないかと錯覚してしまう。
おそらく、喘ぎ声がデカい女性に遭遇した経験のある男性は少ないと思う。
シャウト系の人は本当に声が大きいので、演技を通り越してマジっぽく見えてしまうのだ。
あそこまで振り切っていると、逆に嘘くささが消えて本当に気持ちがいいんじゃないかとこちらに思わせる感じはすごい。
みなさんもここは一発、全力の喘ぎ声を研究してみてはどうだろうか。
前述したように、どんな仲のいい友人であっても「ちょっと私の喘ぎ声聞いてみてくれる?」とお願いするのはおススメしないが。