公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

ボンボンとカジカジ

出版不況と言われる昨今。
電子書籍が嫌いというわけではないが、収集癖があるのと埋まっていく本棚を見るのが好きで、紙の本を買うようにしている。
しかし、雑誌までは毎月購入するというわけにはいかず、欠かさず買っているのはジャンプくらいだ。
昔は毎回買っていたファッション誌も滅多に買わなくなった。
しかし、ぼくが買わないせいで好きな雑誌がどんどんなくなっていく。
幼い頃に読んでいたコミックボンボンが2007年に廃刊したときは、ぼくを育ててくれた思い出があっけなく消えたことにショックを隠せなかった。
そしてまたひとつ、ぼくの思い出の雑誌が消えてしまうらしい。


www.fashionsnap.com

【カジカジ】という雑誌をご存じだろうか。
関西発のファッション誌なのだが、6月号をもって休刊となるそうだ。
2015年に月刊から隔月になったときは嫌な予感がしたものだが、まさか休刊になるほど売上不振だったのだろうか。
ぼくが読みだしたころのカジカジは表紙もカラフルで、どことなくサイケデリックかつアングラな感じもあった。
関西のクラブでのイベントを取り上げるページが毎号必ずあり、そこでインタビューに答えている人たちが自分には関係のない、異世界の住人に思えたものだ。
クラブというところは、みんなが会場のすみっこでセックスやドラッグをやっているという偏見が未だにある。


ぼくの趣味が変わったのか、実際に内容が変わったのかは定かではないが、隔月になってからのカジカジはストリート感を出しつつも、どことなくキレイ目でコンサバな雰囲気の紙面になっていた気がする。
昔はカジカジに乗っている地図を頭に叩き込んで、有名セレクトショップ巡りをしたものだ。
紙面に載っているアイテムがないか店員さんに聞くのが気恥ずかしく、やっとの思いで尋ねることができたが、すでに完売したと言われたときの悲しさ。
目当てのアイテムを購入でき、家に帰るとすぐに袋を開けてひとりファッションショーを開催していたときの高揚感。
憧れのショップに行くことのできた興奮と、店員さんやお客さんのオシャレさに毎回気圧されていた。
あの頃初めて行ったお店の中には、今でも良くしてもらっている店舗や店員さんもいるので、本当にカジカジ様様である。


昔、カジカジの巻末に編集者が書いていたコメントを今でも覚えている。

カジカジに掲載されている服は高いものが多いとよく言われます。
だけど世の中には、「安いだけの服」「高いだけの服」もたくさん溢れています。
自分たちは、「安いけどいい服」「高いけどいい服」を皆さんに知ってもらいたいと思っています。

ファッション誌を見なくても、SNSyoutubeなどで旬のアイテムやオシャレな着こなしは簡単に知ることができるようになった。
"安いけど・高いけどいい服"は、スマホやPCをポチポチすれば無料で情報が得られる。
情報はファッション誌で得るのもネットから得るのも違いはないのかもしれないし、確かにネットで調べたほうが情報量も多いので効率はいいだろう。
でも、オシャレをして必死に地図と格闘しながら行った店がいまいち合わなかったり、勇気を出して買った違うテイストの服を意外と気に入って着用するようになったり、トライ&エラーとサーチ&デストロイを繰り返して今のぼくはある。
だからこうやって想い出をブログにできるわけで、文字や映像を見て知った気になっただけでは体験として語ることはできなかっただろう。
体験に勝る面白話はないし、失敗を知ったからこそ自分にとっての正解を導き出すことができた。


また、ファストファッションの台頭や、かつてはダサいと言われていたユニクロが究極のベーシック服になったことも相まって、今は"安くてまあまあいい服"が求められているのだと思う。
よく行くお店の店員さんが、「これからアパレルはより研ぎ澄まされたニッチなものになっていくかもしれませんね」と言っていた。
この年になって思うのは、「売れるもの・売れそうなもの」を作っているところより、「作りたいもの・好きなもの」を作っているところに惹かれる。
企業である以上、売り上げを伸ばすことが至上の目的であるので、ぼくの言うことは綺麗事ではあるけども。
レナウンブルックスブラザーズなどのアパレル大手があっけなく倒産・破産してしまう昨今。(倒産と破産の違いが未だに分からない)
衣食住の中でも後回しにされがちな"衣"であるからこそ、ベーシック服は安いとこに任せて、好きなやつ向けに着いてこれるやつだけ来いという姿勢で振り切ってみてはどうだろうか。
いくら流行を作ったって、消費者も追いかけることに疲れてるだろうし。