公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

着るか斬られるか

どうして、年寄りの文章に、読点が多いのか、不思議に思ったことは、ないだろうか。
小学生の頃、自分がその文章を読んでみて、一呼吸置く箇所に、点を付けなさいと、教わった。
一説によると、年を取ると肺活量が落ち、息継ぎの回数が、増えるから、自然と読点が多く、入るのだそうだ。
若い子が、「おじさん構文」と揶揄する、メールや、LINEの文面にも、読点がやけに挿入されている。
Twitterで見るような、文章のように、一息で、言いたいことを、伝えてしまう、文章は、見づらいが、個人的には、読点が多い文章は、妙に、不安を煽る。
備えあれば、患いなしとは言っても、過剰だと、それはそれで、読みづらい。


コロナ禍で外出自粛が推奨される中、「洋服の断捨離をしましょう」みたいな記事をよく目にするようになった。
オシャレ着というやつは外出しないのであれば、たくさんあってもしょうがねえなと思う人もいることだろう。
いくつかそれらの記事を読んでみたが、ほとんどに「着る服に迷わなくなった」という意見が書かれていた。
そういう人は大体、今までは洋服がたくさんあっても着たいと思えるものが少なかったのだそうだ。
あとは片付けが楽になったとかどういう服があるか把握しやすくなったとか。


まず、服好きからすれば服を選ぶ時間すら楽しいと思える。
我が家にも洋服がたくさんあるが、着たい服しかないためそれはそれで何を着るか悩むのだが、考えている時間もしんどいわけではなくむしろ充実している。
しばらく着ていなかった洋服も最近買ったアイテムと組み合わせることで新しい発見がある。
そのため、洋服の断捨離を推奨する記事はぼくのように洋服が好きな人や、洋服をたくさん保有していてもきちんと管理できている人向けではないんだと思う。
ただ、記事の見出しに「おしゃれな人が~」「ファッション好きのライターが~」という文言がある場合はなんか引っかかる。
決めつけてしまって何だけどたぶんこういう人って、別に洋服好きでもファッション好きでもないと思う。

diamond.jp

「安いから」「流行ってるから」という理由で特に必要もない服やピンとこない服を買ってしまって、際限なく数が増えているだけではないか。
アメブロを見てるとプチプラファッションのコーディネートを公開している人も多く、一定の需要があることは理解している。
だけど、価格や流行に目がくらんで大して欲しくもない服を購入する人を「ファッション好き」と呼んでいいのかは疑問が残る。
週刊少年ジャンプを毎週読んでいるからオタク」というくらい無理のあるガバガバな主張だ。
そもそもいい年をした大人が価格のみでしかモノの良し悪しを判断できないのも情けない。
安い服というのは安いなりの理由があるわけで、生地がいまいちだったり縫製が雑だったり、賃金の安い外国で大量生産していたりするわけだ。
(もちろんそれ以外の企業努力もあるだろうが)
本来であれば「適正価格でモノを買って長く使う」ことがサステナブルだの何だの言う前にすべきことだと思う。


「洋服は何も解決してくれない」という主張で締めくくった記事も見たことがある。
まあ確かに、人生の諸問題をファッションに託すのはさすがに力不足だとは思うが、別にファッションに問題解決能力は求めていない。
憧れのアイテムを購入したときは部屋の見えるところに置いておいて何度でも見るし、お気に入りの服に袖を通したときは気分がいい。
コーディネートがバシッと決まれば一日ご機嫌に過ごせる。
「自分のことは自分でするべき」という意識を強く持つことは大切だ。
それは家事などの身の回りのこともそうだけど、「自分の機嫌は自分で取る」ことも含まれる。
機嫌が悪いからといって人や物に八つ当たりするのではなく、自分を自分でよいしょして毎日を少しでも愉快に過ごすべきだと考える。
その手段のひとつとして、ぼくにとって洋服とは不可欠なものだ。
まあ繰り返しになるけど、服の断捨離を勧めている記事はそもそもファッション好きに向けたものではないだろうし、ファッション好きにも刺さることはないだろう。
そして記事を執筆している人も、ファッション好きではないと思う。


冒頭の読点の話で思い出したが「藤岡弘、」の名前に点が入っているのは、昔の武将が決断をするとき、一旦立ち止まって一呼吸置いてから自分を見つめ直していたというのに由来しているらしい。
断捨離断捨離言ってる人は、ちょっと冷静になって何のためにモノを手放そうとしてるのか考えたほうがいい。
捨てたところで別に何者かになれるわけではないし、肩書が付くわけでもない。
「捨てなきゃという煩悩に取り憑かれている」と、みうらじゅんさんも言っていた。
というか断捨離って仏教用語かと思ってたけど違うのね。
壇蜜は葬儀場で働いた経験を元に、仏教を参考にして芸名を考えたというのに。