公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

表題が思いつかなかった

近所のスーパーは今まで通常のレジ袋は有料だが、お米を購入するときは無料で袋を付けてくれていた。
7/1からレジ袋が有料になったことは知っていたので多少は覚悟していたものの、案の定お米の袋も有料になっていた。
普段からエコバッグは持ち歩いているので、スーパーでレジ袋はそんなに貰わないようにしている。
しかし、お米+その日に買ったものを入れられる強度のエコバッグとなるとそれなりに限られてくる。
昨日はサラダ油や牛乳も購入したので、エコバッグがムチムチになってしまった。


スーパーはともかくとして、コンビニやドラッグストアなどの袋詰め台がないような店舗は、持参したエコバッグに誰が詰めるのだろうか。
コロナで新しい生活様式が提案されている今、客の持参したエコバッグに詰めるのも感染リスクが高まると思うのだ。
それでなくてもエコバッグを洗う機会って少ないと思うし、汚いエコバッグを店員さんに触れさせるのは申し訳ない気もする。
ぼくは申し訳ないから、レジ打ちしてもらった商品から自分でエコバッグに詰めようと思う。
というか、コンビニで弁当を買うに当たって、エコバッグに入れるのは何か抵抗がある。
コンビニ弁当って脂っこいものやニオイの強いものが多いので、レジ袋をゴミ袋兼用みたいな使い方をして、一枚かませてから捨てる。
エコバッグだと弁当のニオイが移りそうで嫌だし、弁当の容器も包んで捨てられないので不便である。


食べ終わった後の弁当の容器を、水でサッと流さない人の神経を疑う。
ニオイが残り香として空間にへばりつくし、タレ的なものが残っているのも気持ち悪い。
さっきまでおいしく食べていたタレの残党が、捨てられた瞬間からどんどん鮮度や旬を失っていく様を見ているのがやるせない。
あんなにギトギトした容器をよくもまあそんな無造作に捨てられるものである。
室内にいつまでもお昼ごはんのニオイが充満しているのが気にならないのだろうか。


空き缶とかペットボトルを捨てる際にも同じことを思う。
水などの無色無臭な液体ならともかく、コーヒーやエナジードリンクなどの色の付いた飲料であれば、飲み終わったら中身を水でゆすいで捨てるべきだ。
ぼくの住んでいる自治体は缶やペットボトルのゴミ袋が透明なのである。
ふと袋を見たとき、得体の知れない液体がペットボトルからこぼれて袋の底の方に沈殿しているのを見ると、口の中がネバネバするような何とも気持ち悪い感覚に襲われる。


森山直太朗の【うんこ】という歌にこんな歌詞がある。

さっきまで体の中にいたのに
出てきた途端いきなり嫌われるなんて
やっぱりお前はうんこだな

なんかあんまり関係ないけど、さっきまで食べたり飲んだりしていたものが、ゴミ箱に捨てられた瞬間に別のものへ変貌してしまうのだということが言いたかった。