公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

加齢によって傘がない

6/30(火)


昨日くらいからぼくも一緒に働く友人も何だか調子が悪い。
疲れているというか、気分が盛り上がらないというか、仕事に身が入らないというか、そんな感じだ。
これは加齢特有の疲れがなかなか抜けないとか、筋肉痛が遅れてやってくるとかのあれだろうか。
このあたりの年代に向けた毒電波でも出ているのかもしれない。


たまたま見かけたネットの記事で、【コロナで変化したミニマリストたち】というものがあった。
コロナ禍の不安定な物資供給によって危機感を覚え、ミニマリストから【プレッパー】("備える人"という意味だとか)に転向した人がいるらしい。
また、ミニマリストの看板を掲げながら備蓄もする【修正ミニマリスト】というものもいるようだ。
別に好きなように暮らしたらいいと思うし、生き方は都度修正していけばいい。
だけど、この人らはいちいち自分たちを何かにカテゴライズしないと生きていけないのだろうか。
災害や戦争に備えて物資を備蓄しておくことも、不要なものは買わないけれど万一の備えはしておくということも、自慢げに誇示することではなく普通にやっている人はいる。
【危機管理のしっかりした人】でいいじゃないか、そっちの方がよっぽど頼もしい。
「あ、自分一応"プレッパー"やってます」って言いたいだけだろうこの人たちは。
※【修正ミニマリスト】は名乗っているわけではなく、そういう生き方の人を記事内で定義した呼称のようだ。

ミニマリストを名乗っていると、ミニマリストだからこうじゃないかとか、これは買っていいのだろうかとか、気づいたら、他人の評価を気にしてばかりいた。また、ミニマリストの教科書みたいなものが自分の中にあり、それに合わせて生きようともしている自分が、窮屈に感じた。だから、新型コロナを機に名乗るのをやめた」

勝手に名乗ったり名乗るのをやめたり、めんどくさい人たちである。
人に見せるために人生を送っているのだろうか。
修正ミニマリストさんはブログを運営しており、生き方を商売にしているところもあるので、仕方ないのかもしれないが。
どんな分野でも、本物は歪なアピールを必要としない、スマートなものだ。

news.yahoo.co.jp


今日は一日中雨だった。
自称雨人間、晴人間をたまに見かける。
やつらは、あたかも今日の天候は自分の持って生まれた才によるものだと言わんばかりだが、神にでもなったつもりだろうか。
百歩譲って天候を左右できたとして、それは全国の同じ力を持った人間がたまたま揃ってやっとなし得たことであって、お前一人の手柄ではない。
具体的な雨・晴れエピソードとか興味ないしいらん。
仮にお前が雨人間だったとして、じゃあ何で今日来た。
みんなの思い出を壊す気か。


帰宅途中にコンビニに寄り、用を済ませて帰ろうと傘立ての傘を見たら、納めたはずの自分の傘がなかった。
似た色の傘が傘立てに刺さっており、抜いてみると壊れてボロボロになったやつである。
心無いゴミクズ野郎が色が似ているのをいいことに、まだ使えるぼくの傘を盗んだに違いない。
人の傘をパクるやつは一族郎党残らず、本当に不幸になるべきである。
幸いなことに雨が止んでいたのでそのまま帰ろうと思ったとき、左手首に重量を感じた。
見ると、左手首にぼくの傘がぶら下がっていた。
傘を傘立てに納めず、手首に掛けたままコンビニに入り、それをすっかり忘れて傘を盗まれたと勘違いし、店の自動ドアの前で憤慨していたらしい。
もう今日は本当にダメである。