公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

"苦労は買ってでもしろ"とは大抵、苦労を売るやつが言う

先日、事務所に出入りしているシステム屋の営業さんが新入社員を伴ってやって来た。
コロナの影響で自宅メインたまに社内で研修をしており、お客さん周りは6月になってようやくできるようになったそうだ。
4月から働くつもりでリズムを整えてきたのに、今年度の新入社員は災難だったことだろう。
自宅研修という生殺しみたいな環境に2ヵ月も置かれ、ぼくだったら一思いに楽にしてくれと思う。


帰りにドラッグストアに寄ると、レジにやたらと店員さんがたむろしていた。
1レジに2人1組という密っぷりで、お会計をしてもらって気が付いたのだがあの人たちも新入社員なのだろう。
名札がチープだったし、「お母さん、あたし輝いてます」みたいなキラキラ感が眩しかった。
1人がレジ打ち、1人が袋詰めを担当し、緊張の色は見せつつもキビキビかつハキハキと対応してくれた。
袋詰めの店員さんが購入したウタマロ石鹸とミンティアを一緒に袋に入れていいか聞いてきたり、レジ打ちの店員さんが今回のお会計で付与されたポイントを教えてくれたり、新人特有のまわりくどさ(不愉快ではないが)があった。
【食品とそれ以外を袋に入れる際は同じ袋でいいか聞くこと】【ポイントカードに足されたポイントをお知らせすること】みたいなマニュアルがあるのだろう。
ぼくは痔の薬と木綿豆腐が一緒の袋でも問題ないし、そのドラッグストアでは付与されたポイントを教えてくれる店員さんのほうが少数派である。
新人さんたちも、仕事を続けるうちにいい意味で手を抜くことやサボることを覚えたり、変な客に"トイレットペーパー親方"ってあだ名を付けたり、自分なりの仕事術を確立していくことだろう。


ぼくが新卒だったころは、この時期会社を辞めることしか考えていなかった。
7月にはさっさと辞めるのだが、ぼくの前にも同期が数名退職しており、後から聞いたところによるとぼくの後にも同期の退職者が続いたとのこと。
当時は今ほどハラスメント☆ハラスメントしている世の中ではなかったので、【パワハラ】なんて言葉もそこまで一般的ではなかった。
wikipediaによると、パワハラ和製英語として日本に初登場したのは2001年のことらしい。
一般の労働者からヒアリングをし、民間によりパワハラの定義づけがされたのが2003年、厚生労働省パワハラの典型例を明示したのが2012年のようだ。
民間による定義づけから厚労省の動きまでにも紆余曲折あるのだが、詳しくは下記のリンクをどうぞ。

ja.wikipedia.org

"いじめ"だの"パワハラ"だの言い換えずとも、あんなのはすべて【暴力】でいいのだ。
そんなことから、ぼくの職場体験を話す際には"パワハラ"ではなく"暴力"があったと言うことにしている。
ぼくが配属になった店の店長は「厳しい人だが着いて行ければ成長できる」と評されている人だった。
確かに仕事のデキる人だったため、仕事人としては見習うところが多いが、人間としては関わりたくないタイプの人種である。
一度、先輩がミスをしたときは先輩の胸倉を掴んで壁に叩きつけ、大声で恫喝していた。
その際に長テーブルにもぶつかったらしく、テーブルと脚を繋ぐジョイントが歪むほどの衝撃だった。
先輩の身体にも何らかの傷が残っていたことは間違いないので、傷害として届け出ることもできたと思う。
そんな出来事もあり、ぼくが暴力を振るわれたことはないものの店長には好かれていなかったので、心身を崩す前に辞めた。


詳細は伏せるが「そんなこと当たり前」と言われてもおかしくないイメージのある業種だった。
「せっかく新卒で入ったところをすぐ辞めるなんてもったいない」という意見もあった。
当たり前かなんか知らんけど、暴力行為が常態化しているような環境が異常だと思えないのなら間違っているのはお前らだ。
道で突然誰かの胸倉を掴んだら暴行なのに、職場でならOKしていいわけがない。マゾかお前は。
やむにやまれぬ事情があるのならともかく、買ってでもしたほうがいい苦労なんてこの世にはない。
必要のない苦労はしたって成長しないし、疲れるだけだ。


その後ぼくの社会人人生はロクなものではなかったのだが、あのまま残っていたら腕の一本くらいは持っていかれたかもしれない。
今は恵まれた環境にいるので、結果的にはよしとする。
しなくてもいい苦労がたくさんあるとさっき言ったが、いらん苦労を経験していると理不尽な目に遭わされるツラさを知っている分、他人に少しは優しくできると思う。
「自分が理不尽な経験をしたから、他のやつらにも同じ思いをさせてやる」という思考のやつが一定数いるから、この世からアホはいなくならないのだが。