公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

丸出しの気持ち

人間の行動の根底には大体、リビドー(性的欲望・性的衝動)があるらしい。
モテたいからおしゃれをし、化粧を研究し、人気のグルメを探し、身体を鍛えたり人に優しくしたり、カッコいい音楽を聴いたりする。
異性ウケを狙っていることを丸出しにする人もいれば、誰も見ていないところでひっそりと毛づくろいをする人もいる。
自分はモテを意識した軽薄な人間じゃないと思う人もいるだろうが、気が付かないから深層心理なのであるし、別に全ての行動が性的欲求に基づいているわけではないと思う。
ただ、人間にとって異性の目というのはそれだけ重要なのだ。


ぼくももちろんモテたいからあれこれしているが、この年になると自分から出会いの場に赴かないと異性と交流する機会もない。
「自然な出会いをしたい」とほざく人もいるが、そういう人にとっては「出会えないこと」が自然なのであって、家庭的でおっぱいの大きいケーキ屋店員や、フェラーリに乗った実業家は待っていても迎えに来てはくれない。
モテを研究したり、積極的に出会いの場に赴くことを「必死すぎる」と評する人もいるが、自分の人生に関わることに必死にならずしていつ必死になるのか。
欲しいものは髪を振り乱し歯を食いしばり、周りを押しのけてでも死に物狂いでつかみ取らねばならない。


もちろん頭では分かっているが、ぼくは人見知りな上に斜に構えた性格なので、いざ異性と交流する場に行ったとしても、自分から話しかけることがなかなかできない。
しかし、テンパっていると思われたくないので周りの人々を観察し、意味ありげな笑みを浮かべて、自分は物事を俯瞰して見られる冷静な人間で、いろいろな価値観に触れることで新しい自分を発見しに来ましたみたいなニヒルさを演出しているが、実のところはすみっこでニヤニヤしている気持ちの悪い人間である。
よっぽど顔がよくない限り、異性から話しかけられるなんてことはないので、ブサイクこそ積極的にいかねばならない。
しかし、つまらないプライドや自尊心、何より自分の気持ちを周囲に知られることに抵抗があるので、何の釣果もなく毎日が過ぎていく。


ぼくがいつもジョギングをしているコースには、部活中の中高生や近所のおっちゃんおばちゃんなど、老若男女いろんな人たちが走っている。
たまにその中に、男女混合の社会人ジョギングサークルみたいなグループがいる。
コースの開けたところに固まって何やら打ち合わせっぽいことをしたり、各々のペースでコースを周回したりしている。
一人で黙々と走っている人もいれば、数人のグループでおしゃべりをしながら走っている人もいる。
この人たちは気の合う仲間と楽しく走りたいのだろうが、最終的には棒と穴の付き合いに持ち込みたいのだろう。
一緒に夜の持久走をしてくれる相手を見つけるために、サークル活動に励んでいるのだ。
そんな人たちを見て必死だと感じたり、ぼくみたいに斜に構えて皮肉を言ったりする人もいるだろうが、出会いを求めるために行動できている分、言うだけの人間より何歩も先に進んでいる。
行動したからと言って成果が出るとは限らないが、行動しないと何も見つかりはしないのだ。
「やればできるけど、あえてやらないだけ」というスタンスでいるようで、実際は今の自分にはそれが手に入らないと分かっているから貶すしかないのだ。
口だけ人間は、自分のこんなところを認めてくれる人間がいつか現れるかもしれないと淡い期待を抱いているが、そもそも数を打っていないので見つけてもらえる可能性もゼロに近い。
逆の立場で考えてみて、わざわざお前を選ぼうと思う人間がいるだろうか。
結局、「出会いがないのが自然」という状態になり、不自然だと軽蔑していた出会うための手段を使わざるを得なくなる。


欲しいものは欲しいと表明しないと手に入らないし、果報は寝て待っていても来ない。
寝ていて何かが来るとしたら、それは自分にできることを全てやり尽くした後だ。
興味のない人間に「本当はモテたいんでしょ?」とほじくるのは嫌味だが、実際に行動している人間を何もしていない人間が馬鹿にするのは違う。
何でもやってみないと分からないという無責任なポジティブ思考は嫌いだが、一生懸命な人間を悪く言うのも間違っていると思う。
毎晩毎晩、ひとりで短距離走をしている場合ではない。