前回の純恋歌考察に続いて、今回は当時流行っていた日本語ラップのとある風潮について。
湘南乃風が人気を博していたあの頃、日本語ラップやレゲエの人たちはとにかく"感謝"をしていた。
父親・母親・恋人・友人(ツレ)、地元…
自己満足のために無断で登場させられた関係者は枚挙にいとまがなかった。
マイルドな見た目のグループも、チンピラ集団のようなグループも一通り感謝はしていたようだが、
悪そうなルックスをしている人らが感謝を口にすることで、ギャップがより演出されてウケがよかったのだろう。
1.
どうしようもなく悪かった俺
↓
2.
お前との出会い
↓
3.
真実の愛を知った
↓
4.
こんな俺を愛してくれたお前にマジ感謝
↓
5.
今まで迷惑かけた両親にマジ感謝
見捨てずにつるんでくれたツレにマジ感謝
4から5までに至るマインドがいまいち理解できないのだが、
真実の愛を知ることにより、今まで当然だと思っていたものの尊さを認識できたのだろう。
感謝の対象は近場のこじんまりとした範囲で、昔のジャマイカのミュージシャンみたいに
大地や生命などスケールの大きなものへのリスペクトは登場しない。
当時は【マイルドヤンキー】なんて言葉はなかったが、
友人や恋人、両親や地元を大切にするという思考が、マイルドヤンキーの土壌を作ったのだろう。
これら感謝ソングの背景にあるのは、【悪かった俺】というバックボーンである。
感謝したいけど素直になれない自分とか、ダメな自分に対する葛藤とか、若さゆえのとんがってた時代を歌っている。
ぼくはいつも思うのだが、マイナスから更生した人間を過剰に褒め称える風潮はやめるべきだ。
悪いこともせず真面目に生きてきた人間の方が素晴らしいに決まっている。
感謝ソングを歌っている強面の人らは、勝手に迷惑をかけて勝手に更生して、勝手に感謝しているが、
この人らが最初にやるべきなのは迷惑をかけた人間に謝ることである。
お前らに嫌な思いや悲惨な体験をさせられた人は、そのときの気持ちを未だに引きずっているかもしれないのだ。
『犯した罪の償いはどんなに心血を注ごうとも誰かが許すことなしでは償いにならない』とはるろうに剣心に登場したセリフだが、
チンピラたちがいかに感謝を口にしようとも、被害者が許さなくては贖罪にはならない。
仮に許してくれなかったとしても、謝意すら伝えないのであれば感謝は完全なる自己満足となる。
光があるから影があるのである。
お前の独りよがりなポジティブシンキングの裏には、積み上げきた負の部分、ネガティブな領域が必ず存在する。
そのネガティブな部分も含めてお前なのだ、目を逸らすな、ネガティブな部分にも向き合って感謝しろ。
『許してくれたあいつにマジ感謝』
『許してくれなかったけど、この体験にもマジ感謝』
感謝の正拳突きをし、お前と出会えたこれまでの全てに感謝しろ。