公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

それがおれたちのやりかた

先日、コーヒー屋さんのカウンターでカップルがぼくの隣に座った。
20代前半くらいのふたりで、彼女は私服だったが彼氏はスーツである。
足元がドクターマーチンだったので就活中か新人研修中といったところだろう。
数年前に流行って以来、リクルートスーツにマーチンを合わせる大学生をとにかく見るようになった。
あの極太イエローステッチとクリアブラックのラバーソールはスーツに合わせるととにかく浮く。
しかし、一応は革靴っぽく見えるので、お堅い職場でもない限りは就活用に買わなくていいのはありがたいのだろう。


春になると、死んだ目の新社会人を見るのが楽しみだ。
受け身でよかったモラトリアムな学生時代が終わり、能動的に仕事に関わらなければいけなくなる。
加えてコロナ禍だ。
今年の新卒といえば、大学途中からコロナが始まった世代だろう。
大学の思い出を満足に作ることなく、不便と自粛を強いられた挙げ句、就活も例年とは違った様相を見せたはずだ。


仕事がつまらんだの社会は理不尽だの言うのはあまり好きではない。
あくまで自分にとってそうだったというだけで全体がそうではないわけだ。
ぼくもしんどいことはあるけれど、人生には概ね満足しているし、幸せなので楽しくやっている。
それに、先に社会に出た人間として言えることが「とにかくしんどい」しかないなんて情けない。
訳知り顔で斜に構えて人生の本質を知ってますよ的にネガティブなことを言うだけの人間なんて、誰にも相手にされない。
ネガティブなことを言っといたほうがなんというか、日本的な謙遜の文化として受けがいいのだ。
喧嘩ばっかですとか、独身の頃のようにはいきませんとか言ってる夫婦だって、ガッチリとセックスをしているのだ。
だけど、「昨日は旦那がノリノリで獣のように三回戦くらいやりました」なんて言うわけにもいかんので、適当に謙虚な振りをしてお茶を濁しているだけだ。


先日ジャンプ+に掲載されていた読み切りにこんなやりとりがあった。
主人公は悠久の時を生きてきた不死者で、あるときこう訊ねられる。
『世界はお前に優しくなかっただろう!?なのになぜ他人に優しくできる?』
すると主人公は『優しくされたときの喜びを覚えてるから』と答えるのだ。
(この作者さんの読み切りはどれも面白いのでオススメ)

社会は理不尽で、自分の信念ややりたいことが大きな流れに邪魔されることもある。
世の中には、自分の考えも及ばないくらい頭のおかしいやつがいて、そいつらに合わせることが『社会でうまくやっていくやりかた』とされがちである。
なんでお前みたいなもんと付き合わないといけないのかと思っても、そういうやつが『いい上司』とかの評価を受けていたりするのだ。
だけど、理不尽さを味わっておいたほうがいい理由は「自分は他人に理不尽な思いをさせないようにしよう」と心に刻むためだ。
本当は身をもって体験しなくてもデフォルトで人に優しくできればいいのだが、そう出来た人間ばかりでもないだろう。
社会や仕事に対して過度に後ろ向きに捉える必要はないが、重要なのは期待をしないことだと思う。
あとはまあ、どんな仲のいい友達だって、好きな恋人だって、居心地のいいコミュニティだって、最初から馴染んでいたわけではないだろう。
めんどくさい社交辞令や嫌なことを見て見ぬ振りする能力を駆使し、馴染む努力をして初めてベストな環境を手に入れられたのだ。
だから最初からクソみたいな環境と諦めずに、かつ過度な期待をせずに、周りを見てみたら意外と優しくしてくれる人がいるかもしれない。
そもそも、慣れない場所に決まった時間に毎日来ているだけでも偉い。


まあ社会が理不尽であるということはそれを構成する人々も理不尽なので、優しさの連鎖ではなく理不尽の連鎖が繰り返されているこということなのだが。
就職して離ればなれになるのを機に、一組でも多くのカップルが別れますように。