公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

コンシェルジュ牛すじおじさん

百貨店でバレンタインフェアをやっていたので、甘いものを調達しに行ってみることにした。
生チョコが食べたい気分ということもあり、複数出店している店の中からよさげなお店を見つけ、カウンターの中にいたお姉さんに味の特徴などをレクチャーしてもらっていた。
お姉さんに「誰かにお渡しする用ですか?」と聞かれたので、「自分で食べる用なんです。生チョコが食べたい気分だったので。やっぱり何でも生が美味しいですよね。お姉さんもナマが好きですか?」という返しをお会計が終わってから思いついたのである。
しかし、チョコが他の甘味より圧倒的に値段が高いのはどうしたことだろう。
ぼくの持論では、プリンとシュークリームとチョコは一定以上の価格帯を超えると大体何を食べても似たような味がする。


50才・60才から上あたりの年寄りはなぜあんなに人間性が終わっている人が多いのかと疑問に思う。
商品やポイントカードの読み取りは店員さんがやってくれるが、支払いは客がやるタイプのセミルフレジが最近増えてきている。
個人差はあるが、ぼくのよく行くスーパーでは商品の読み取りをしてくれた店員さんがセミルフレジの画面を指して「お支払い方法をこちらからお選びください」と導いてくれる。
今日もレジに並んでお会計をしていたら、ぼくの後に並んでいたジジイが商品の読み取りを終え、隣のセミルフレジでお会計をするところだった。
「お支払い方法をこちらからお選びください」という店員さんに対して、「分かってるわ」と邪魔くさそうに言うジジイに対して非常にもやっとした。


店員さんはお前がレジの使い方を熟知しているかどうか把握しとらんのだよ。
スーパーというのは効率化の象徴なわけだから、均一なサービスを提供することで成り立っている。
どの客に対しても同じような接客をするのはコストや効率の面から考えれば分かることだ。
行きやすい立地にあるから、品揃えが豊富だから、営業時間が長いから、などの便利さを求めてスーパーに行ってるわけじゃない。
だったら便利さの代償も受け入れなければならない。
便利さもホスピタリティも両方求めると今の価格でサービスを提供することが難しいし、負担は労働者にのしかかる。
みんな便利で快適な社会に慣れ過ぎて、裏で人知れずがんばっている人たちの苦労を想像することを忘れて思いやりが消え失せている。
常に機嫌よく過ごすことは難しいから些細なことにイラっとするのは分かるけど、店員さんに感情をぶつけるのは間違っている。
こういうジジイに限って、店員さんの判断で行動したら「勝手なことをするな」「何で○○しないんだ」などと理不尽にキレるのだ。
プラカードでも持って歩いとけよ、「私はセミルフレジの使い方を把握しているので助言は不要です」って書いたやつ。
セミルフレジの使い方をご存じなんて素敵ですね」ってお前のちっぽけなプライドを満たしてくれる誰かが現れるかもしれんぞ。
顧客一人一人に合わせたサービスをお望みなら商店街にあるような個人商店の常連にでもなるか、コンシェルジュがつくような高級スーパーにでも行けばいいじゃん。そんなのあるのか知らんけど。


スーパーにいるおっさんというやつはとにかくイレギュラーな行動をとる。
別に差別の意図はないのだが、歩道を複数人横並びで歩いたり、駅などの公共スペースの動線ど真ん中で立ち止まったりするのは圧倒的に女性が多い。
もちろん男性でもそういう行動をとる人間はいるが、どうも女性によく見られる傾向であるように思う。
女性は空間認識能力が低いからという説や、そもそも道を譲る意識が低いなどの説を聞いたことがあるが、まあそのへんはどうでもいい。
それがスーパーになると、障害物になる割合の男女差が逆転する。
夫婦と思われる男女二人連れでスーパーに買い物に来ているペアのうち、邪魔になるのは男性、しかもおっさんが多い。
不思議なことに邪魔になるのはソロプレイヤーのおっさんではなく、夫婦連れで来ている片割れのおっさんに限る。
たまたま何かしらの理由で買い物に同行し濡れ落ち葉のように奥さんにピッタリくっついているものの、自分で食材を選んだり、夕飯について積極的に提案するわけではない。
おそらく買い出しや日々の食事は奥さんがメインで担っていて、旦那はあまりスーパーに来る機会がないのだろう。
奥さんがお肉を選んでいる近くにボーっと突っ立って牛すじ肉を手に取り物珍しそうに見ていたりするので、スペースを二人分占有して邪魔なのだ。
荷物持ちはお会計が終わってからするわけだから、商品のピックアップにコンシェルジュのように付き従う必要はない。
ちょっと離れたところにいればいいのに、手持ち無沙汰になって迷子になるのが怖いのだろうか。
空いているときならいいのだが、夫婦で買い物に来る人らは基本的に混んでいるときに来るので余計に邪魔なのだ。
これが判断力や瞬発力の劣るジジイになるとなおのこと障害物と化す。
カップルなんかは鍋に入れるお肉や野菜を仲睦まじく選んでいて、まあそれはそれでイラっとするのだけど、二人で来店する意味がある分だけ何とか許容できる。


昔バイトをしていた古着屋の店長が「いいサービスを受けたかったらいい客であるべし」と言っており、非常に感銘を受けたので今でも実行している。
店員さんは一人の人間であってロボットではない。
給料をもらって働いている以上は最低限の仕事はするものの、人間であるから感情もあるわけで、厚意によって親切にするかどうかは個人のさじ加減だ。
ぼくが接客する側だったら礼には礼を、非礼には非礼を以て返す気になる。
丁寧なお客さんであればできる限り要望に応えようと努力するし、気持ちのいい買い物をしてもらいたい。
店員だろうが年上だろうが初対面でため口をきいてくるような奴は育ちを疑う。
やっぱりアホや無礼なやつの相手をするのは疲れる。
仕事であると割り切れるのならいいが、コンディションの悪いときに変な客に当たれば嫌な気分を受け流せないときもあるだろうし、いつも柳のようにいることはできない。
接客業に就いたのは古着屋が最初で最後で、ぼくはアホの相手をするのは向いていなかったようだ。
そのときの教えは今でも生きているので、何でも経験してみるものだとは思う。
どんな業態であれ店員さんにとって負担の少ない客でありたいと思うので、チョコレート屋のお姉さんに「ナマが好きですか?」とは聞かなかったのだ。
ちなみにチョコはナマが大好きなお姉さんのお店で買って帰った。
美味しかったです、ありがとうお姉さん。やっぱり生がいいですね。