公共の秘密基地

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ある日の少年とコート その二

mezashiquick.hatenablog.jp


前回の続き。


踊る大捜査線の青島コートに憧れて、同じものが欲しくなった当時小学生のぼくであったが、
地元は田舎のため、どこで売っているか分からなかった。


地元のスーパーに入っている洋服屋にもそれっぽいものが置いてあることは置いてあったが、
子供から見ても安っぽいのは明白だった。


その後、どうにかして隣の市によさげなものがあることを人づてに聞き、入手することに成功したのだった。


正直、入手までの過程に特にドラマチックなものはないし、正直あんまり覚えてないので、あっさりと書かせてもらった。


購入してからの思い出も、踊る大捜査線THE MOVIEが公開される際に着用して観覧に行ったくらいである。


ぼくが青島コートから得たことと言えば、自分のルーツを大事にしたいということと、
アイテムそのものよりもそれにまつわる思い出が大切ということだ。


最近はモノよりも体験にお金を使おうという動きが多いらしいが、
ぼくはどちらかと言えばモノ(洋服)にお金を使っているほうだ。


じゃあ体験をないがしろにしているかと言われればそうではなく、洋服一着一着にも思い出があるのだ。


何時間も悩んで購入した洋服、ここぞという場面で必ず着用する洋服、ボロボロになっても直しながら着ている洋服、
青島コートのように、とにかく手に入れたくて憧れの的だった洋服。


週刊少年マガジンで連載している【ランウェイで笑って】という漫画で、
『洋服とは毎日着るものだから、常に思い出を共にしている』
みたいなセリフがあった。


うろ覚えな上に作中で言ってたセリフは検索したけど出てこなかったので、
良さが伝わっているかと言われれば自信はないが、非常に心に残った言葉だ。


そのときは何となく買ったアイテムで、特に思い入れがなかったとしても、
着ているうちに後付けで思い出が付与されることもある。


青島コートについても、コート自体の思い出というよりもそこから学んだことや、
好きだった踊る大捜査線絡みのイベントのおかげで、思い返しても微笑ましいイベントが多かったように思う。


当時のコートは確か今でも実家のタンスにあったと思うが、その後、大学生くらいになって
古着屋でモッズコートを見つけ、懐かしくなって購入した。


そいつは既に手放したのだが、手元にはまた別のモッズコートがある。


年中着ているわけではないし、どちらかと言えば他のコートのほうをよく着るのだが、
多分モッズコートはずっと着続けると思う。


次回は踊る大捜査線絡みの体験で覚えていることを書いていく予定。