公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

僕の頭の中の

最近、薬局の店員が割引クーポンをくれないとか、公共の場で気遣いできない人間が許せないとか、
ブログで文句ばかり言っている。


自分のことをいつも甘やかしてくれて、何を言っても許してくれる
ぼくの心の中の浜辺美波ですら、眉間にシワが寄ってきたので、
美しい世界の話でもしないと愛想を尽かされてしまう。


幼稚な精神の上にボーっと生きているので、世間の静かな物事にはどうも気が付きにくく、
分かりやすい派手なものばかりに目が向いてしまう。


世の中、自分で見ようと思わないと認識できない美しいものが多いので、
マイナスなことには不感症でいいけど、プラスなことには感度を高めていきたいと思うのだ。


先日、帰宅すると他の住人がオートロックを開けて建物に入ろうとしているところだった。


距離が近ければ小走りになって、住人の後に便乗して入るところだが、
ぼくの位置からエントランスまではそこそこ距離があったので、改めてこっちで開錠して入るつもりでいた。


だが、先に入ろうとしていた女性は、一度後ろを振り返ってぼくに気が付くと、ご丁寧にもドアを押さえて待ってくれていた。


急ぎ足でエントランスまで行き、お礼を言うために女性の顔を見たのだが
彼女が笑顔をこちらに向けていたことが非常に印象的だった。


たかだか笑顔でと思うかもしれないが、知らない人に対して笑みを向けることって
思い返しても意外にないのではないか。


見ず知らずの他人に対して笑顔を向けられる人って、普段から満たされている人なんだろう。


だから、周りに何かを与えたりできるし、見返りを求めずに行動ができるのだ。


そういう人にとって、満たされているかどうか、自分はいろんなものを持っているかどうかは
あくまで自分が決めることなので、所有しているものを他人と比較することはない。


お金がたくさんあってもまだまだ足りないと思う人もいるし、
慎ましい暮らしをしていても、幸福度の高い人もいる。


自分は持っているものが少ないと思っていると、誰かのために動くことは何かが『減る』と感じてしまうので、
与えることができないし、与えたとしても返してほしいと思ってしまう。


ドアを押さえてくれた彼女は普段から親切な人なのか、たまたま機嫌が良かったのかは分からないが、
ぼくもボーっとせずにちゃんとお礼が言えてよかった。


人の善意を当たり前と感じる人間にはなりたくないし、してもらったことに対してはどんなことでも
きっちり感謝のできる生き方をしたい。


ぼくはまだまだ器の小さい人間だし、欲深いので足りない足りないと思いがちだが、
今あるものに感謝していきたいし、見返りを求めずに与えられるようになりたい。


心の中の浜辺美波に対する好感度が稼げたのでおわり。