昨日の続き。
読書会当日になり、ちょっと恥的知的な服装をして会場のコーヒー屋さんに向かった。
会場が喫茶店の割にはそこそこ参加者がいて、10人くらいだったような気がする。
年齢や性別を問わず色んな人がおり、男女比は半々くらいだった。
読書に限ったことではないが、趣味それ自体が好きというよりも
『こんな趣味を持っている自分が好き』というやつがいることもあるので、
自己顕示欲の塊みたいな人間がいたら面白いなと思っていた。
各々緊張しつつも和やかな雰囲気で読書会が始まり、
ぎこちなさを感じさせつつ時間は進んでいった。
読書会初参加のぼくがまず驚いたのは、持参している本に付箋を貼ったり、
マーカーで書き込みを入れたりしている人が意外に多いことだった。
ぼくは本でも洋服でもCDでもできるだけキレイな状態を保ちたいと思うタイプなので、
付箋なら剥がせばいいが、マーカーで線を書くなど考えられなかった。
意見交換の場になると、自分的なポイントを覚えといて
発言をスムーズにするのは有効だと思う。
また、後から読み返したときにも、当時の自分はこういうところに意識を向けていたのかという
気付きにもなるので、今の自分とのギャップを感じられて楽しいだろう。
一方ぼくは家に本はたくさんあるが、読んだ内容はほとんど覚えていない。
別にそれはそれでいいと思っているし、逆に大量の蔵書の中に一節でも覚えている内容があれば、
自分にとって何か得るものがあったということだろう。
課題図書についての意見交換をした後、残りたい人は会場に残っていろいろ話しても構わないということだったので、
とりあえず残ってみんなの話を聞いてみることにした。
『趣味が好きな自分が好き』というタイプどころか、ほぼ全員が読書ガチ勢で、
ぼくみたいに漠然と『あ、読書めっちゃ好きっす』みたいな甘ちゃんはいなかった。
どちらかと言えば自己顕示欲の塊はぼくだったかもしれない。
課題図書が海外文学なこともあってか、話題も海外の小説についてが主で、
驚くくらいみんな作品に精通していた。
『海外文学とかも読むんすよ』と無駄に知的アピールをしたいわけではなく、
本当に好きで読んでるんだなということが伝わってきた。
いわばこの人らは海外文学だけ5億冊くらい読んだような人らで、
そういうアンバランスさにシビれを感じた。
(まんべんなく読んでいるとは思うが)
なんかこの人変な人だなと感じることもあったのだが、それは決して馬鹿にしているとか
見下しているとかではなく、一点集中で好きなものを極めている人間特有のアンバランスさが
非常に魅力的だと思ったのだ。
以前もブログに書いたことがあるが、ぼくは変な人に会うために旅をしているので、
反社会的な分野でない限り、クセのある人との出会いは大歓迎だ。
そしてこれも以前に書いたが、変人に会いたいと言っている割に、ぼくはあまり冒険をしたがらない
常識的かつ安全パイを取るような性格をしているので、いざ常識を外れた人に会うと引く可能性が高い。
その点、読書という好きな分野であればある程度の変人も許容できるし、読書という趣味の性質上、
情緒的な変人に違いないと思うのだ。
長くなったのでその③に続く。