公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

自分プロデュースに必死

今は毎シーズン何作かアニメを見てるくらいだけど、昔は恋愛シミュレーションゲームをやってたり、消費者側としてコミケ的な活動にも参加したりしたことがある。
昔はそうしたオタク的な活動、というか二次元的アニメ的趣味を好んでいる人間に人権はなく、白い目で見られていた。
ぼくらの両親世代になると宮崎勤事件の影響もあってか、より印象は悪かったように思う。
当時はネットが未発達で、何より住まいが田舎だったため同じ趣味の人間も少なく、閉じたコミュニティで活動するしかなかった。
それでも楽しかったし、ひねくれたオタクが持ちがちな選民思想のような歪んだ考えもなく、地元で開催されたアニメのイベント会場の前でまほろさんの等身大パネルと写真を撮ったときのぼくは心からの笑顔をしていたと思う。
当時一緒にオタク趣味を楽しんだ友人とは、住む場所は分かれてしまったけれども今でも付き合いがある。


そのため、オタク趣味を公言しやすくなった現代が気楽であると思う一方で、価値観の相違を感じることも増えた。
ぼくは自分がアニメオタクであると思ったことも自称したこともない。
出会ってきたオタクたちの中はオタク活動にパラメーターを全振りしている人もおり、人間的に非常にアンバランスだった。
世間的には評価されなくてもその癖のある感じが魅力であり、その情熱が非常に素晴らしく、好きなことをやっている人間の輝きを感じたものだ。
ぼくは当時からファッションが好きだったため、アニメやゲーム以外にも自分の核となる部分はあったし、ゲームは今は全くやらないし、大量のアニメを見倒したわけでもない。
オタク趣味に全傾倒している人を知っている立場からすれば、簡単に名乗るべき肩書でないと思っているのだ。
全力で振り切ってこそのオタクだと思うし、ぼくはなりふり構わずひとつのことに熱中することはできない。
だから、今の「おれ?オタクだけど」的な感じで気軽にオタク趣味をアピールする、オタクという言葉が軽くなった風潮はあまり好きではない。
(個人的には”ヲタク"という言い方も好きではない)
知識の量や使った金、好みのジャンルなどで趣味の優劣は決まるわけではないし、そもそも優劣など存在しないと思う。
だけど、ジャンプを毎週読んでいたり、深夜アニメを少々見ていたりするレベルでオタクを名乗られると、何だかがっかりしてしまう。


以前、ビッグコミックスピリッツで連載している漫画家さんがTwitterに投稿した内容で覚えているものがある。
美容院で髪を切ってもらっているとき、自分が漫画家だという話になり、その美容師が「自分は漫画にめっちゃ詳しいからどこで書いてるか教えてほしい」と言ったのだそうだ。
漫画家さんは自分の掲載誌を明かしたのだが、美容師の回答は「分からない」だったらしい。
いわゆる三大漫画雑誌、ジャンプ・サンデー・マガジンしか知らないという人は多いだろうし、それは別に咎められることではない。
「詳しい」と言ってしまうことが問題なのだ。
「好き」くらいに留めておくのがベターな選択肢だと思う。
"詳しい"と言ってしまうと、厄介な人から知識でマウントを取られたり、上記の例のようにがっかりされたりする可能性がある。
否定してくるような面倒なやつもいるけれど、"好き"にしておいたほうが危険は少ないと思う。
おそらく件の美容師も、ジャンプの一部作品を毎週立ち読みしているか、いいところ三大漫画雑誌くらいしか読まないくらいだろう。

togetter.com


また、主にマスメディアのアニメへの擦り寄り方もちょっと複雑な思いがする。
昔はオタクへのバッシングを率先して行い、「気持ち悪い」というレッテルを貼りまくっていたメディアが、今はアニメを全力で利用して数字を稼ごうとしているのは滑稽に思う。
鬼滅の刃フィーバーは記憶に新しいだろうが、あれから声優も地上波のテレビ番組にバンバン出るようになった。
「泣けるアニメ ベスト50!」みたいな番組も、ぼくが見ていた頃は母を訪ねて三千里*1の親子再会、ラスカルを野生に返す場面、みなしごハッチでカマキリのおじさんが死ぬシーン、パトラッシュとネロが天に召されるくだりなどが毎回上位で、ワイプで柴田理恵が号泣するまでがセットだった。
Airびんちょうタンが紹介されることなどなかったし、流れたとしてもお茶の間が妙な空気になっただろう。


今は平成後半のアニメもランクインすると聞いているし、適当な芸能人を出演させてお茶を濁すのではなく、アニメ(大体エヴァとか)が好きな出演者でしっかり固めているようだ。
別にいいんだけど、ああいうのってこっちが滑ってるみたいで恥ずかしいのだ。
声優専門のラジオやテレビ番組って妙な挨拶があったり変なコーナーがあったりして独特な雰囲気なのだが、たまにそのノリを地上波番組に持ち越す人がいると、内輪受けが理解できず空気の読めない大学生にしか見えない。
番組内で野沢雅子が悟空の声をやるくらいならまだいいが、若手声優が深夜アニメのよく分からんキャラの演技を全力でさせられて、スタジオが堪らない空気になるのはこちらの心が痛くなる。
ランキング形式でアニメが紹介される番組も、若い子なら最近のアニメが取り上げられると「このシーン流すとか冒険してんなあ」と分かってる自分に酔いしれてニヤニヤできるのかもしれないが、ぼくはただひたすらに恥ずかしい。
結局、今まで隠れていたものが急に明るみに出されて、当人たちはどう思ってるのか知らないけれどそれを楽しんだ者たちからすると、眩しさに目が追い付いていないのだ。
十数年経っても慣れないのだから、これはもう一過性のものではないと思う。


だから、先日たまたま見つけたこちらの書き込みはなんとなく理解できる。

anond.hatelabo.jp

妙に意識高い系の趣味にしないでほしいというのは同意するものがある。
今まで粗野だとされていたもの、日陰に置かれていたものを「オシャレな自分が楽しんでます」「意外にこんなのも好きなんですよ」みたいなスタンスで「あえて」「ハズし」でやってる感が鼻につく。
高校生の頃に読んだメンズファッション誌で、各界の著名人がおススメの映画を紹介するコーナーがあった。
その中で、男前のサロンスタッフ("美容師"とは紹介されてなかった)が好きなアニメから選んでみました、というコンセプトで三作品紹介していた。
サロン系のファッションが流行っていたため、美容師がファッションリーダーとしてもてはやされていた時代である。
アニメがサブカルだった当時、同好の士を見つけたようで嬉しくなったのだが、彼が挙げていたのは攻殻機動隊やよく分からん海外アーティストのPVだったのだ。
攻殻機動隊はいいが、アーティストのPVはアニメーションかもしれんがいわゆるアニメじゃないだろうと腑に落ちなかったのを覚えている。
サロンスタッフの彼が本当にアニメが好きなのか、自分にギャップを持たせるためにあえて楽しんでいるのかは知らない。
ただ、そこまでしてオシャレさをアピールするあたりが(しかも本来オシャレでないものを使って)小賢しいなと言うか、「自分の手にかかれば野暮なものでも洗練させられますよ」的な姿勢が嫌だった。


サウナの例にあてはまるのは、立ち飲み屋や角打ちなんかもそうだと思う。
女性だけでも利用しやすいお店、オヤジ趣味を排したスタイリッシュなお店などが増えてきている。
とりあえず「ととのう」とか言い出してからサウナ界にも意識の高い人間が増えた気はしていたので、業界のことには詳しくないけれど上で紹介した記事は共感した。


アニメに限らず、生活を豊かにするコンテンツがたくさんあるのだから、話題についていくためにも広く浅く楽しむ姿勢が正解なのかもしれない。
ぼくのような古いタイプの地球人はいずれ淘汰されていくことだろう。
別にライトなオタクに腹が立つとか、アニメが大々的に取り上げられることに文句を言いたいわけではないのだ。
ただなんかビックリしているだけなのだ。

*1:一里=約4㎞