Patagoniaの洋服は着たくないという人の話を聞いたことがある。
理由は、『便利すぎるから』とのことだった。
暖かく動きやすいなど、機能的にも抜群で、ファッション性にも優れている。
こんな便利な服を知ってしまうとそればかり着てしまうし、
コーディネートを考えなくなるし、工夫しなくなると言っていた。
極度な便利さは人間から思考を奪い、何のこだわりもない肉塊にしてしまう。
Patagoniaの例とはまた少し違うが、最近蔓延している白いソックスは
あれどうにかならんもんか。
ちゃんとこだわりを持ってセレクトしているのならともかく、
安直に安易に選んでいる人が多い気がする。
コーディネートに抜け感は生まれるし、『ちょうどいい』のかもしれないが、
『ちょうどいい』で満足してどうするか。
白ソックスは極端に外すこともないが、ホームランを打つこともない。
『気に入ってこればかり選んでしまう』というよりは、
『考えるのめんどくさいしこれ』という思考に陥っている。
考えることを放棄し、死んだように明日を生きているだけだ。
確かに、洋服に求めるものは人それぞれであるから、『ちょうどいい』で満足する人を
責めることはできないし、人のこだわりに口を出すのは不毛だ。
ファッションにはあまり興味ないけど、周囲から浮かない程度のファッションをしたい人。
自分に何が似合うか分からないから、とりあえず流行っているものから試す人。
とにかく流行を追いかけたい人。
俺式・私式を助長するクセだらけの相棒を求めてさまよっている人。
以前、ファッション系のあるブログを読んでいたとき、昔は派手なソックスを履いていた筆者が
白ソックスに挑戦してみようとする記事があった。
ブログの人はアラフォーらしいのだが、
『自分ではカッコいいと思っているスタイルがいつの間にかダサいと思われないように、
時代の波に取り残されないようにしたい。』
とあった。
もうその精神がダサいというか、カッコいいと思ったスタイルは周りなんか気にせずに貫けばいいのに。
『ファッションは移り変わるが、スタイルは永遠』
みたいなことをシャネルの創業者が言っていた気がするが、どれだけ周囲から浮こうが、変な目で見られようが、
続けることは何ものにも代えがたい自分のスタイルでありキャラクターとなる。
その人は5ポケットのジーパンに派手柄ソックスを合わせようとしていたが、
ベーシックなアイテムに飛び道具的なアイテムを足せば、どっちに振りたいのか分からない
方向性が見えないファッションになって、違和感があるのは当然である。
派手なソックスを履くのは恥ずかしいことではなく、
SNSで見かけないから履くのをやめようという思考が恥ずかしい。
洋服に求めるものが少ない人の考えなら別にいいと思うが、
ファッション系のブログを運営しているファッション感度の高いであろう人が
このスタンスなのはちょっとがっかりした。
ぼくは柄物のソックスが好きなのだが、今はどこの店でも
ソリッドの靴下ばかり置いているので、柄Loverにとっては
お気に入りを見つけるだけでも一苦労だ。
いつもの店に行ったらオーナーさんがニヤニヤしながら素敵な柄ソックスを紹介してきたので、
魚類の鱗みたいな模様の『SAKANA』という商品名の靴下と、
オリーブ地にサバンナの動物たちが描かれた靴下を買って帰った。
もちろんぼくのファッションをダサいと思うのも自由である。
最近はダサいとかそういう次元ではなく、
『いかにおれか』みたいな基準で選んでいる。
よくわからないが、まあそういうことだ。