友人がハワイに嫁に行き、数年が経った。
いつだったか送られてきた写真では浅煎りのコーヒー豆みたいな色になっていて、もはや何人か分からない風体だった。
よく、ハワイの渡航経験を記事にしているブログや、ハワイ生活をアップしているインスタグラマーなど見かけるが、ああいう生きるの楽しんでますみたいな、わたし幸せ体質ですみたいな、いつまでもキラキラ輝いていたいですみたいな女性(そういう人は大体いい年して自分のことを『女子』と言う)が苦手だ。
ああいう人の前でうかつに「死にたい」とか漏らすと、肩を掴んで止められそうなインティライミ的なものを感じる。
寛容に見えて、自分とは違う価値観を認めず徹底的に排除する人間と同じにおいがするのだ。
そういう人の旦那は若いころ明るめのネイビーのスーツを着て、髪型はツーブロックで、おれらが世の中を変えてやるぜみたいな希望と野心に満ち溢れた暑苦しくうっとおしいサラリーマンだったに違いない。
たまに友人からもハワイ生活の話を聞くことがあり、ぼくのアンチキラキラを知ってあえてそうしているのか知らないけど、割と庶民的な話をしてくるので面白い。
やはり見るのと住むのとでは違うそうで、ましてや文化圏が違うわけだからいろいろ大変なこともあるようだ。
友人から聞いたハワイの話で、ぼくが心底呆れたものを紹介する。
なんでも、近年のハワイでは観光客が浜辺でヨガをすることが流行しているらしい。
何でああいう人らって行動の全てがカメラ目線というか、人に見せることを意識して動いてるんだろう。
キラキラ女子(笑)の皆さんは『自分の幸せは自分で決める☆』とかいうスタンスの割に、多くの人に評価してもらうことを生きがいにしているのは矛盾した発想なんだけど、そのへんはどう折り合いをつけてるんだろうか。
別にヨガが嫌いとかいうわけではなく、あれはちゃんとやったらしんどそうだし効果もありそうだ。
よく知らないけど、気とかチャクラ的なものも重要になってくるから、ヨガをするロケーションや心持ちなんかも大切にしていきましょうということだと思う。
その結果の浜辺ヨガなんだろうが、あの人らが重視しているのは【ハワイで】【人から見える場所で】【映える】行為をするということであって、ヨガそのものには何のモチベーションもないだろう。
オシャレなヨガ用のウェアに身を包み、『大地の息吹とマナの力を感じました♪』とかいう芯を捉えていないコメントと共に顎を鋭角に加工した写真をSNSにアップするのだ。
そのあとはオーガニックの豆と葉っぱをちぎって乗せただけのサラダと、デカい皿の中央にちょっとだけ盛られた味の薄いパスタを食べ、『今日もデトックス完了です(*´ω`)』とかいう具体的にどうなったのか分からん効果をアピールするのだ。
お前らの自己満足を見せつけられたことによって、地元民の心に溜まった毒を何とかしてからそのセリフを吐け。
いくら観光で食べている島とは言え、アホが増えるということはハワイ県民の気持ちになるとやるせない。
ハワイの人は大らかでそんなこと気にしないよと言うかもしれないが、陰気なイタリア人だってダサいフランス人だっているのだから、心が狭く神経質なハワイの人だっている。
そもそも気にしない云々は相手が言うことであって、行動する側が思うことではない。
ああいう自称キラキラの人たちは、自分の選択や生き方に自信がないのだろう。
だから常にカメラ目線で自分の存在をアピールし、人に認めてもらわないと不安で仕方がない承認欲求モンスターなのだ。
本物は歪な存在証明をしなくても生き方がスマートでカッコいい。