テレビ番組かなんかで取り上げられた、『女性が結婚相手に求める普通の人とは』という内容が話題になって思ったことがある。
あくまでも『標準』ではなく『普通』なので、そこには女性の生い立ちや置かれている状況、付き合っている友人などの要素が絡み合っているため、人によって様々な普通があるだろう。
顔や年収、性格や家族構成からチンコのデカさまで、全てにおいて平均的な人がいたとして、それはもはや『普通』ではなく、ハイスペックな部類だと思う。
この出来事がなくても最近、普通とは何かについて考えることが多く、結局のところ普通とは『各々が勝手に設定した基準』であって、『世間一般に浸透している価値観』のことではないとの結論に至った。
男女ともに恋愛から遠ざかってると自分の中で異性観がどんどん熟成され、何とも言えない香ばしい香りを放つようになる。
物件探しみたいなもんで、角部屋がいいとか収納広めがいいとかいろんな要望を詰め込むのではなく、自分にとって譲れない条件を挙げていけば自ずと求めている部屋が見えてくる。
部屋の広さとか間取りとか、割と住んでいるうちに慣れてきたり自分の心持ち次第で気にならなくなったりするし、工夫して住むようになるので住めば都になることが多い。
注意すべきは、自分ではコントロールできない要素がその物件にあるかどうかだ。
例えば、隣人がやかましいとか住人のマナーが悪く共用部が汚いとか、近所にチンピラの溜まり場があるとか、そういう外部的な要素は自分でコントロールできないだけにストレスになりやすい。
恋人探し・結婚相手探しになると、人対人になってくるので物件理論は当てはまらないかもしれないし、相手ありきなので自分でコントロールできない要素のほうが多いと思われる。
ファッションセンスがいまいちだったら一緒に買い物に行くとか、性器がくさかったら納豆やホヤを初めて食べた時のことを思い出すとか、よくよく考えてみたら意外と解消できるマイナスが多いと気が付くかもしれない。
ちなみにぼくはラーメンを鍋から直接食べる人が無理。