公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

常々、周りに期待せずに生きていきたいと思っている。


『この人(環境)はきっとこんなだろうから、自分にあんなことをもたらしてくれるだろう』
という考えだと、期待と違ったときに勝手にがっかりしてしまうし、行動を修正しないといけないので疲れてしまう。


ぼくは計画性がガバガバなので、皮算用を計画に組み込んでしまい、後々えらいことになった経験が何度かある。


目の前にあること以外は全て妄想で、妄想している暇があるなら自分の立ち位置を把握して、自分が周りに何をもたらすことができるかを考えたほうがいい。


自分が周囲に与えた好ましい何かのおかげで、よい人間関係を築けたり、居心地のいい環境とのご縁があったりするのだ。


そんな気分にもなれず、勝手に何かに期待をしてしまいそうなとき、思い出していることがある。




その昔、『プッチモニ』というモーニング娘。から派生した女性アイドルグループがいた。


デビューシングルの歌詞にこんなフレーズがある。


『恋という字を辞書で引いたぞ あなたの名前そこに足しておいたぞ』


(母がシャ乱Qを好きだったため、つんく♂の気持ちは多少は理解できていると思うので)この歌詞のポイントは『ぞ』であることに気が付いていただけるだろうか。


『恋という字を辞書で引いたよ あなたの名前そこに足しておいたよ』


これだと、どうも重たいというか鬱陶しい感じがする。


彼氏の名前を辞書の恋のところに足して、わざわざ見せてきそうな上に、同意を求められているというか、彼氏が自分の思った通りのリアクションをしてくれないと機嫌が悪くなるのだ。


一方、『ぞ』の女性は、彼氏の名前を書き足した辞書を部屋で眺めてニヤニヤしてそうだ。
(もしかしたら彼氏ですらないかもしれない。)


ちなみに次の歌詞はこんなのだ。


『夢という字をふたりで書くぞ ひとりよりも楽しいぞ』


これに至っては完全に妄想で、ふたりで書いてすらいないんじゃないかとさえ思える。


相手に何も求めない、自分の中だけで完結する想像力が『ぞ』の中に込められている気がして、とても前向きな気持ちになる。


他人の行動にストレスを感じたときは、相手に無意識に期待してるんじゃないかと自分を顧みる、『ぞ』の心を持ってみてはいかがでしょう。