公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

精神的に不感症な生き方

人生において10年くらいかけて気が付いたことは、他人に期待するのは間違っているということだ。
他人は自分の思い通りに動いてくれないし、自分のために何かをしてくれることはない。
ここで言う「他人」とは見ず知らずの人間のことではなく、自分以外の全ての人間を指す。
親兄弟や夫婦恋人であっても、同僚や友人であっても他人なのだ。
また、初対面の人や新しく飛び込む環境に対して「この人はこういう人だろう」とか「ここはこんな場所だろう」と自分に都合のいいレッテルを貼ってはいけない。
新しい人間関係や物事に対して、ある程度自分の中で予想をしたり覚悟を決めたりしておくのは構わないと思う。
しかし、決めつけの思考はいずれ「この人はこういう人だから自分にこんなことをしてくれるだろう」であるとか「ここはこんな場所だから自分にこんなことをもたらしてくれるだろう」という思考の飛躍に繋がる。
期待と違った人間や環境であったとき、モチベーションの低下だったり方向性の修正だったりを要求されるので、過剰な期待を捨ててフラットな気持ちでいることは大切だ。
思い込みが激しいタイプの人間であれば「裏切られた」という謎の被害妄想にも陥りかねない。


ぼくは人に自分の物を貸さないようにしている。
元々誰かに自分の所有物を勝手に使われたり触られたりするのが嫌なのだが、最近は無許可でなくても物を貸すことすら嫌になっている。
なぜかと言うと、その人が誰かに借りたものをきちんと使ってくれる人であるとは限らないからだ。
問題なく使ってくれるであろうと推測して物を貸したとして、期待に沿った使い方をされなかった場合、その人に対して失望してしまうことになる。
最初から期待せずに貸すのも手だが、雑に扱われて貸したものが破損でもしたら取り返しがつかないので、貸すという行為自体をしないに限るのだ。


先日、仕事で関わりのあるとあるおじいちゃんにシャーペンを貸してほしいと頼まれたので、自分のペンケースに入っているシャーペンを取り出して渡した。
おじいちゃんは紙の書類にチェックを付けたかったらしく、後から消せるシャーペンを所望したのだ。
右手にぼくが貸したシャーペンを持ち、同じく右手で机の上に置いた書類をめくっていくおじいちゃん。
加齢により肌の水分が失われている年寄りの標準動作と化している指先ペロリからの書類めくりなので、舐めた右手の指で書類をめくりつつ、同じ手でぼくのシャーペンを用いてチェックを入れているのだ。
もうその動作がたまらなく汚らしくて、人から借りたシャーペンをよくもまあそんな使い方できるなと本当に呆れていた。
当然ながら、おじいちゃんにぼくのシャーペンをぞんざいに扱おうという意思があったわけではないだろう。
いつもの癖で指先を舐めつつ、その流れでシャーペンを持っていたに過ぎないのだ。
おそらく汚いとすら思っていないだろう。
しかし、どんな事情があったとしてもシャーペンにおじいちゃんの唾液が付着したという事実に変わりはない。
返してもらったあと、職場に置いてある手指用の消毒液をびちゃびちゃになるくらいにシャーペンにかけておいた。


自分の物を雑に扱われた場合、ふたつの失望が発生する。
一つは「こんなことをする人だとは思わなかった」という失望。
もう一つは「自分の貸したものなのに」という失望だ。
前者は今までの流れで理解してもらっているという"期待"をして、長々とした説明は省かせてもらう。
後者は「自分が尊重されていない気持ちになる」というのがポイントだ。
自分が貸したものに対してぞんざいな扱いだったとき、自分がぞんざいに扱われているような気になる。
本人には相手を思いやっていないつもりはないだろうが、自分の大切にしているものを大切にしてくれない人とはあまり仲良くなれた試しがないのでほどほどの付き合いをしたい。
逆に言えば、「自分のことを尊重してくれているだろう」という期待が失望を生むので、やはり期待はしないに越したことはないのだ。


そもそも、他人の貸したものを雑に扱う人は誰に借りたとしてもそんな感じだろう。
特定の誰かだから雑に扱っているのではないので、変な被害妄想を持つべきではないのだ。
相手が職場の上司でも好きなAV女優でもスタイルを崩すことはないだろうし("スタイル"というほど意識してやっていることではないかもしれないが)、好きなAV女優のシャーペンなら本人の見てないところでしゃぶり倒しているだろう。
そのおじいちゃんが書類をめくる際に指先を舐める人だということは把握していたので、自分のではなく事務所に置いてあるシャーペンを貸すという選択肢もあった。
どうもぼくは基本的にいいやつなので、ついつい自分のものを貸してしまう。
親切にした見返りが欲しいわけではなく、丁寧に扱ってもらうことを望んでいるだけなのだが、「丁寧」の基準も人それぞれなのでこんなことになるわけだ。


今回の内容はおちゃらけたように見えたかもしれないが、他人に期待をしないようにしているのは本当だ。
ちなみに脱却しようと思ってずっと捨てきれない勝手な期待はアゴがちょっとだけしゃくれている女性には巨乳が多い」である。