公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

すべてを懸けて呪い合え

世の中には、何かの恨みやちょっとしたきっかけで性根が歪んでしまい、怨霊のようになってしまった人がいる。
そういう手合いには話が通じないし、こちらの理屈も通用しない。
なぜならこの世の理とは全く違ったところで生きているからだ。
そういうゴミ人間は他人の足を引っ張ることや不快にすることしか考えていないので、出会ってしまったら災害にでも遭ったと思って諦めるしかない。
とは言え、どうして被害に遭った方が感情を飲み込んで譲歩して我慢しなければならないのか納得のいかないこともある。
今回はそんなお話。


昨年のこと。
デルタ株が猛威を振るい、緊急事態宣言バリバリだったあの頃。
仕事から帰宅し、アパートのエントランスにてポストを開けて郵便物をチェックしていると、住人と思われるおばちゃんがエレベーターを待っていた。
広いアパートではないのでエントランスからエレベーターにはすぐにたどり着く。
特に焦ることもなくオートロックを解除して向かうと、おばちゃんがちょうどエレベーターに乗り込むところであった。
続いて乗ろうとしたのだが、先客のおばちゃんはぼくが乗り込もうとしても奥に詰めるでもなく、エレベーターの文字盤を見たまま微動だにしないのだ。
定員が4名となっているが、古く狭いエレベーターであるためせいぜい3人が限度である。
ましてやおばちゃんはなかなかのだらしない体型をしているため、入り口を占有している状態で乗り込むことができない。
こいつは何をしているのかと思考することほんの数秒にも満たない時間であったが、次の瞬間おばちゃんは「あ、じゃあ降ります」と言って立ち去って行ったのだ。
ぼくも「そうですか」と言って彼女を見送ったのだが、ひとりになった箱の中でおばちゃんの行動を思考してみることにした。


正直ちょっとイラっとしていた。
わざわざ降りることはないだろうと。
男性と一緒に密室に入るのが嫌だから降りたのかもしれないが、正直何が悲しくて逮捕のリスクを冒してまであんなおばさんを犯さないといけないのか。
用心したいのならエレベーターに乗らないで済む階にするとか、女性専用の物件にするとか、セキュリティの堅牢なところに住むとかすればいいだけである。
みんなが仕事を終えて帰宅するような時間であれば、男性と一緒の搭乗になることはよくあるだろうに。
男性がいないほうが安心できるのかもしれないが、失礼を承知で言えばいつでも安心できるような人であった。


いやそうではないかもしれない、なんせ今はコロナ禍だ。
この緊急事態宣言下、人との接触を控えようとするのはごく当たり前のことだ。
ぼくはそのとき自転車で帰宅したのだが自転車時はマスクをしないため、そのままアパート内でもマスクを着けることはなかった。
防疫意識の希薄やつとわずかな時間であっても同じ空間にいたくないと思ったのかもしれない。
それなら納得がいくし、こちらに落ち度があるからおばさんを責めるわけにはいかない。
むしろそう考えといたほうが、自分の行動次第で嫌な思いをすることも人に嫌な思いをさせることも避けられるのだから、精神衛生的にも良いだろうと思考を締めくくることにした。


そしてエレベーターはおばさんが押した3階で止まった。
ぼくは4階に行きたいのだが【開】ボタンはあるものの【閉】がないため、不本意ではあるが止まったフロアに少し留まらなければいけない。
エレベーターのドアが開いた瞬間、強烈なデジャブに襲われた。
違う、あのおばさんは今日が初対面ではない。
前にもこんなことがあったのを鮮烈に思い出した。


あれはコロナ前のこと。
そのときぼくは自分の住んでいる4階からエレベーターに乗ったのだが、そのときも今日と同じように3階で止まったのだ。
エレベーターのドアは一部がガラスになっており、外を見ることができる。
3階で止まったエレベーターのドアの外には、例のおばさんが立っていた。
ぼくは乗り込んで来る人のために一歩後ろに下がったのだが、ドアが開く前におばさんは踵を返して階段の方に歩いて行ったのだ。
誰もいないフロアで空しくドアが開いたもののすぐさま閉じるすべがない。
明らかに人が乗っていることを確認した上での行動に、唖然とした後に腹が立ったのを覚えている。


当時はコロナの影すらなかったわけだから、ウイルスを警戒していたわけではなく単に人と一緒にエレベーターに乗るのが嫌だったとしか思えない。
人と一緒が嫌なのか男性が嫌なのかぼくが嫌なのかは定かではないが、いつもいつでもひとりでエレベーターに乗りたいと思うのはさすがに無理があるだろう。
一緒に乗ることを拒否された誰かに嫌な気持ちをさせてまで貫きたい事情があるのだろうか。
知らない人であってもお互いにある程度の配慮は必要である。
おばさんにどうしてもひとりでエレベーターに乗らざるを得ない事情があり、それが外から見ても分かるものであれば、ぼくは当然気を遣った行動をとったと思う。
だけども内面の事情は分からないわけで、いちいち他人の表に出せないことまで全て掬い取って慮って行動するなんてできない。
自分の抱えている問題を会う人すれ違う人全員に説明できないのと同じだ。
だからお互いに配慮というやつが必要なのだが、おばさんはこちらにどんな配慮をしてくれたのだろう。


おばさんは怨霊と言うより、今風に言えば呪霊である。
今はせいぜい二級どまりではあるが、自分や他人の負の感情を浴びるような行動を続けていては、いつかは特級の域にまでたどり着いても不思議ではない。
その後、エレベーターには改修工事が入り、おばさん待望の【閉】ボタンが設置された。
彼女は我が世の春とばかりに閉ボタンを連打していることだろう。