公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

たったひとつの勲章

ぼくはネガティブな割に変なところで思い込みが激しい。
最近まで、自分はデリカシーがしとどに溢れて止まらない人間だと思っていたのだが、そうではないことに気が付いた。
人前で鼻をほじるとか躊躇なく放屁するとかの分かりやすいデリカシーのなさではなく、言うべきでないことを言ったり聞いたりしてしまうタイプのやつだ。
詳細は省くが、以前も女友達が悩んでいることを知らないこととは言え質問してしまい、深く反省したことがある。


最近「ブログでチンコのデカさについて話をしすぎている。女性はそこまでチンコのサイズを気にしていない。」とご意見を頂戴した。
そんなに話しているつもりはないのだが、一体どれくらいチンコの話をしているのか調べてみた。
まず、今までの記事を【ちんこ】と【チンコ】に分けて検索してみた。
結果は以下の通りだ。

ちんこ:7記事
チンコ:8記事(内ひとつは”パチンコ”)

今まで書いたブログが229記事(この記事を含めると230記事)のため、合計しても10分の1にも届かない。
ということで、チンコの話をしすぎているということはなさそうだ。
というかこんなに少ないことに驚いた。
やっぱりぼくは上品でハイソサエティーな人間なのかもしれない。


また、チンコのサイズについて女性はあまり気にしていないという意見だが、それも承知している。
昔、女友達にリサーチを繰り返して、女性が求めているのは大きさより硬度であるということと、いかに自分のポイントに届くかという結論に達した。
それは分かっているのだが、チンコというのは男性のシンボルであるため、女性が好む好まないに関係なく男としてはデカくありたいのだ。
包茎であるか否かにも似た問題であり、こればっかりは女性の理解が及ばないかもしれない。
あとはまあ、チンコの大小についての話は(ぼくの中で)分かりやすく面白いので、ついつい多用してしまうというのはある。
小五の発想である。


男性よりも女性のほうが、チンコのサンプルはたくさん見ていると思う。
そんなわけないと思われるだろうが、冷静に考えてみてほしい。
男は銭湯やプールなどで着替える際に、他人のチンコを見ることはある。
しかし、当然ながら勃起した状態ではないため、そいつの真の姿ではない。
己を解き放ったチンコを多く見ているのは女性であり、その分、ジャッジも厳しくなることだろう。
硬度や当たり具合などの評価項目は外からでは分からないので、客観的に明確な大きさという一点で男同士は競うしかなくなる。
男が下半身の大きさにこだわるのは、オスとしての沽券にかかわるからである。
AVを見ていると、「こんなもん入れたら内臓の位置ずれるぞ」と思うくらいでっかいチンコの男優さんを見ることがあるので、女性も大変だなあと思う。


人間、年を取ってくると社会との関わりの中で大人っぽくあることを強いられる。
いい年してチンコの話を長々としているぼくは、くだらない人間なのかもしれない。
しかし、男ってやつは最終的にシモの話で爆笑できればいいと思っている。
うすた京介も漫画の中で『もっとうんことかおしっことかいっぱい書きたい』と言っていた。
自分の身を削ってでも、品性が下劣と思われても、周囲にネタを提供するのが男性の正しい在り方だと思う。
そのとき、男たちの瞳は少年の輝きをしている。