美人は美人なりに美人周りの悩みを抱えていると思うが、
ブスの方が圧倒的に損をしているし大変だと思う。
美人の性格が悪かったり、体毛が濃かったりしても、逆にそれがいいと言う
マニアックな趣味の人に支持される可能性がある。
これがブスだと、ただの性悪ブスや剛毛ブスで終わってしまうので、
そこからプラスに変えることは難しい。
ブスがオシャレや化粧をがんばったり、常に笑顔を絶やさないように明るく振る舞ったとして、
【ブス+オシャレ+化粧+笑顔】となるが、これが美人だと
【美人×オシャレ×化粧×笑顔】になるので、元の自力が違うと後から足される要素もより活きてくるのだ。
とは言え努力をすることは無駄ではないし、せめてブスらしく性格だけは清廉に保っておいてほしいと思う。
寒さの厳しい1月くらいのこと、人通りの多い街中を散歩していると、
向こうから二人組の女性が歩いてきた。
遠目からでも分かるくらいのしっかりとしたブスで、
ふたりとも養豚場から逃げてきたのかと思うくらい太っていた。
ここで言う『しっかりした』とは、きちんと確定申告をしているとか、電車内でお年寄りに
座席を譲っているとかではなく、ブスの地層が幾重にも堆積した、
今までもこれからも変わることのない、歴史を感じさせる重厚なブスという意味だ。
ふたりのブスは、何やらデカい声で『あり!』『なし!』と叫びながらこちらに歩いてきていた。
ぼくからブスまでは結構な距離があったので、何をしているのか観察していたが、
どうも彼女たちはすれ違う男性が自分にとってアリかナシかを判定しているようだった。
彼女らの判定はシビアで、ぼくが観察していた限りでもアリとされた男性は1割もいなかったように思う。
そしていよいよぼくの番が近づいてきたわけだが、アリナシ判定は異性としてではなく
食料としてのジャッジだったらどうしようとか考えていたら、いつの間にかナシ判定を喰らっていた。
すれ違いざまに見て分かったのだが、そこそこヤングなブスたちで、おそらく高校生から大学生くらいの
年齢だと思われた。
10代であの性格の悪さだとすると、今後矯正が効くか心配ではあるが、よくよく考えれば
ブスこそ性格を清く保てというのも酷な話ではある。
彼女らはブスであることで、多くの悔しい思いをし、望まれぬ扱いを受けてきただろう。
大きくなるにつれて、容姿で明確に区別されていることに気が付き、
美人との埋めようのない差に涙し、ルックス重視の世の中を恨み、
ある朝、目が覚めたときには心までブスに侵食されてしまっていたのだろう。
美人に性格の良い子が多いのはある意味当然なことで、美人は小さいころから周りにちやほやされて生きており、
その分余裕もあるし、周囲に分け与えようという気になるのだ。
ブスたちに対しては、あんな顔してよく他人の容姿に文句をつけられるなと最初は呆れたものだが、
人に愛されたことのない人間に、人の愛し方が理解できないように、
容姿でいい思いをしてこなかった人間が、他人の容姿に敏感になり自己評価が過剰になるのも
仕方ないような気もする。
さてぼくは今回の記事で何回ブスと言っただろうか。
ブスと108回唱えればブスの魂は浄化され、清く正しいブスとして来世は生まれ変われるかもしれない。