男性は女性のぶりっ子をどうして見抜けないのかという話題がある。
最終的に男性は単純だとか、男性叩きみたいになるのが納得いかないので
言わせてもらうと、こちらとしてもぶりっ子は見抜いている。
分かった上でネタとして泳がせて楽しんでいるだけだ。
女性は良い意味でも悪い意味でも現実的なところがあるので、
ネタをネタとして楽しめない人もいる。
プロレスに対して流れが決まっているといちゃもんをつけたり、
ドッキリ番組に台本があると文句をつけたりするようなものだ。
ぶりっ子にぶりっ子と物申したところで何にもならないし、
下手にブレーキをかけられると、これからあるかもしれない面白展開に
遭遇し損ねることにもなりかねない。
ぶりっ子に遭遇した場合は、気持ちを落ち着けてリアクションをすることが肝心だ。
この子一人のときはデカいくしゃみしてそうだなとか、
実家ではもっと低い声で喋ってそうだなとか、ぶりっ子の日常を想像し、
自分が対峙している虚像に対してリスペクトを感じつつ接しているのだ。
どういったきっかけでぶりっ子の道を歩もうと思ったのか、
始めるに当たって照れはなかったのか、
周囲の女性たちの僻みや憐れみの視線をどう感じ、どう受け流しているのかなど、
聞きたいことは山ほどあるが、それを聞くのは野暮であり失礼だ。
目の前の演者に対し、ぼくらは観客なのだから、
観客が舞台の内容に口を出してはならない。
人にもよるが、乳的なものを当ててくるぶりっ子もいるし、ぶりっ子サイドもちやほやされるし、
まさにwin-winの関係なのだ。
そんなにぶりっ子が気に食わないなら自分もやればいいのに、自分以外がもてはやされているのが
納得いかないのだろうか。
ぶりっ子もある種の努力の賜物と言うか、まともな神経ではできないだろう。
自分をかわいいと思い込み、悦入し、全力で演じ切る気概が必要だと思う。
本当は自分もあそこまで女の面を振り切りたいけどできないという妬みや諦めが、
女性のぶりっ子叩きに繋がるのかもしれない。
それと、男性としても男のぶりっ子は気持ち悪いと思っているので、お互い様なところもある。
一時期の上地雄輔なんかは非常に気味が悪く、あれが30才を過ぎた男の振る舞いかと見ていられなかった。
女性としては、彼を見て何を感じていたのだろう。
ぶりっ子じゃないと思って見ていたか、見破っていたけど前述したように
ネタとして楽しんでいたのか。
同性のぶりっ子を批判する女性は、ヘキサゴン全盛期あたりの上地雄輔の映像でも見てみるといい。
彼を見て、やっぱりぶりっ子って気持ち悪いなと再認識した人のみ、ぶりっ子に石を投げる権利がある。