公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

思いやりが死語になる世界

マスクや消毒液、トイレットペーパーや紙おむつなどの品不足を受け、
ドラッグストアの店員さんが疲弊しているという話を聞いた。


問い合わせの対応に追われたり、店頭では入荷時期を聞かれて日常業務が滞ったり、
中にはお客さんに怒鳴られた人もいるらしく、
『すいません』ばかりでもう疲れたとのことだった。


関連して、あるブログで読んだ内容を思い出した。


トイレットペーパーを買いに行ったらドラッグストア前に行列ができていたので、
開店まで並んで待っていたところ、
いざ開店になってトイレットペーパーがないことを知らされたという。


買いに行った人が本当に必要だったのか、情報に踊らされた人間だったのかは知らないが、
お気の毒ですねくらいに思っていた。


しかし、そのブログのコメント欄を見て、嫌な世の中になったものだなと気分が悪くなった。


コメント欄には現役のドラッグストア店員を名乗る人物が降臨しており、
開店前は納品物の検品や品出しで朝早くから出勤しており大変だとのことだった。


それに加えてこの現状である、配慮してほしいだろう。


それに対して別の人のコメントがあり、下記は要約になる。
『そのへんの紙に書いて貼り出すだけのことがなぜできなかったのか。
朝早くから出勤していることや、品物の検品についてはそれが仕事なんだから、
待ってる客には関係ない。
自分の身内も早朝から出勤している。』


紙に書いて貼り出すくだりはその通りかもしれないが、後半の物言いは本当に傲慢だなと感じた。


コメントした人も、上記の内容については理解を示しているというか、
言いたいことはそこではないようだった。


続けて、
『自分がその条件で働くことを選んだのだから、
それを理由に客に無駄な時間を使わせることはおかしい。』

とも言っていた。


無駄な時間を使いたくないのなら、自分で何らかの工夫をすべきである。


前日にお店に問い合わせるとか、出てきた店員さんに聞いてみるとか、
自分から能動的に行動して効率よく進めることはいくらでもできる。


ネットが使えなくても、特別な知識や技能がなくても、
ちょっと頭を使えば思いつくことだ。


この騒動を鑑みれば、目当てのものがない可能性にだって思い至るだろう。


それを、何も考えずに情報に踊らされ、店に行けばあるだろうと思考停止して、
いざ期待と違ったら文句を言うってよく今まで生きてこられたものだ。


ただ口を開けて餌を待っている雛鳥の分際で何を偉そうに言っているのか。


店舗や店員の事情も考慮せず、関係ないと跳ね除け、自分の主張だけを押し通す。


お互いさまの精神はもう消滅してしまったのか。


お客様は神様であるという間違った思想はまだまだ根強いようだ。


最近ってなんでこうも自己責任論が蔓延しているんだろう。


自分で決めて選んだことについては、不平不満を言ってはいけないのだろうか。


その中には建設的な意見もあるかもしれないのに、『自分で決めたことだろ』で
封殺されてしまっては議論にならない。


自分で決めたことだからという心持ちで毎日の仕事をこなすのならいいが、
それは当人だけが思うことで、他人が無理難題を押し付ける理由にしてはいけない。


どれだけ楽しい仕事でも、自分のやりたかったことでも、
しんどいと思うときは必ずある。


何でも自己責任になるのなら、トイレットペーパーを買いに行ってコロナウィルスに感染しても、
それは外出したあなたが悪いということになる。


自己責任論を振りかざすやつに限って、自分の不利益は救済しろと言うものだが。


コメントをした人が実際に並んだかは分からないし、ぼくの主観も相当に入っているので
きちんと伝わったのか自信はないが、自分のことしか考えていない人があまりにも多すぎる。


ドラッグストアの人、大変だと思うけど応援してます。


いつもお疲れ様です、ありがとう。