公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

不安になる文章

文章を書くときのこだわりやマイルールは各々あると思う。


ぼくは初めて携帯電話を持ってメールをしだした頃から、「〇〇だしね」という一文を作るときには、『しね』まで一行で収めるようにしている。


中途半端なところで次の行になってしまうと、
「〇〇だ
しね」
という物騒な感じになるからだ。


これは自分が文章を作成するときのルールなので人にやられても気にならないが、他人の文章でどうしても受け入れ難く、掘り下げたくて質問したくてしょうがない書き方がある。


例えば『何』という漢字の使い方だ。


この漢字を使う文例としては、
「何してるの?」
のように疑問や問いただしに用いることがほとんどだと思う。


だがたまに、
「●●なんだけど」
という文を
「●●何だけど」というように変換している人がいて、違和感を抱くことがある。


『何』の使い方について調べてみたが、

不定称の指示代名詞。はっきりしない事物について問う語。また、事物・人などをぼかしてさす語。

という用途があるらしく、これでいくと
「買ったはず何だけど」
とか、
「そっちに向かったはず何だけど」
のようなはっきりしない物事に用いる文章になるのだろう。


おそらく間違った漢字の変換ではなく、用途も合っているので、鬼の首を取ったように指摘することもないのだが、どうにも受け入れがたい。


ぼくの中で疑問や問いかけに使う漢字だというイメージが固定されているため、異なる使い方を拒絶してしまうのだろう。


同様に『居る』という漢字の使い方にも物申したい。


「家に居る」という腰を落ち着けている感、住んでいる感のある使い方なら普段からしている。


だが、
「仕事をして居る」
「向かって居る」
のような使い方をされると、そこは変換しなくてもいいだろうと突っ込みたくなる。


イキっている中高生や、おじいちゃんおばあちゃんの文章に割と多い。


漢字が多いとそれはそれで読みづらいので、何でも変換すればいいというものでもない。


中高生くらいの思春期真っ只中の子たちはとりあえず何でも難しい漢字にしたいらしく、
「どうしている」
という文章も
「如何して居る」
と書きたがるので、微笑ましさと無用な変換への気持ち悪さで何とも言えない心持ちになる。