公共の秘密基地

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ゲシュタルト崩壊する永遠

言葉は時代とともに変化していくもので、流れに逆らうことは不可能なのかもしれない。


ただ、明らかに間違った使い方は正していくべきだし、ぼくは神経質なので言い回しがおかしい文章はいつまでも気になってしまう。


もう突っ込むのも無粋かもしれないが、『延々と』を『永遠と』と勘違いしている人を見るとモヤっとする。


若い人に多い印象だが、そこまで間違った使われ方をしているわけではないのでタチが悪い。


例えば、
『甘いものなら延々と食べられる』という文章を
『甘いものなら永遠と食べられる』と言ったとして、間違ってはいるけど意味としては分からんでもないのが痛いところだ。


上の例だと、『延々』は有限だが『永遠』は無限なので、甘いものを無限に食わされることになる。


『体育』のことを『たいく』、『雰囲気』のことを『ふいんき』と言ったり書いたりするような人であれば今後の付き合い方を考えるが、『永遠』は正直そこまで目くじらを立てることではないのかもしれないけどやっぱり気になる。


また、逆に『永遠』を『延々』と間違えるやつがいないのも気になる。


ZARDに『永遠』というタイトルの曲があった気がするが、
『君と僕との間に永遠は見えるのかな』という歌詞があり、
これが『延々』に置き換わったら意味が通らなくなる。


ふたりの絆はいつまでも終わることはないと言いたい歌詞だろうが、『延々』になるとふたりの関係はいつか終わってしまうことになる。


でもこれは『永遠』のあとに『と』ではなく『は』が付いているから、例えとしては不適切な気がする。


間違える原因として、『延々と』と『永遠と』の語感が似ているからというのもあるだろうし。


どっかに『永遠と』という一文が入る歌はないものだろうか。


同様に気持ち悪いなと思っている言い回しがあって、『時』の使い方が正しいのか分からなくなることがある。


例えば、
『あの人見たことある?』という疑問形の文章があったとして、
『あの人見たときある?』と言うやつがたまにいて、何か得体の知れない違和感を覚えるのだ。


そこで『とき』を使うのはおかしいと思うのだが、ぼくは国語の先生でも言語学者でもないので、同様に『永遠』についてもおかしいことを理論立てて説明できない。


昔、ジャンプの打ち切り漫画の1話で一ヵ所だけ『とき』の使い方がおかしいものがあり、その漫画自体は箸にも棒にもかからないような内容だったのだが、そのことと作者がTwitterでイキっていたことだけは明確に覚えている。


漫画のセリフってちゃんとした大学を卒業して出版社に入ってきた編集者が指摘するのだと思っていたけど、編集者の中にも『とき』を正しく使えない人がいるのだろうか。


これらの誤用は情状酌量の余地があるが、『いう』を『ゆう』と書くやつは永遠にアホ認定することにしている。