公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

モンジャラ

業界内ではすごい事だったり人だったりすることでも、外の人からしたらいまいち響いてこないことがある。


権威も威光も業界内の人間にしか分かってもらえないので、一歩外に出るとただの人間として扱われるのはある意味当たり前のことだが、当人はどう思っているのだろうか。


以前、春画の展覧会に行ったことがある。


エロスと妖怪がテーマで、鬼の角が男性器になっていたり、女性の顔が女性器になっていたりと、かなりロックな作品ばかりだった。


展示の一部に、春画復活プロジェクトに携わる職人たちを紹介する映像があった。


和服を着た上品な女性が登場して、いろいろ説明していたのだが、その中でなるほどなと思うところがあった。


浮世絵と春画の最大の違いは陰毛なのだそうで、陰毛を上手く彫れるのは熟練した職人でないと難しいらしい。


当時は版画なので板に彫刻をして、インクを流し込んで複写していたわけで、髪の毛と違ってチリチリしていて絡まり合っている陰毛はとにかく難易度が高いとのこと。


密度が髪の毛ほどではないため隙間も多く、かつ陰毛の細さを表現しようと思うと、陰毛同士の間を縫うように彫っていく必要があり、映像で見た手際は本当にすごかった。


会場の展示品にも、当時の浮世絵画家が陰毛だけを試し彫りした型もあった。


春画にとって陰毛が本当に重要視されていて、職人の腕の見せ所なのがひしひしと伝わってきた。


職人技のすごさに感心してしまい、まじまじと陰毛を見ていたのだが、冷静になったときに自分も周りの客もチン毛を真剣な顔で見ていることに気づいて、とんだド変態の集まりだなと背筋が凍る思いがした。


職人さんも作業中ふと冷静になって、自分は陰毛を彫るためにこの世界に飛び込んだのではないのにと思ったりするのだろうか。


紙に直接書いたわけではなく、版画なので型を彫る必要があることや、線の細さを見れば素晴らしい技術であることは一目瞭然だ。


技術はエロと共に発展するという話を聞いたことがある。


家庭用ビデオカメラの登場で素人でもエロを動画に残せるようになったし、デジカメや携帯電話・スマホのカメラはカジュアルに卑猥な画像を撮影できるようにした。


飽くなきエロスへの探求心が、陰毛を正確に彫れる人間を必要とし、職人もそれに応えるように技術を研鑽してきたのだ。