公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

営業に告ぐ

昔誰かが「縁は人が運んでくる」的なことを言っていて心に残っている。
どんな文脈でどういうシチュエーションで聞いたのかさっぱりだが、ぼくの現在を俯瞰すると誰かのおかげで成しえたことが多いので納得せざるを得ない。
「情けは人のためならず」という感じで解釈しているが、とりあえず他人には親切にしておいて悪いことはない。
ただのお人よしだと悪意のあるやつにつけこまれる可能性もあるので、親切かつ冷静に行動したいところだ。
ぼくが思い描く理想の自分は誰にでも親切で思いやりに溢れた人間なので、その通りになるよう行動したいところだが現実は理想通りにいかないことのほうが多い。


事務所にいるとしょっちゅう営業の電話がかかってくる。
今の職場はぼくと友人だけで、友人が代表を務めているので電話にはぼくが出ることがほとんどだ。
大体は友人への要件なので取り次ぐことが多いが、営業の場合はぼくで止めておく。
じゃあまた日を改めて電話しますと素直に引き下がればいいのだが、いつ頃なら手が空いているか聞いてくるとか、ぼく相手に営業を始める業者もいる。
長くなりそうな場合は「こちらから折り返しましょうか」と提案したり、「ご用件をお伺いしてもよろしいですか」などと聞くとあっさり退くことが多い。
彼らも仕事なので仕方ないだろうが、つまらん電話に時間を割くほどこちらも暇ではない。
今までこの手法で営業電話を撃退してきたのだが、こないだ少々イラっとすることがあった。


ある日、某マンションディベロッパーから電話がかかってきた。
(以下「P」とする。)
Pからの電話は問答無用で取り次がないのはぼくと友人の共通認識なので、この日もいつものように代表は不在であることを伝えて要件を聞いた。
するとPの営業担当はぼくの「ご用件をお伺いしてもよろしいですか」の「よ」くらいで喰い気味に「営業です」と端的に伝えてきたのである。
こちらが喋っている途中なのに割り込んできたことに加え、濃いめのネイビーのスーツを着てツーブロックの髪形をして、コミュニケーション能力とバイタリティと飲み会だけで乗り切ってきたであろう、ぼくの嫌いなタイプの営業が頭に浮かんだので二重に腹が立った。
素直に営業だと伝える姿勢は評価できるが、伝え方と本人のキャラクターに大いに問題がある案件だと言える。(後者は単にぼくの好き嫌いだが)
ぼくの機嫌を損ねてしまったPからの電話は、かけてきたのが誰であれ今後一生取り次ぐことはない。


また、以前にもブログに書いたことがあるが、自宅にやってくる光回線の訪問営業もうっとおしい。
基本的にアポなしの訪問には出ないことにしているが、魔が差してしまったり、もしかしたら宅急便かもしれないと思ったりして応答してしまうことがある。
これで宅急便だったことは過去一度もないのでやはりアポなし訪問は無視するに限るのだが、こないだもついつい出てしまった。
以前の光回線の訪問パターンとしては、あたかもマンションの設備を担当している業者を装ってオートロックを開けさせようとするものだ。
インターネット回線はマンション設備なのでもちろん嘘ではないのだが、「こちらのマンション設備を担当している○○です」と言われれば、ガスや電気・エレベーターなどと勘違いしかねない。
ぼくも性格が悪いので「設備ってなんですか?」と白々しく聞くことにしており、そこでようやくインターネット回線であることを認めるのだ。
最近はその営業手法が不評だと気付いたのか、初っ端から「インターネット回線の担当」だと名乗ることにしているようだ。


ただ、名乗りを変えたところで営業を受け入れる道理はない。
いつも彼らは「回線の工事が終了しまして、変更点をお伝えしたいので玄関先でのご対応をお願いします」と半ば脅迫的にオートロックを開けさせようとしてくる。
なんでお前らにイニシアティブを取られないかんのかと毎回疑問に思うのだが、努めて冷静に「回線の変更は考えていないので結構です」と伝えることにしている。
すると、今まで猫なで声でインターホンの向こうで喋っていた営業の態度が一変し「あ、分かりました」とだけ言って会話を終了するのだ。
うちのインターホンにはディスプレイがなく声だけなのだが、今までニコニコ顔の仮面を張り付けていた営業が一瞬で能面のような顔になるのが想像できる。
酷いときには、こちらが断りの文言を喋っている途中に遮るようにあちらから終わらせようとすることもある。


あのさ、営業が空振りに終わってイラっとするのは分かるけどそんな態度されたらこっちだっていい気分にはならんわけよ。
「ありがとうございました」すらないのは人としてどうなんよ。(実際、光回線の営業がお礼を言うことは少ない)
そっちの提案を飲む気はないけど、せめて君を嫌な気分にさせまいと丁重にお断りしてるんじゃないか。
こっちとしては営業であると分かった瞬間にガチャ切りしてもいいし、暴言を吐く選択肢だってあった。
でもそんなことしたって君はいたたまれないだけだし、後から何であんなこと言ったんだろって自分だって自己嫌悪になるわ。
訪問営業ってしんどいだろうしやりたくない仕事かもしれんけどさ、自分の願望が叶わなかったからって機嫌悪くなるとか子供じゃないんだから。
非礼には非礼を以て応えてもいいけど、礼には礼で返そうよ。


世の中には営業のノウハウが溢れているが、「相手の話を遮らない」「断られたからと言って機嫌悪くならない」というマニュアルはないのだろうか。
事務所に電話してくるPにしても、自宅を訪ねてくる光回線の営業にしても、自分が会社の看板を背負ってるという自覚がいまいち薄いと思う。
直接会っていない段階の営業では個人との紐づきが弱いので、そいつと会話をして抱いたイメージは個人の印象より会社の印象に帰結する。
そいつの態度が悪かった場合、その後同じ会社の違うやつが電話なり訪問なりしてきたとしても、「あの態度の悪い営業の会社ね」と思われて門前払いされるかもしれないのだ。
結果的に会社の利益を逃しており、自分の首を自分で絞めていることになる。
事実、ぼくは今後Pからの電話は決して取り次がないし、光回線の営業も確実に断る。
相手を嫌な気分にさせたくないし、自己嫌悪に陥りたくないので速攻で電話を切ったりキレたりすることはせず、大人としての対応は今まで通り心がけるだろうが。


電話の対応に好感が持てたので、事務所に来てもらって話を聞いた営業さんもいる。
うちには必要のないサービスだったので成約にはつながらなかったが、(相手の許可を得て)その営業さんは同業者に紹介した。
誰にでも愛想よくするのはしんどいこともあるし、自分が親切にしても相手が応えてくれるとは限らない。
でも、優しい自分でいたいと思うのならなりたい自分を演じて生活したほうが気持ちいいし、理想に近づくための具体的な行動にもなる。
ついつい見返りを求めて人に優しくしてしまうこともあるかもしれないが、もし何もリターンがなかったとしても、優しい自分でいることで自分が気分よく過ごせるのならそれで充分ではないか。
このマインドは万能ではないので、男前のつもりで過ごしても実際に顔が変わるわけではないし、Hカップになったつもりで過ごしても本当に肩が凝るわけではない。

インカ帝国 初代皇帝 →検索

ずっと疑問なんだけど、何で男性器はネタにできて女性器はネタにしづらいんでしょうね。
チンコチンコってこうやって簡単に文字にすることもできるし口にも出せるけど、女性器は俗称すら声に出すことがはばかられる。
(「女性器」と呼称するのもあれなので、以下「まんちゃん」とする)
付き合いの浅い人とお酒を飲んでて下ネタになったときに、その人が何の躊躇もなしにまんちゃんと口に出せる人だったらちょっと引く。
子供がスーパーなんかでチンコを連呼していたら保護者としては恥ずかしいだろうけど、まあ微笑ましい光景でもある。
しかし、もしもまんちゃんを連呼していたら場の空気が凍ることは間違いない。
昔のバラエティ番組なんかでもチンコには規制音が入らなかったけど、まんちゃんには確実にピーが入るし。


j-town.net

最近こんな記事を見たんですがね。
アカウント名から判断するに、画像をTwitterに投稿したのは男性だと思う。
全ての人にあてはまることではないが、ぼくのようにチンコ的なものを連想する物事に対してにやっとしてしまう男性は多いはずだ。
パチンコ屋の"パ"のネオンが消えてる光景を見てテンションが上がったり、インドネシアに「キンタマーニ高原」があると知れば友達に話したくてうずうずしたり、いくつになっても心の中に生息している中二が反応してしまう。
仮にこれが女性であっても、卑猥なニンジンの写真はそんなに抵抗なく投稿できていただろう。
しかし、これがアワビの写真ならどうだったろうか。
テカテカと黒光りして写真からでも新鮮なことが伝わってくるアワビの写真を貼られたとき、チンコと同じノリで茶化すことはできるだろうか。
まずSNSに投稿する気にならないだろうし、アップしたとしても生々しすぎてコメントをすることができなかったに違いない。
構造上、簡単に目視することができないだけにまんちゃんには妙な神秘性があるのかもしれない。
妊娠・出産という男性が体験することのできないイベントに関わってくる箇所だし、よく分からんだけに下手にいじれないというのもある。
女性としても、うかつに言及してしまうと自分のまんちゃんがどんな姿形をしているか推測されてしまうので、できるだけ見て見ぬふりをしたいのだろう。


さきほどの卑猥なニンジンについては多くのコメントが寄せられており、どのような反響があったのかは記事内で紹介されていた。
ぼくがどうにも憤慨してしまったのは下記のコメントだ。

「やば...  旦那似の人参さん」

まず、この方の旦那さんのことを思うと不憫で仕方がない。
匿名で個人の特定は限りなく不可能とはいえ、自分のチンコの形が全世界に喧伝されてしまったのだ。
ぼくは日ごろから言っているんだけども、女性が下ネタを話すときに自分のことを絶対に言わないのは不誠実極まりないと思っている。
性感帯がどこだとか、乳首がおやつカルパスくらいの長さだとか、乳輪が昔のシングルCDくらいの大きさがあるとか、陰毛がヘソのあたりまであるとか、例え同性同士の会話であってもほとんど登場しない。
じゃあ女性の下ネタでの主要トピックは何かと言うと、セックスした相手の話なのだ。
やれ体毛が濃かっただの、こんなプレイを要求されただの、喘ぎ声が変だっただの。
そしてニンジンの写真にコメントした奥様のように、チンコの形がどうだの。
下ネタに寛容なアタシアピールに使われる歴代の男性たちが不憫で仕方がない。


これがまかり通るのなら、逆も許容してしかるべきだ。
黒ずんで形が歪んだアワビの写真があったとき、「うちの嫁みたい」と感想を漏らす旦那さんがいたとしてそれを責めることはできない。
もしくは、「自分のにそっくり」「私のに比べればまだ綺麗」と申告する女性がいても罪ではない。
なぜならチンコはみんなのおもちゃとして散々ネタにされてきたのだから。
先に拳を振り上げたのはそちらなのだから、どちらかを滅ぼすか和解に至るかまでこの争いは続く。
しかし、心の中の中二が羞恥心を発揮するため、戦いにおいてぼくができるのは後ろのほうから「オマーン国際空港」と連呼することくらいだ。


というか、このコメントをした奥さんはどういうつもりで旦那のチンコの形をお知らせしたのだろうか。
うちの旦那いいもの持ってるぜ自慢だろうか。
珍しい形ではあるかもしれないが、言及されてるのは形のみであって太さや長さまでは分からない。
先っぽが太いほうが女性は当たりがよくて気持ちいいと思っていたけど、個人差はあるだろうしこの奥さんにはこのニンジンがジャストフィットなのだろう。
まあチンコとは言っていないから、こんな顔した旦那さんなのかもしれないが。
仮にチンコだとして、そもそもSNSに旦那のチンコの形を投稿する神経を疑う。
サービス精神と言うのなら、自分の身を削って話をしろよ。
旦那似のニンジンを見て不覚にもアワビが反応してしまったのだろうか。
今夜は種まきですかね。

あんたまたおんなじようなもんこうたんか

今、日本で最も勢いのあるアパレルブランドのひとつに数えられる【AUBERGE(オーベルジュ)】
2021年SSのコレクションもスタートし、認知度も人気度もますます高まってきている。
そんな中、デザイナーの小林さんが自身のyoutubeチャンネルで取り扱い各店舗の別注アイテムを紹介していた。
動画で紹介されているお店にはぼく自身いつもお邪魔しているので、ちょっと反響はどんなもんですかと聞きに行ってみた。
出だしがいつもに比べて広告くさいけど宣伝ではないです。
ぼくみたいなもんに宣伝されるまでもないブランドだし、いつもみたいに好きなものを紹介しつつ物申すコーナーです。


全国ショップ対抗『AUBERGE春の激レア別注祭り』全容編


AUBERGEとの出会いについては本筋ではないので省くが、お店のオーナーさんが「ヤバい人を見つけた」と話してくれたことを今でも覚えている。
デザイナーの小林さんは豊富な経験と知識に基づいた服作りをしているのだが、本質はとても無邪気な人だ。
動画を見てもらえれば分かるが、とにかく楽しそうに洋服の説明をしている。
糸や生地から厳選した服のこだわりは留まることなく、正直何をやっているかは半分も理解できていない。
おそらく誰も思いつかなかったこと、思いついても実行不可能だと思って断念したことに挑戦しているのだろうが、小林さんはそれを自慢したり誇ったりすることをしない。
おもしろいおもちゃを見つけたから、それを誰かに話したくてしょうがない子供のような人なのだ。
やっていることは理解できなくてもこの人に嘘がないことは分かるし、いつも笑顔で楽しそうにしている人を見るとこちらも楽しくなる。
これだけアパレルブランドが溢れている世の中だと、選択の基準としてデザイナーさんの人柄も重要になってくるのだ。


で、上記の動画が公開された直後の週末、動画内で紹介されているお店に行ってきた。
案の定、反響が半端ないらしい。
ぼくは通販で洋服を買わないので(サイズ感が分かっているアイテムをリピートする場合は除く)洋服屋さんにアイテムの問い合わせ連絡をしたことはない。
通販のいいところは現場に行かずとも現物を購入できるところだが、当然ながら届くまでは現物を見ることができない。
試着もできないし、生地の感じを手に取って確かめることもできない。
気に入らなければ返品可能なECサイトもあるらしいが、事業規模の小さな小売店でそれを行う余剰はないのだ。
直接購入と通販それぞれのメリットとデメリットを把握した上で、自分なりの判断基準を確立しておく必要がある。


古着屋さんでバイトをしていた当時のあるあるとして、「お前のお母さんじゃないから知らん」というような問い合わせがある。
よく知ってるお客さんなら普段のファッションや以前に買ったアイテムを踏まえてアドバイスができるし、初見の人でも対面で会話をした感じからある程度好みは察することができる。
だが、初めてかつ電話越しで会話をする人に「これこれこういう服と合いますかね」と聞かれても、お前の貧困なボキャブラリーでは服の特徴が全く伝わってこないし、お前のことを知らんから普段の着こなしも知らん。
あとは古着屋なんでこの手の問い合わせは少なかったが「洗ったら縮みますか」というのも困る。
古着はある程度縮んだ状態なので洗ったところで劇的に小さくなることはないが、新品であれば縮む可能性はあるだろう。
一度洗いをかけてから店頭に出しているお店もあるが、それでも着用と洗濯を繰り返せばもうちょい縮むかもしれないし、乾燥機をガンガン回せばもっと縮むだろう。
正直そこはどこまで許容できるかだと思っている。
こちらが「これだけ縮みます」と説明したところで、実際に縮んだ洋服を見て着ないことには実感として分かりづらい。
どこまでの縮みを許容できるかも人それぞれなので、あんまり気にすんなとも言えない。
普段の着方や洗い方によっては収縮率も前後するだろうし、一概には言えないのだ。
通販で買おうとしているのなら、メリットだけでなくデメリットも多少なりとも許容すべきだ。
対面で購入したって失敗する買い物はあるわけだから。
思ったより大きかったのならお直しを依頼するとか、小さくても着こなしでカバーできることもある。


たぶん、細かいことを気にするタイプの人は懸念事項が本当に多くて買い物を失敗したくない性格なのだと思うけど、「諦める理由が欲しい」人もいる。
価格が高いから・手入れが面倒だから・サイズが合わないからなどなど、いろんな情報を電話口で仕入れては買わない材料を探すのだ。
それで納得して諦めてくれればいいが「だけど気になってるんです…」みたいに歯切れの悪いやつは、こっちから「やめたほうがいいですよ」と言わないと引き下がらない。
煮え切らないやつに「買ったほうが後悔しませんよ」と売りつけるのは簡単だが、やっぱり思ったのと違ったとなるようではお互いに損しかない。
さっきも言ったけど、お前のことは知らんから(電話口で)相談されても回答には限界があるし、一人の問い合わせに長いこと時間を割くリソースもリターンもない。
多少は自分なりに考えを固めてから聞いてほしい。
思い切って買ってみれば道が開けることもあるし、悩んでばかりではいつまで経ってもそのブランドの服はクローゼットに並ばない。
グルメサイトだけでは飲食店の真価は測れないので、実際に入ってみないと分からないのと同じだ。


別に「欲しくなくても思い切って買え」「流行ってるものはクソ」と言ってるわけではない。
「もうちょい自分で考えろ」と言っているのだ。
よく分からない分野や自信のない分野について、有識者のプッシュするものを選択するという心理はよく理解できる。
AUBERGEはいわゆる「バズっている」ブランドなので、雑誌やSNS・ファッション系のyoutuberなどから知った人も多いだろう。
しかし流行っているものや著名人の愛用品が必ずしも正義ではないし、まして洋服のような嗜好品ならなおさら自分の感覚が頼りになる。
それをきっかけに興味を持って調べてみたり見てみたりするのはいいが、調査結果を元に自分にとっていいものかどうかは自分で判断するべきで、どこぞの他人が下した評価を盲目的に信仰するなと言いたい。
判断基準が確立されていない人間が、流行っているからという理由でよく確かめもせずにアイテムを購入することは危険なのだ。
後からやっぱり買うんじゃなかったと後悔したり、失敗を繰り返した挙句に洋服なんて着られればいいという過激派に転向しないとも限らない。
とにかくいろんな服を見たり着たりして、自分の好みや体型に合った洋服を見出すしかない。
服に興味のない人にとってはブランドタグは正常な判断を妨げるノイズかもしれないが、せっかくならひとつのアイテムに詰まった作り手のこだわりを想像して楽しんだほうが愛着も湧く。


AUBERGEには今期の目玉であるモールスキンカバーオール以外にも魅力的なアイテムはたくさんある。
流行り廃りのない洋服が多く、作りもしっかりしているので長らく愛用することができる、大人の男性にも着てほしいブランドだ。
決して安くはないけれどおススメできるブランドである。
今季買ったパッチワークのカバーオールは昨年の受注会でオーダーしたものだが、小林さんのこだわりが細部まで詰まった着ていて気分のいいアイテムだ。
来月は2021AWの受注会もあるし、楽しみで仕方がない。

お前が思ってる通りの生活なんかしてやらん

前回、体調を崩したことについて書き、思い出したことがある。
仕事を休むほどではなかったものの、久しぶりに体調不良になった。
体調が悪くなることを避けたいと思うのは当たり前のことだ。
一人暮らしなので下手したら孤独死に繋がりかねないとか、病院や薬代等の本来必要でなかった出費が嫌だとか、いろんな理由がある。
それにいつ頃からか、もうひとつの理由が加わった。
「一人暮らしの人間は栄養管理ができていない」という偏見に基づく無意味なマウントを取られるのが嫌なのだ。


高校を卒業して一人暮らしをするようになり、節目節目で実家に帰省すると、祖母や親戚のマダムたちから「カップラーメンばっかり食べてはいないか」という旨の質問を頻繁にされていた。
一人暮らし初心者だったので決して健康的な食生活を送っていたとは言い難いが、かと言ってインスタントやレトルトの食品ばかり食べていたわけではない。
もちろん身内や親戚は心配して言ってくれていただろうが、いかんせん古いタイプの人たちなので、「一人暮らしの人間(特に男性)カップラーメンばかり食べているに違いない」というステレオタイプな発想があったのだろう。
そもそも、一人暮らしをして自分で家計を管理するようになって気が付いたが、カップラーメンは意外と高いのだ。
肉は意外と安いが、魚や野菜や果物は割と高い。
貧困世帯ほど肥満気味な傾向にあるらしいが、それは安価で簡単に食べられる炭水化物的な食物を摂取している頻度が高く、野菜等の栄養価の高い食品を食べないからなのだそうだ。


そして先日、仕事関係でちょいちょい関わる機会のあるおばちゃん(ほぼおばあちゃん)がぼくが体調を崩したことを知って、「あんたちゃんと栄養摂れてんのか?」と聞かれた。
ぼくの被害妄想かもしれないが、どうにも一人暮らしのやつ(特に男性)が体調を崩すとなめられる傾向にある。
不健康な生活をしているという偏見のもと、偏った食生活をしているに違いないとの決めつけが激しい。
体調が悪くなったことは事実だが、ここ数年は風邪などひいていないし、至って健康そのものだ。
コロナ前から手洗いやうがいはこまめにしているし、最低限の常備薬もある。
ヨーグルトや納豆などの栄養のある食べ物を継続的に摂取したり、ジョギングや筋トレを続けて体力と健康の維持にも努めている。
お酒は好きだが自宅で飲酒をする習慣はないし、甘いものを食べるのも週末だけと決めているのだ。
それを、たまたま一度体調不良になっただけで生活の全てを否定される勢いなのは納得ができない。
どれだけ対策を講じていても、網の目をすり抜けることだってあるだろう。
そりゃ可処分所得の全てを健康的な生活に充てれば、更なる予防にはなるかもしれない。
果たしてそれが肉体的にはともかく精神的に健全と言えるだろうか。
ぼくは健康のために生きているのではなく、毎日を愉快に楽しく過ごすために健康になろうとしているのだ。
亀仙人が言う、武道を学ぶ目的とおんなじなのだ。

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確かに、昼間はカップラーメンを食べることもあるし、おばちゃんにはぼくがカップラーメンを食べている姿を目撃されたこともある。
しかしそれがぼくの食生活の全てではないのだ。
一部分を切り取ってさも全体であるかのように捉えるのはやめてほしい。
そういう人は根拠もなしにサプリメントとかも否定しそうで嫌だ。
毒も薬も平等に喰らって栄養に替えることが肝要であると範馬勇次郎も言っていた。
それとも、ぼくは比較的痩せている方だから「男の子は少しくらい太っている方がいい」とかいう不健康な思考で口を出しているのだろうか。


そもそも、予防というやつは評価されづらい。
予防してなかったらどうなったかを証明することは、起こっていないことを証明することなので不可能なのだ。
で、いざ事が起こるとその事実のみをあげつらって叩かれる。
そっちよりも今まで被害を抑えていたことを評価してくれ。
ぼくの幼少期は薄幸の美少年とも言うべき病弱さで、小学校はしょっちゅう早退していた。
今では風邪なんてここ何年もひいていないし、大きな病気になったことも入院したこともない。
肩こり腰痛とも無縁だし、EDでもない。
幼い頃から考えると驚異の伸び率なのだから、そこを評価してくれ。


独身男性が栄養管理をできていないはずという偏見は裏返せば、「結婚すれば奥さんの手料理によってきちんとした栄養が取れる」という時代錯誤かつ偏見に基づいた思考からきている。
このご時世、女性だから料理が得意なわけでも、男性だから料理が苦手なわけでもないという価値観は浸透しているはずだ。
栄養士やアスリートの奥さんでもない限り、結婚したことによって男性の栄養偏り問題が劇的に解決するわけでもないだろう。
栄養満点の温かい食事は既婚者だけの特権じゃねえ。
お前らより健康寿命謳歌して死んでやる。

よそはよそ うちはうち

最近、一緒に働いている友人の子供が通う幼稚園でコロナが出たり、ぼくの体調が悪くなったりしてバタバタしている。
友人の子供は濃厚接触者ではなかったのだが念のためPCRを受けて陰性だったとのこと。
ぼくは発熱や味覚障害はなかったものの原因不明の悪寒と倦怠感があり、こんな症状は初めてだったので少々神経質にならざるを得なかった。
2月6~7日の土日は暖かかったが月曜から寒さが戻ったので、寒暖差で体調を崩したのではないかと思っている。
葛根湯を暴飲し、のどぬーるスプレーを飲む勢いで噴射して寝たら治った。
幼稚園はしばらく休園になり、友人の子供たちは全員同じ幼稚園に通っているため、一回目の緊急事態宣言のときのように自宅待機をしている。
当時は友人の奥さんがキャパオーバーしたり実家で病人が出たりして大変だったらしく、今回のことと併せて「何でうちだけこんな思いせないかんのか」と友人がぼやいていた。


しかし、幸運にもうちは現在業績が好調で、仕事の方は順調と言っていい。
もしも仕事が低調でプライベートまで受難続きだったら、毎日にこやかに過ごすことはできなかっただろう。
このコロナ禍、そうである人が増えていることは想像に難くない。
というようなことをかいつまんで友人に話したら何となく納得していた。


ぼくはどうにも「自分より不幸な人を見て安心する」思考が好きではない。
「あいつよりはマシ」みたいな考えのことだ。
自分より下の人間がいるからと言って自分の不幸が和らぐわけでもないし、不幸の緩衝材に使われた「自分より不幸な人」にも失礼だ。
自分の感情は自分だけのものなので、自分の幸せも不幸せも楽しさも苦しさも自分だけのものだ。
ワンコインの定食で満足できる人もいれば、数万円のコース料理でないと満足できない人もいる。
でも、どちらがより幸せということもないし、どんな料理も物事も楽しめる自分を好きでいられたらいいと思う。
他人と幸不幸や苦労を比較することに意味はないのだ。
頑張っているやつや苦労しているやつが偉いわけでもなく、順風満帆な人生を送っているやつがもれなく裏では悪いことをしているわけでもないだろう。


不幸や苦労を押し売りしてくるタイプのタチ悪い人間は、「大変なのはお前だけじゃない」「みんなやってる」と言いがちだ。
他に大変な思いをしている人が存在するからと言って当人がやる理由にはならないし、大変な思いをしている人は他の誰かに大変な思いをさせるために存在しているわけではない。
ぼくの好きな言葉に【脚下照顧】がある。
禅家由来の言葉なのだが、「他のことに目を向ける前に自分の足元を見て己の立場を顧みる」というものだ。
下を見て安心するのではなく、自分より苦労している人がいるからと己に鞭を振るうのではなく、自分が持っているものや今までの縁に感謝して己を顧みるのはいいと思う。
ぼくは異性にモテないし、お金も同世代に比べればない。
男前でもないし、スタイルがいいわけでも筋肉がムキムキなわけでも、女性が両手を使わないと握りきれない太さのちんこを有しているわけでもない。
それでも好きなことに使えるお金はあるし、今のところ健康だし、仕事は順調で良縁に恵まれているし、一応は女性とお付き合いしたりお突き合いしたりした経験もある。
O脚じゃないし筋トレやジョギングはしているのですね毛さえ剃れば脚は綺麗だと思う。


自分が持っているものって、自分の力で手に入れたものは意外とそんなにないのだ。
毎晩おねえちゃんを侍らせている若くして財を成した経営者も、旦那のスペックでマウントを取る人妻も、お受験に成功した学生も、別に自分だけの力で目当てのものを得られたわけでも目標を達成できたわけでもない。
楽しく生きられている人は運が良かったり縁に恵まれたりしているところが大きいので、そう思うと自分にできることなんてたかが知れている。
「これだけしか持ってないけど、全然持ってない人に比べればマシ」よりも「これだけ持ってるし感謝してもうちょいがんばろう」の方が前向きでいいと思いませんか。


先ほど自分の感情は自分だけのものと言ったが、別に他人の感情や悩みが分からなかったり当事者じゃなかったりしても、そのことに思い悩む権利はあると思う。
ぼくは子供も奥さんもいないので、育児に関する悩みやセックスレスの夫婦の悩みはいまひとつ真に迫って理解できない。
だけど理解しようと努力したり、一緒に考えたり悩んだり、苦しみを想像したっていいだろう。
そうでなければチャリティー活動や募金の類は全て偽善ということになってしまう。
まあ正直、結婚した友人たちがパートナーと没交渉になっていく話を聞くと、いつまでもそれが手の届く環境にあると思って油断してんじゃねえぞとは思う。
そもそもその悩みだって、自分が「持ってる」から存在する苦悩なのだ。
こんなことばかり言っているといつか自分に返ってきそうなので心配ではあるが、油断して大切なものを失った経験が既にあるから言えることなのだ。