公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

私の頭の中のババア

鬼滅の刃の良いところは、「キャラクターが勝手に動いている」と感じるところだと思う。
作者の主義主張をキャラクターに言わせるタイプの説教臭い漫画って割とあるが、そういうのが読みたいときもあれば読みたくないときもある。
ただ、少なくとも週刊少年ジャンプに掲載されているような作品では説教漫画は読みたくない。
HUNRER×HUNTERの作者が、「魅力的なキャラを作ればあとは勝手に動いてくれる」というようなことを言っていた気がするが、鬼滅に関しては当てはまっているように思う。
SNSなんかでも極端な主張をする人物を登場させて通り魔的に論破する漫画をよく見るが、ああいうのもなんか作者の鬱屈とした感情や満たされない現実を勝手に想像していたたまれなくなる。


先日、とあるエッセイを読んだ。
料理の好きな女性が毎日食べたものや作った料理を思い出と共に綴った本で、プロフィールによると執筆時は大学生だったらしい。
大手ではない出版社から刊行されており見慣れない装丁だっため、何の気なしに手に取ってみた。
立ち読みしてみて言葉選びが面白いなと思って購入したのだが、自宅でじっくり読んでいると耳元で不快な音がずっと響いているような感覚に陥った。
感想を一言で述べるなら「若い女性特有の万能感や自信が鼻につく作品だった」となるだろうか。


作者が主張しているタイプの芸術作品は嫌いではない。
ハッキリと自己紹介をしたわけではないのに、作品を通して製作者のメッセージを伝えるなんて素晴らしいと思う。
芸術家の中には、「簡単に自分の考えを読み取られてたまるか」「メッセージなんてめんどくさいこといちいち斟酌してくれなくていい」と思っている人もいるだろうが、まあそれはそれで。
美術関係の展覧会は見に行くこともあるが絵画や彫刻に関する知見がないので、作者の人物像に思いを馳せるだけの境地には至っていない。
ただ、文学や歌詞などの文字としてインプットするタイプの作品であれば頭に入りやすいので、作者の人となりを想像しやすい。


例えば、女性の作家で【西加奈子】という人がいる。
この人は女性を主人公にした小説が多く、女性特有の激しさや感情の振れ幅(毎月の生理的なものも含めて)を表現するのがとても上手い。
人によっては不快に感じることも多いかもしれないが、女性作家が書く女性の一人称なだけに、フィクションとはいえ真に迫った女性の心理描写ができていると思う。
また、ぼくは昔から椎名林檎をよく聞いているのだが、女性の情念がバシバシ感じられる彼女の歌が好きだ。
代表曲である【ここでキスして】なんかはラブソングの定番のように言われているが、ぼくはあの歌を聞くと髪の長い女に遠くからねっとりと見つめられている気持ちになる。
男性には男性の、女性には女性にしか表現できない世界観があるので、作者の性別によって接する作品を分けてしまうのはもったいない。
鬼滅の刃だって作者は女性だし、作中には女性作家特有の変なノリとテンションも感じられるが、それも含めて作品である。


しかし、上記したエッセイに関してはどうにも受け付けなかった。
学生や若い人が主役の小説は読んだことも、今でも読むこともある。
自分にもこんなときがあったなあと過去に思いを馳せたり、こんなやついるわけないと思ったり、主役の年齢設定が自分と異なるものであっても楽しく読むことができる。
当時は噛み砕いて表現できなかった少年の気持ちも、今なら過去の自分と照らし合わせて理解することができるのだ。
ライ麦畑でつかまえて】の主人公・ホールデンくんなんか、いい感じにこじらせていて微笑ましいくらいだ。
主人公が自分より年下の作品を受け付けない体質であれば、年を取れば取るほど接することのできる作品が少なくなってしまう。
子供のとき、大人のとき、それぞれで感じ方が違ってくる作品は素敵である。


そんなぼくが今回のエッセイを受け付けなかったのはどういうことだろう。
エッセイというノンフィクションの形態を取っている作品のため、むき出しになっている作者の"生(なま)"に引いてしまったのだろうか。
作中では友人付き合いや失恋についても触れられていたが、夜な夜な乱交パーティをしているとか、棒状の野菜をあんな穴やこんな穴に突っ込んだとかいう描写があったわけではないのに。
若い女性にあまりにも相手にされないものだから、「女子」を謳歌している女子に対して恨みや偏見が蓄積しているのだろうか。
あまりにも気に入らなかったので本は手放した。
自分はそこそこひねくれていて偏見まみれの人間だと思っていたが、まだまだこんな鬱屈とした感情が潜んでいたとは。
やはり読書とは己と向き合ういい機会だ。
でも正直、若い女性に嫉妬している年増女のような自分の内面など認めたくないので、誰かこじつけでもいいのでこの感情を分析してぼくを安心させてほしい。


ところで、アニメや今のブームで知った人はともかく、鬼滅の刃で騒いでいる人の何割かはジャンプ連載中は読み飛ばしていただろう。
アニメ化までは掲載順も中位の作品だったし、ジャンプを代表する作品のひとつでなかったことは明らかだ。
ぼくは特に鬼滅ファンではないけれど、連載当初からのファンは複雑な気持ちだろう。
とりあえず破壊神マグちゃんは連載を継続してほしいので、ジャンプ編集部さんどうぞよろしく。

こなれ感のある人生

全く同じ体験をしても、面白いと感じるか否かは個人差があるとダウンタウンの松ちゃんが言っていた。
ある人はものすごく面白かったと思うことが、別の人にとっては何のこともなく印象にも残らない一場面だったりする。
感度よくキャッチできるかは当時の状況や自分の感性にもよるので、後から思い出してみたらあれって結構な面白話だよなあと思うことが割とある。
しかし、当時は何とも思っていなかったので、あのエピソード掘り下げたら愉快な話ができそうだけど、肝心なこと覚えてないという残念なことが多い。


昔、大学のゼミである課題が出されたことがある。
ざっくり言うと「偉い人に会って話を聞いてこい」というものであった。
教授が「偉い人」と言っていたわけではないが、そんなニュアンスのことを言っていた気がする。
取材対象の選出から本人へのアポ取り、そして当日の段取りまで学生たちに組ませて、グループ単位で発表するのだ。
今こうして文字にすると小学生の社会科見学みたいだけど、全ての段取りを学生が進めるという意味ではお遊びではなかったと思いたい。


所属していたゼミは非常に人気のある教授のゼミだったのだが、ぼくにとっては正直そのゼミでなければならないと言うことはなかった。
光に群がる虫のように賑やかなところに近づきたいアホというのはいるもので、当時のぼくもそれである。
一緒に所属希望を出した友人が何人か落ちる中、運よく人気のゼミに入ることができたのだが、これといってモチベーション高くゼミ活動に取り組んでいたわけではなかったのだ。
ゼミには積極的な人や賑やかな人が多かったので、振り分けられたグループも「この人らに任せとけばまあうまいこといくでしょ」と感じさせるメンバーが揃っていた。
その中にいたある一人の女子が、「友人のおじいさんが某お寺の偉い人」という話をしだした。
お寺の名前は伏せるが、非常に有名なお寺で教科書にも載っているレベルである。
どうにかこうにかしてそのお友達を頼ってお寺の偉いさんに会えることになり、意外とすんなり予定が決まったことに安堵していた。


このエピソードは掘り下げて話すことで、かなりのインパクトになると思う。
何回も言うようだが、誰でも知っているような有名なお寺の偉い人である。
通してもらった部屋も、一般の観光客が踏み込むことのないエリアだった。
しかし、「偉い人」というのが具体的にどういう役職を指すのか全く覚えていないのだ。
ましてや宗教法人である。
一般企業のように社長だの部長だの分かりやすい肩書ではなく、「ドスケベ大僧正」みたいなその界隈でしか通じないような肩書だったと記憶している。
最高責任者なのか、四天王みたいな幹部の一人なのかすら定かではないのだ。
偉い人が話していたことも全く覚えておらず、唯一記憶しているのが「さっきまでちかげちゃんが来てた」ということだけである。
そんな固有名詞出されても知らんがなと思っていたのだが、よくよく話を聞いてみると、以前に国土交通大臣を務めていた扇千景のことを言っているらしい。
「あ、この人本当に偉い人なんだな」とそのとき初めて認識したのであった。
もちろん、その後グループで何を発表したかも全く記憶にない。
ちなみにお寺の偉いさんは、ファイナルファンタジータクティクスに登場したドラクロワ枢機卿のような服を着ていた。

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数年後、ぼくらは就職活動という魑魅魍魎が蠢く世界に身を投じることになる。
当時、売り手市場で就活生に有利だとは言われていたものの、蓋を開けてみれば内定は一部の優秀な学生に集中するという構図で、ぼくのような凡百の木っ端学生には市場の動向など全く関係ないのである。
その日も、同じく就活に苦戦している何人かの友人たちといつも入り浸っている居酒屋で飲んだくれていた。
集まりの中にひとりの女友達がおり、彼女は当時からそこそこモテる子であった。
100人が100人声を揃えて美人と評するタイプではないのだが謎の色気があり、お酒も好きで付き合いもいいので人気があるのも何となく納得する子である。


みんなで就活の愚痴を言い合っていると、居酒屋の常連さんがお友達を伴ってぼくらの席にやってきた。
ぼくらは全員その常連さんとは普段から仲良くしており、気さくないい人だったので特に気にすることもなく受け入れた。
常連さんが連れてきたお友達はアメリカから来て日本で働いている外国人で、ここでは仮に「マーク」としておく。
何でも、リクルートスーツ姿で生ビールの大ジョッキを空にする女友達の姿にマークがグッときたらしく、お近づきになりたいと思って常連さんに頼んでこちらの席に来たらしい。
確かに彼女はリクルートスーツのブラウスの下に直でブラジャーを着けるような子だったので(透けない色のものを身に着けていたらしいが)、そうした無自覚な色気にあてられるのは分からないでもない。
しかしながら外タレに興味のなかった彼女にマークは相手にされず、なんかよく分からないうちに流れでぼくが彼と会話をすることになった。
話をしているうちに分かったのだが、マークは日本語が達者で、日本の小説もよく読むらしい。
最近読んだのはよしもとばななの【キッチン】であることも教えてくれた。
ぼくもその本は読んだことがあったので、マークに感想を聞いてみたところ「日本人ってなんかかわいそうだと思った」と意外な返答があったので驚いた。
個人的に【キッチン】は食欲と性欲をテーマにした非常に心温まる話だと思っている。
文化が違えば同じ作品であっても全く違う感想になるだろうことを理解していなかった当時のぼくは、マークになぜそんな感想を抱いたのか興味津々で尋ねてみた。


今回のテーマ「当時は気が付かなかった面白話」を思い出してもらえれば予測できると思うが、マークが【キッチン】を読んで「日本人ってかわいそう」と感じた理由は忘れた。
なぜかそこだけが記憶からすっぽり抜け落ちているのだ。
失礼なことを言われた覚えもないし、マークとはその後も何度か同じ居酒屋で遭遇してお話をしているので、喧嘩になったとかでもないと思う。
ちなみに、女友達の今の旦那がマークであるということも特にない。


こういう話は実は面白いことに後から気付いたとして、辻褄を合わせようと強引に盛っても無理なのだ。
有名な寺の偉い人と会うとか、女友達のリクルートスーツ姿にムラムラした外国人の話とか、導入が既に期待を煽るものなので、余程の構成力がない限り話に矛盾が生じたり尻すぼみになったりする。
これらはたまに思い出してもやもやしているがすっきりしないので、一生思い出せない記憶だと思う。


関係ないけど、「合コンで気合いの入った服装で行くと本気みたいに思われるから嫌」という女性がたまにいる。
こいつはいつになったら本気を出すのだろうか。
人生周りの出来事かもしれない合コンに気合いを入れて必死にならずに、自分の望むものが手に入ると思っているのだろうか。
合コンが上手くいかなかったとして、「まあ本気じゃなかったし」と言い訳に使いたいのが見え見えである。
どうか孤独に売れ残って、あのとき本気を出さなかった自分を恥じてほしい。
よく、ファッション誌には「こなれ感のある着こなし」なんて見出しがあるが、一度しかない人生をこなれてどうする。
そんな売れ残り予備軍と同様、ぼくも本気を出さずにボーっと生きているから面白いことに対するアンテナが鈍っているのだ。

伸び率のある将来性と乳首

学生の頃、【いま、会いにゆきます】という映画を女子と見に行ったことを思い出した。
ラブストーリーだったためお互いに帰り道で盛り上がってしまい、劇中で行われていた手の繋ぎ方などを再現してみたりした。
その後カップルが集うスポットでまったりしている際に告白したのだがフラれてしまい、じゃあ手なんか繋ぐなよとイラっとしたものである。
10年後くらいにその子と共通の知人から、彼女が結婚して子供が生まれたことや、授乳に際して乳首が伸びて困っているという話を聞いた。
乳首って伸びるのかあと妙に感心したのを覚えているし、業が深いと乳首も伸びやすくなるのかなとひねくれたことを考えもした。


ぼくは子供を産んだことも育てたこともないが、仮に子供を持つことになったとしたら「子供のやったことだから」というスタンスを取る親だけにはなりたくないなと思っている。
子供は周囲の予測できない行動を取るし、何かやらかしたとしても幼いのでやったことの重大さが理解できるわけでも、行動の責任が取れるわけでもない。
それを踏まえて、子供によって何か被害をもたらされた側が「子供のしたことですから」と許すのは構わないが、親が「子供のやったことでしょう」と開き直るのは確実に間違っている。
親が謝ることによって、「親が謝るくらいだから自分は大変なことをしたんだ」と子供が認識できる可能性は高くなるし、責任の取れない子供の代わりに責任を背負うのが親だ。


知らん保護者に、しつけの正しさのダシにされるのが腹立つ。
スーパーなどで走り回っている子供とぶつかりそうになったとき、信号のない交差点で自転車を運転している子供が飛び出してきたとき。
大抵はこちらが先に気が付いて止まることで実際にぶつかることは避けられるのだが、その場合の親の態度に気が食わないときがある。
ほとんどの親はこちらに頭を下げてきたり、「すいません」と言ってきたりするので、こちらも頭を下げたり「いえいえ」と返したりする。
しかしたまに、「だから言ったでしょ」や「ほらね」と子供に言うだけで済ませる親がいる。
なんか、これをされると何とも言い切れないわだかまりが心に沈殿していくのだ。


子供が走り回ったり、自転車でスピードを出したりするのは危ないが仕方のないことだ。
言ったって聞かない子はいるし、親も四六時中子供を見ているわけにはいかないだろう。
まさに「子供のやったこと」なので、子供の行動をとやかく言う気はない。
下品なサルのような顔をした、年齢一桁にして既に将来が知れたような品のない子供であっても何とか我慢する。
子供は予測不可能な行動を取ると認識して、こちらが注意するしかない。
そして、親も謝ってくれなくても正直構わない。
お互いにぶつかったり怪我したりすることは未然に防げているわけだから、親が必要以上に委縮する必要もないと思うのだ。
今は子育てに寛容でない世の中だなんて声もあるらしいし、もうちょいおおらかになってもいいんじゃないか。
実害が出たのに無視するのは人としてどうかと思うが。
しかし、しつけの正しさを証明するための媒介として利用されるのは納得がいかない。
何が腹立つって、こちらを障害物か何かのように扱っていることが釈然としない。


先日、交差点の角から飛び出してきた小学生低学年くらいの子が操縦する自転車にぶつかりそうになった。
ぼくも自転車に乗っており、スピードを落として運転していたので衝突は避けられたが、子供の後ろからやってきた母親は「だから言ったでしょ」と言うだけで特にこちらに対してのフォローはなかった。
「ほらね」という親の心中は「自分の言ったことは正しいでしょ」「だから言うこと聞きなさい」だと思う。
なぜ親が正しさを証明するための、ドヤ顔をするためのダシに使われなければならないのか。
親としては子供には怪我してほしくないけど、身をもって親の言っていることを学んで公共の場で適切な行動を取ってほしいと思っているだろう。
それの証明に第三者はうってつけかもしれないが、材料にされた側の気持ちを考えてほしい。
決していい気持ちはしないし、こちらも危ない思いをしているのだ。
とりあえず、そんな保護者の思い通りになっているのが腹立つ。
必要以上にへりくだるべきと言っているわけではないが、万が一頭のおかしい人に遭遇した場合を考えといたほうがいいだろう。
じゃあどうすればいいんだということになるが、結局は会釈するくらいの配慮をしといたほうが無難な気がする。


たまに、ビックリするほど美人な母親が子連れで歩いているのを見かける。
子供がいるくらいだから、ああいう神々しい美人も当然のようにセックスしてるし、独身の頃に比べて乳首も伸びてるんだろうなあと思うことがある。いやまあ当たり前なんだけど。
美人に対して「かわいい顔してやることやってる」なんて揶揄する言葉があるが、かわいい顔をしているからこそやれることがあるのだ。

300記事目

今回の更新をもって、300記事目に達した。
6月くらいまでは毎日更新していたのだが、最近は隔日くらいにペースが落ちてきている。
まあストレス溜めてまでやることでもないし、無理せずに続けられているなと思う。
どうやら読んでくれている物好きさんもいるようなので、ありがたいことである。
乱交パーティについて興味深い記事を読んだのでその話でも書こうかと思ったけど、思い出したことがあるのでそれはまたいつか。


大々的に報道されているためご存じだとは思うが、石原さとみが結婚した。
ウォーターボーイズ出演時はダウンタウンの浜ちゃんを超える、たらこ唇界の逸材が出てきたと思ってワクワクしていた。
当時の彼女はとにかく芋臭かったことに加え、共演していた鈴木えみがあまりにも美しく、並ぶと容姿の落差が激しくて残酷だなあと思ったものである。
今はすっかり美女になって、ドラマ以外にもバラエティ番組への出演も多く、容姿だけでなく人柄の良さも石原さとみの魅力だろう。
堀北真希北川景子上戸彩などなど、同世代かつドラマでも馴染みのあった女優さんが結婚していくことは感慨深いものがある。


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そんなさとみのお相手は、一説によるとゴールドマンサックスに勤務しているそうだ。
ゴールドマンサックスと言えば、キーエンスと並んで高収入であることは何となく知ってるけど何をやっているのか分からん会社である。
外資の企業で向上心と野心を持って勤務し、高い能力に見合った高い対価をもらっているようなデカいスケールの人間は、女優とすら結婚できるらしい。


仕事をする上でお金というやつは最重要と言ってもいいくらい欠かせない項目ではあるけれど、それでも働く目的は人それぞれだろう。
プライベートも厭わずにバリバリ働いてとにかくお金を稼ぎたい人、仕事はほどほどにしてプライベートを充実させたい人、自分の好きなことを仕事にして楽しく働きたい人。
ぼくは現在、友人の会社に匿ってもらっている。
決してたくさん給与をもらっているわけではないが、ストレスフリーで楽しく仕事のできる職場だ。
友人も「お客さんも含め、気の合う人間と楽しく仕事をしたい」という理念を持っている。
コロナで失業者が増えている中、こうしたご縁があることは本当にありがたいことだ。
前職を何も考えずに辞めたので、友人がいなければ野垂れ死んでいたことだろう。


収入というやつは、単純に時間を顧みずに働き続ければ増えていく。
一部のブラック企業などは労働時間に見合った対価をもらえないかもしれないが、そうした例外はひとまず置いておいて。
努力をすればしただけ、それに見合った対価を得られるケースがほとんどだ。
特別なスキルがなくても、最悪寝ずに働けば収入を確保することができる。
しかし、ぼくの今の職場環境のような、気の合う人間と楽しくノンストレスで仕事をできている人がどれくらいいるだろうか。
努力だけではどうにもならないことは確実にある。
いくらがんばったところで変えられるのは自分くらいのもので、職場の環境や人間関係などの要素はいかんともしがたい。
ある人がこんなことを言っていた。

成功というのは、
あなたができることをやった上で、
あなたがどうすることもできないものが
うまく作用した結果に過ぎない。

きっと、今のぼくを構成している要素は、自力ではどうしようもなかったことが大部分を占めている。
勉強や遊びを不足なく与えてくれた両親や、優しくしてくれた頼もしい友人たち、そして人だけじゃなくて運が絡む要素などなど。
決して、努力だけで今の自分になれたのではない。
いろんな人に助けられて今があるので、ぼくにできることは感謝と、自分を受け入れてくれた環境でがんばることしかない。
努力することは確かに大切だけど、努力できる環境になく、その日を生きるのに精一杯の人だっている。
感謝の気持ちを持つことと謙虚であることは、人生の上で本当に大切なことだと思う。
仕事に行きたくなさすぎてずっとブルーハーツのチェインギャングを聞いていた前職と比べれば、今は本当に恵まれている。


チェインギャング


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石原さとみが彼と出会ったのは、友人夫妻の紹介だそうだ。
これもきっと彼女の人柄や周りの人に対する接し方あってのものだろう。
どれだけ美女で普段から努力をしていても、人の縁に助けられることはたくさんあるのだ。
努力したって結局は運だよということではなく、努力に加えて運や周りの助けも大切である。
自分にできることはやる必要があるが、何もせずに報われるほど人生は甘くないらしい。


しかし、友人に女優がいたり、ゴールドマンサックス勤務の男性がいたり、石原さとみの友人夫妻も大概恵まれた環境にいそうな気がする。
スペックの高い友人がいなくても、大企業に勤務していなくてもぼくは今のままで十分幸せなのだが、高畑充希を紹介してくれるような太いパイプは努力すれば手に入るものだろうか。

こういう人たちにとってのカッコよさ

誰とは言わんが、みんなにタメ口だったり破天荒だったりする人に【実は礼儀正しい】という裏の顔があるのが嫌いだ。
だから何だというのか。礼儀正しいことは社会人として当たり前にできていて然るべきだ。
ちゃらんぽらんという下地があることで、人として当然のことをしただけで過剰に持ち上げられるのは納得いかない。
真面目なやつがちょっと不真面目な行動を取っただけで「裏では何してるか分からん」と言われるのに、不真面目なやつがちょっといいことをしただけで「実は優しい」みたいに評価されるのはガバガバすぎる。


こういう人たちいるじゃないですか。

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たぶんこれは写真が古いんで、ここまで肌が黒かったり髪が明るかったりというのは今はいないかもだけど。
こういう人らって、何でことあるごとにお腹を出すのかって思っている。
できたら写真を見せたかったんだけど【ヤンキー お腹を見せる】とかで検索しても画像が見つからなかったので、どうにか文章と想像力で補完してほしい。


夏場に限ったことだけど、若めのチンピラがTシャツの裾をちょろっとまくって微妙にお腹を出しながら歩いているところを見かけることがある。
また、Tシャツの裾から手を突っ込んで、わざわざお腹を見せながら胸やわき腹あたりを掻いている仕草も目にする。
両者ともに決まって気だるげな「本気で生きてません」という態度でそこに存在している。
お腹を見せる仕草も、無意識かつアンニュイにやっているように見せかけて、腹筋を見せたいからやっているのがバレバレだ。
わざわざ露出をするくらいだから腹筋に自信があるのだろう、確かに一見すると締まっているように見える。
しかし、よく見ると鍛えているわけではなく、痩せているから腹筋が浮いているように見えるだけなのだ。
ああいうのは細マッチョとは言わず、素行の悪い栄養失調者と言う。


結局こういうのは突き詰めると、「カッコいいから」という理由でやっているのだ。
本人としては日常の動作として何の気なしにやっているつもりかもしれないが、本人以外の周囲の人間にはバレバレである。
仮に彼らがブヨブヨのお腹をしていたり、ジャングル大帝みたいな腹毛が生い茂っていたりしたらお腹を見せることはなかっただろう。
心理としては、ハンドルをカマキリみたいにしてがに股で自転車を漕いでいる中学生と変わらない。
お腹見せもカマキリハンドルも別に実害を被ったわけではないし、若い頃は悪いことや本気を出さないことがカッコいいと思いがちである。
中学生や高校生がいきがるのは理解できるが、ハタチそこらの若者がこれ見よがしにお腹を出しながら歩くのはいかがなものだろうか。
タトゥーなんか入っていた日には最悪である。
周囲に遠慮しない自分をアピールしつつ威圧しているつもりかもしれないが、いい年してそんなことがカッコいいと思っている幼稚な精神性に引く。
百歩譲ってカッコいいと思っていなかったとしても、まともな羞恥心があれば人前でお腹なんか出せない。


やっぱりああいうのは、誰かがやっているのを見てカッコいいと感じ、自分もやってみたいと虎視眈々と狙っていたに違いない。
きっと、お腹を出すと決めた日は朝からドキドキしていたことだろう。
意を決してお腹を出したとき、誰も話題にしてくれないことにしょんぼりしたかもしれない。
出し方にさり気なさが足りなかっただろうか。あんなに鏡の前で練習したのに。
乳首まで見せるのはやりすぎだっただろうか。それとも腹筋が足りなかっただろうか。
いろんな反省点や後悔が頭をよぎったことだろう。
「何で腹出してんの?」友達(ツレ)に聞かれたときは嬉しかっただろう。
鼻の穴が膨らみそうになるのを抑えながら、用意しておいた決め台詞「いや、なんかあちぃし」をビシッと決めるのだった。


そんなやついないよと思った人、よく周囲を観察してみてほしい。いるから。
もう気温も下がってきて見る機会もないかもしれないけど、それなら来年の夏まで覚えておいてほしい。
住んでいるところが特別治安の悪いところでもないと思う。
何より、ぼくはシティボーイなので民度の低い地域には住めないのだ。
最近は若い女性におへそを出すファッションが流行っているが、あれも品と清潔感がないのでよろしくない。


しかし、昔はこういうチンピラってダボダボの服装をしてたけど、今は大概、どうやって脱ぐのそれってくらいピタピタのパンツを履いている。
聞くところによると、ホスト系の人らの影響が強いのだとか。
SNSでバブリーに分かりやすく成功者アピールをしている彼らに、憧れを抱く若者は多いらしい。
冬になったらカナダグースのダウンを着て、その下はヒートテックのみという服装をするのだろう。
一般的に、犬がお腹を見せるのは飼い主に心を許している証だと言う。
彼らもいきがっているように見えて実は心を許せる相手を探しているだけかもしれないが、あんな病気まみれの犬には近づきたくないので無視するに限る。