公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

ブラジャーの抱える問題点について

ぼくはインターネットに顔を晒すことを決してしたくないと思っている。
商売等の利益目的でもない限り「ネットに顔を載せる=死」であり、悪意のある人間に見つかったが最後、飽きるまで弄ばれる。
一生消えない烙印を押されたようなものだ。
なのでSNS全盛期の今、若い子らが平気で顔どころか学校や勤め先を晒して画像や動画を投稿してるのを見ると、本当に考えが理解できなくて異なる文化圏で暮らした人間を見ているような気持ちになる。
「みんなやってるから」という考えなのかもしれないが、木を隠すには森の中理論に基づいてみんなが顔を晒してるんだから、自分がやったところで大したことないみたいなものなのだろうか。
同世代の人なら共感してくれる人もいると考えていたのだが、ぼくと同世代と思われる人間も最近は平気で顔出ししているなあと思っていた。
思っていたのだが、よく考えれば彼らは実名上等のフェイスブックをやっていたのでもはや怖いものなどないのかもしれない。


こないだぼくのコーヒー屋さん巡回ルートに入っているお店に行ったときのこと。
ちょっと外れにあるとはいえ繁華街の店舗なため、休日であることも相まって夕方を過ぎてもそれなりに人がいた。
お客さんの中に、大学生から社会人序盤くらいの若い女性二人組がいた。
大体にして女性というやつは二人以上になるととにかくやかましいのだが、その二人はそれなりに声を絞りながら話をしていたのを覚えている。
しかしながらそこまで広くはない店だったため、申し訳ないけれど彼女らの会話の内容は筒抜けだった。
会話の内容はずばり、マッチングアプリで出会った男性の話だった。


ぼくは上記したようにネットに顔を載せたくないので、当然のようにマッチングアプリもやっていない。
ネット掲示板なんかでは悪意のあるマッチングアプリユーザーによって、平均より低めの容姿やスペックの人が顔写真付きで晒し上げられていることもある。
だが、最近の若い子の会話を聞いていると話題にマッチングアプリが当然のように上ってくる。
なんならマッチングアプリに対するイメージがそんなによくないぼくとしては、友人との会話で臆面もなくマッチングアプリの話をするあの子らとの考え方の違いに驚かされる。


話をコーヒー屋さんに戻す。
会話の内容は正直ありきたりな、どこに遊びに行ったとかこんな特徴を持った男性であるとかその程度のものだった。
平凡な会話であったが、女性の片割れが言ったセリフがちょっと心に残っている。
「男の人は有料だからいろんな人に会わないと損」というものだ。


聞いた話によると、マッチングアプリというやつは女性は無料だが男性は有料のところが多いらしい。
婚活パーティでも男性と女性では料金に差があると聞くし、男女平等とは何なのかと思い知らされる。
「女性のほうが身だしなみにお金がかかっている」論者とは基本的に話をしないようにしている)
有料と無料でどんな差があるのかは知らないが、まあお金がかかっているのだから色んな穴と棒のお突き合いをしてみたいと思うのは至極当然だろう。
というか、マッチングアプリなんて真剣な出会いはできないだろうし、モテ男の狩場だと思っているのだが、そのへんの実態はどうなのか若い子に聞いてみたいところである。


こうやって男女の恋愛の話を聞いていると、やっぱり根本では分かり合えない同士なのだなあとつくづく思い知らされる。
男性に女性の苦労が想像しづらいように、女性にも男性の苦労は見えづらい。
例えば、働く女性の権利が尊重されるようになったとは言っても、日本はまだまだ男女の賃金格差が大きい。
男性にしてみたら、バリバリ働きたい女性が妊娠や出産でキャリアが閉ざされてしまうことの悩みは分からないだろう。
同じように、女性にはモテない男性の苦悩って絶対に分からないと思う。
コーヒー屋さんの彼女らは平均的な見た目をしていたし、おそらくは今までの人生でもマッチングアプリでもいろんな男性からアプローチされてきたのだと思う。
そんな彼女らからすれば、自分の原因ではない要素(性別や容姿や家庭環境など)で、女性との接点が閉ざされてしまう男性の苦悩は想像できないだろう。
なぜなら女性は選ばれる性別であって、もっと言えば女性というだけで愛されることが可能だからだ。
仮に女性がモテない男性と同じような苦境に陥ったとしても、男性に比べれば悲惨な境遇にはなりにくいと思う。
人に愛されたいのならまず誰かを愛するべきなんて言う人もいるが、誰にも愛されたことのない人間に他人を愛することを求めるって無理があるし、誰にも愛されることのない絶望も想像するべきだ。
もちろん、女性は女性であるというだけで男性には分からない性的な悩みだってある。
女性特有の毎月の悩みもそうだし、電車での痴漢や夜道を警戒して歩くような性犯罪に対する危機意識は男性には真に迫って感じにくい。


何が言いたいかと言うと、お互い大変なのだから他方を貶めるのはやめようぜということだ。
自分の大変さを主張するのは大いに結構だが、「それに比べて…」と一方を軽んじてしまう時点で話を聞く気がなくなる。
最近多いのは、家事育児の大変さをあげつらって働く旦那の苦労を大したことがないと一蹴するタイプの漫画やSNSだ。
昔に比べて主婦や女性の苦労が可視化されるようになったのは良いことだと思うが、今まで大変な思いをしていた男性が楽になったわけではないし、みんながみんな女性の苦労を軽んじていたわけではない。
旦那と嫁だけでなく、相反する属性の両者にはこの他方を軽んずる問題もセットで語られる。
各々がそれぞれできることを精一杯やって、自分ができないことは誰かに手伝ってもらって、そのときはちゃんとお礼を言えばいいと思うのだ。


そう言えば、コーヒー屋さんで遭遇した件の女性二人組のうち、一人は白色で薄手のサマーニットを着ていた。
ああいう服の着用者には、服が薄手かつタイトであるため下着のでこぼこが表に浮き上がってしまっている人がたまにいる。
透けているのとはまた違って、色は分からないのだが形が浮き上がっていることによって想像の余地があるというか、シルエットクイズをしている気持ちになってしまう。
下着の輪郭程度が浮いているだけならまだしも、ブラジャーの刺繍の凹凸が鮮明になっている女性に至っては洋服ではなくほぼブラジャーである。
ああいうぴったりした服を着る女性は自分に自信がある人が多いので、大体は刺繍がバキバキに入った凝ったデザインのブラジャーをしているのだ。
また、浮き出るブラジャーのポイントとしては、おっぱいの貧富を問わず発生する現象であるということだ。
むしろ、大きいサイズのブラジャーにはかわいいものがないと聞くので、下着が浮き出る現象は貧乳の女性に発生しやすいのかもしれない。
女性には男性の見ているところが理解できないだろうから、根本では分かり合えない生き物なのだなあという話。