公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

かわいそうなフリーザ

物事の例えにいちいち極端な例を出す人はアホか、場を和ませようとして面白いことを言っているだけの人だ。
別の言葉で言い換えて分かりやすく例えるのであれば、誰にでも分かるような事柄を用いて説明するべきである。
どっかの編集者が執筆した【死ぬこと以外かすり傷】なんて本がベストセラーになったらしいが、そんなものは当たり前だ。
かすり傷から死までの間にはいろいろな苦しみがあって、死ぬよりしんどいこともたくさんある。
死んでしまいたいと思っても、苦しみと向き合って生きていかねばならないのだ。
死ぬ以外の痛みをかすり傷だと思って自分の痛みに鈍感なのはいいけれど、他人の痛みは想像できる人間であってほしい。


ここ最近、女性目線による家事育児の苦労や夫への文句を書いた漫画やツイートが話題になることが多い。
コロナ禍で旦那が在宅勤務になったり、子供の学校が休みになったりで、愚痴の勢いも増している気がする。
個人的に思うのは、物議を醸した【ポテトサラダ論争】は昔あった【保育園落ちた日本死ね】と同じで、気に食わないものを叩きたいだけの創作だろう。
作り話でもあそこまで広がれば正義になるのかと感心している。
ああいうツイートや漫画を総称して、【わたしかわいそう漫画】と呼ぶそうだ。
言い得て妙だなあと感心している。


女性は自分の考えに共感してほしいタイプの人が多いので、ああやって漫画やTwitterで発信しているのだろう。
しかし、当事者の主観だけで相手が悪いと決めつけるのは間違っている。
あれしてくれなかったこれしてくれなかったとか、こんなこと言われたとかの相手ありきのものは、相手の言い分や立場もあるだろう。
自分の気持ちは文字や漫画で表現できても、相手の気持ちは全て掬い取れるわけではない。
浮気や不倫、事件事故に巻き込まれたようなものならともかくとしても、自分に全く非がないことって実はそんなになかったりする。
まして、共感してほしい目的で書いているわけだから、多少は自分に有利になるように脚色している部分もあるかもしれない。
表現するまでの間にマイナスの感情が醸造されて、ことさらに悪く大げさに書いてしまうことだってあるかもしれない。
相手が100%悪くないと愚痴を言ってはいけないわけではないが、悪い部分だけを抽出してラインマーカーを引いて強調させるような描き方はいかがなものかと思う。
明らかな極論を述べる都合のいい人間を登場させ、スカッと論破するタイプのお人形遊び系説教漫画を見ているようだ。


こうした一方からの主張を見た人が、一部の例を全てに拡大解釈して「●●はクソ」などとレッテルを貼るのだ。
妻側の愚痴であれば、夫の立場も明確にしないとどちらに非があるのか判断することはできない。
夫側から「うちの妻がどれだけダメか」みたいなことを発信したら袋叩きにされそうな気もするが。
例えば、ドラゴンボールで言うとフリーザは悪役として書かれているけど、それは悟空たちの視点から描かれた物語だからだ。
フリーザ目線からすれば悟空たちが悪者だし、フリーザが存在することによって作中では描かれていなかったメリットもあっただろう。
無秩序に暴れまくるサイヤ人たちを更なる力で統率したとか、フリーザがいることで悪の抑止力になって他の悪党がおとなしくなったとか、そんなことだってあったかもしれない。


とは言え他人なので、ぼくにできることは「こんなひどい旦那いるのか」と反面教師にするくらいだ。
ためになるような漫画もツイートも特に見かけないのだが。
育児のためにずっと家にいるような奥さんであれば、気晴らしも必要だ。
結婚したことがないので知らないが、周囲は知り得ないその家庭ならではの悩みもあるだろうし。
冒頭でも話したように、一部の人間にしか分からない事柄や極端な例を用いて説明するのは適切ではない。
フリーザは現実には存在しないし、ドラゴンボールのことを知らない人間がいる以上、上記したような例えはアホのすることだ。
たまたまフリーザのことを書きたくなったのだがいまいち文字数が不足していたため、最近疑問だった【わたしかわいそう漫画】と結び付けて書いてみたのである。