公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

ケーキとあげまんと不平不満

7/30(木)


友人の奥さんがケーキを買ってきてくれたので、職場で食べていた。
何で友達の奥さんが職場にケーキを持ってくるのかとかの前後関係は過去のブログをご覧ください。
どうも貧乏性なので、自分でケーキを買うときは一度に4~5個くらい買って1日で食い尽くす。
いただいたケーキは1個だったのだが、適量を食すという美徳もあるなと実感した。
きちんと運動もしているし、今までは年齢による新陳代謝の低下も少なかっただろう。
しかし、これからは今までの運動量では肉と脂が蓄積されていくだけのように思う。
運動の習慣があってよかったと思うことは、こんなときにも運動量を増やすだけで何とか対応が可能だということだ。
代謝が落ちてくる年齢から新たに運動を始めるのはしんどいだろう。
一応言っておくと、この日記カテゴリーは前日のことをその日の晩や次の日の朝に思い出して書いているもので、決して日付が間違っているわけではない。


子供の頃、CMか何かで伊丹十三監督の【あげまん】という映画を知った。
ちょっと成長してから当時のことを思い出したとき、無意識のうちに"まん"とは女性器のことを指すのだと思い込んだ。
最近知ったのだが、"まん"には俗説がいくつかあるらしい。
ひとつは女性器の俗称を略したものであるという説。
もうひとつはwikipediaによると以下の通りらしい。

「まん」とは「間」が転化したもので、運気・潮目・出会い・巡り合わせの意味(関西方言では「まん(間)が良い/悪い」のように使うという説。

しかし、この説だと女性に限定して使用されることに疑問が残るとのこと。
また、前者の女性器説についても、肉体関係限定ではなく付き合った場合でも"あげまん"が用いられることや、そもそも近畿地方の一部では「まん=女性器」が通じないということで信憑性に欠けるらしい。
まあ当時はそうだったのかもしれないが、今は「まん=女性器」で全国通用するだろうし、語源はひとまず置いといても女性器説でいいんじゃないですかね。
「やりちん」は確実にチンコのことを指してるわけだし。
【元々は「遣り知(やりち)」で「やり手の知恵者」という意味だったが、「知」が転化して「ちん」になったことで今のような使われ方をするようになった】とかでもあるまい。


最近関わりを持つようになった人に、何かにつけて文句ばかり言っている人がいる。
機嫌がいいときならともかく、機嫌の悪いときは視界に入ったもの全てに文句を言う勢いだ。
国家と権力と金が嫌いらしく、自治体や病院に対する文句がとにかく多い。
70代くらいの高齢の人なのだが、このくらいの年代には前述した3点に嫌悪感を持っている人が多い気がする。
ぼくの悪口を言われているわけではないし、正直関係はないのだが、文句というネガティブな話ばかりを聞かされることは気分が悪い。
愚痴は無理せずに吐き出したほうがいいのだが、聞かされる方の気持ちというか信頼関係も大切だと思う。
言った側はすっきりするかもしれないが、聞く側も決して喜んで聞いているわけではなく、無理している面もあるのだということは理解するべきだ。


ぼくもネガティブで文句の多い性格なのだが、ああいう人を見ていると自分の振る舞いを考えなければなと実感する。
どうしてもしんどくなったら溜め込まずに吐き出したほうがいいと思うが、日ごろから不平不満ばかり言っているのは自分にとっても周囲にとってもよくない。
ストレス耐性を身に着けるというよりは、"ストレスに対して鈍感になる"ことが大切だと思っている。
嬉しいことや楽しいことに対する感受性は敏感であるほうがいいけれど、悲しいことや嫌なことには鈍感すぎるくらいがいい。
一時期、仲の良い友人と会った時やLINEなんかでいろいろ愚痴を聞いてもらっていたことがあるが、ああいうのも聞かされる側の気持ちを考えると申し訳ないことをしたなと感じる。
愚痴や文句なので建設的な話にはならず、ひたすら否定語を繰り返すばかりだ。
話を聞いてくれる友達がいるのはありがたいけれど、ありがたさに甘えているのはやっぱりよくない。
人間関係はギブアンドテイクだ。