公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

人生のピークをどこに持ってくるか

【雀百まで踊り忘れず】って、「いつまで経っても元気ですね」みたいな意味かと思っていた。

幼い時に身につけた習慣や若い時に覚えた道楽は、いくつになっても直らないというたとえ。

実際はこういうことらしいが、よくよく考えるとポジティブな意味だけで使われる言葉でもない気がする。
特に、"道楽"の部分がこの言葉のポイントだなと思っている。


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少子高齢化社会と言われるだけあって、老人ホームでも恋愛絡みのトラブルが多いらしい。
性欲に個人差があるのだから、チンコが立たなくなろうが閉経しようが性欲が消え去るわけでもないだろう。
というか、人を愛する気持ち、誰かと共に時間を過ごしたいと思う気持ちは性欲だけで成り立つのではない。
何でもかんでも棒と穴の話に持ち込みたがるのは、ぼくの脳みその大部分を占める中二人格の悪いクセだ。
年を取れば角も取れて、落ち着きがあって穏やかな藤村俊二さんのような人間になるだろうと幼い頃のぼくは勝手に思っていた。
しかし、今の自分を見ていると、大人になったからと言って心が広くなったわけでも、イライラしにくくなったわけでもない。
【キレる中高年】が問題になっているように、人間は年を取ったくらいではまだまだ梅宮辰夫なのだ。


年を取ってから異性にうつつを抜かすことを、みっともないとする風潮もある。
「フランスではいくつになっても自由に恋愛を楽しむ人が多いよ」とかしたり顔で言うブスは滅んでほしいが、人の目を気にしすぎるのも嫌だなとも思う。
前述したように、年を取ろうがチンコが軟化しようが、自分にとって魅力的だと思える異性に巡り合えるのは幸せなことだ。
気持ちを押し殺して生きていくか、胸奥でくすぶっていた情熱を再燃させるかは各々の自由である。


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この記事の見出しを見たとき、正直「気色悪いなあ」と思った。
しかし、記事内のある記述を見て納得したので下記に引用する。

高齢の女性の場合、濡れにくくなる人も多い。痛みを伴うので挿入を望まない傾向にあるが、潤滑剤などを使えば負担は減る。さらに、セックスは挿入だけではない。勃起力が衰えても、女性器が濡れなくても、肌を合わせ、抱き合うことで幸せホルモン「オキシトシン」が出る。年齢に躊躇することなくセックスライフを謳歌することができるのだ。
手を繋いでいそいそとラブホテルに向かう熟年カップルを見ると、微笑ましくてあたたかい気持ちになる。我々後輩陣も自分の未来に希望を持つことができる。性の喜びは生の喜びなのだ。

まだセックスの"セ"の字も知らなかったあの頃。
好きな子と一緒に居られるだけで胸がドキドキし、鼓動の音が相手に聞こえやしないかと気が気でなかったあの頃。
手をつなぐだけで空も飛べそうな気持ちになり、お互いに手汗でヌルヌルだったけどそれすらも愛おしかったあの頃。
いつしかセックスの"ス"の字どころか、その先のもっとドロドロでヌルヌルしたことも経験し、昔のピュアな想いを懐かしむこともあるだろう。
ジジババがラブホテルで何をしているか想像するのは気持ちが悪いが、抱き合うだけで幸せなんてかわいらしいことではないか。
まさに、好きな人と同じ時を過ごすだけで幸福を感じられた少年少女の気持ちを再体験している。
世の中というのは何ともうまいことできているものだ。
先立つものがないからそうせざるを得ないというのもあるかもしれないが、だとしてもいくつになっても性と生の喜びを味わえるなんてかけがえのないことだ。


ラブホテルに入る熟年カップルを見て、「みっともない」と思うか「見習いたい」と思うかである。
老人ホームでの恋愛に夢中の年寄りも、あの頃のピュアな気持ちを取り戻したくてやっているのか、ドロドロでヌルヌルの体験をし足りなかったから必死なのかは定かではない。
恋愛じゃなくて趣味でも何でもいいが、いくつになっても"踊り忘れず"にいられるなんて本当に羨ましい限りだ。
リリー・フランキー氏も言っていたが「結局、勝負はインポになってから」なのだろう。
行動に性的衝動やスケベ根性が介入しなくなって、物事の本質が見えるようになってからが本番なのだ。