公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

嫌いな奴のなら喜んで売るかな

最近、母親が子供を放置して旅行に行って、子供を餓死させる事件があったじゃないですか。
性欲と自己顕示欲と保身で生きているアホな母親は擁護できんし、真面目にがんばっている大多数のシングルマザーはとんだとばっちりだろう。
ただ、子供が災害や事件事故に巻き込まれて亡くなったときに、被害者の子供の写真をニュースに映す意味ってあるのかなと思う。
正直、気分のいいものではない。


この子が亡くなった子供ですと、世間に教える意味はない。
亡くなった原因が残酷で惨たらしいものであればあるほど、この子が味わったであろう苦しみを想像してしまう。
今回の死因は餓死とのことだが、保護者が全力で庇護すべき3歳の子供が餓死するなんてただごとではない。
助けてくれるはずの母親がそばにいないと分かったときの子供の絶望は計り知れないだろう。


昔から疑問だったのだが、マスコミは被害者の写真をどこから入手しているのだろうか。
最近はSNSが普及しているので、被害に遭った人の情報を入手するのは容易だろう。
今回広まっている子供の写真も、母親のインスタから拾ったもののようだ。
しかし、親や関係者がSNSをやっていなかったり、それこそSNSが一般的でなかった時代は写真の入手経路が限定されたに違いない。
被害者の家族が提供するとは考えづらいので、おそらく誰かが売っているのだろう。
被害者と同じ学校なり近所の人なりにコンタクトを取って、幾ばくかの謝礼と引き換えに写真を提供してもらったのだろう。
そこまでして顔写真を報道に乗せる意味ってなんだろうか。
そして、提供したやつは良心が痛まないのだろうか。


写真だけならいざ知らず、幼稚園のおゆうぎ会の映像なんかがニュースで流れることもある。
亡くなった子供が元気に生き生きしていた映像なんて、もっといたたまれなくなる。
「こんな無邪気でかわいらしい子が死んだんです!どうですか!?かわいそうですよね!?」とテレビの向こうから叫んでいる声が聞こえるようだ。
よりセンセーショナルで、インパクトのある番組のほうが視聴率が取れるとは言え、物事には限度というものがある。
子供を亡くした被害者家族は、写真が勝手に使われていることに反応する余裕がないだろう。
だが、月日が経ち、悲しみを冷静に受け止められるようになったときに「あの写真や動画は誰が提供したんだろう」と疑心暗鬼にならないのだろうか。
大切な我が子を喪った上に、身近な人間を疑わなければならないかもしれない遺族の心痛は計り知れない。


また、凶悪犯の卒業アルバムの内容がニュースで紹介されることがある。
犯人の歪んだ人間性にこじつけられるような卒アルの記述を見つけ、「犯行を起こすに至った残虐な片鱗がこの内容から伺えるようですね」とかコメンテーターが知ったようなことを抜かしている。
卒アルはさすがにSNSでは見つけられないから、当時の同級生とかが売ってるのだろう。
ぼくの小学校の卒アルは、好きな芸能人の欄に当時流行っていたボキャブラ天国出演者の名前を書いたと記憶している。
もしもえらいことをしてぼくが逮捕されたとして、タモリさんやBOOMER、海砂利水魚(現:くりぃむしちゅー)とかにこじつけて人間性を否定されるのだろうか。