公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

太ってたって痩せてたっていいけれど

男性と女性で「かわいい」の基準が違うというのはもはや常識になりつつある。
同性からかわいいと言われる女性は、男性にとって大概そんなでもない。
それと同じで、それぞれが考える「ぽっちゃり」の基準も違う。
男性の言うぽっちゃりは「むっちり」と同義であることが多い。
一時期の磯山さやか安めぐみ、最近だと深田恭子大原優乃のような体型だ。
しかし、女性の言うぽっちゃりは男性から見ると単なるデブである。
自称ぽっちゃり女子はほぼ100%が地雷だ。
ぽっちゃりもデブと同義であることに気が付いた業界が、最近「ふっくら」とかいう言葉を頻繁に用いているが、そっちのほうが肉や脂肪を連想させると思う。
ただ、こちらとしても出るところは出て、引っ込んでいるところは引っ込んでいるような都合のいい体型を求めているわけではない。


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最近はこの記事にもあるように、今までコンプレックスだと重荷に感じていたことを受け入れていこうぜという考えが多いようだ。
アナ雪以降、ありのままがどうの、無理せずにどうだのという思考が増えた気がする。
個人的に「ぽっちゃり女子」だの「アラサー女子」だのという中途半端ごまかす言葉が気に入らないのであって、己を受け入れることで心身が安定するのならそれでいいと思う。
痩せていようが太っていようが好きな服を着てファッションを楽しんでいる人は素敵だ。
運動だって事情があってできなかったり続かなかったりする人もいるし、全ての人間に「気になるなら痩せろ」というのは暴論だ。


何事もそうなのだが、考えを強制したり押し付けたりしてくる場合はタチが悪い。
ありのままの自分を周りが受け入れてくれるかどうかは別なので、認めてくれない周囲に対して「心が狭い」だの「差別」だの言うのは間違っている。
体型を中傷してくる人間に対して怒るのはいいと思う。
ただ、攻撃や批判をしてきたわけでもない、異なった意見の相手を目の敵にするのは多様性とはかけ離れた考えだ。
「そういう人」のSNSを見ていると、多様性を主張する人間に限って自分を受け入れない人間には寛容でない気がする。
また、以前にボディポジティブについて書いている人の漫画を見たことがある。
その人は、自分の体型に合った服がないことに憤慨しており、「自分が着られる洋服を作らない日本のアパレル業界が悪い」と締めくくっていた。
アパレルも商売でやってるわけで、言い方は悪いけどいちいち少数に配慮した製品なんか作ってられない。
そもそも、差別や中傷の意図があって洋服を作っているわけではない。
そちらが自分の体型を受け入れて生きているのはそちらの勝手なわけだから、強制されたわけでない、自発的にやっている行為について配慮を求めるのは間違っている。
多様性というのは絵の具で言うところのいろんな色がごちゃ混ぜに存在している状態であって、全てを同じ色に染めてしまうのは、立場の違った人間の考えも尊重するという理想からはかけ離れた行為だ。


個人的には肉が付いている方が好きだが、それも微妙な自分だけのラインがあるので女性からすれば都合のいい意見だろう。
まあ女性も男の身長だの年収だのチンコのサイズだのに都合のいい理想があるようだから、妄想しているのはお互い様ということでここはひとつ。