公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

会議の最後はキャンディーの掴み取り大会が開かれる

昨日のブログの最後に、【楽しく生きる才能】という言葉が登場した。
ぼくはこの才能がとにかく乏しい。
小さいことや細かいことが気になるし、気分の切り替えが下手なので失敗をいつまでも引きずってしまう。
昔の恥ずかしいことを思い出しては奇声をあげたくなるし、失恋なんかは特に立ち直りが遅い。


楽しく生きることを一番阻害しているのが、【自分反省会】という会議だ。
これは不定期で開催される会議なのだが、主に誰かと会話をした後に開かれることが多い。

「ああ言っておけば言いたいことが伝わったんじゃないか」
「これを言ったら相手が喜んだんじゃないか」
「あの言い回しは失礼なんじゃないか」

人と会話をした後は、こんなことをぐるぐる考えてしまい、とても疲れる。
知らない人に道案内をした後でも、両親とのコミュニケーションでも会議が開かれるので、相手との関係性や距離感は関係なく、自分が気になったと思えば強制的に議論が始まる。
ただ、関係性の深さに比例して議論の時間も長くなる傾向にある。
また、「相手が喜んだのではと思われる言い回し」については、後からメールやLINEなどで改めて言うこともある。
だが、今更言われても相手もは?となるし、そもそもきっかけとなったやりとりすら覚えていないことが多い。


そんなこと大なり小なりみんなやっているかもしれないが、ぼくの反省会は会議の頻度と没入具合いが半端ではない。
仕事や家事が手につかなかったり、酷いときには眠れなかったりする。
会話をしている最中はリラックスできていると思うのだが、相手と別れたあと、ふと気になった言動をいつまでも引きずってしまう。
自分の発言だけでなく、相手の小さな振る舞いも後で思い返していちいち悩んでしまう。
本当は怒ってるんじゃないかとか、マイナスの方面に感情がどんどんめり込むのだ。
誰も求めていないのに勝手に疲れて、勝手に消耗している。


最近は女性と食事をしたりセックスをしたりする機会が本当にない(哀しくなるほどない)のだが、異性が絡んでくると脳内が余計にめんどくさくなる。
気軽に自分の振る舞いについて聞けるような関係性ならいいのだが、関係性を構築中にめんどくさいやつだと思われるわけにもいかないので、自分の中で議論が堂々巡りになる。
意見を言うのが自分しかいない、客観性ゼロの会議であるため、第三者の検証機関でも登場してくれればいいといつも思っている。
結局、相手はぼくが気にしていたようなことは意にも介しておらず、ぼくが思ってもいなかったようなことを気にしていたりするので、反省会が功を奏したことはあまりない。


誰かのことを考えているように見えて、結局は我が身可愛さゆえの行動なのだと思う。
さすがに道案内した知らん人に悪い印象を持たれたところで気にはならないが、遠い人でも近しい人でも、自分の思ったことを瞬間瞬間でちゃんと伝えられるように脳に血を巡らせておこうと思った結果の反省会なのだ。
反省会の起源は一応は向上心からなのだが、机上の空論という言葉もあるように、誰かに対してアウトプットしてこそのイメージトレーニングである。
やはり異性に対して実行してみたいと考えているのだが、性別に固執すると余計にこじらせそうな気もしている。
大体、こんな会議を日々開催しているようなアホがモテるわけはない。
そもそも、人間関係を円滑にしたいと思ったからこその自分反省会である。
関係性に一線を引いて、斜に構えて突っ立っているより、無遠慮に思えても相手を自分の土俵に強制的に上げ、物怖じせずにコミュニケーションを取れるようになったほうがいいのだろうか。
ぼくの土俵は狭い上に閉鎖的なので、お菓子を配るとか何か親しみやすさを付与しないといけない。